![]() |
| 「だます」と「ごまかす」 (前略)国際的に事業を展開している企業の経営者と話していて、 「でも、中国人は、だますでしょ」といわれたことがある。 私がいかに中国の今がおもしろいか力説していた最中である。 瀋陽領事館の問題で、日中双方の言い分が食い違い、 中国は信用できないという言説が国内に広がっていたころで、 経営者の疑念もそんな風潮に影響されていたのだろう。 「うーん。中国人はだますかもしれない。でも、日本人はごまかすでしょ」と、 とっさの思いつきで私は答えた。「だますとごまかすは、どう違うんですか?」とその経営者。 「ばれたとき、自分が責任を取る覚悟があるのが、だます。責任逃れしか考えてないのが、ごまかす」 「はー、そうですか」と、経営者はいまひとつ納得がいかなかったようにも見えた。 「中国の役人は、銃殺覚悟で賄賂を取る。 日本の官僚も、汚職するなら、それくらいの覚悟でやってほしいですね」と、 ただの思いつきは、だんだん確信めいたものに変わり、 「みんな逃げ隠ればっかりじゃないですか。外務省も、農林省も、雪印も、 日本全国、見渡す限り、責任逃れのごまかし文化」とますますかさにかかって力説すると、 経営者は、当惑して「……」。 「それは、ストラテジー(戦略)とタクティクス(戦術)の違いだね。 だますは、ストラテジーで、ごまかすは、タクティクス」と、この話を喝破したのは、 高成田享ニュースdrag子である。それほどのものではないかもしれないが、 だますとごまかすは、やっぱり違うように見える。 そして、日本の政治や経済、社会のシステムから、骨組みのしっかりした戦略が姿を消し、 目先を糊塗する戦術ばかりが幅をきかせるようになって、ごまかし全盛時代へ。 三井物産、道路公団、USJ、東京女子医大、日本ハム……。 ごまかし抜けば、それでオッケーという気持ちがありあり。 この間、比較的、責任をとったように見えたのは、 木で鼻をくくったように「独断です」を繰り返した日本ハムの現場の人だけ。 それとて、兄貴分の罪をひっ被って下獄するやくざの若い衆ほどの覚悟も、うかがえなかった。 (後略) 穴吹 史士「アサヒ・インターネット・キャスター」より |
T騙す、隠す―食品偽装・事故事件の隠蔽 食肉偽装事件 / 他のサイト(Google)
U甘え、驕り―官僚 官僚が日本を滅ぼす? / 他のサイト(Google)
V曖昧、誤魔化し、自己欺瞞―「自衛隊」 自衛隊
T欺く、隠す―食品偽装・事故事件の隠蔽
|
雪印食品の偽装は在庫の4割! 毎日新聞(2002.02.14) |
| 日本ハムの「隠蔽行為さらに悪質」 雪印食品調査委員長 朝日新聞(2002.8.20) ザビエル思う : 開いた口がふさがらない、と。 |
| USJ独自の賞味期限を設定 毎日新聞(2002.07.04) ザビエル思う : ご存知の通り、次から次へと出るは出るは・・・、と。 |
| 夏の怪談 今年の夏私が聞いた怪談の一つは食べ物の話である。 ある大きな食品会社が、扱う商品の使用期限や産地をごまかし、 国をだましてもうけようとしてのである。そのことがバレて会社は閉鎖され、 何人かの幹部が責任をとらされた。 そこまでは破廉恥で危険な犯罪の話ではあるが、怪談ではない。 怪談が始まるのは、第一の会社の詐欺がバレた数ヶ月を出でず、 第二の大食品会社も全く同じテを使って国をだましていたということが明らかになった時からである。 なぜ前者の覆るのを後者が戒めとしなかったのか。 第二の会社の指導者がよほど無能な庸人であると考えなければ、説明がむずかしいだろう。 しかしその前提は本当らしくない。そこで疑いが生じる、と怪談の語り手は言った。 おそらくこの国ではウソのはり紙で消費者をだますことがもはや破廉恥とも犯罪とも感じられないほど 日常化しているのではないかと。 加藤周一「夕陽妄語」(2002.8.26朝日新聞)より ザビエル思う : 怪談では済まない「恐ろしい」話だ、と。心の腐敗の問題だ、と。 |
| 東京女子医大の「特定機能病院」取り消し 毎日新聞(2002.07.12) ザビエル思う : この病院だけじゃあるまい、と。 |
| 三井物産がODAめぐりモンゴル高官に百数十万円渡す 朝日新聞(2002.8.28) ザビエル思う : こういうことが常態化していると疑われても当然だろう、と。 |
| 東電、80〜90年代に原発の虚偽記載29件 朝日新聞(2002.8.30) 東電トラブル隠し、内部告発で発覚 朝日新聞(2002.8.30) 虚偽記載チェルノブイリ事故の翌年から 毎日新聞(2002.9.1)
ザビエル思う : 開いた口が塞がらない、と。ここんとこ開きっぱなしだ、と。 |
