94年 ヌエバビスカヤ班 感想文 抜粋  


ヌエバビスカヤ

ダバオ班感想文

芹沢 良夫 天野 哲 上野 尚志 上野八咫子 村松 朝四
鈴木 勲 村山 潔 中村茂三郎 神宮司由則 塚本 桂次
瀧本 勘治 清水 俊男 若松 清一 正木 寛 佐藤美知子
石原 慎介 新谷 誠 石原 伸一 木村 督 小澤 好生
内藤 敦代 今澤 崇子 海野 恵子 矢島まどか 荻野 梨香
高橋かおり

芹沢 良夫(副団長) 

8月21日〜28日の8日間、現地到着・帰還に2日、セブ集結に1日、正味3日間。構成39人、オイスカの人、ロータリアンと応募ボランティア、年齢は15才〜74才まで、女性11人学生13人、植林経験者12人。植林作業は3日間、毎日車で往復に各1時間、それに開所式、閉所式、慰霊碑参拝で各30分、それを除き、山の往復で毎日1時間、それに若干の休憩があり、正味作業時間僅かであった。しかし私達が植えたのは約12ヘクタ−ル、1万5000本と聞いた。我々39人の他、現地高校生、小学生、毎日約200人の応援があった。皆よく働き、植林は予定以上に進んだ。また子供達との共同作業で親交を深めた。

この植林のためアリタオ町の町長の息子マリオ・ロペス以下オイスカ現地の人々の準備は大したものであった。植える帯の草取り準備だけでも40人で約1ケ月かかったと聞いた。         

この他「子供の森」計画に参加している小学校に各人2ケ所・計5ケ所訪問した。歓迎の式は踊りを含めて大したものであった。また別に、そのための植林もした。  

交流としては、着いた22日の州庁舎でのガバナ−以下とのミ−ティング、その夜のロ−タリ−会長宅の会、25日のさよならパ−ティ−(ガバナ−も参加)とあり、何回となく挨拶を行った。この他2〜3人に分かれての家庭訪問もした。

このヌエバビスカヤは、かつての日米古戦場であり、我々の仲間にも2人の戦った日本兵がおり、慰霊碑2ケ所(キラン峠・バレテ峠)にも行き、話も充分聞いた。途中、腹痛の人も出たが全員山へ登り作業が出来たことは良かったと思っている。

[感 想]

我々もよく働いたが現地の人の協力、歓迎もよかった。

ヌエバ・ビスカヤの山は殆ど木がない禿げ山だった。しかし、これは日本人の伐採のためよりも、前からの結果だったことが多いようだった。

連日夜雨が降り、カンカン照りは少なく最後の日は雨にも降られた。しかし、山登りで汗をかき、汗で目がふさがれて作業がしにくいくらいだった。

田舎の貧しさは目に余った。私の知っているタイ、マレ−シアよりも貧しくマニラの立派さと比較にならなかった。労働者の1日の賃金は50〜100ペソ(200〜400円)と聞いた。ロータリー会長の家と道一つ隔てた作業場の小屋には何もないような狭い所で、労働者が寝起きしていた。

地震、台風の被害の場所も見たが人は共同で直そうとはしていなかった。

ロ−タリ−クラブとの交流は充分に行われた。元RI理事のサビノ・サントス氏は出身地でもあり、前日から来て我々を迎え、パ−ティ−、開所式にも来て下さった。また、帰りのマニラで日本料理屋での交流も行った。他に3770地区のガバナ−、幹事(日比友好協会長)、何人かの会長も来て下さった。 州ガバナー(知事)は学者的で、よく報告を聞き、それを皆にあいさつで伝えてくれた。また、国家警察の兵隊を我々の護衛につけ、植林の前後はパトカー先導サイレンを鳴らして走った。ただ、ガバナーは我々が3日いて働いたのは、2日と錯覚した。それが現地の常識だったのだろう。また、70才以上の人、金のある日本人がボランティアで山へ登って働いたのは彼らの驚きであり、それを皆に強調していた。

我々は過去の不幸な戦いのお返しとして、ある程度のことは出来たと思うし、フィリピンの特に田舎の人々をいかに豊かにするかについて討論もした。やはり産業を興すこと、仕事がないとだめである。金だけ欲しいというのも困る。しかし、フィリピンの人は英語ができ世界に出稼ぎに行って稼いでいるのは注目に値する。私はマニラから7時間もかかる道よりも立派な飛行場を作れば日本人その他の人ももっと来るだろうし産業も興るだろうと州のガバナーにすすめた。

