’94フィリピン国植林フォーラム感想文

植林フォーラムを終え、参加者に感想文を書いてもらいました。提出を「帰国時、飛行機が成田到着するまで」としましたので、短い時間に慌ただしく、また疲れがピークに達している時に書いていただいたものです。ですから提出のあった原稿のみの掲載となりました。また「言いたい事不十分」と思われる参加者も多い事でしょうがお許しいただき、それぞれの想いを察してお読みいただきますようお願い申し上げます。


ダバオ

ヌエバビスカヤ班感想文

三田 典義 秋山 一夫 杉村 雄二 建部 芳久 藤田 和夫
佐野 昇  渡辺 正光 上野 庸民 平賀 善男 酒井 豊昭
酒井美代子 笠原 敏彦 西原 久雄 水野 修治 鈴木 利行
小泉 博 森 寛史 鈴木 智志 橋本 仁志 志田慎之介
西原 潤 市川 智子 松元 晶子 川野めぐみ 浅野 雅美
高山 眞美 石川さゆり

三田 典義 

日本の総理大臣のフィリピン訪問と同時期にフィリピンの植林フォーラムの計画をすることが出来た。天の配剤と一面では心躍如たるものが有った。

ところが23日のニュースでも、24日のニュースでもほんの一言くらいの報道しかなかった。フィリピンでは、日本に対する感覚が私達が感じ考える程ボルテージが高くないことがわかった。とくに政治に対してそのことを強く感じた。誠に残念なことだ。しかし私どもの八日間の植林フォーラムの意味はこの不足を補うに余りあるものがあった。誇張でもなんでもない事実であることを私達は自分の目で体で体験してきた。

此の度のフォーラムに参加された多くの方々から率直な意見を聞き、フォーラムで植林することよりも参加することにより異国の人たちと肌と膚で触れ合い顔と顔で身近に接し、言葉はわからなくとも手と手でお互いにがっちり握り締めた感情は言い知れぬ感激をおぼえた事だと思う。子供たちの可憐な歓迎、生まれて始めての外国の人たちと接することの出来たフィリピンの人達、木を植えたことの偉大さと友情の大きさを体で味わった意味は如何程に評価出来るのだろうか。特に始めて参加された多くの若い人達、テレビでは何回となく見、聞き、知らされているだろうに、何故参加された多くの人達が感激したのだろうか? もちろん今迄、働いて汗を流すことも、スポーツ等での経験しかないだろう? 外国の人達と一緒に働いた汗、日本では今だに国歌が国旗がどうのこうのと言われているのに、フィリピンの山の中で子供たちが日の丸の旗で迎えてくれた姿を見て如何に我々には空理空論で多くの時を過ごして来たかという事だ。

私達の今回のフォーラムは植林事業だけに限って言えばほんの小さな小さな行事であるということだ、然し其の様な小さな小さな行事は多くのフィリピンの人達を呼び起こし、小さな行事が徐々にでも自覚させる道標になるだろうし、又此の事が参加された七十数名の心の中に深く刻み込まれる事だろうし、此の感動を宝に持ち続けることが出来れば大きな収穫であったと思われる。

日本は無資源国であるという現実を真摯にみなければならない。21世紀半ばに石油はじめ多くの資源が枯渇するという現実である。其の時に真に強さを発揮できる民族はどこの、どの民族だろうか?

自然と共に、自然に生きている民族が真の強さを発揮するのは正にその時に大きな力を発揮するであろうに、私達は彼等の自然を破壊した一方の犯人として当然の償いをすべきです。其の事を忘れた行為は絶対に忘れてはならない。                     

彼等の無心の歓迎に心から敬服し感謝し、小さい小さい我等の行為を恥ずべきかも知れない。もっともっと多くの人達が義務的に参加して彼等との友好を続けながら親善を画すべきだろうと思う。

秋山 一夫 

私は、ロータリアンからの勧めでこの事業に半ば義務感だけで参加する気持ちでおりましたが、実際に自分の手で工具を使い、現地の人々や小学生たちと協力しながら、苗木を一株ずつ植えてみると教科書やマニュアル本の学習では得られない感動を得ることができました。私たちが、苗木を植えるのはほんの一時であるが、これから引き続いて下草刈りをしたり、枝払いや間引きしたりする一番労力を要する部分の仕事をスタッフを中心に現地の人々が協力して行なってくださることを思うと申し訳ない気がします。しかし、私たちが植えた木々の一本一本が地滑り等の災害防止に役立ったり、堤の保護の目的で川の決壊を未然に防止することができるようになることは、すばらしいことだと思います。3〜5年後に私たちが植えた木をもう一度見てみたい気がします。

森林破壊の原因として日本や華僑の商社の大規模な伐採、生活の苦しい人々による国有地立ち入り(不法な伐採)があげられるようですが、売る側にも買う側にも責任はあるように思えます。生きた森林は、お金では買えないものですから、私たち一人一人がこの現状を再認識すると共に、仮に伐採してもその手当てをスピーディに行なえる体制を一刻も早く作らねばいけないと思いました。

研修第三日目、パシアン村でのエピソードですが、一杯のビール飲みたさに私と数名の参加者は、夕食までの自由時間を利用してマーケットのある村の広場まで出掛けていきました。30分ほど、路肩を歩いてやっとの思いでお店へ辿り着くと冷えたビールにありつくことができました。お店の人達と片言の英語で話をはじめると、そこには昼間お会いしたばかりの村長さんが立っていました。村長さんのお話では、酒によって村人に危害を加えるものがいるので、見張りの兵士を立たせて村の治安を維持しているとのことでした。日本からの客人に不都合なことが起こってはと駆けつけてくださったようです。ビールを飲み終わり、その場をたち去ろうとしたところ、村長さんの家に招待されまたビールを一杯ずつご馳走になりました。しばらく歓談したあとに研修所へ帰ることになったのですが、村長さんが見張りの兵士を呼んで私たちを護衛するよう命じてくださいました。私たちが無事に帰ることができたのは、約10年間の間、地域に密着した努力の積み上げがあったからのように思えます。

日本へ帰ったらこれらの様々な体験をできるだけ多くの方に伝えたいと思っています。

最後に植林がロータリーとオイスカの共同事業として継続的に開催されるよう働きかけたいと思っております。オイスカ・ロータリーのスタッフの皆様、ありがとうございました。

杉村 雄二 

私には、全く予想も出来ないほど盛大な歓迎を受けての目的地入り、バスから降りて合わす顔、握り合う手には力がこもり、少年たちの純朴で熱い視線を感じる時に、改めてこの地を訪れたことの意義が認識できた。