| 身體疲労すれば、精神も共にやられる。 もう、どうでもいいといふ、勇者に不似合ひな 不貞腐れた根性が、心の隅に巣喰った。 私は、これほど努力したのだ。 約束を破る心はみじんも無かった。 神も照覧、私は精一ぱいに努めてきたのだ。 動けなくなるまで走って来たのだ。 私は不信の徒ではない。 ああ、できる事なら私の胸を截ち割って、 眞紅の心臓をお目に掛けたい。 愛と信実の血液だけで動いているこの心臓を見せてやりたい。 太宰治「走れメロス」より |
自浄機能の再構築を 投資Web |
|
外務省 課長になれないキャリア昇給停止 毎日新聞(2002.08.21) |
|
外務省改革に関する「変える会」−最終報告書 ザビエル思う : 民間の会社では当たり前のことが |
|
一番問題なのは、官庁用語。 |
| この厄介な時代に最高権力、というより最大の責任のある国家の官僚と、 実は彼等が逆に牛耳っている国の政治家たちの基本的な姿勢は、 奇妙なことに多くの政治家までが真似して慣用している役人言葉、 「それはいかがなものか」「何々には馴染みません」とか 「鋭意何々しているところであります」といった、いい換えれば、要するに 「それは駄目です」、あるいは「実は何もしていません」、といった 保身のために全て先送りしてその場をしのぐ姿勢に表象されている。 役人の「それは現実性がございません」という政治家への返答の意味は、 いくら信憑性はあっても着手するのが面倒だ、という同義語でしかない、 というのは堺屋太一氏の名解説だが、中央集権にあぐらをかいてきた末に、 自らの貧しい発想では手に負えなくなった日本の現実に尻込みする官僚と、 逆にそれに操られているままの国の政治家たちの萎縮と停滞は、 このままでいくと恐ろしい結末も招きかねない。 石原慎太郎 メルマガ 『日本よ』 No.2より(2002.8.6) ザビエル思う : 役人用語、官庁用語、役人言葉。この不快さに眉を顰めた方は 少なくないはずだ、と。 |
| 身體疲労すれば、精神も共にやられる。 もう、どうでもいいといふ、勇者に不似合ひな 不貞腐れた根性が、心の隅に巣喰った。 私は、これほど努力したのだ。 約束を破る心はみじんも無かった。 神も照覧、私は精一ぱいに努めてきたのだ。 動けなくなるまで走って来たのだ。 私は不信の徒ではない。 ああ、できる事なら私の胸を截ち割って、 眞紅の心臓をお目に掛けたい。 愛と信実の血液だけで動いているこの心臓を見せてやりたい。 太宰治「走れメロス」より |
| ゴルバチョフ大統領が日本へいらして、青山学院大学で学生と対話集会をなさるので 聞きに来ないかという話があって聴きに行った。学生の人たちはいろんな質問をしていたが、 一番冒頭に女子の学生が「何故ベルリンの壁は壊れたのですか? 何故共産党の看板を下ろしたのですか?難しいですけど一言で仰有って下さいませんか」と注文を出した。 大統領は「一言で言うのは大変難しい」とか言いながら一寸考えて「それは官僚の腐敗だ」 と。 つまり、経済10年計画とか20年計画などで正義が行き渡る、富の配分が公平に行われる、 そういうことについては万全の企画・計画が出来ていても、それを実施する力を持った者、権力の座に坐った者が 結局私利私欲の為にそれを使ってしまう。そうすると立派な理論であっても、立派な実践計画であっても、 そこで滞ってしまって、一般大衆はもう2時間も待ってもパンが貰えない、肉が回ってこないという現実です。 ―――――松永希久夫「イエスとの出会い」(NHK教育TV'00.5.21放映)より ザビエル思う : そうなんだ。今の日本だけじゃないんだ、と。 |
| 自衛隊は戦力なき軍隊(以下は原文のままです) ○松村謙三委員(改進党) 食糧の問題はこの程度にしておきまして、 防衛のことについて総理にお尋ねをいたしたいと思います。 今度政府は保安隊を自衛隊と改められて、 直接侵略に対する防衛をその任務に加えらるるはずでございます。 そしてアメリカの駐留軍が今に日本からだんだん撤退して行くに伴うて、 これをそのかわりに増強してやつて行く、こういうことである。そういたしますれば、 以前の保安隊と自衛隊とは、まつたく別の使命と性格を持つておるべきはずであります。 いずれ近く保安庁法も改正せらるることと存じますが、 こういうことになりますと、たとえばこの自衛隊というものの力が出て参りますと、 以前の保安隊と違いまして、総理の一存でこれをかつてに動かすというわけには行かない。 そこに統帥の条項も保安庁法の改正に伴つて入つて、そして統帥に関する厳重な条項も加わる、 こういうことになることと思うのであります。こうなつてみますと、われらの常識から申しますと、 これはどういつても軍隊であると言わなければならぬと思うのでありますが、 これについての総理のお考えはいかがでありますか。 