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銀座のとある映画館がモーニングショーをやっていた。ぼくはもともとこの映画のチケットをもっていたが、すっかり忘れていて上映期間を逃してしまっていた。しかし、ちょっと見かけたこの映画館で上映期間を過ぎた映画をモーニングショーとしてちょっとしたリバイバル上映としていたので入ってみることにした。チケットは無駄にはならなかった。 |
トンネルのむこうは |
今は失われた下町の銭湯での人情味あふれる人間ドラマが映し出される。湯と言うよりも湯船というほうがイメージがわきやすい。 |
今回のステインボーイはかなり微妙だ。 |
珍しい映画だけど新しいスタイルをちゃんと確立している映画。そんな映画なのが、この『みんなのいえ』だとおもう。
和む、三谷幸喜らしいテイストだとおもったけど、一時期のたとえば『やっぱり猫が好き』テイストとは一線を画している。もっと、普遍的なものをつかもうという気概を感じる。 |
今回もまたまたでましたティムバートン監修のネットアニメ『ステイン・ボーイ』。2作目が個人的に不作だったとおもっていたので心配してましたが、今回の3作目でおもしろさが復活しました。 |
むかし、日本でも夏と言えばレゲィ・ミュージックが流行っていたときがあった。日本も夏は亜熱帯と言っていいくらい暑いから南国の音楽が似合うんだとか何とか。いまでもやってるとおもうけど、フェスティバルと言って海の近くでみんなでレゲィ・ミュージックを聴く集まりがある。 |
最近テレビで魔女の宅急便のDVDがでたという宣伝をよくみかけるようになった。この映画を観に行ったのはいつだっただろう。宮崎駿の作品で一番気に入っている作品である。 魔女の子キキは13歳。魔女は13歳になると一年間の修行にでなくてはならない。満月の夜に黒猫のジジと一緒に生まれ故郷を離れて別の街に行く。コリコと言う街になんとかたどり着いたキキは知り合ったパン屋のおかみさんの家に居候することに。そして荷物配達の仕事を始めるのだが…。 少女の成長というテーマは宮崎駿の作品の中にはかなりでてくる。アニメってトムソーヤの冒険にしても少年の成長が多かった。少女の成長というモチーフをはじめてアニメにもってきたのは宮崎駿ではなかったろうか?(手塚治虫がリボンの騎士を作っていたけど)ありきたりの成長ではなくてあくまで『地べた』に着いた成長というかんじで統一されている。ほうきにまたがる、わかりやすい魔女の形から実際のストーリーは恋もするし、人間関係になやんだり、魔女そのものになやんだり、そして仕事に関しても結構悩む。配達をすることって言うのはどこかでコミュニケーションとつながる。その辺にこの作品で描きたかったメッセージがあったんだろうなぁ。メルヘンだけにとどまらずに感情を常に刺激してくれるこの作品はいつみても素敵な後味を残してくれる希有なアニメだと思う。 |
今はなき黒澤明監督の遺作。 |
ノスタルジィ、ジャジー、メランコリー、どれもぎりぎりの、ねずみ色の雲に迫りながら、しかし、青色系の心情として保っている、素敵な作品。絡み合う要素がたくさんあってそれらがどれも自分を売り込むことなくしっかりと自分の持ち場をひっしとつかんでいる、それはこの作品をつくったスタッフの心情をそのまま反映しているというのだろうか。 |
駄目な男とつきあっていませんか?といわれるとぎくっとする。 |
しみをつくるだけのヒーロー・ステインボーイ。彼が今度は環境破壊を破壊する強敵トキシックボーイと対決する。またまたBossに怒鳴られて街のうざったいやつトキシックボーイを退治してきてくれと言われてとぼとぼと向かう。相手は殺虫剤やら毒を平気で飲み込んでしまう強敵だ。いったいどうなるのだろうか? |
映画とはこういう形態をもつものだ、という観念があったのでここにはいわゆるフィルムを載せることにしていたんだけど、そもそも、レンタルビデオ屋で借りてきたビデオテープすらここに載せているというのは矛盾しているんじゃないかとおもえてきた。 |