現地の人達と共に行った植樹には各所での思いが脳裏をかけめぐる。少年たちと手を絡め植え穴に苗木を治めたあの感触、一本一本に心を込め植え終えて笑顔が浮び、カメラの前ではあどけないポーズが弾み植林に一こま添えた。

地球規模の環境問題を考えるなかで、森林の役割を定義付けた教育実態に敬意を表すと共に、子供の森計画に拘りが持て足跡を残すことが出来たことに感動致しました。

しかし、いささか気になることとして、限られた時間の中での作業ゆえ植え残しは仕方なしとして、強い日差しの下で植えた苗木のことが気掛かり、時雨をえて早く活着してほしいと願わずにいられない。

我が日本にも環境保全に対する森林(育成)の位置付けは大なりとされ、官民・その他各種団体による推進活動も評価されているが、今ひとつ学校教育(義務教育)の取り組みに手薄なのが気になります。

私は日頃、この事に対して微力ながら、自然の尊さと体験から生まれる心の教育を勧めてきましたが、今回のフィリピン国植林フォーラムに参加でき貴重な体験をして、一層自分の心に熱いものを植付けることが出来ました。

そしてもうひとつ心に刻んでおかなければならないことは慰霊碑参拝の想いです……

最後になりましたが、今植林フォーラムの主催団体であるロータリー・オイスカ(静岡・山梨)とその関係スタッフ各位には感謝の気持ちで一杯です。また、私の意志を察して今回の参加を勧めてくれた戸塚宏先生、並びに未熟な私を支えてくれた団員諸氏に厚くお礼申し上げます。

建部 芳久 

北ダバオ州知事をはじめ各市町村長が私たち参加者に対し何年も前からの友を迎える心を開いての歓迎、有難かった。どの方々も自然環境保全を口をそろえたように熱意をもって話された。比国のことでなく地球人として声を大にして語られたことに、常に私自身口にしないことだったので唯々敬意と尊敬の念にかられた。しかし、日本の行政を司る方や一般市民が未利用資源を集め、粗大ゴミとして多大な経費を使い回収されている現状、地球保全に行動を起こしたいと痛感、教えられた。

又、世界人として酸素供給源としての国土緑化に真剣に取り組む長をはじめ、村人・子供に至るまでに浸透し情熱を燃やしている。皆が今までの業績を高く評価していることに心を引かれると共に、日本の国土を今一度素直に見極めたいと思った。

それぞれ訪れた学校での両国国旗を打ち振り、あるいは花のレイを、目が熱くなった。子供たちの美しい瞳と真白な歯とほほ笑みに迎えられ、一緒に土の香高い穴への植樹をし、本当に心が洗われた。

快感をスポーツ等に求める現今、“土と汗”与えられたり作られた場所に汗をかくのではなく、親や地域が“子供と共に汗を流す心地よさ”を味あわせたいものだ。

レセプションで特に感じた事だが、オイスカ・ロータリーが誇りをもっての国土造りは実にすばらしい。自然環境保全=即緑化=植林に真剣に取り組み、一人一人の課題として活動する姿こそ国造りに繋がる活動と、敬意を抱き学ぶことが多かった。生活のささえ、国・州・町・村作りの基を祈りと国旗・国家に求め一つ心にどの人も、歓迎のあの一時日本人としての誇りと自負、比国との友好……あらゆることが頭の中を駈け廻った。日本にいたらあんなに腹から声を出し、国歌を斉唱しないし、国旗の美を感じないだろう。島国日本、世界の日本に心より祈った。

子供たちは求めるのでなく、みんなの贈り物を本当に喜んだ。その贈り物を会員の呼び掛けで集めた。私たちの願いを多くの人が知り、それに応えてくれ、唯々感謝のみだが、形式も大切だがその場で交流があったらグローブで子供とキャチボール、スペリオ・ハーモニカ・レコーダーの吹奏とか、時間がない。二斑に別れて過密スケジュールを解決してほしかった。

現地での植樹受入れ体制は非常によく、OBならびに受入れの学校・町村それ以上にスタッフが、現地との連携と緻密計画、“行動は力なり”の信念が若さ年令を乗り越えた。私は脱帽あるのみ。私をはじめ参加メンバー全員無事、ささやかな活動でも私の心に現地の方々に植樹の体験を通し友情と連帯の心が芽生えたことは実に尊い。

皆さん、無事終了し「ありがとう」「ご苦労様」機会があったら又参加し、共に汗を流そう。

藤田 和夫 

参加する前、治安の問題、国情、民族性、衛生面等で不安を感じながら参加しました。少しでも役立つことができたらという気持ちと現状をこの眼で確かめたかった。

いろいろと気付いたこと、習慣で忘れていることなど大変勉強させられました。こうした機会を与えてくれた組織、団体に深く感謝致します。世界的な規模の流れも理解でき、私の今後の生き方に大きな力を与えてくれたことは、関係努力者に重ねてお礼申し上げます。

佐野 昇 

やがて72才になろうとする現在だが、一日一日を有意義に、自分に出来る範囲で世の為になる様なことを心掛ける中に、生きがいを見いだしたいと思う此頃です。「'94フィリピン国植林フォーラム」を静岡新聞の記事で知り、年金生活者ではあるが少し視野も広げ、このようなボランティア運動に参加し、此の目でフィリッピンの資源状況を見てみたいと思い立ち申し込みました。(動機としては)

昭和18年〜21年の戦争末期から抑留生活中に見た北支のハゲ山のことや、戦後復興立ち上がりの時代、製紙会社に席を置き外材を大量に消費する事業に携わってきたこと。あるいは郷土富士宮で、自宅の山林を少ない面積ながら植林から管理まで手掛け苦労体験してきた者として。かつてのラワン材山地が荒廃しているとの情報から、ぜひフィリッピン事情を知りたかった。飛行機の上空から見えたフィリッピンの山々は一応緑に覆われているかに見えるが、所々に山肌が剥出しの荒廃地が見られ、また車での行動中、大木が殆ど目につかず椰子かバナナ程度の状況を身近に確認できた。

此の広大な大地に僅か許りの日本人がやってきて、少し許りの木を植えたとてどうもならんと思ったが、然し現地の人や小学校の子供と一緒に植え付けをやってみて事業の意義が判って来た。殊に「こどもの森」の計画は、継続することによって将来性が出てきそうに見えた。子供たちの熱烈な歓迎や輝いた眼に期待がもてそうだ。