オイスカの現地の人々の努力、実績も立派なものである。一緒の暮らしをしながら働く彼らには敬意を表したい。

それにしても日本人は贅沢になったものである。我々でもホテルに泊まって作業をしただけだった。しかし、若い学生などがこれに目覚めてくれたらよいと思っている。又、フィリピンで式典の度にお祈りし、日比の国歌斉唱があり、国への観念も変わって来ると思っている。私は単なる観光より余程良い。もっと多くの人がこういうツアーに参加すべきだと感じている。

天野 哲 

「植林フォ−ラム」については昨年のタイでの開催についての記事を読んではいたが、さほど身近な差し迫った話としての印象は受けていなかったと思う。

今回、同行取材が決まるまでは私自身、熱帯雨林について詳しい知識を持っていた訳ではなく、あわてて本を何冊か読み、勉強を始めたような次第だ。

実際に行ってみて感じた事は、森林問題は自然問題にとどまらず、社会問題であるということだ。植林活動を行うにも、行政等の安定性が重要であり、また経済基盤が安定していなければ意義を浸透させるのは困難だ。

子供時代「森」や「木」を相手にした遊びを知らなかった人間は不幸ではないだろうか。昆虫を取ったり、木に登ったり、自然と一体となって自らを成長させたという原体験は貴重である。フィリピンの山々が木で覆われ、子供たちが木を仲間に学び、育つ日が来ることを願ってやまない。

当班に限っていえば、過密日程を何とかしてほしかった。はっきり言ってくたびれました。

上野 尚志 

  1. 、参加の動機

実兄が昭和20年6月フィリピンで戦死、今年3月彼岸に50回忌を施行した席で参会された上野庸氏さんより、今回のフォ−ラムの計画を聞き実兄が御迷惑をかけた国に、せめてものつぐないの奉仕をしたかったこと、併せて実兄の霊を慰めたかった。

  1. 、フィリピンの印象
  1. 、今回のフォ−ラムで気づいた事


上野 八咫子 

23日 定時にホテル出発、途中道が分からなくなり警察の先導で忠魂碑にたどりつく。家から用意してきたせん米、菩提寺から頂いてきた小さい搭婆等、線香に火をつけてたむけた時、言い知れぬ悲しみにたえられなかった。人生の最後を終わる時、果たしてどんな思いであったであろう目がしらがあつくなった。

いよいよ待ちに待った植林に向かう。現地に到着してセレモニ−の後、1時間半位植林した。汗が滝のように流れて目にしみて仕方がなかった。ハイスク−ルの生徒に手を引かれ山の斜面を上がり、また下り子供の親切さに涙が出る程嬉しかった。

24日 4班に分かれてジプニ−で出発、昨日と同じハイスク−ルの生徒のお手伝いで作業開始で今日は一番作業時間が長い。午前中の作業で大分疲れているのに目的地の小学校になかなか着かない。やっと到着して迎えてくれる子供達の笑顔を見たら一度に疲れも取れた感じだった。子供全員で「コンニチワ」とあいさつされた時は尊い時間をさいてみんなで練習したのではないかと涙ぐましいやら、嬉しいやら

25日 今日は小学生のお手伝い、3日目ともなるとさすがに足の疲れを感じる。でも一生懸命の子供の姿を見ると励まされる。今日は余り高い所には登らないようにしようと心に決めてきたにもかかわらず、ぐんぐん手を引いて上に引っ張られていまうので、いやでも上へ上へと進む、休憩時間おいしそうにキャラメルをほうばり、無邪気な笑顔を見せる子供たち、思わず頬擦りしてしまった。 

道がぬかるんでいたので、帰りは履いていたサンダルを手に持ってかけおりる子供を眺めた時、我が家の孫を思い出した。この子供達が大きくなった時、大事に育てられた日本の子供と、たくましくどん底の生活から立ち上がろうと努力しているフィリピンの子供と比較して見た時、果たしてどういう差が生じるであろうかと末が案じられてきた。家庭交流はすばらしかった、然し、フィリピンの中では上流家族に属するであろうと思われて、植林の時のあの子供達と比較せざるを得なかった。

