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第325回指導員講習会にちなんで 川西市 畚野 剛
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秋の講習会の会場は和泉市にあります。市名は昔の「和泉国」にちなむものと思われます。「和泉国」は泉北郡・泉南郡に分かれ、現在の和泉市は位置的に泉北郡の南西部を占めています。
上の図は1/20万輯製図 和歌山 明治19年製版の一部で、和泉(右横書き)、泉北(縦書き)の文字に注目。その泉のすぐ左の太、南王子、伯太在住、黒鳥が現在の北信太駅近辺の集落名。 今回はこの地にまつわる昔の伝承を二つ紹介いたしましょう。 第一話「和泉式部の足袋」 昭和初期から高度成長期まで、日本中を歩き、見て、聞いて、多く記録を残した民俗学者宮本常一(1907-1981)は、天王寺師範を卒業して教員となりました。そのころ住んでいたのが、今回の講習会会場がある信太山の台地の南側、当時の南池田村(現和泉市内)の明王院でした。 柳田國男著「挑太郎の誕生」のなかに「和泉式部の足袋」という話があり、これに似た話が南池田村を中心に行われていることを知った宮本は友人と二人でいろいろ調べてみたといいます。以下、少々長くなりますが、彼の著書「宮本常一著作集1民俗学への道」から引用しますと、 和泉では伝説の主人公は光明皇后ということになっている。南池田村大字浦田に、智海寺という古い寺があり、その寺の開祖、智海上人が光明滝のいわやで修行していると、鹿が来て、その上人の小便をなめてはらんだ。生まれた子は玉をあざむくほど美しい娘であったが、ただ足のさきが鹿のようになっていた。その足をかくすために足袋を用いたというのである。そういう伝説のあとを調べて、「足袋の跡」と題して謄写版に刷って知友に配った。(中略) 例のように壊に手帳を入れて、暇があれば歩いては書きとめていたが、そういう話はたいていどこにもあるものだということを知って、自分がそういう研究者になるというよりは、まずよき資料の提供者にならねばと考えるに至った。 まさに「宮本学」の揺監の地でありました。 第二話「信太の森のキツネ」 いま原稿を書きながらテレビをつけていますが、ちょうど「陰陽師・安倍晴明」(最終回)をやっています。安倍晴明は平安時代に実在した高名な天文博士・陰陽師でしたが、以下のような伝承と結び付けられ、浄瑠璃や義太夫に作品化されたのでした。 7月30日夜8時、関西テレビ。 実はこの安倍晴明の出生にかかわる伝承の舞台が信太の森なのです。JR北信太駅から南へ徒歩20分の聖神社の東側の狭い谷を北へ下りると鏡池があり、そのほとりに今年6月「信太の森の鏡池史跡公園信太の森ふるさと館」がオープンしました。 聖神社の森は、大阪府南部の社寺林に残存しているシリブカガシの樹林のひとつとして、一見する価値はあります。 伝説では、この池のほとりで白狐と安倍保名が出会ったとされます。以前、傷ついていたところを保名に助けられた白狐は、保名の許婚の葛の葉姫の姿を借りていました。二人は今の大阪市阿倍野区阿倍野元町付近に住み、やがて生まれたのが安倍晴明でした。 現在、阿倍野元町の安倍王子神社の北側に安倍晴明神社が祭られています。 しかし、ここへ葛の葉姫の両親が尋ねてきたため、白狐は正体がばれてしまい、有名な「恋しくば訪ね来てみよ和泉なる信太(=信太)の森の恨み葛の葉」のせりふを残して去っていきました。 昭和初期?の信太山のきつね 和泉市ふるさとをみつめる会編集の「和泉市風土記1」(1982)に収載されている着本善良氏の「信太の今昔」によると、 私が小さかったころは信太山にはきつねがたくさん住んでいた。秋の終わりごろから真冬にかけて、悲しそうな「ワァッ」、「ワァツ」という鳴き声が聞こえてきたものである。 (泣いてぐずつく子を)「それきつねが来たぞ。いつまでも泣いているときつねに食われるぞ」とおどした。 大寒の日には「野ぎつねまつり」が行われ、あぶらげなどを社嗣に配って回った。(おおかた野きつねが食べたであろう) と少年時代を述懐されています。 泉州暦の発行 1600年代後半に先述の聖神社から発行されていた暦は泉州(信太)暦または舞暦といわれ、現存するものはわずかな断片しかない謎の多い暦です。宮本常一「村里を行く」p.58には この社から発行されたという暦はいつ頃から起こって、どの地方に分布していたものかいっこう分からない。ただこの暦を持ち歩いた舞太夫や陰陽師が神社の北の方10丁ばかりの舞というところに住んでいたことは、別本『泉州記』の記事で分かる。 と記され、かなり興味を持たれていました。 安倍安名供養費 突然話が飛躍しますが、私は1999年にタンポポ調査のため能勢町田尻川ぞいを歩きました。調査コースの九割がたを終わり、下田尻から野間出野へ出る塩谷峠の道で、偶然休憩したところが信田森稲荷社でした。しずかな森の中の宝篋印塔の前、左右に安倍保名の九百年・千年の二つの供養塔が立っていて、神秘な感じがいたしました。帰宅してから紐解いた森本一さんの「能勢の昔と今」(1990)には この塩谷には冷泉がわいていて、安倍保名は友の藤原仲光の案内でここへ湯治にきたといわれている。保名の負傷は、葛の葉伝説の負傷した白狐を思わせるものがある。 と述べられていました。 (了)
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