兎に角、地球環境を守り育てる事業は大切さは判っていても大変な事業で、気長く継続していく必要があることは日本内地でも同じ事がいえる。他人まかせでなく、自分達で継続実践することこそ成果に繋がるものと思う。今回我々はその一部を手助けすることによって、フィリッピン人と心の交流を図り、植林の動機づけに少しは役立ったかなと思った。

日本の内地の状況を見ても言えることだが、道は厳しく遠い事を痛感するがやるしかないと思う。健康に恵まれ、又参加出来たら参加したいと思っている。

フィリッピンの日本とは大分異なる国内事情を垣間見て、日本の恵まれ過ぎたゼイタクに近い現状を唯手放しで喜べない。むしろ憂える一人である。(無駄を無駄と気付かない、物の大切さを知らない、金さえ出せば何でも手に入ると思い込む等)

物見遊山の観光でなく「いくつかの目的をもって参加した今回の植林フォーラム」外から日本を見つめ直す良い機会でもあった事を思い有意義であった。

英会話はまるで駄目、熱帯の環境も初めてで若干心配される中で、計画から終始面倒を見て下さった役員の皆々様、大変お世話になりました。改めて厚くお礼申し上げます。又縁あってお世話になることもあろうかと存じますが、今後とも宜敷くお願いいたします。有難う御座いました。

渡辺 正光 

平成6年8月21日セブホテルに1泊、翌朝ミンダナオ島に向いました。フライトして25分位すると右窓下に裸山が見渡すかぎり続きました。かの元ボルネオのカリマンタンが無残に裸山になった新聞報道を見て数年もたたないのに、又もや乱伐が続き、唖然とするばかり。人の力、機械力の日数を重ねると、想像以上に環境を破壊し、その後の災害が心配されます。たまたま、私共が植林事業に参加する矢先、垣間見た惨状です。保安林を設定して、一度に全面乱伐採を規制してほしいものです。

私共が、九牛の一毛にも達しない微力ですが、植え付けた木が満足に育つよう今後も植林には参加させていただきます。

上野 庸民 

南洋の島々に緑を取り戻そう、我々の地球と人類の為に。ギラギラと輝く太陽、此の地特有の熱さは心地よいもの、我々を迎えてくれるにふさわしい天候である。

州知事を始め町長、村長表敬訪問そして植林、学校訪問、此の地の人々の生活習慣、風俗に触れ、ともに汗して励みそして友好に心打たれ多くの思いを残してこの地を去ります。フィリピンの人々、オイスカ、ロータリーの皆様に感謝するものです。

人々は何の為に此の地球に生まれ来たか、其れは此の母なる地球をより美しくきれいにする為に生まれ来たのです。

心豊かな充実した一時を過ごさせていただきました。70歳を目の前にした私、2度と此の地に立つ事が出来ないかも、そんな思いが脳裏をかすめ淋しさがこみあげます。然し満足感でいっぱいです。50年前ルソン島で兄を亡くした隣人夫妻の供養をかねた参加に心打たれ、かつて自身も特攻隊員として数多くの戦友を失った当時を忍び慰霊碑に手を合わせ、50年目の鎮魂を祈りしばし涙にくれたのでした。

此のフォーラムを実施するにあたり多くの人々の好意の結果があったことに感謝し、自らの心に刻み感想とします。

平賀 善男 

今回初めて植林フォーラムに参加することとなったのは、前回タイ国植林フォーラムに参加した高石氏に参加を呼び掛けられたことと勤務先の山梨県は環境首都圏を宣言し、21世紀に向って環境問題に取り組んでいることもあり、他国の現状がどのような状況にあるかを知るためにも自分の目を通して、また自分の手でどのような協力が出来るかを考えてみようと参加を決意したものです。

事前説明会において、地球環境・フィリッピンでの植林の意義、なぜ国際協力かなどの説明を受け、現地に入国した機上からの様子はまだ緑の多く残っている国だと感じました。

だが、国内を移動する際の車窓からの緑は農業利用地あるいは草地・低木の緑であり、所々には地肌の見えるところもあり、説明を受けたとおりの状況が感じられた。

実際の植林に当たっては、現地スタッフの事前準備の行き届いた植林地の為、そう苦労することなく植林作業ができ、また一緒に植林に当たった子供達の作業する子の目の輝き等を見ていると、将来この木と共に成長する頃には、一人一人が自分の生活している環境はどのようにして守り育て、利用していくのか考える大人になっていくだろうと考えられた。また、各地での盛大なる歓迎は、日本人がなぜ自分達の国に対してこのような事をしているのかを考えてくれる機会となることと思う。

次回からも、自分の周りにも呼び掛けて出来るだけ多くの参加者と一緒に協力出来るよう努力したい。

酒井 豊昭
“地獄の匂い、天国の味”

“地獄の匂い、天国の味”と言われる果物の王様であるドリアンの国、フィリピンにおいてこの植林フォーラムを通して、数多くの地獄と天国を体験したような気がする。

21日出発の日、悪天候のためかフィリピン行きの飛行機が2時間以上も遅れ、待合室で不安が心をよぎる。セブ到着も夜10時過ぎ、しかし、セブプラザホテルが素晴らしくてホッとし、ビールをいっぱい。                         『あー、極楽!』

22日、夜の歓迎会のとき、ゲストのスピーチがあまりに長く、夕食にありつけたのが夜の9時過ぎになる。途中で部屋に戻ろうかとイライラとした。しかし、おどりを踊ってくれた子供たちの愛らしさと親しみやすさとやさしさに心がなごむ思いであった。   『あー、ファンタスティック!』

23日、初めての植林地パシアンでの事、西原氏の誘惑にのって、毒のあるイモをかじってしまい、口の中がしびれてしまう。どうなる事かととても不安になる。しかし、雑魚寝ではあったが、夜8時から翌朝5時頃までぐっすりと眠り、目覚めた時のあの清々しさは、何ともいいようのないさわやかな気持ちであった。                     『あー、頂上!』

24日、小学校4校訪問、ブカル村訪問、ナブントラン町長表敬訪問と日本でも考えられないようなハードスケジュールなおかつ外でのセレモニーであったので灼熱地獄を味わい、とても切なかったが、しかし、学生たちの素晴らしい踊りに感激し、ブカル村でのあの大歓迎(小学生が列になり、両国旗を振ってくれたような!)に驚き、リノアン小学校はじめ子供の森の実施校に於いての子供たちの明るさ、真面目さ、ひた向きさと共に周りの花壇や木々の管理の素晴らしさに心洗われる気持ちがした。

『あー、ワンダフル!』

25日、マコ村においての植林の際、傾斜がきつく足場が不安定なので、苗木を運ぶ人・植える人達もとてもたいへんな様であった。多くの人の写真を撮ろうと動き回り、汗が体中から吹き出し、肩で息をする程切なかった。しかし、共に汗を流した現地のロータリアンたちとの交流会での明るく、フレンドリーな人々との素晴らしい出会いと触れ合いに感謝。   『あー、最高!』

26日、気持ちもさわやかに目的地のマコの海岸へ。しかし、潮が引いておらず膝の上まで海に浸かりの非常に大変な植林作業。中には首まで浸かっていた人も!!予定外の事があるのがフィリピンという国らしい?

