■あぶらむ通信
■出会った旅人T/U、旅の写真
あぶらむの会代表大郷博
○あぶらむ通信21号より抜粋


岐阜新聞への寄稿

 

地元「岐阜新聞」の素描欄に拙文を寄せることになった。
自分を、あぶらむの会づくりにかりたてていったものは何だったのか、しばし自分のこれまでをふりかえるよき瞑想の一時が与えられたようでした。ご笑読下さい。

 

●出会った旅人T

いつの世も、「人生の達人」といえる人がいる。私にとってそんな人は、沖縄にあるハンセン病(ライ)療養所「愛楽園」に生きる人々だった。
その一人、タケさん九十二歳。病気と生活苦で失った手足は大きな勲章に見える。彼女は十六歳で発病、家族全員がつらい仕打ちを受けた。幾度も自殺を考えたという。しかし不自然な死は家系を汚す、これ以上迷惑はかけられない―と思いとどまったという。
十八歳で家を出、二十八歳までの十一年間、人里離れた海岸近くの山中で独り暮らしをした。夕暮れ時が一番寂しかったという。そして何よりも怖かったのは「人間」であったという言葉に胸が痛んだ。

片足義足のタケさんは「私の足、一足先に天国に行ったよ」と言って、私たちを笑わせる。人生のつらさを笑い飛ばすかのようなその一言。しかし、その言葉を口にするまでに、それだけの涙を流したことだろうか?
そんなタケさん、「人生、転ぶこともあるよ、転んだら起き上がりなさいね」と私を力づけてくれた。その一言は私にとって大きなカルチャー・ショックだった。なぜなら、それまでの私は「転ばぬ先の杖」とばかり、その杖を太く確かなものとするものとするため汲々としていたからである。「人生の良き旅人・達人」と呼ばれる人は、「転んだら起きる」という単純な道理を身に付け、淡々と生きている人達だった。

ギリシャ語で「人間」を「アンスローポス」という。それはアンチ(抵抗する)とレポー(沈む、屈する)という語からできている。人間とは、打ちひしがれて沈むことに抗する存在である。人生「転んだら起きる」。これこそが人間であり、旅人である。
タケさん、ありがとう。

 

●出会った旅人U

 「痛み経て真珠となりし貝の春」。こんな句を残して一人のハンセン病(ライ)を病んだ人が逝った。
沖縄救癩の父、青木恵哉牧師である。遺体を移す時、ベッドの中に義足だった片足がポツンと残っていた。忘れられない光景である。
明治四十年、旧ライ予防法のもと、全国に療養所がつくられた。しかし、沖縄で地元の反対が強く、当時の国の力を持ってしてもできなかった。
世界大恐慌前夜の昭和四年、病友の窮乏を知った師は沖縄に渡り、療養所づくりを開始した。国家でさえできないことを一民間人が、それも病気を病んでいる人が・・・。焼き打ち、殺人未遂、師への迫害はすさまじかった。「魚ならば海へ潜りて生きん。鳥ならば空に上がりて逃れん。五尺のからだ置き処なし。lこれは当時の師の心境を詠んだものである。

旧ライ予防法施行三十年後の昭和十三年、国立療養所「沖縄愛楽園」が誕生した。世界広しといえど、一病者が命を賭してつくったのはここだけである。
そんな師が人生の旅路の終わりにあたり、生きることへの気づきとして「痛み経なさい」という。未だ二十才そこそこの私に師は、中途半端に悩み苦しむのではなく、それらとしっかり向き合い、悩み苦しむことの大切さを語られた。

女性の胸元を美しく飾る真珠。その輝きは、傷口を癒すために分泌された体液による貝自身の癒しの業である。そんな真珠貝に自分の人生を重ね、師は「痛み経て」と語る。

よく人に私のエネルギーの出どころを尋ねられる。私にとってのそれは、このような「人生のよき旅人」との出会いである。彼らはこの世にいなくても、私に力を与え続けてくれている。生きる上での一番大きな財産と思っている。


●旅の写真

 私はカメラが好きである。思ったような写真が撮れないとすぐカメラのせいにして、また別のやつを物色する。そんな浮気性をカメラが批判するのか、いつまでたっても上達しない。
旅に出た時などよく撮りまくる。旅の感動を記録し、周囲の人に伝えたいと。しかし撮りながら、この写真で本当に感動したことを他人に伝えることができるのだろうかと思う。そんな時、わたしはいtも沖縄での一つの体験を思い出す。

私が二十歳過ぎのころ、地元の人に誘われ、釣りに出た。東シナ海に沈みいく夕日と、その後に続く壮大な夕焼けの美しさ。ハワイでもフィリピンでも、あんな美しい夕焼けを見たことがない。あまりもの美しさに釣り糸を垂れることも忘れて見とれていた。
そのころ、私はある人にひそかな思いを寄せていた(残念ながらわが妻ではない)。その人にもこの光景を見せたい!この感動を伝えたい!どうすれば伝えることができるのか?手元にはカメラもない。またどれだけ言葉を尽くしても、この美しさと感動を伝えることは不可能だ。でもどうしても伝えたい!

その時、一つの考えが私の心を横切った。
「そうだ、こお美しさに打たれて自分が変わることだ」。そうすれば「なぜあの人は変わったのだろう。沖縄の美しい夕焼けに出会ったからと言っているが」。
私が人間的に変わる(成長する)ということによって、初めてその人をして「人を変えるまでの夕焼けの美しさって、どんな美しさだったのだろうか」と、私が打たれた夕焼けの美しさと感動を追体験することができるということであった。
「感動」は心の地殻変動。自分が変わろうとすることは、写真よりも雄弁に旅を物語る。
人生旅路のアルバムを感動で飾りたい。



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