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地球の裏側から ペルー・スタディ・ツアー
2002.5.12(日)〜20(月) 小西 茂 まず、今回のペルー行きの目的は、"鎌倉ユネスコ協会"さんが数年前から実施されてい る活動の一環で、ペルー北部"ワスカラン国立公園"内の先住民ケチュア族の"山の学校"へ教材、 物資(鎌倉、横浜の小中学生・市民、埼玉のグループから寄せられた支援品500L超)を届 ける為、ボランティアとして参加しました。(総勢17名)ワスカラン国立公園は、1977年生物圏保護区に指定、1985年世界遺産に登録されました。公園保護官や、現地NGOが環境教育、識字教育に取組んでおられ"鎌倉ユネスコ協会"の支援で新しい"山の学校"も出来ました。1時間もかけて学校に来る子供もいるそうです。今回は、タンビージョの新しい学校の落成式の参加と、あわせて3つの学校に支援品を届ける事になりました。ツアー主催の工藤父母道氏は、元NACS-Jの方です(現在プロジェクト・ワールド・ヘリティッジ統括) さて、12日成田を18:00に経ちダラス経由でリマに翌2:00着(時差▲14時間) 空港ではかなり厳しいチェツクを受けて、やっとリマのホテルへ。 13日(月)リマ〜ワラスHuaraz(ペルー北部標高3100m)までバスで8時間アンデス山脈を登ります。 14日(火) いよいよ学校へと思いしや、現トレド大統領に抗議してその日はゼネスト(相 当評が悪い)早朝にホテルを出発@ケロコチャAタンビージョBシラパタ3つの学校へ、 @ ケロコチャでは早すぎて子供たちが居ないので帰りに寄る事にして、標高4250mの分水嶺 (太平洋と大西洋に分れる)を越えてAタンビージョへ、ここでは皆がお待ちかね、日本では もうお目にかかれそうに無い真っ黒けの、鼻垂れ小僧たちが、少し恥しそうに、緊張した目 で我々を出迎えてくれました。 ジャガイモ・トウモロコシ・まめ・マテ茶(コカの葉)あり、ケチュア語のビクーニャ・ ひつじの歌・楽器(アルパ)演奏などなど大歓迎の中、突然ツアーの一人80歳男性が車酔 いと高山病で倒れ、酸素吸入をするが、ボンベのセットが上手くいかずテープを貼るやら取 り替えるやら大騒ぎ、そんな中荷物の開封や、サッカーボールに空気を入れるやらしている と、今度は僕が気分悪くなりダウン。 Bシラパタの学校では、二人ともバスで待機、 人間空気(O2)が無いと危ない事を実感 した次第。 (タンビージョ・シラパタは4000mを超えてます) シラパタからの帰路、チャビン遺跡(アンデス初期の文化)を見学。 石の文化にしばし 高山病を忘れ感心するばかり、スペインの侵略以後、多くの盗掘・盗難に遭ったそうですが 地下の通路は見事なものです。(ペルー日本大使館での、救出"チャビン作戦"はフジモリ 大統領がここの地下通路をヒントにしたそうです。) もう一度ケロコチャの学校へ立寄り三度目の歓迎を受ける、皆さんもやや疲れ気味でした が鱒料理で満腹になり、一路ワラスへ、 我々高山病組は,念の為病院へ大した事は無いが夕 食抜き。他の人達は町まで美味しい?食事へ。この夜サザンクロス(南十字星)を観ました。 この日ワラスの街から出られたのは、私たちの車だけだった事を、後で聞いた。 15(水)ヤンガヌーコLlonganuco(氷河湖)・Mtワスカラン北峰、南峰(6768m)へ Mtワスカランは、国立公園の名前になっている山で、男女の山を表し、それぞれ 氷河湖を持ち、側には小さな子供の氷河湖も在り、乳青色で綺麗であったそうです。高山病 組は、この日もホテルでお留守番、のんびりスケッチやハガキを書いていると何度かハチド リが飛んできて挨拶してくれました。(高山病のおかげ?)一方氷河湖の皆は,予定の時間 になっても帰ってこず、2時間遅れてやっとホテルへ、聞けば往復2回パンクしたとかお疲 れ様でした。