いやしくも直接侵略の外国軍と戦う任務を持つ以上は、軍隊と考えることが当然であると思いますが、 総理の御見解を承りたいと存じます。 ○吉田茂総理大臣 お答えをいたします。自衛隊が軍隊であるかどうかということは、 軍隊という定義にもよりますが、とにかく憲法においては交戦権がないという制限がある以上は、 ただちにこれをもつて普通の意味の軍隊と申し得るか、申し得ないか、これは疑問であります。 しかしながらお話のように、アメリカ軍が撤退して、日本の保安隊が自衛隊となつて、 そして直接侵略にも備えるということになれば、従来の性質を一歩進めたものと言わざるを得ないと思います。 しかしながらそれが軍隊でありやいなやということについては、軍隊という定義にもよりますが、 これにいわゆる戦力がないことは明らかであります。それから統帥の点についてはなお研究いたします。 ○松村委員 ちよつと聞えない点もございましたが、今の総理のお答えによりますと、 その定義によつては軍隊でもあり、定義によつては軍隊でもない、こういうお答えのように了承いたして さしつかえございませんでしようか。またその定義というのは大体どういうことを意味するのか、 その点をお伺いいたしたいのでございます。 ○吉田総理大臣 お答えをいたします。ここに私の申したいことは、軍隊という意義にもよるが、 しかしながら、いかにしても戦力を持の軍隊にはいたさないつもりであります。 ○松村委員 そうすると今のお話では、戦力を持たなくても、軍隊と称するならばこれは軍隊と申してよろしい、 こういうことでございますか。 ○吉田総理大臣 その通りであります。 ○松村委員 そういうお答えでありますならば、陸上の部隊を軍隊と称し、あるいは海に浮ぶ船舶を軍艦と称する ということでよろしいと思うが、どうでありましようか。 ○吉田総理大臣 お答えをいたします。これは定義の問題でありますが、 しかしながらいかなる名称をつけても戦力に至らしめないという制限のもとに 軍隊と言い、軍艦と言うことは自由であると思います。 ○松村委員 そういたしますと、戦力というのは大体どういうことをお考えでありますか。 たとえば、総理は再軍備をしないと言われております。 しかしながら事実においてアメリカとも交渉をして、そして防衛隊をつくろうということであるが、 防衛ということと再軍備ということと、どういうふうな違いがあるのでありますか。 それは戦力ということが根底をなしておると思うが、総理のお考えをお聞きしたい。 ○吉田総理大臣 お答えをいたします。戦力については、常に政府の見解としては、 いわゆる近代戦を遂行し得るだけの力ということに解釈いたしておるのであります。 防衛は、日本の国土を守り、あるいは民生を安定せしめるために必要な手段は、 保安隊をもつてこれに任ずるという建前おります。 しかしならが直接侵略の場合にどういう様相をなしますか、それはそのときの事態にもよりますが、 これによつて近代戦を遂行するというようなことはいたさないつもりであります。 しかし、戦力は持たしめないつもりでありますが、これを軍隊と言い軍艦と言うことは、 言うてもさしつかえないことであると思います。 ○松村委員 そうしますと、総理の言われることを要約しますと、軍隊と称してもよろしい、 しかしながら近代戦の力を持たないがゆえにこれは戦力ではない、こういうことに了解してよろしいのですか。 ○吉田総理大臣 その通りであります。 1953年11月3日衆院予算委員会より(このページで年月日・会議名・発言者・キーワード(自衛隊・戦力) を記入・選択すれば全議事録が閲読出来ます) ザビエル思う : ここが原点なのだ、と。 |
| 身體疲労すれば、精神も共にやられる。 もう、どうでもいいといふ、勇者に不似合ひな 不貞腐れた根性が、心の隅に巣喰った。 私は、これほど努力したのだ。 約束を破る心はみじんも無かった。 神も照覧、私は精一ぱいに努めてきたのだ。 動けなくなるまで走って来たのだ。 私は不信の徒ではない。 ああ、できる事なら私の胸を截ち割って、 眞紅の心臓をお目に掛けたい。 愛と信実の血液だけで動いているこの心臓を見せてやりたい。 太宰治「走れメロス」より |
| 「有事法制」の先は「総動員」? 毎日中学生新聞←日本国民必読 ザビエル思う : 二転、三転しているなあ、と。国民を騙し、自分を騙しながら・・・、と。 |
| 安保体制 日本の自衛隊は、1950年に7万000人の警察予備隊として出発し、 52年には11万人の保安隊に改編され、54年には「防衛庁設置法」「自衛隊法」が成立して 陸、海、空の自衛隊が成立した。陸上15万2000人、海上5万8000トン、航空150機。 「海外に派兵しない」「専守防衛」の枠がはめられていたものの、小型の軍隊として発足したのである。 以後、四次にわたる防衛力整備計画が実現されるうちに、1980年代半ばには、 陸上18万人、官邸6万4000トン、航空機1060機、ホーク8個群、航空管制部隊28群、ナイキ部隊6群を 備えた新鋭部隊に成長した。 中村隆英「昭和史U」より ザビエル思う : そもそもは、こういういきさつだったんだなあ、 ん?「海外に派兵しない」と書いてあるけど、と。 いつの間にか誤魔化されたぞおッ、と。 |
