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昨年から滋賀県では全国規模の里山に関する催しが数回開かれました。またか、とい
うような感じでしたが、今回はモノを観察するのではなく、景色を観察するということ
で里山について書いてみます。 まず里山という言葉、この言葉を最初に使ったのは京大におられた四手井綱英さんで あるということは定説になっています。本人が幾つかの場所で本に書いておられますし 、里山の保護をテーマにしたおそらく全国で初めてのシンポジウムが大阪自然環境保全 協会主催で20年ほど前に開かれた時に、本人がそう仰っていました。 四手井先生からは里山とは「農用林」であると教えていただいたことがあります。こ の言葉はもう死語になっていますが、文字の通りに「農業のために用いる林」という意 味です。つまり里山の本質は、農業のための肥料である灰と堆肥、緑肥を取るための林 ということなのです。里山の名前を初めてつかったのは四手井先生ではない、という意 見をいう人もあるのですが、おそらく正確に言うと、昔からの奥山、裏山などとともに 里山という言葉が集落の回りの林というような意味で使われていて、四手井先生ははっ きりと用途を限定して現在の意味で初めて使ったのだろうと思います。 ところがこの里山という言葉の意 <右上へ> |
味が、また最近ではちがったように使われています
。元の意味は「くらしに結びついて管理されてきた林」ですが、それをもっと広い意味
で、田んぼや集落や小川などをすべて含んだものとして、私が使っている言葉でいうと
、農村的風景というような意味で使われるようになりました。これを広めたのはおそら
く写真家の今森光彦さんだろうと思います。つまり里山には狭義に林だけをさす場合と
、広義に風景全体をさす場合があるのです。そして最近に里山という言葉が使われる時
には、多くの場合にはこの広義の意味で使われています。このあたりは、ブームになっ
ている割には混乱して使われているので、確認しておくことが必要です。 もうひとつ混乱をしている言葉に「雑木林」があります。里山と雑木林とが同じ意味 で使われている例が多いように思います。けれどもこの雑木林という言葉もその定義が あいまいな言葉なのです。かつての里山が国語事典に掲載されていなかったように、雑 木林という言葉も事典にないだろうと思います。 雑木林という言葉は、明治の時代に徳富蘆花や国木田独歩などの文学者が新しく作っ た言葉なのです。蘆花は「自然と人生」という本の中やその後の幾つもの文章で、独歩 も「武蔵野」などの作品の中で雑木林 <左下へ> |
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が美しい林であることをくりかえし書いています
。日本では昔から林というとマツ林を取り上げており、絵画でも文学でも松林しかあつ
かわれてこなかったのです。ところが明治時代にヨーロッパヤロシアの文学に接した日
本の文学者が、ヨーロッパの森と同じ様な日本の森があるのに気づき、武蔵野のクヌギ
やコナラなどの管理された森のことを雑木林と呼んで作品で取り上げたわけです。もち
ろんヨーロッパの森も武蔵野も、今ふうに言えば里山とよんでもいいような林です。 ところが逆の使い方はできないのです。つまり里山のほうがずっと広い概念なので、 雑木林は里山ですが、里山は雑木林では無いのです。雑木林とよぶ林はもともとの使い 方からすれば関東地方の里山だけをさす用語と考えたほうがいいようなのです。 まず武蔵野の雑木林は植林起源であることはあまり知られていません。少し古い文献 では武蔵野は名前の通り広いカヤ場であることが記録されています。つまりススキの原 っぱであったわけです。それがある時期からクヌギ、コナラ、ケヤキなどの林になった わけです。ある時期というのは、おそらく江戸時代の初期です。つまり当時の世界でも 最も大きな町であった江戸に100万人の人口が集中したために、大量の燃料が必要にな ったのです。まさしく里山が必要になったのです。 この林は落葉かきと定期的な伐採 <右上へ> |
をされて、その後はずっと管理がされ、関東の気候
のもとで安定した二次林が成立しています。ところが同じ様な管理をしても、関西では
マツやアラカシなどが入ってきます。関東よりももっと複雑な林ができてしまいます。
九州あたりまで行くと、里山は常緑樹の林になります。東北ではもっと複雑な(構成種
の多い)落葉樹林になります。里山の構成種は地方によって異なるわけです。そのうち
、クヌギ、コナラ、ケヤキなどが主となるような林を雑木林と呼んでいると考えると分
かりやすいのではないでしょうか。 さて、なぜ里山なのか、という話が一番最後になってしまいました。 人が暮らしを建てようと思うといわゆる衣食住が必要なわけですが、この衣食住のかな りの部分を人は里山から得ているのです。ひとは集落を作るとまわりに田畑を開き、水 を引いてきます。そしてこれに里山がセットになって初めて暮らしていくことができる のです。 生活に必要なエネルギーは里山から得られるマキ、シバ、そして落葉でした。田畑へ の肥料は、落葉で作った堆肥、家庭からでる生ゴミ、そして家庭でマキを燃やしてでき た灰をカリ肥料として使います。 里山からは家や家具あるいは小物を作る材が取れ、山菜や木の実も取れます。基本的 には集落、田畑、水そして里山のセットがあれば、人は <左下へ> |
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自給自足の生活ができるのです
。そして日本の大部分の地域ではそうした自給自足の生活が営まれ、足りない部分は外
からの供給で賄ってきました。 つまり里山は、マキを切りだすためにいつも少しずつ木を切り、落葉かきをして、い つもいつも同じ用に人が手を加えることで、同じ状態が維持されてきた林です。保護し ようとか管理しようとかいうことではなく、必要なものを取りだすためにいつも手をつ けてきた林なのです。このような集落の周囲の林の利用は、おそらく稲作が始まって定 住生活がされるようになって以後、昭和のある時期まで、2000年以上に渡って続けられ てきたのです。里山はこの長い間、同じ様な姿を続けてきた林です。 このような里山が最近になって注目を集めるようになったのは、戦後のエネルギー革 命でマキの必要がなくなり、里山が活用されなくなったために管理されず、荒れた状態 になっていたり、またそんな状態で放置しておくよりはと宅地などになって、くらしの 身近に自然が無くなってしまったために、身近な自然を取り戻そうという運動が各地で 行なわれたためです。 したがって里山を残すためには、積極的な活用の方法を考え、暮らしのなかに生かし ていくことが必要ということになると思われます。 <右上へ> |
ページが余ったのでついでですが。 先日、高知の牧野植物園へ行ってきました。新しい展示館ができたのです。午後に入 って夕方まで、翌日も開館から閉館まで、植物園にはほとんど出ずに、ゆっくりと展示 館内ですごしました。改めて牧野さんという人はすごい人だと思いましたが、展示室の パネルに上げてあった牧野さんの言葉をメモしてきました。 「人の一生で自然に親しむということほど有益なことはありません。 人間はもともと自然の一員なのですから、自然にとけこんでこそ はじめて生きているよろこびを感じることができるのだと思います。 自然に親しむためには、まずおのれを捨てて、自然の中に飛び込んでいくことです。 そしてわたしたちの目に映じ、耳に聞こえ、 はだに感じるものをすなおに観察し、 そこから多くのものを学びとることです。」 牧野冨太郎という人は、その一生をこの言葉の通りに実践した人ですから、言葉もそ れだけ重く感じます。もちろん時代の制約はありますし、牧野さんの自然に対する態度 に批判的な意見があることも知っています。しかし自然から学ぶ、という態度について は、自筆のメモなどを見るにつけ、圧倒されてしまいました。高知にいく機会があれば どうぞ。 (布谷) |
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