今日は又、8時間かけてリマまで戻ります。 16(木) リマ 〜 クスコCuscoへ この日は世界遺産"クスコ市街" サクサイワマンSaqsaywaman要塞・ケンコQenqo要塞・サントドミンゴ教会(コリカンチャ)・21角の石・見学 クスコはインカ文化(インカ=王様 歴代王の名前)の中心地、全盛期はハエクアドル〜チ リ間での広範囲を支配して。サクサイワマン要塞にインカが住んでいたと言われている(イ ンカ文明は文字を持たなかったので詳しい事は判らない) クスコの町全体が、ジャガーの 形をしており、サクサイワマン要塞が頭になり標高3100mクスコの町を見下ろす位置にあ る、ここもスペインの侵略により大部分が壊されて20%位しか残っていないらしい。一番大 きな石は高さ6m・127tと言われています。建物は3つの層に別れ、下から大きな正方形、 小さな正方形、大きな正方形と長方形の石組みです。大きな石はここで、小さな石は1〜4km 先からのもの、運搬には丸い石や、リャマ・アルパカの毛を使用?、石を割るのには隕石を 使ったようです。 サクサイワマン要塞の地下にはシンカナー(迷路・迷子・抜け道)がありクスコ中心地の コリカンチャまでつながっているらしい。 そのコリカンチャQoricancha(太陽の神殿)はスペイン侵略時に上部が取壊され、その石で建てられたのが、サント・ドミンゴ教会です、その後の地震で教会は壊れたけれど、土台の"石組み" だけは今もそのままです。 ここではインカパワーを貰った気がします。 17(金) クスコ〜世界遺産"マチュ・ピチュMachu Pichu歴史保護区"へ クスコから北へ110kmの列車の旅,4,5回のスイッチバックで山を超え バスに乗換えてやっと到着。山の斜面に築かれた正に"山の隠れ家"ただ感心するのみ。 ここも記録が無い(文字が無い)ので推測の域を出ないが場所柄か自然石の利用と、斜面を 利用した畑?、水路の整備にはまた感心。当日は雨、その雨がまたいい、時折遺跡を雲が隠 して神秘的。(宮崎駿、風の谷のナウシカ・天空の城ラピュタ の世界か)。 時間があれば一日ボーとしていたい場所、マチュ・ピチュは(老いた峰)後の山がワイ ナ・ピチュ(若い峰)もう一度来れたらワイナ・ピチュから眺めてみたい。(往復2時間) この日の夕食は日本食"金太郎"にて、やっぱりご飯、味噌汁、漬物がいい、お薦めは ペヘレイPejerrey(ティティカカ湖?の魚・トウゴロウイワシ科)から揚げ、てんぷら、塩 焼き、白身淡白。 18(土) クスコ から再びリマへ 国立人類学考古学歴史博物館 ミイラが待っています。 世界遺産"リマ歴史地区"サンフランシスコ教会・アルマス広場(衛兵交代) 天野博物館(日系移住民、天野芳太郎の収集品展示、ペルーの財産を預かってい るだけだからお金は貰えない、との志で無料、約3万点収蔵) ミラフローレス散策 大田宅(通訳のペルー在住日系人の実家)で、鎌倉ユネスコ協会さんの活動源 としてバザー用品の購入) 夕食 (ペルー北部海岸料理) 皆さん昼食のビュッフェを食べ過ぎたのか、量が多いのか、大満腹でした。後は荷物を詰めて(鞄ガパンパン)空港に向うだけ。過ぎ去る時間は速いものですね。 19(日) リマ〜ダラス〜成田へ(20月) 全員無事帰国!! ★ おまけ スペイン語講座★ おはよう Buenos(ブエノス) dias(ディアス) こんにちは Buenas(ブエナス) tardes(タルデス) やあ! Hola(オラ) ありがとう Grasias(グラシアス) 牛 Vaca(バカ) ニンニク Ajo(アホ) とうがらし Aji(アヒ) Hola! Vaca Ajo Aji!! Grasias |
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