大阪連絡会情報誌・じねんじょレターズ

 <自然観察のテーマ・41>

街中の巨木をさがす

布谷 知夫
 最近は巨木のブームだそうで、巨木に関する本や写真集が幾つも出版されています。 私たちも巨木をさがす、という観察会を行いました。そもそも巨木とは何でしょうか。 環境庁が1991年に巨木調査というのをやっていて、全国のリストが発表されています。 環境庁がいう巨木の定義は、「地上から約130cmの位置での幹周(囲)が300cm以上の樹 木。なお地上から約130cmの位置において幹が複数に分れている場合には、個々の幹の 周囲の合計が300cm以上であり、そのうちの主幹の幹周が200cm以上のものとする。」と いうことで、そんな大きな木が全国で55798本も発見されて、登録されているのです。 種類ごとでは、数の多い順に,スギ、ケヤキ、クスノキ、イチョウ、スダジイ、タブノ キ、ムクノキ、モミ、エノキ、クロマツ、カヤ、アカマツ、ヒノキ、ミズナラ、トチノ キ、カツラ、ブナ、イチイガシ、シラカシ、エドヒガンと続きます。これで20位までで す。

 この20位までの樹種を見ていると、針葉樹が7種も上位で名前が上がり、ブナ科が5種 も上がっています。次はニレ科が3種です。経験的にもそう思うのですが、やはり大き くなることが多いグループは決っているようです。この名前の上がっているグループが 樹木の図鑑のどこに載っているかを調べてみると、本の前のほう、あるいは本によって は後ろのほうに偏っている事が分ります。これがなぜかということを書くのはちょっと 恐いのですが、図鑑に掲載されている順番は、系統分類の順番ということになっている ので、そういうことに関係があるということになるのでしょうか。

 植物にとって大きくなるほうがいいのか、あるいは小さいままのほうがいいのかとい うことは、難しい問題です。一般的には大きくなるのは、森の中で他の木よりも大きく なって頭をだして、太陽の光を受けるためだといわれています。他の木、あるいは他の 樹種よりも大きくなることで、有利に光を受け、自分の子孫を残すということになりま す。何よりも、光を受ける事ができなければ、種子を作るどころか成長する事ができず 、枯れてしまう危険性があるのです。生き残るためには、まず大きくなる必要があるの です。

 ところが現実には大多数の樹種はそれほど大きくなることはなく、森の中で普通にく らしています。つまり強い光を受けなくても成長することができるようなやり方もある ということです。

 大きく成るためには、単純に背が高くなるだけではなく、太い幹と広く広がった根が 必要です。つまりそういう部品を作るためには、そのための光合成の支出がいることに なります。そのためにはますます沢山の光を受ける事が必要です。大きくなるためには 、いわば軍拡競争的に、止まる事なく大きくなる事が必要になってしまうのです。

 それに対して大きくならないということは、最初から沢山の光を必要とせず、小さい ままで、弱い光の中で一生を過ごしていこうというやり方です。小さいままでゆっくり やっていこうというわけですから、光合成の量も少なくてすみます。弱い光の中でも暮 らす事ができる性質さえもっていれば、大丈夫です。小さい典型は低木とよばれるよう な性質の樹木ですが、そういう小さい木ほどその材は弱々しくて、柔らかいものが多い のです。少ない光合成産物で、柔らかい材を作っているために、弱い光でもやっていけ るのでしょう。どうもこの話は原因と結果とが、どちらが先なのか分らなくなっていま す。

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 ついでですが巨木の多くはウロができて枯れたようになっている事が多いようです。 あんな状態で生きていけるのだろうか、ということを聞かれます。

 樹木の体の細胞の中で、生きているのは実は表面の数列だけなのです。表面の樹皮の 下には形成層とよばれる新しい細胞を作る分裂層があるのですが、樹木の細胞は最初は もちろん生きていますが、樹木の堅くてしっかりした細胞にするためにリグニンとよば れる物質が細胞の壁に着いてしまい、その結果、細胞は水を通さなくなります。水を通 さない細胞はもう生きている事はできません。その結果、木の細胞のほとんどは死んで いる細胞ということになります。つまり大きなウロができていても、もともと死んでい る細胞なので、木が生きていくことにはほとんど関係がありません。

 実際には物理的に弱くなり、そのウロが原因になって木が折れてしまったりするする ことがあります。また、そのウロから菌が入って腐っていき、生きている部分まで菌に 侵されていくという危険性があります。

 樹木医さんの活躍が話題になりますが、こういうウロの腐った材を取ってしまって菌 を取り、そこに水が溜まったり、また菌が入らないように何かで埋めてしまう、という のが治療のひとつと聞いた事があります。

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 さて、このような巨木があることの意味を考えてみようということが私たちが行った 観察会の目的でした。最近の巨木の本を読んでいると、そういう巨木を前にすると自然 の脅威を感じ、あるいは自然を畏敬する心が芽生えるというような事が書かれています 。

 たしかに大きな樹木の前に立つと気の引き締まるものを感じます。どうやら山の上の 樹木は別にして、人里に巨木がなぜあるのかということの答は単純で、人が意図して残 してきたからということです。

 巨樹というほど大きくはなくても、ともかく大きな木が残っているのは、川の堤防の 周囲と、もともとの自然堤防の上と、社寺林です。そういう場所の大きな木を、周辺に 暮らしている人は、防災用や目印やあるいは信仰の対象として保存してきたのです。

 以前に大阪の河内平野で、府や市町村などで指定されている巨木を地図におとしてみ たところ、ほとんど全てが旧大和川の自然堤防の上にあるのを確認した事があります。 平野部の場合には、土地ができて最初に乾燥地として樹木が入ってくるのは河川の自然 堤防の上で、その周囲は低湿地になっていて、安定していない場合が多いのでしょう。

 巨木が多い社寺林の場合には、本当にその場所のもとの自然である場合と、社寺林に 新たに植裁された場合があります。したがって、もともとの種類であるならば、その地 域の気候を反映した種類ということになります。植裁の場合には、その地域の種類を植 えている場合もあるのですが、まったくそうではない種類を植えている場合もあるので 、注意が必要です。

 このようなことを頭に置いたうえで、町中の大きな木がなぜここに残っているのかを 考えながら歩いてみましょう。できれば地図を手にして、それももし可能であるのなら ば古い地図を見ながら歩くのがいいでしょう。町内の境に大きな木が残っていたり、少 し高台になっている場所が近くの川の旧自然堤防であったり、社寺のしめなわをはられ た大きな木が明らかにどこか他所から持込まれた木に違いないような種類であったりと 、いろいろな発見があるはずです。なお、この観察会は昔にタイムトリップするという 古い地図を持って街を歩く会を発展させて行ったものです。同じ様な方法で幾つかの自 然の見方ができそうです(布谷) 


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