只指示に従って動いている私達と違って事務局の方々の御苦労は一方ならぬものがあったと思います。心より感謝申し上げます。

村松 朝四 

第二次世界大戦のフィリピンで昭和20年終戦の年の3月中旬から4月中旬まで、今回の植林が行われたヌエバビスカヤ州アリタオより西南20〓のヌエバビスカヤ州とベンゲット州との州境のテポの町付近に陣を構えておりました。1ケ月間程米軍と戦闘に明け暮れました。4月の中旬に入り「主要都市バギオ危うし至急転進」の命令によりバギオ市防衛に当りました。かつてアリタオは、主要都市バギオへ北のカガヤン平野の穀物を輸送する山下方面軍司令官により造られた、山下道の主要な起点でした。又当時この山岳地帯は大部分が今のような禿げ山でしたが、谷間には処により大きな樹木が密生しており、森林の中では気も心も休まりほっとしたものでした。

図らずも今回植林フォ−ラムに参加して当時を偲び、相も変らない山並に感慨無量を覚えます。戦争中、転進する日本兵は現地の山間民族の食糧で生き延び、どんなにか敗走する兵隊が助かったことでしょうか。しかし、この反面現地の人々には多大な迷惑と多くの犠牲者がありました。又、山々にうっそうとした森林の伐採は戦後の日本の復興と今日の日本の繁栄になったことを思う時、本当にささやかな奉仕ですが、少しでもお役に立てばと思います。又、これはその場限りでなく引き続き実行されますことを願ってやみません。

今地球の現状はスモック、熱帯雨林の激減、オゾン層の破壊又、酸性雨等、もはや環境汚染が放置出来ない深刻な問題となっております、又、この侭の環境悪化は私達の子孫への一層の悪影響を残し取り返しのつかない所まで切迫した問題であると思います。手をこまねくことなく何らかの手をお互いに考え運動の輪を広げ実行しなければなりません。環境保全の重要性、緊急性は全ての人々に深い感心と実践への取り組みの運動を起さなければなりません。この度の植林について若い人達の参加が多かったことは、この意義の認識に力強さを感じます。そして現地での子供達の協力と美しい笑顔はいつまでもいつまでも忘れません。

鈴木 勲 

出かける前の不安と問題が一切解決した想いであり、蒔かぬ種は生えぬの例えの通り、蒔いた種は確実に生え育って居たという喜びと、満足な想いが交錯して居る。

行きの十数年ぶりで見る山肌の荒廃は想像を絶する景観であり、熱帯地方の土壌の荒廃は手の施し様もないスピ−ドで進み、復旧に努力している人間の営みと自然の力との相違点について考えさせられた。ささやかな努力かも知れないが、植林の重要性を改めて身にしみて感じさせられた。

工業も無い、目立った特徴の有るわけでもない僻地、研修で感じ身につけた技術と知識を活かしている元研修生の元気な姿と、開発への熱意と努力を目の当たりにみて言いようのない感慨と満足感を覚える。私達のやってきた事は、決して間違った事ではなく正しい事であった。年と共に時代と共に、1年1年太っていく樹木の様に育っていく事であろう。満足な気持ちであり、また、次の時代の事を彼らの立場に立って真剣に考え、手助けする事が有れば惜しげなき協力をしてやろう。組合の役員にも喜びの報告ができる。

今回のフォーラム全体を通じて、教育の重要性を特に強く感じさせられた。年配者の植林に対する真面目な努力には、強く強く感激させたれた。その半面、1人では行動出来ず何時もグループを作り、無表情、無気力、愚鈍行動には嫌悪を感じ話し掛ける気力も失せた。目を輝かせ、喜び、恥らい、素直な、キビキビした現地の子供達の目にどの様に映ったか彼らの素直な目が恐ろしい気がする。彼らの手本になる様な元気な、やる気のある若者達の参加を望む。高1以上の学年制限が望ましい。年少グループは別の体験プログラムも必要かと思う。新聞の記事による応募の多さも1つの驚きだったし、とても良い事で今後もどんどん記事にしてもらいたいし、大石会長様の配慮に深く敬意を表したい。

村山 潔                                   

フィリピンの森林では、野生のニワトリが林内を飛び交い日の出と共に刻を告げると聞いた。実際には姿も形もなくやっぱり庭の鳥だった。林相は貧弱で河原は荒れ、4日間でわずかに5種類の鳥に出会っただけである。生態系の原点を作る森の重要さを改めて感じた。

中村 茂三郎 

回を重ねるごとに最初の時の大きな感動はだんだん薄れるわけですが、子どもと接する時の澄んだ瞳はいつも私の心を言い様のない清涼感を覚えます。

また自分の植えた木々が成長する楽しさは、自分が植えたものでないとわからないと思いますが、外国のそれはまた別の楽しさがあります。観光旅行ですと帰ってしまえばそれで終わりですが、残してきたものが成長するのですから!