その夜、宿泊場所であるインシュラーホテルに於いて、温かいお湯のシャワーを浴びたときのあの気持ち。                         『あー、天国!』

まだまだ書き足りないが、以上のような事をはじめ様々なことに出会い、これまでの日本での自分の生活を色々な点で考えさせられた。

以前より、自然保護やゴミ等の環境問題や国際交流には、非常に興味があり少しずつ実践してきたつもりであったが、まだまだ甘いということを痛感させられた。現在、環境問題等はフィリピンのような国だけでなく、全世界的問題であり、日本も例外ではない。従って、これからの毎日の生活の中で、以上のような問題に対してもっと積極的に活動し、自然保護及び自然復元活動(ビオトープ)にも参加していき、周りの人達にも多いに広めていきたい。

最後に、このような素晴らしい体験と感動を与えてくださった、ロータリーの関係者、現地オイスカOBスタッフ、本当にご苦労なさった白澤・中村両先生には頭の下がる思いです。再びこのような行事で皆様とお会いできる日を夢見て。 『マアヨ マン サラマト! アキタ タア パガサーブ!!』

酒井 美代子                     

私がこのフォーラムに参加した理由は、自然及び国際交流に常々興味を持っていたからである。

実際参加してみると、このフォーラムは年齢・職業・経歴の全く異なる方々の集団であり、平均年令は思っていたよりも上で意外だった。しかも、活動においては、年配の方々のタフさや積極的にコミュニケーションをとっている姿勢には、終始圧倒されると共に良い勉強になった。

全日程、充実しており言葉では言い尽せないが、特に次のことが印象に残る。

1リノアン小学校においては、庭園が美しくアレンジされ管理されている状態には驚いた。生徒たちは 毎日手入れを欠かさないとのこと、このような習慣付けが教育の一貫として行なわれていることに感 動した。校舎は恵まれているとは言えないが、生徒たちの瞳や元気な声にこの国の将来を見る思いが した。ブカル村、ブカル小学校、マイニット小学校、マナット小学校等行く場所場所で盛大な歓迎を 受け、私達に対する友好的な態度を嬉しく思った。

2表敬訪問においては、日本語で挨拶をしたナブントランの町長をはじめすべての現地の方々が、片言 の日本語で話し掛けてくれた。これは、地道な活動に対する信頼と期待であり並みではないものを感 じた。

3植林活動においては、体力的にはまだ余力を残す程度のものであった。しかし、50度の山の斜面を スコップ1本、竹棒3本、苗木3本を左手に抱え、鉄のロープを右手で掴んで目的地まで降下したり、 マングローブを海水に腰まで浸かり(人によっては膝くらいかもしれないが、短足のためか?)植林 するなど、変化に富むものであった。この後を、現地の人達がしっかりと世話してくれるとのことで 安心した。反面このようなことをしなければならない程伐採が行なわれてしまった現実を知り、自然 の大切さ、そして自然の復元の難しさを痛感した。

4研修センターにおいては、現地庶民に近い生活体験ができた。これは、このフォーラムのハイライト といえる貴重な体験であった。おそらく、あの研修センターはその地域では最高の建物であると思う。 にも拘らず日本の普通では考えられないレベルのものであった。しかし、やはり現地の方々の温かい もてなしや、のどかな牛・鶏の様子を見ると、どちらの生活がより人間らしいのか考えさせられた。

反対にロータリークラブの歓迎会では豊かな国フィリピンを知り、この国の両極を見る思いがした。 だが、人々は貧しい者富める者に関係なく常に友好的であり、気持ちが軽くなった。

以上が感想であるが、この国の発展を支援する意味で、解決しなければならない問題点も多くあることを感じた。近代化と環境保全の中で私が思いついたものを一点あげるとすれば、それは「教育」といえるだろう。なぜなら、教育が国を作るすべての基礎であり、意識を高揚し変革していくものと考えるからである。その意味で、「子供の森」計画は非常に意義深いものと思われる。そこから環境、衛生、住居、職場等、自分たちの問題を自分たちの力で考え、発展させていくことができると思う。それが何年後か分からないが、その時こそ、再びこの地に行ってみたい。フィリピンの人達すべてが、現地OBのようになっていてくれることを願う。

終わりに、今回この植林フォーラムに参加する機会を与えて下さったすべての皆様に感謝し、お礼申し上げます。

笠原 敏彦 

8月21日〜8月28日までの植林フォーラムも無事終了予定(機内にて)。

私は今回初めて、植林フォーラムに参加させていただいたわけですが、フィリピン国の諸事情はある程度理解いたしておりました。しかし、ボランティアとしては初めて入国いたしました。

此のフォーラムに参加させて頂いた動機は、第一に現在の日本国が他国に対しての協力にいくつかの疑問をいだいておりました。東南アジアに出掛ける機会が多々ありましたのでいつも現地で感じていたのは、金、物質的なものだけの協力で良いのだろうかと思うことでした。

人的協力がもっとも必要ではないでしょうか。子供たちへの教育問題、大人たちへの生活に対する考え方等、人々が現地へ出向しての指導が必要ではないでしょうか。今後若い方たちが積極的に現地指導に当たってもらいたいものです。

それにはやはり日本政府の彼らに対する、もっと積極的な支援が必要ではないでしょうか。現在の日本政府のやり方では、いくら大金を出しても現地の方々の生活向上は100%無いでしょう。

フィリピンの私の友達が、「どうして日本人は金持ちになったのか。」と単純な質問をしてきました。私は「日本人はいつも先を見て物事を考えている。あなたたちは目先のことばかり考えているだろう。」と答えました。でもそれは現在のフィリピンの人たちにはとても考えられないことではないでしょうか。