この映画は上演開始後すぐに観に行きました。と言っても全国ロードショーなんて大きなものではなかったので渋谷の文化村だったかそこら辺の小さな映画(ミニシアター系なんだろうなぁ)に観に行ったのを思い出す。この映画は4月に上演されていて、田舎に住む女の子が東京に上京してきて初な感情、行動を赤裸々に刻んでいく様をまるでスケッチブックにフリーハンドで書いたような描写を続けながら進んでいくというストーリーなのです。同人映画みたいなタッチです。けれど、それがたんに2流の中身ではなくなっているところが岩井俊二のすごいところでもあるんだけど主演している松たか子もかなり肩の力をぬいてしかし、演技はさりげなく完璧におこなっているだろうということがスクリーンから感じ取れるのです。 特に桜の花びらが嵐のように吹き乱れる中に立つ松たか子は一時期CMでもそんな場面を観たことがあったけど、騒然&爽快というイメージがわき上がるくらい。あれは松たか子の勝利ってかんじがしました。とは言ってもなんてことはない場面なんです。それが逆にすごいとおもえるところがまたこの映画全体を貫くイメージであったりするんだけど。 これはいいものをみた、という爽やかさを感じました。爽やかさって春と言う季節にはとっても大切な要素なんだなぁと再確認したくらいでした。わざわざ授業を抜け出してさっさと渋谷に行った甲斐があった。 |
この作品を確か高校2年の時観に行った。会場は小さくて学校が終わって遅れて入ったのでいすに座れなかったのを覚えている。友達を連れて仕方なく一番後ろの非常口のちかくにござを引いてもらって地べたに座ってみた。 |
僕の思い入れの強い映画です。たしか、僕が中学3年生の頃に友達と見に行ったんだと思う。映画館に遊びに行くって言うスタイルができあがったのはこの映画を見に行ってからじゃないかな。それに映画を観て感動したという経験をしたのもこの映画からかも(洋画ではETが最初だったけど)。 |
泣く切なさ、後悔、それらとはちがう、自分は生きている。 |
北海道に落下した草体がそれに共生して群をなす異形生物レギオンという生物により、地球の生態系が脅かされる。 |
今月で26歳になった。
いくつか恋愛をしているような気もするし、そうでもない気もする。 |
『就職戦線異状なし』の金子修介監督。 |
一時期、自転車ブームを起こして、映画、今でもたまにMTBに乗って、アウトドア用のザックを背負って走っている自転車便を見るけど、やはり現実は厳しいようです。 |
自我。 |
悟られたい。ひとのじぶんのきもちを知ってほしいと言う願望。 |
見栄っ張りで性格が悪く、女癖が悪い、酒癖が悪い、意地汚い。 |
ただの漂流ものともちがう、なんだかそんなに特別な環境のことを言ったものとも感じ得ない。この感触はなんと表現したらいいんだろう?そういったかんじのする映画だった。ストーリー的にはかなりシンプルなものだ。トムハンクス主演でほとんど彼だけがずっと出ていると言う不思議な映画だ。そして言葉があまりでてこない。ストーリーは監督のロバートゼメキスが言っているように3幕に分けられる。1幕は現代でシステム・エンジニアとして活躍している彼が仕事を効率的に進めるためにはどうすればいいのかを試行錯誤している画面、そして2幕は漂流した彼がどうやって自分の命を守るために今何をすべきなのかを模索する、そして3幕目は、…。 ロバートゼメキスの言う、「生き残るだけなら易しいかもしれない…本当に難しいのは生きてゆくことだ。」という言葉がとても感慨深い。 |
映画観るひとなら思うことだと思うけどどうして邦題そんなのつけるの?っておもう。日本語だと変な直球を投げてくるんだよね。 |
原作の本を読んでから映画を観てしまったせいか、なにか物足りないものを感じた。 |
ここだけでしか言わないが、ぼくはゴジラ映画のファンである(ほんとここでしか)。 |
007シリーズの感想を一気に書いているんでみんなおんなじ感じになってきているんでちょっと怖い。一見このシリーズみんなおんなじ感じに見えるんだけど実は結構一作一作ちがうのでそれがさすがだなぁとおもう。 |
007シリーズ9作目。タイへ向かってボンドは黄金銃をもつ男スカラマンガを追う。
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007シリーズ第一作。初公開時は『007は殺しの番号』。 |
ショーン・コネリーが復帰する作品。 |
とうとう観てしまった。 |
あまりに普通すぎる。設定自体はちょっと込み入った感じなんだけ
ど筋に沿って観ていればそんなに無理なく分かるし、
実際のテーマはその複雑さをとくことではなくどうしてそんな状態が訪れたのか?