| 日本国憲法 前文 @ 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、 われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、 わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、 政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、 ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。 そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、 その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、 その福利は国民がこれを享受する。 これは人類普遍の原理であり、この憲法はかかる原理に基くものである。 われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。 A 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を 深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、 われらの安全と生存を保持しようと決意した。 われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を 地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、 名誉ある地位を占めたいと思ふ。 われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、 平和のうちに生存する権利を有することを確認する。 B われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、 政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、 他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。 C 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。 第二章 戦争の放棄 第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】 @ 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、 国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、 国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 A 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。 国の交戦権は、これを認めない。 ザビエル思う : なるほど、「軍隊」だが「戦力」ではないという話はここから出てきたのか、と。 |
| 有事法制と私達 条文に目を通したが、非常に危険を感じる。 憲法では、国民の安全や平和をどのようにして実現するかについて、 「戦争放棄」を通じてやりますとうたってある。 そして「戦争放棄」「基本的人権の尊重」「国民主権」の三つは、憲法の座標軸として存在している。 有事法制関連法案は、その座標軸にいろんな制限や問題点を提起する法律だが、 戦争放棄を定めた憲法9条との関係について全く触れられていない。これは問題だ。 今一番問われるべきなのは、憲法9条を持つ日本が何をすべきかということ。 武力攻撃があった時のことを考えるよりも、ほかにすべきことはある。 例えば、隣の国が敵愾心を持たないように理解を求めることなどだ。 パレスチナ問題でもそうだが、暴力では事態は永久に解決しない。 有事法制推進派は、今のままでは自衛隊が超法規的に動くので望ましくないという。 しかし、日本は、陸海空軍の戦力を保持しないといいながら、戦力といえる自衛隊を持っており、 明らかに憲法9条2項に違反している。憲法の精神を真正面から踏みにじっているわけだから、 超法規的に動いているのは、むしろ今の日本のあり方。その違憲状態を無理に合法的だと言い切りながら、 「自衛隊が超法規的に動きかねない」というのは説得力がない。 私は15歳で、学徒動員を経験した。栄養失調で級友がバタバタと倒れ、 機関銃掃射を受けて人が死んでいくのを目の当たりにした。これが戦争なんだ。 今は戦争が絵空事でしょう。テレビで見て「可哀想やなあ」とか。全然、現実のことがわかっていない。 中坊公平(朝日新聞2002.5.17) ザビエル思う : きわめて単純な話じゃないか、と。 |