今の大人に対しての考え方を変えさせるのはとても無理だと思われます。やはり子供たちに教育をしっかりさせ、10年先、20年先を期待する以外にないような気がいたします。

さて、今回フォーラムに参加させて頂き感じましたことは、正直言いまして、今日食べる物もない現地の人々が長い年月のかかる植林に関心をもってくれるかどうかということでした。ある村人に私が、「あなたも木を植えるのか。」と尋ねたところ、「ああ、日本人が植えるからいいよ。」と笑って答えました。

やはり子供たちに期待するより仕方ないのでしょうか。しかしこの難しい問題に取り組んでいる人々には本当に感心いたしました。

又、行く先々でのセレモニーでたくさんの食物、飲み物を出してくれるのは有り難いことではありますが、食べながら私はいつも後にいる子供たちが気になって仕方ありませんでした。

栄養不良で大人になっても歯の生えてこない人々を私は沢山知っています。こちらのスタイルである事は知っていますが本当に心苦しい気持ちがいたしました。

団体行動は、私にとってあまり得意ではありませんが今後、プライベートあるいは、フォーラムでダバオに行くことがありましたら必ず自分の植えた木の成長を見たいと思っています。

このようなプランを立てる方は、大変だとは思いますが、年2回くらいあったらもっと成果が上がるのではないでしょうか。私もこれを機に植林だけでなくいろいろな面でのボランティア的協力を出来るだけさせていただこうと思っておりますので宜しくお願いいたします。

西原 久雄 

今回は15才の息子と参加させていただきました。私は何回も来てフィリピンのことは知っている心積もりです。フィリピンへ来ていつも思うことは、この貧しい子供達に何か手助けになる事はないかと云う事でした。貧しい子供たちを見るたびにこの子は朝食を食べただろうか?雨が降ったらどうするのだろうか?夕方は何を食べるのだろうか?と思う時、本当に心が痛みます。そんな子に会うたびに幾らかのお金をあげているのですが、ほんの気休めにしかなりません。そんなおり、植林フォーラムの記事を見て、こんな形での手助けもあるのだなあと思い、参加させて頂きました。

三田さんの云われた様に、これはすぐ結果のでる仕事ではない、気の長い仕事だと思います。大きな目で見てこれは誰かがやらねばならない事だとつくづく痛感致しました。今の日本の人達は利己主義の人が多いと思います。もちろん自分もそうです。また、そうしなければ日本では生きていけないのも淋しいことだと思います。でもこのような企画を通じて一人でも多くの人が大きな目を持ってくれればいいなと思います。私も息子も、今回の企画に参加して大変良かったと思っております。

これを機に、思いやりのある大きな目の人間になってくれる事を親としてのぞむのであります。これから私も私なりにできるだけの奉仕をさせて頂く心積もりです。

私にも2才になる女の子がいます。フィリピンの学校を訪問して1年生の子供を見た時に、その子達の生活を知っているだけに自分の子と置き換えて考えて胸が熱くなる思いでした。せめて食事だけでも満足に食べられる様にしてあげたいと思うのです。

このような企画、年に1回でなくせめて2回はと思うのは私だけでしょうか?もっともっと多くの人に参加して頂いてほしいと思います。

反省会もただの意見だけでなく、どうしたらもっと植林できるとか、どうしたら地元の貧しい人達を助けられるのか、意見を聞きたかった。山に木がないから木を植える、100人が100人素晴らしいというでしょう。

『誰の山?他人・国。』  『苗木代は?自分持ち。』  『日当は?ナシ。』

明日の食事の心配している農民ができる訳ないと思う。ではどうするのか、と云う事を真剣に話し合ってみたかった。たとえば、車で幾ら走っても野菜にあった事がない。どうして作らないのかなー。答え 食べないから。

何だかんだと云ってもこれは誰かがやらなければならない仕事だから、頑張ってください。

水野 修治 

今回の植林フォーラムには、熱帯林の減少、地球の大気や気象環境の変化が重大な関心事となっている中で、実際に熱帯林の現状を視察したいと思い参加しました。8日間という短い期間でフィリピンの国土、森、人々を通じて、環境問題、国際協力等について考える機会を得られたことは、私にとって大変有意義な体験となりました。

このフオーラムに参加して最も印象に残ったものは、やはりフィリピンの山々です。山には、ヤシ、バナナ、少し険しい斜面には細い雑木と草本植物があるだけで、私が熱帯を想像した時に頭に浮かぶ大木は存在しませんでした。山にあった大木はほとんど伐採され、その多くが日本に輸出されたことを聞き、このフィリピンの森の現状が日本に住んでいる私達の豊かさの裏側だと思うと恥ずかしく、後ろめたい気持ちになりました。そして、「私達にも何かできることはないのか」そんな気持ちにも自然にさせられました。普段の生活の中で、いくつか環境保護のために私にもできることを見付け、実行していきたいと思います。

次に、今日までの活動にも敬服しました。単なる技術や金銭の協力ではなく、研修センターで現地の人と共に暮らし、何をして欲しいのか話し合いながら援助をしていく。また、日本人と現地の人が協力して植林活動をすることにより、現地の人に森林保全の意識を啓発する。子供の森計画でも幼い頃から、子供の心の中に森を大切にする気持ちを植え付ける。など、本当にその活動の素晴らしさに驚き、これまでの苦労は並大抵のものではなかっただろうと感じました。これまで、国際協力というと、物や技術の援助を考えてしまいがちでしたが、大切なのはまず、意識の改革であることを痛切に感じました。 今後も、この経験を生かし、一人でも多くの人にこのような現状と問題について理解してもらうよう、努力していきたいと思います。色々とありがとうございました。

鈴木 利行 

今回、この7泊8日の植林フォーラムについて私が感じたことを書いてみたいと思います。

まず、植林に関して思ったことは、これは植林ではなく”記念植樹”だなと思いました。日本でもよく、国や県が主催する植樹祭というものがあります。

これは、木を植えるという事と同時に一般の人達に、緑の大切さを理解してもらおうという目的で行ないます。そして、植林というものは、山に木を植えるというそれ自体を目的としたものです。このフォーラムは、最初、植林をしに行くものだと私は思っていました。しかし、これが記念植樹だということがわかってきて少しとまどいを感じました。こんなにゆっくり植えているよりも、早くフィリピンの山々に緑を取り戻すために、林業関係者のみで当地に来て、月何ha植林をするとかそのようにやっていけばよいとも思いました。

