五家荘
 8月30日。再び五家荘を訪ねる。昼間聞いた老翁の言葉が、闇の底に途絶えることのない渓流の瀬音に呼び覚まされたように浮かんでくる。
 菅原道実の子孫左座家が五家荘仁田尾の小原に居を構えて1020年。平氏の末裔緒方家は源氏の追討を逃れ同じここ五家荘の椎原に隠れ住んで840年。そして、その現在の頭首は49代目。「うちはここへ来て1000年だけんど、あっちはまだまだ800年だ。それに頭首が短命だったな。」80を越えたとはとても見えない左座家47代頭首は、こともなげに「まだまだ」と修飾語をつけて話し続けた。その言葉のうちに、これから先1000年でも2000年でもこの地で住み続けていくであろうという、静かなすごみが感じられた。「両家に追討の恐怖がなくなったのは、いつの時代のころでしょうか。」私は腕に泡する思いを押さえながら頭首に問いかけた。「そうだな、3〜400年前かな。江戸の初めのころだったろうかな。」かやぶき屋根の裏部屋の暗がりに、遠くを見るように目をやって、つぶやくように言った。追う方も追われる方も世代を越えた追討劇が何百年も繰り広げられた。だがいつしかその怨念を越えて、末裔達が恋に落ち花を咲かせたという美しい伝説は隣県宮崎の椎葉村に伝わっている。
 隠れ住むのには絶好の地であったこの五家荘にも、先の大戦の召集令状は来た。人間の殺戮の様を見、やがて敗戦とともに復員した47代頭首は何も変わっていないこの奥深い山里の懐でどんなにか安堵したことであろう。ただこの頭首が驚きのまなざしをこちらに向けて語ったことは、1年が100年にも匹敵するかと思われた山里の生業が戦後20年ほどの間に、木々の伐採とともに大きく変わってしまったことだった。
2000年09月02日 14時40分31秒

五家荘
秋立ちて
ひぐらししきり
道実邸
          八月八日
人吉を午前7時に発ち、水上村古屋敷から不土野峠に至り、再び古屋敷に戻って大規模林道に上がる。白蔵峠から五木村下梶原に下り宮園を経て五家荘久連子に入り椎原を経てここ仁田尾に至る。ある時は白雲湧く蒼穹に相接する稜線を走り、ある時は鬱蒼と繁る緑濃い樹々のトンネルの中を走り、ある時はしぶき逆巻く渓流のほとりを走り、走行140km。午後4時。
菅原道実は藤原氏よって太宰府に左遷させられ、その末裔は更なる追討の手を逃れてここ五家荘仁田尾に落ち延びた。名を「左座」と改める。平氏は僧兵を排除した功績を機に藤原氏の次の政権を担うこととなり、源氏は政権を追われて久しい公家の衛兵の地位を得た。両氏とも貴族に代わって、武者として、のちに覇を競うことになる。栄華を極めた平氏にかげりが見え、没落をはじめると公家の討伐命令を受けた源氏は徹底的に平氏に追討を加える。源氏の追討を逃れて平氏は、同じこの五家荘椎原にたどり着き、名を「緒方」と改めた。年代に数百年の開きがあるものの、道実の末裔と平氏の末裔が、ともにここ五家荘に入り、それぞれの名を改めそれぞれの追っ手を逃れて、この秘境に隠れ住むこととなった。
黒い山の端を切り取って座敷に流れ込む月明を浴びながら、追われる者の悲哀を枕頭に想う。
しかし、この逃避は見事な成功であった。それぞれの追っ手が消滅した今日において、なお連綿としてこの地に両家が健在である。
2000年08月10日 13時10分15秒

はなしのぶコンサート
「野の花に音楽を捧げるという行為は、野の花を人間と同じレベルの存在とみる態度です。」挨拶に立ったはなしのぶコンサート実行委員長崇城大学今江教授はこう語りかけた。本年20周年の記念開催となったはなしのぶコンサートは7月30日(日)産業文化会館で午後一時から開演し、熊大理学部内野教授の「野性動植物保護の意義」と題する記念講演の後、尚絅学園マンドリンクラブの静かな美しい旋律で始まった。私は柄でもないが、家内同伴でこのコンサートを聴きに行った。日ごろ山歩きをなりあいの一部とする私には、野の花々に音楽を捧げてその存在をいとおしもうというこの試みに爽やかなメロディに浸りながら深い共感を覚えた。
2000年08月10日 08時40分20秒

受けとりました
6月19日 13:41
6月19日 15:54 2000年06月20日 18時30分15秒

森づくり
始めたときには少し曇っていたが、やがって晴れ渡って、青空が広がった。西原村の阿蘇外輪。真っ翠な草原に空の碧さが目に染みた。初夏の強い日差しが我々を照りつける。それでも、時折、草原を吹き抜ける風に我々は救われた。地元の森林組合の方にもサポートを願って、男性所員全員で下刈実習。20m四方の枠を作る。等分に二つに仕切って、片方は4人で草刈り鎌を使う。もう片方は機械を使って二人で刈る。午前10時30分きっかりにはじめて、機械は25分で刈り終わった。手鎌の方はさらに遅れること5分。エンジンの音が消えると、遠くでカッコウの鳴き声や小川のせせらぐ音が急にはっきりと聞こえてきた。一仕事終え、鎌や下刈り機を肩に緑の斜面を青い空に向かって三々五々消えていく後ろ姿が、日頃デスクワークの多い青年たちだが頼もしくも見える。昼飯に飲んだ冷たく冷えたビールがうまかったのはいうまでもない。 2000年06月16日 21時08分04秒

至言と風景
昨日は五木村と相良村の村界付近を、二時間余りかけて歩いた。
人吉市に一泊して、今日は宮崎県西米良村から熊本県多良木町下槻木・宮ヶ野を経て
五木村下梶原に入り子別峠を越えて帰熊。走行250kmあまり。
私にとって、初夏の緑は永遠のLiebeだ。
地球人でよかった。
子別峠に差しかかるころ、ラジオからララ・フェビアンのボーカルが流れてきた。
ラストの曲は"browken vow"。
明るい緑が目に染みたか思わず涙。
帰所すると、N君の寄稿文案が机におかれていた。
動物占いを元に、私をN君寸評するに、私は「さる」らしい。
さるは恋が下手だとか。う〜ん、当たっている。 2000年06月14日 22時59分52秒

至言と風景
「確信と情熱で
友の迷いを吹き払え
正義と真実で
悪宣伝を吹き飛ばせ」 2000年06月13日 07時29分13秒

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