ってところでした。二つのストーリーが平行して進行していく様は、
村上春樹の『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』の感
じににてる。
でも、この映画はなぜ二つのストーリーが展開されるのかって言う
明確な理由があるからあそこまではとんではいない。
癒される。 |
とても貧しい家族がいた。ニューヨーク、ブルックリンで
生まれたが、貧しさに追われるようにアイルランドの故郷に
戻る。しかし、そこでもなおも貧困につぐ貧困は止まらなかった。
金銭がきつい中で失業中の父は仕事を見つけて働いてはその
給料をパブで酒を飲むのに使ってしまう。そして、クビになり
また失業となる、その繰り返しで工面する母親の後からそれらを
台無しにすることばかりを繰り返す。しかし、家族は父を
誇りに思い、優しい父を愛していた。家族の絆はちゃんとあったの
だ。しかし、父には3つの顔がある。一つは朝起きて家族に優しい
笑顔を与えてくれる誇り高い父。昼は失業中で仕事をなんとか
見つけようと必死な打ちひしがれている父。そして、夜はパブで
なけなしのお金をつぎ込んでは下手な歌を歌って家に帰ってくる
どうしようもない父。
むかしのアイルランドの背景といまなおつづく深く深く眠る
民族、宗教上の対立、それらがアイルランドをうかびあがらせる。
どんなときでも、ひたむきに生きている。
教会で懺悔をする場面がアクセントとして何回かでてくるんだけど
ひどい貧困を観てきてそのなかでのヒトコマヒトコマがおもしろい。
懺悔というのは日本人にはなかなか理解しにくい。
あれはなんか芝居がかって見えてしまう。しかし、宗教、キリスト教
のちからというのは結構ねづよいものだ(2000.12.2)。
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中国に伝わる伝説の名剣『グリーンディスティニー』
ある時その名剣と修行に出ていたリー・ムーバイ(チョウ・ユンファ)は帰ってきた。ある目的を遂げるために。
その名剣は自分にとってはすでに必要ではないと言って献上してしまうと決心をしていた。
そのグリーンディスティニーは献上された屋敷から盗まれてしまった。
盗んだ相手はムーバイの師匠を殺した敵だった。仲間で互いに言わないが恋仲であるシューリンと
ともにその犯人を捜すがその相手は意外な人物だった。
チャン・ツィイーという女優さんがいるんだけどかなり演技がうまくてかな
かわいかった(これから上映される『初恋の来た道』って映画で初主演)。たぶんこれから有名になっていくんじゃないかって感じがした。
中国映画につきもののアクションはあの『マトリックス』をとったユエン・ウーピン
。かなりアクションは見物です。屋根はふわふわ飛ぶは、水面は歩けるし、
竹藪では竹の木を駆け上ったりするしで、あぁいう元気さは中国にしかないものだ。
中国の映画はアクションで終わってしまうって思われがちだけど、この映画の中では
ちゃんと感情の描写がなされている。ファンタジー・ラブ・アクションっていう売り文句になってる
んだけどそれはわかりやすい表現だと思う。中国の広さと、神秘と、こてこての中国活劇演舞
を観たかったらこの映画はおすすめです。中国の笑いってかなりこてこてです。シリアスな場面と対照的にしているという狙いもあるんだろうけどあれを観ると中国を感じます。でも、意見が分かれるところだろうなあ。
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アイルランドの昔のお話。とっても個人的な物語で切なくやるせない想いがみちみちている。人はいろんな経験をするものだけれど悲しい想いはできることなら少なくしたい。そして悲しいほどだれにも語れないそんなエピソードがたくさんある。過去という時間にはそうした想いがたくさん眠っている。
フィオナは今ではねたきりのおばあさん。つきっきりで看病をする妻と、学校で問題を起こしている息子とくらしている。キアレン・ジョンソン(ジェームズ・カーン)は今では高校教師で授業で自分の家系の過去と世界の過去との関係を課題に出して授業をしているところだった。しかし、生徒にからかわれている最中、自分の家系の過去自体に疑問を持ち始め、会ったことのない自分の父親の生まれ故郷でもあるアイルランドへと飛ぶ。
原題は"This is my father"このほうがいつも原題に抱く思いなんだけどしくりくる。鈍重で素朴でそして自分を取り巻く慣習などに静かな怒りを抱いているそんな父親。かれは、結局自分の身近な狭い世界を破って外へ出ていけるタイプの人間ではなかった。フィオナはそんな彼をどうにか自分とともに自由な世界へと連れ出そうとするがそれをさえぎるように閉じられた世界の住民である村の人々に引き離される。 |