でもこのフォーラムには“国際親善”というもう一つの目的もあるということが解ってきて、このような植林もあるのだなと思いました。私自身この”国際親善”というものをテレビや新聞でしか見聞きしたことがありませんでした。実際に向こうの子供たちと木を植えていくと、少しずつこの言葉を実感することができました。

そして、フィリピンの人々の生活や考え方などが解ってくると何か親近感のようなものもわいてきました。これは私にとって大収穫でした。そしてわたしの人生観をゆさぶる存在にもなっていきました。私は今まで27年間生きてきて、いったい何をしてきたのだろう、何の為に生きているのだろう、帰りの飛行機の中でこんなことばかりを考えていました。

あのフィリピンの人達は”生きる”こと自体が人生の目的なのです。確固とした目的を持って生きているのです。多少心の中にあったフィリピンという国の悪いイメージもまったくなくなってしまいました。本当にすばらしい人達だと心から思いました。

いま27才の私にとって、この7泊8日の夢のような日々は一生忘れることはないでしょう。そして感じたこと、思ったことをこれからの人生に生かしていきたいと思います。

ロータリー・オイスカの皆さん、本当にありがとうございました。これからもお体に気をつけて頑張ってください。

小泉 博 

私がこのフォーラムに参加することになったのは、韮崎ロータリークラブからお話があったからですが、それまではオイスカの存在も知らず、環境問題についても深く考えたことはありませんでした。

私の住んでいる所は、どちらを見ても、木がうっそうと生い茂る山ばかりで、植林の必要性など感じたことはありませんでした。出発前にそれらのことについて勉強しましたが、実際の状況は、想像をはるかに上回るものでした。植林をし、小学校を訪問し、貴重な体験をしましたが、このことを体験に終わらせずぜひ継続させたいと思います。

また、使い古したボールペンやバットがあれほどまでに喜ばれるとは思いませんでした。実際に日本において、集めている時は、使い古しをもらっても喜ばないのではないか、とか、新しいものを集めたらどうかなどの意見も聞かれました。しかし、あの場面を見ると、自分が物を粗末にしすぎていることを実感します。

フィリピンの小学校には道具が一つも見当らないのにも驚きました。ブランコやシーソーなどがないのはなぜなのでしょうか? 子供たちの為にそれらの遊具を作ってあげるのも良いのではないかと思います。

最後になりますが、このフォーラムに参加して、本当の意味で世界に目をむけることができたような気がします。これからは言葉ではなく、行動によって国際協力を行なっていきたいと思います。

ロータリアン・オイスカのスタッフの方々に深く感謝いたします。

森 寛史 

自分にとって初めての海外、そして初めての飛行機、それが今回参加した植林フォーラムでした。出発まで、というよりフィリピンに着くまで、やはりちょっと不安でした。

初めての海外、外人ばかりの辺りに目をきょろきょろさせながらもバスはホテルに向かい、それから一週間のフィリピン生活が始まりました。植林ということでこのイベントに参加はしたものの、実際フィリピンや他の国々で、どの程度緑が失われているかということは、まったく把握していませんでした。建築用、製紙用など様々な形で、普段常に身の回りに使われているということを皆忘れてしまっているのかも知れません。しかし、実際フィリピンにいってみて山を見ても、ちょっと離れて見ると山には緑がいっぱいです。でも、その大部分が雑草ということを聞き、びっくりしました。

このようなイベントは、1回・2回やって、元の緑が取り戻せるわけではありません。一本の木が育つには、何年もかかります。毎年、毎年、そうは行かなくても何回も、何回も行なって、その積み重ねが今まで大量に失われてきたものを取り戻せる結果となると思います。大げさに言えば、親から子、子から孫へといったように、次の世代、そのまた次の世代へと受け継いでいってほしいものです。

鈴木 智志  

ぼくは昨年のタイ国植林フォーラムにひき続き2回目の植林フォーラムの参加となりました。昨年は先生に誘われて参加したけれど、今年は昨年のフォーラムの楽しさが忘れられず自主的に参加しました。8日間という短い期間のうち、植林をしたのはたった4日間でした。僕自身ではもう少し植林をしても良かったと思っています。

今、フィリピンでは雨期でしたが、植林作業中にスコールが降らなかったのは幸運でした。昨年は作業中にいきなり雨が降ってきて、みな上から下までびっしょりになりながらやったからです。植林地では、タイと同様に焼畑がしてありました。国は違っても、やることは似ているなと思いました。

植林地は日に日に違い、1日目がオイスカ研修センター近くの林の平地で、あまり広くなかったのであっという間に終わってしまいました。2日目は各小学校へ訪問し、子供の森計画ということで小学校の裏の広場などへ、囲いを作り、木を植え、子供たちが毎日世話をするとのことでした。そこで各小学校、たくさんの子供たちと一緒にやったので、一人一本植えるぐらいで終わってしまいました。3日目は、マコの役場近くの山の斜面で行なわれました。その日は太陽がよく出ていてとても熱い植林となりました。4日目は、アラウヤ村の浜辺でやりました。打合せと違い満潮の海で、ひざまで水に浸かりながらやりました。植林が終わったりすると、そこの村で私達をお菓子やジュースなどでもてなしてくれました。植林が終わった後でも子供たちがたくさんよってきてくれて、一緒に写真をとったりあめ玉を配ったりして仲良くなりました。

4日間という短い間でも、たいしたミスもなく、みな無事にやってこれたのもロータリーの人々、オイスカの人々、そして参加者全員の熱意の賜物だと思います。学生生活最後の夏休みにこんなすばらしい体験をさせて頂いてとてもうれしく思います。また、この植林フォーラムに参加する機会があったら、ぜひ3度目、4度目とすばらしい体験をしたいと思います。

橋本 仁志
“日本人に生まれて、日本人として”

私は、フィリピンの貧しさはある程度理解しているつもりでした。しかし、それは私の予想をはるかに上回るものでした。とくに、小学校を訪問したとき私は、あのような使い古しをあげたところで果たして彼らが喜ぶのであろうか、それよりも寄付をつのって新しいものをあげたほうが良いのでは、と疑問と不安を抱いていました。しかし、いざ渡してみると子供たちは、まるで悲鳴のような歓喜の声をあげ大喜びしているではありませんか。わたしは自然と不思議な感覚とともに自分への腹立たしさにつつまれました。                  『我々は今のままでよいのだろうか…?』