少しずつでも、この国の実情を知れば知る程その難しさも解る様な気がします。同時に「私も本気で飛び込んでみたい、そんな気持ちにかられる時もあります。

ずっと続けての“子供の森計画の成功”を祈ります。

神宮司 由則 

今回の参加は石和RCの環境保全小委員長という立場で自から進んでという事ではありませんでした。そんな事もありまして、恥ずかしい事ですが初日の植林は後の2日・3日目と比べて自分自身でもあまりやらなかった。実に後悔しています。2日目、3日目は自分でもやった方ではないかと思っていますが、それもフィリピンの子供達が私を変えてくれたおかげです。フィリピン人の意識を改革しなければならないと言われていますが、実は今回は私自身が植林を通じて変革させられました。この事は私の友人その他大勢の人達に恥ずかしがらず胸を張って言うつもりです。そういった意味で、単にボランティアだ、植林だと言う事ではなく、私自身の人間改革でした。是非、5年後位には、このメンバーと自分たちが植えた木の生長を見に来たいと思います。−きっと!!!

塚本 桂次 

  1. 太平洋戦争の戦場であった地に、今回は平和の使者として、また一市民として参加できたことをま ず感謝いたします。
  2. 現地の子供たちと直接接触して感じたことは、どの子も初めは恥ずかしがっていたが、植林という 共通の作業を通じて心が通い合うことができたことをひしひしと感じ、涙がこぼれました。

又、盛大な歓迎式典でも温かな気持ちの表明があり、地域の老若男女が参加して歌や踊りの披露、そ して有力者の言葉にも表れていた事は、私たちを勇気付けてくれました。これも関係者の長年の苦労 と確かな成果の結果であり、その方々には頭が下がります。

  1. フィリピンのごく一部を見て断定は出来ませんが、例えば国道5号線沿いには一坪もあるかないか の竹を編んだ家があり、ぬかるみとほこりと騒音・振動のもと、これでも人が住んでいるのかと思う ような家にも、通るものをじっと見ている目があった。この人達は何を考え、どうしようとしている のか、将来もこんな状態のままなのか−−−釈然としないものを感じました。

反面、広い家と庭に住み電気を使っている家庭もあって、極端な差がなぜ生じているのか、社会の ゆがみを感じました。

それから、都市の景観も無秩序に見え、例えば道路のほこり、建築放棄のような建物、粗末な家に コカコ−ラの看板、交通の混雑等々、雑然とした感じをもつが、この国の人にはそれなりの価値観と 計画があって、一歩ずつ進んできたと思うので、日本の民度では判断しては行けないのだと、自分に 納得させねばならなかった。

  1. 外国の人と交流するには、まずその国の言葉を話せなければならない、という事を痛感しました。 錆び付いた英語でしか人々と接触出来なかったことを反省しながらも、真心をもって接触すればその 意が通ずる事もわかりました。

また、相手が私たち一人一人を尊重して相手をしてくれるのに、私個人としての確固たる考え、気 持ちをもっと自由に伝えられたら、と思いました。

  1. 社交場のような、盛大過ぎるレセプションに何回も付き合わされるのは考えさせられました。その 費用を活動そのものにもっと振り向ける様にして頂きたい。

瀧本 勘治 

〔感じたままを−−〕

1、知事、ロ−タリー等の人達の歓迎には驚きました。

2、この計画を立てた人達の努力に感謝します。

3、各小学校での歓迎ぶりも驚き。

(国歌を外国で歌うなんてことは、オリンピック選手の様でした。)

4、三日間山での植林は少しつらかったが、学生との会話(話はどこまで通じたかわからないが)が大 変頭の中に残っています。子供達はしきりに話してくるが意味が分からない事が多い。しかし、日本 語でも通じるような気がしました。あの子供たちは私たちをどのように感じたか?植林の大切さを少 しでも感じてくれればと思います。