| それでもお前は日本人か? (前略) 「いや、まず人間だよ」 「まず人間とは何だい。ぼくたち、まず日本人じゃあないか」 「違うねえ、どこの国民でも、まず人間だよ」 「何て非国民!まず日本人だぞ」 「馬鹿なことをいうなよ。何よりもさきに、人間なんだよ」 (中略) 「まず日本人」主義者と「まず人間」主義者との多数・少数関係は、 四五年八月を境として逆転した――ように見える。しかしほんとうに逆転したのだろうか。 もしそのとき日本人が変わったのだとすれば、 「それでもお前は日本人か」という科白をこの国で再び聞くことはないだろう。 もしその変身が単なる見せかけにすぎなかったとすれば、 あの懐かしい昔の歌が再び聞こえてくるのも時間の問題だろう。 あの懐かしい歌――「それでもお前は日本人か」をくり返しながら、 軍国日本は多数の外国人を殺し、多数の日本人を犠牲にし、国中を焼土として、崩壊した。 その反省から成立したのが日本国憲法である。その憲法は人権を尊重する。 人権は「まず人間」に備わるので、「まず日本人」に備わるのではない。 国民の多数が「それでも日本人か」と言う代わりに「それでも人間か」と言い出すであろうときに、 はじめて、憲法は活かされ、人間は尊重され、この国は平和と民主主義への確かな道を見出すだろう。 加藤周一「夕陽妄語」(朝日新聞2002.6.24)より ザビエル思う : この基本が平気で「忘れた振り」をされている、と。 |
| 何が歴史の転換期か (前略)私は、2001年のできごとで最も重要な意味をもっていたのは、 この年が国連によって「文明間の対話の一年」と名づけられたことだった、と思っている。 同時多発テロ事件やアフガン戦争の陰に隠れて、ほとんど忘れられているとはいえ、 文明の対話のための努力は、テロ事件以降も地道に継続されたのである。 そして国連事務総長に委嘱された委員会が、年末には「対立点を越えて」という報告書を公にしている。 この報告書を作成したのは、20カ国の代表的知識人で、 世界中が同時多発テロ事件で動転している時に、 実際の世界はもっと別の次元で動いていることを説いている。 20世紀の末期から21世紀の始まりにかけ、ほんとうの意味で世界史、 グローバル・ヒストリーの時代になった、ということを強調している。 グローバリゼーションは間違いなく進行している一方で、ヒストリー、 すなわち世界各地の国家、社会、文化など、それぞれの伝統を持つ人間集団が、 自分たちのアイデンティティーを主張している。 この二つの流れを相反するものとしてではなく、一つの世界の二つの面だととらえることが、 文明間の対話の出発点であり、「相互関連的な地球村」を形成する道でもある、というとらえ方である。 私もその見方に賛成である。相互関連、インターコネクトという表現は、 80年代ごろから、国際関係の重要なキーワードになっている。 世界を対立や抗争の舞台ではなく、お互いにかかわりあう、インターコネクトした共同体 としてとらえようとする動きは、1870年代にも、そして1930年代にすら存在していたが、 その傾向が顕著になったのは、20世紀末になってからである。 この流れは、同時多発テロ事件などによっても、変えることはできない。 有事法制とか憲法改正とかは、そのような流れを無視するものであろう。 これから国際関係がどうなるかわからないから、有事法制が必要なのだとする無定見も、 「備えあれば憂いなし」という、古代ローマ時代のスローガンを後生大事にするのも、 インターコネクトしつつある世界についての無知を反映している。 今最も望まれるのは、そのような次元で国の将来を決めようとすることではなく、 文明間の対話を促進し、世界中のできるだけ多くの人たちとのコネクションを作り上げていくことであろう。 入江 昭「思潮21」(朝日新聞2002.6.3)より ザビエル思う : 小泉さん、読みましたか、と。 |
|
コスタリカという国 1948年の大統領選挙に端を発した内乱で、2千人余が犠牲になったという。 危機はあった。80年の川ひとつへだてた隣国ニカラグア内戦だ。 |