夏も終わりに近づいてすっかり秋を感じる今日この頃。なのに、ホラー映画を観てしまった。 |
壮大なスペタクルという言葉がぴったりだ。 |
おまえの仕事って言葉。それに心を痛めつけられた。今自分は自分の仕事を見つけているだろうか? 林檎園で働くことになったヒッカムはそこで働くきっかけを作ってくれた少佐の彼女とできてしまう。運命はいくらでものたうち回る。彼女との楽しい日々は孤児院での孤独さを癒してくれるように忘れさせてくれるように過ぎ去らせてくれる。そんな毎日もつづかない。
ルールは俺達が決める。自分の仕事を見つけたヒッカムは持ち前の手先の器用さで仕事の腕を身につけていく。同僚のジャックはある日ボスに林檎を搾った汁のはいっているおけにたばこを入れてしまいそれをボスに見つけられる。 ヒッカムの育ての親でもある医者はハーバード大学をでた優秀な医者なのだがいまでは孤児院の医者をしている。エーテルを毎日すっている。いわくがありそうな過去を持っている。 あの医者がかなりきになった。あまり彼についてのことはふれられないんだけどそれにしてもあの彼の生き方はなんなんだろう。あぁいう生き方をしている人がどこかにいてそれで主人公がスクリーンの前で生活をしているという前提のようなものがひしひしと伝わってくる。ひとはだれか意識をしていないで同時進行で生きている大切な誰かの存在が微妙に影響をしている。そんなかんじを無意識にしているからこそなんとか毎日をこなしているようにおもえてならない。 癒されること癒すことともに大変な体力がいる。運命というものに対する執拗な執念というものを脚本から感じた。翻弄されるのが運命なのか身をゆだねるべきなのが運命なのか。 |
60秒で車が消える、そんなことをやってのける車泥棒メンフィスはいまでは平凡にひっそりと暮らしていた。そんなある日、自分の弟が同じく車泥棒を働らきへまをおかし、2日間で50台の車を盗まなくてはならないと言う。その仕事を弟のためにメンフィスは昔の仲間を募って遂行しようとするのだが。 人間模様が描かれているというのだけれどやはり見せ場はカーチェイス に置かれているようでそれはエキサイトさせてくれるものばかりだった。 まず観客の予想を裏切るようなアングルでのチェイスが見所だ。 普通車と車が追いかけるという図式なんだけどそこは逃げる方の 視点がかなりうまく作ってあって観ている方も車に乗っているような 錯覚になってくる。それはスタントマンを置かないで実際にスタントをやって のけたニコラス・ケイジの技によるものが大きい。 映画ってよくいわれることだけど映像処理技術だけがその映画の質を 高めるものではない。技術はだんだん進歩している。もう人間の頭の 中で描いたものを具体的に表現するのにやぶさかではないような域 に達しているがおそらく人間の想像力のスクリーンの質はどこまでも 昇華していくにちがいないだろう。そのとき、目に見えるものだけではなく 表現している役者のスピリッツとか監督の意気込み、スタッフの士気なんか が案外作品の質を高めているようだ。そういうのは評価の高さとして はかりにくい。けれども、観客が『よかった』と思って帰るかどうかってところで 案外単純にわかるものじゃないかな。そういう質の高さをこの作品はもって いたようなきがする。ニコラス・ケイジは好き嫌いがある役者だと思うけど ぼくは、あのやる気がなさそうで変にエキサイトしてどこまでいくのかわからない 失踪力がある雰囲気が好きだ。まじめそうでかなりの不良であるところも。 今回、ニコラス・ケイジらしさがよくでてたのは『イージー・ライダー』っていう 曲を仕事はじめに景気づけに聴くんだけど昔の連中と一緒にそれで ハイになるところがいい表情してました。あの表情でファンは魅せられる んじゃないかな?? |
あらすじ
若いと言うことはなんでもできる。できないことがない。未来がある。 そんな言葉は若いとよく分からない。そのさなかにいると自分のことは よくわからないものなのだ。逆に若いと年老いると言うことが分からない。 客観的に見るのは他人だけなのだ。年老いると言うことがどのくらい 悲しくてどのくらい希望のあることなのか。現実ってどのくらい大切なもの なのか。 80歳の老人が主人公なのにも関わらず20歳のなりをしている青年として
スクリーンに登場する彼は老人の心描写そのものだ。献身的でそしてどことなく
事務的な作業をするなりす。そのなりすにはくらい過去があって。現実を夢と思いこむ歩と
せつない恋をするなりすの不思議な縁が2人を包み込む。
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NASAのロケットエンジニアとなったホーマー・ヒッカム・ジュニア
の本当にあった実話を下敷きにしている。
ある炭坑の街にホーマー・ヒッカム・ジュニアは生まれた。
小さいときから運動にもむかず、勉強ができるわけではなく、