私は、今まで何不自由なく育ってきました。物心ついたときからテレビは光り、熱い湯に浸かり、柔らかな布団に体を埋める。日本人に生まれて、とても楽な生活を送り…、しかしそのようなことで良いのでしょうか。彼らにもこのような生活をする権利はあると思います。安楽な生活をしている一日本人として彼らが少しでもそのような生活に近付けるよう願うと共に少しでも手助けができれば…と思うこの頃です。

話は変わり個人的な考えですが、文明の発達は頭脳の進化であり、それと共に肉体の退化である、と私は考えます。私達はすでに近代文明の利器なしでは生きていけません。三日と、いえ一日とかからず気が狂いそうになるでしょう。          『はたして本当に幸せなのは…。』

志田 慎之介 

ぼくは、外国へ行くのは初めてだった。しかも、それがフィリピンで、遊びにいくのではなく、木を植えに来た。毎晩のようにパーティーをやり、疲れる一つの原因となったような気がした。植林は3日目から始まった。植えるところは研修センターからすぐ近くの所でやった。その日は日差しが強くて、木を一本植えるのに汗がどろどろ出てくる程だった。それでも10本ほど植えた。午前中で終わり、午後からは村見学をした。馬ではなく牛に乗せてもらった。持つところがなんにもなく乗りにくかったけど楽しかった。

4日目は子供の森実施校へ行き、子供たちと木を植えた。木を植えて子供たちにあめなどをあげると子供たちがいっぱい寄ってきた。でもその子供たちを見ていると、貧しさが頭に浮かんでくるような感じだった。

5日目はマコという町へ行き植林をした。そこはすごい急斜面だったので、僕はやりがいがあるなと、今まで植林をしている中で初めて思った。その日はすごく疲れた。

6日目は、マングローブを植えに行ったんだけど、干潮と満潮をまちがえたので少ししか植えれなくて残念だった。インシュラーホテルは、フィリピンにあると思えないほどいい所だった。その日の夜の反省会で一人一言ずつ言葉をいっていった。

7日目は、セブへ戻った。自由時間の時、おじさんちと、SMデパートへ行った。フィリピンにあるとは思えないくらい大きかった。その日の夜はもう一つのグループのヌエバビスカヤ班といっしょに反省会をやった。

8日目は帰った。1週間楽しくすごせてよかった。

西原 潤 

今回、父と参加しました。父は、わがままに育った僕にフィリピンの貧しさを見せたくてこのツアーに参加させたのです。

僕は初めてフィリピンに行きバスに乗り、窓から外の様子を見たら、鳥小屋みたいな家があってこれに人が住んでいるのかと思いました。

つぎに、オイスカダバオ研修センターへ一泊したときMOLAVEホテルでねるよりセンターでねた方がいいと思いました。なぜかと言うとMOLAVEホテルより部屋が大きいからです。あと、外にはホタルがちらほら飛んでいて朝には鳥の声とともに起きてすごくいいなあと思いました。

また、植林でフィリピンのダバオヘ行く機会があったらぜひ参加したいと思います。

市川 智子 

フィリピンに着いたその日から、私達は「お客さま」として大歓迎を受けた。でも、私はそんな歓迎を受ける資格が自分には無かったのではと感じていた。

植林第1日目、私は情けないことに体調を崩し、現地の方にずいぶん心配をかけてしまった。二日目にしても万全ではなく、三日目のMACOの植林に至っては坂をおり、自分の体を安定させておくのに必死で、ただ苗木を穴に入れ、土をかけるだけだった。そんな風に、ロータリアンの方々や、現地の方々の足手まといにしかならない自分が無性に情けなかった。

いつも頭の中には「一体何の為にきたのだろうか?何をしにきたのだろうか?」という気持ちがあって、それでも歓迎してくれて友達になってくれた人達に対して、なんともいえない罪悪感がこみあげてきた。反省会の席で「子供たちに『なぜ日本なんて遠い所からわざわざ木を植えにきたのか』というふうに尋ねられた。」という話がでたけれど、私自身もしそう聞かれたら、ちゃんと答えられる絶対の自信があるとはいえない。

全行程を終えた今にしても、そのことに何らかわりはないけれど、「木を植えるのではなく、交流を植えにきた。」という言葉と、「こんな田舎の小さな学校に貴方達がわざわざ来てくれたことは一生忘れない。」という仲良くなった “ Linoan Elem.School ”の先生の言葉が、私の気持ちをとても楽にしてくれた。その先生のその言葉を聞いた時、初めて「来ることができて良かった。」と罪悪感も何もかも抜きにして、感じることができた。

今回、目的は植林であったけれど、現地のロータリアンの方々や小学校の先生方、子供達と日本の友達と同じように笑顔で話すことができ、お互いをほんの少しかもしれないけれど理解することができたことが、何より一番の収穫であったと思っている。他にも日本の生活ではわからなかった様々なことを一週間という短い時間の中で学ぶことができた。それらのことを私は一生忘れることはないと思っている。できることならばこれから先、何回でもまた「植林フォーラム」に参加したいと思う。

松元 晶子 

今回、このフィリピンの植林フォーラムに参加して、私にとっては、とてもいい経験になりました。私が参加した理由といえば、アジアに興味があったこと、そして将来の仕事できっとプラスになるだろう、ということでした。

実際フィリピンにきて、思ったより発展していることに驚きましたが、セブからダバオに行き、生活の違いというものを感じました。ダバオは私がイメージしていたフィリピンそのものでした。またダバオは、多くの出会いがあった思い出深い地となりました。

私が感動したのはフィリピンの温かい歓迎です。特に、子供たちの歓迎は本当にうれしいものでした。初めは、日本人を見て“何だろう?”という感じで恐がっていても、話していくうちに、とても仲の良い友達になっていけたことに、日本人の子供との違いを感じました。正直言って、私は日本人よりもフィリピンの人達の方が好きです。このフォーラムで会った方々、友人とは本当にいい人達ばかりですが、フィリピンの気質そのものに親しみを感じました。

植林活動に関していえば、フィリピンの人々、現地のスタッフの方々が事前に穴を掘って、苗を育ててくださって、それを私達が植えるということに少し矛盾を感じました。私達には8日間という短い時間しかないことを考えると、仕方が無いことなのでしょうが、ただ植えるだけなのに、こんなに歓迎される資格なんて無いのではと思いました。

また、小学校を次々に回り、中にはただ握手だけですませた所もありましたが、虚しさを感じました。もっとじっくりと交流できなかったのか、という思いで一杯です。本当に心から歓迎してくれた人々に対して申し訳ないのが食事でした。