その街からでるためにはアメフトの選手になれる才能がなければ
それを手にする資格はなかった。彼の兄は有名なアメフトの選手で将来は
有望な選手になれると皆が思っている。自分には何ができるのか、
炭坑では探鉱者として働くより他はない。しかし、自分にはどうしても
その道に向かって挑戦していく構えがなかった。そんなある日かれは
上空を飛ぶロケットを見つける。それはスプートニックだった。
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ちょっと病的でいてそれでいてせつなさは誰にも等しく与えられていることに気づかせてくれるそんな映画。いまどき珍しいと思えるできばえになっている。真摯に訴えてくるその描写はなにより主人公の兄弟が醸し出す不思議な空間の作り方にある。きっと兄弟の物理的精神的な距離が見るものに人生を感じさせてくれるのかもしれない。 ストーリーはある兄弟とある娼婦が出会うところから始まる。その出会いはたしかに運命的でそれでいてその絆は固かった。「悲劇はやがて幸せをもたらすもの。悲しい場面で途切れているだけで、物語は続いていくんだ」と言われると、映画館を出てから続いていく自分の物語をちゃんと毎日消化して生きていく力が沸いてくるってもんです。 |
言わずとしれたトム・クルーズ主演のアクション映画。ジョン・ウー監督と言うことでなかなかのアクション映画になっている。カンフーを使う場面もあるんだけどあんだけかっこいいともうごちそうさまでした。というかんじだった。ヒロインとのからみもアクション映画の醍醐味なんだけどその辺はちょっと物足りなかった。映画全体の時間とヒロインとのからみの時間との配分がいまいちだったようにおもう。あまりに盛りだくさんにしすぎたからかな。いちおうイーサン・ハントは諜報員なのでいろいろ道具を使って敵をやりこめる場面が多い。少年心を刺激するってところ。ストーリーにはいる前にミニ・ストーリーが入るところなんかは007の影響をちゃんと継承していてこの系列の映画の常套手段をきちんと踏襲している。最初のイーサン・ハントはなかなかいい客のだましかたでよかった。 |
希望、夢、それを実現させる力。 そんなものがこの世にあるものか信じられなくなっている自分の意志の 弱さに気がつく。 アダムスは自殺願望を持っていた。病院に入院させられてそこで患者を 治す喜びを感じ、自分の目的を見つける。医者となって患者を救おう とする目的、しかしそれは通り一遍的な治療とは違っていた。アダムスは 普通の医者とは違うアプローチを目指していた。 アダムスは2年生でインターンとしてではなく、個人的に患者と接して 彼ら患者と心通しでつきあってかれらを癒そうとした。そのうちに彼の気持ちと 目的の中にボランティアとして医療を続けようと言う目標が広がってくる。 それに反対するひとたち、それに賛同する人たち、アダムスはかれらを 説得し医療の質そのものにたいする深い掘り下げかたをし、しかしそれは 病院にいる医者達の反感を買うことになる。どちらがただしいことを言っているのか 。現実と理想の狭間で揺れ、一人の人間としての弱さをひとに見せ続けることで 周りの人間をまきこんでいく。巻き込んだことが自分の責任ではないのだろうか? アダムスの自問自答はどこまでもつづく。 |
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あらすじ
牧歌的ともいえるその風景の中で彼はいろんな人々に会い足止めをくらい、ときには彼を助けるためにトラクターで行くことをやめさせようと するのだが彼は断固申し出を断り続ける。彼は自分の力だけで すすみそして兄と会うことが目的である。 デビッド・リンチ監督の映画だがこれまでのどこか異世界的なそれでいて 残虐性と荒々しさに満ちた世界観は今回はあまり現れていない。 そのことは様々な批判や意見となって論じられている。そのことは これまでのリンチファンにとっては物足りなく感じられることだろう。 しかし、映画一作品としてみた場合、そしてこの現代といういささか 奇妙な病み方をしている現実世界を考えるとき、実直でただ自分の信念を愚かに貫き通そうとすることのできるそんな時間と機会がとても貴重な ことのように思えてくる。そしてそのことをあまりに実直であるということだけで描かれたこの作品を今だからこそもっと素直に心に染み渡らせて もよいのだろう、とおもう。 作家・村上龍がこの作品を絶賛し、現実にもっと物語が必要だと言っていた。そこにはこのストレートがただ個人的な事情により黙々と大きな時間の中を実直に進んでいくその「物語」を現代人特に日本人には必要だ、と言いたかったのではなかったか? ドアをそっと開ければ殺人鬼、となりの親切な人が殺し屋、SFX、刺激はさらに大きいものを求めて肥大している殺人的な 精神のあり方をある意味くらべてゆがんだ形で描き出した作品ともいえる。 |