心の整理が着いてないので、何を書いているのかよくわかりませんが、気持ち的にこの8日間で自分が大きく変わったような気がします。これから、自分がどうすべきなのかじっくりと考え直してみようと思っています。本当にこのフォーラムに参加して、良かったと思います。

川野 めぐみ 

山梨に帰り一週間ぶりに見る山は一段と緑が濃く感じられました。フィリピンの子供達にもこの山を見せてあげたいです。

実際、現地の木の少なくなった山を見て、ここにあった多くは日本人が持って行ってしまったこと、今私たちが住んでいる家などもきっとそうだろうという話を聞き、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

お金さえあれば何でも手に入る生活の裏で見失っていた現実を初めて突き付けられたような気がします。人間の手によってひどく荒らされた山を目の前に、気づいた者が今すぐに行動しなければ地球上の緑はすぐになくなってしまう恐ろしさを感じました。

植林地へ行くと日本の旗を持った小学生や楽器の演奏で迎えられました。暑い中での作業や体調のことなど沢山あった不安も行く先々のあたたかい歓迎に吹き飛んでしまったようで、現地の方と一緒に過ごせることがとても楽しかったです。

パシアン村の小学校を見学した時、2人の女の子に案内をしてもらいました。フィリピンの子供達はとても恥ずかしがり屋です。小さい声で『一番好きな授業は英語』と話してくれました。

次の朝、2人が私の名前を呼びながら研修センターまで会いに来てくれました。『今日もここに泊まるの?』と聞かれたのでもう帰ってしまうことを言うと『何か手伝わせて』と私の持っていた荷物をみんなバスまで運んでくれたのです。もっといろんな話が聞きたかったのですが時間のないのが残念でした。写真を送るから手紙ちょうだいねと約束してきました。また会いに行きます、木を大事にしてね。ということなどを書いて送りたいと思います。子供達が木を見るたびに私たちのことを思い出して大切に育ててくれることを願っています。そしてこれからもこの出合いを大切にしていきたいです。

ガイドさんがフィリピンの人々の考え方についておもしろい話をしてくれました。

『フィリピンの人はとてものんびりしている。雨が降れば工事は中止、今日の仕事がはやく終わったとしても明日の分をすることは絶対にない。なぜかといったら、もしかしたら今日死んでしまうかもしれないのに明日の仕事なんかしたらその分の給料はどうなるの。今を楽しく生きればいい。それでいいんだよ。』と言っていました。

日本では決して通らない考え方ですが少しうらやましい気もします。しかし、こんなこともあるようです。例えば、建物をたてる時など仕上がる日の見当がつかなかったり、目安があったとしてもそれより早く仕上がることはないんだということも話してくれました。この話一つにしても生活のリズムや価値観のちがう中、国と国とで何かをやろうとすることはとても大変なことです。それでも現地で汗を流し努力している方々の姿に触れ、私にとって今までの生活を考え直し、これから出来る事を見つける良い機会となった一週間だったと思います。行動する人間になっていきたいです。

このような機会を与えてくださった皆様、期間中お世話になった多くの方々に感謝したいと思います。どうもありがとうございました。

浅野 雅美 

フィリピンの田舎にはいたるところに動物がいました。犬、猫、水牛などが放し飼いにされているのです。私はペットと言うと、特に犬ですが、鎖につながれたイメージがあり、首輪もしていない、やせた犬達を見て、最初は「貧しいなあ」と考えていました。

でも、そのうちに考えが変わりました。ここでは、動物は人間に飼われるわけではなく、人間と一緒に生きているんじゃないかと考えるようになりました。ここの犬達は、人間のあげたものを食べているのは見たこともないし、野良犬みたいにごみとかをあさっているようです。でも、ここの犬達は人達といっしょでのんびりと生活していて、私たちを恐がって、吠えたりはしません。私は、人がいて、動物のいるフィリピンの田舎の風景が大好きになりました。

インシュラーホテルにいった時、大きな鳥篭に白いインコがいました。それは、ただ篭の中を動き回るだけでした。きっと死ぬまでずっと篭のなかにいるでしょう。そのきれいなインコたちが私たちには悲しく思えました。フィリピンの動物たちが、本当に動物らしいのではないかと思います。野性とは違いますが、日本のように狭いところにおしこめられることなく、とてものんびりしていました。

すべてがゆっくりとしていたように思えます。そんなところがとても好きになりました。いつか何年後かにまたフィリピンを訪れたいです。

高山 眞美 

フィリピン国植林フォーラムに参加して、初日から体の調子が悪くなり皆さんに迷惑をかけてしまいました。

ダバオに着き、私は驚きました。同じ人間が住む家なのにこんなにも違うのかととか(木のようなものでできていたので)、信号機もなく、空気が悪く、こんなので実際生活していることに驚きました。 私は日本に生まれてとても幸せです。植林活動では実際のところ、みんなと同じように何十本も植えることはできなかったけど、とても良い経験をしたのではないかと思います。これからフィリピン(ダバオ)に行くかはわからないけど、私の植えた木がちゃんと育ってくれたらいいと思います。

フィリピンの食べ物は、やっぱり口にあうものとあわないものとありました。ドリアンは臭かった!パイナップルとスイカとパンはとてもおいしかったです。

私の贈ったグローブなど、あんなに古いもので喜ばれるとは思ってもみませんでした。大切に使ってくれるといいと思います。

日本に帰ったら、フィリピンの人達に“木”を送ることはできないので、自分たちの日本の“木”を大切にしていこうと思う。               おわり。

石川 さゆり 

初めの方は体の調子が悪く、迷惑をかけてすみませんでした。とても大変な計画でしたが、私にとってとてもいい経験だと思います。子供の時から『地球環境』に対する思いを皆それぞれ持っていて、日本の方は、若い人ほど『地球環境』に対する思いが少なくて、こういうところは日本も学ぶべきだと思いました。私は植林に参加して色々なことを学ぶことができました。日本も森林が減ってきているので考えていかなければならないと思いました。

私たちの生活がどんなにいいものかと思いました。フィリピンの子供たちを見て、かわいそうにも見えた。同じ地球にいるのにこんなにも違うのだと思った。フィリピンの子供には『地球環境』に対する思いを忘れずに、大人になってほしいと思います。日本人は『地球環境』に対する思いをもっと持つべきだと思います。

今まで、いろいろありがとうございました。今度来る機会があったら、もう少し英語を勉強していきたいと思います。