5、農村での家々の様子、また稲刈り、田植えが同時期に行われていることに驚きました。

6、池田さんロペスさん他の皆さんに大変お世話になりました。池田さん達の為にも多くの人達にこの 体験談を話したいと思います。賛同してくれる人は多いと考えます。沢井さん、ありがとうございま した。    書きたいことは数々ありますが、これで━━━

清水 俊男 

このような植林フォーラムに参加できてほんとうに幸運に思いました。想像以上の出来事ばかりで感激でいっぱいです。感激などという言葉は主催者の方々や現地の人達からお叱りを受けるかも知れませんが私にとっては正直な気持ちです。

まず第一はフィリピンという国を実際に見聞できた事。美しい人々に会えた事。元気な子供達と話した事。貧富の差に唖然とした事。また見事に木の無い山々。土砂による災害を受けた村や道路、および橋。のんびりとした復旧風景にはショックを受けました。

今後フィリピンが発展していくためには、やはり安定した自然環境をととのえていく事が基本になっていくと思います。韓国のセマウル運動や他の国々の緑化運動のようにフィリピンにも国自体みずから緑化に取り組む方向になればきっとすばらしい結果が得られると思う次第です。

最後にロータリー、オイスカの方々の努力と今回のお世話いただいた事に感謝いたします。ほんとうにありがとうございました。又同じメンバーの方々と楽しくやらさせて頂きありがとうございました。

若松 清一 

今回のフォーラムに対して、長年築き上げてきた関係者の努力と事務局のご苦労に深く感謝致します。

大変充実した日々を送らせて頂き、何と御礼を申し上げてよいのか言葉も見つかりません。今回参加する際に国際協力とか云う格好の良さだけに気をとられていた自分が大変小さく思えました。その中でも大きな収穫はただ植林の大切さだけでなく、その地域の生活基盤づくりも大変重要である事、またフィリピン政府自体の対応、足下の日本はどうなのか、自分の地域の現状はどうなのか等、様々な課題が見えたこと、今回何をどの様に、自分自身が進んで行ったら良いのか等色々な事が見えて来たことです。 今回の学びをよく整理して今後の方向性を自分なりに明確化して行きたいと思います。 要望もありまして、スケジュール自体大変気を使って頂いている事は良く感じられるのですが、もっと徹底した植林をしても良かったと思います。半日3日間では多少物足らないような気がしました。

また参加される学生に対しては、色々ご苦労もあったかと思いますが、受け入れた以上は教育もかねて、面倒を見るのが当然かと思いますし、班の編成ももっと混成にしてやれば良かったかなと思います。今後のロータリー、オイスカの地についた幅広い活動に期待し感想文と致します。

正木 寛 

今回の植林フォーラムに参加して感じたことは、人間は永久に自然と共存していかなくてはいけないということである。人間が快適な生活を送る為には多少の犠牲は仕方がない。しかし木材資源に関して言えば、日本では紙、箸、建築用資材等たくさんの木材を消費している。確かに有効に使用されている部分もあるが、紙の無駄遣いや、割り箸の大量消費などが非常に目立つ。このしわ寄せが木材の大量伐採による環境の変化をもたらし、ひいては我々の将来を危ういものにしていくのである。真に深刻な問題である。

しかしこの重大な問題をロータリー、オイスカは真剣に受け止めて植林活動の推進、日本人の国際貢献を前向きに考え活動していることに対しては誠に喜ばしいことである。確かに金銭などによる経済援助も必要であろう。しかし何よりも必要な事は、我々先進国の日本人が自らの体、心で発展途上国の人々に協力していくことではないだろうか。今後のロータリー、オイスカの活動を期待しています。

佐藤 美知子 

新聞でこの記事が目に止まったのがフォ−ラムに参加するきっかけでした。私には海外旅行に出かける余裕はありませんが、この植林フォ−ラムには是非参加したいと思いました。何かとても良い体験ができると感じたからです。いま、資源の再利用が叫ばれていますが、私も周りの者も牛乳パックの収集に協力しています。少しでも材木を切らずに済むのではという心掛けからですが、生活の中で色々矛盾していることがあることにも気が付きます。

ヌエバビスカヤ植林に参加して、世の中には色々な人達がいて、地味な活動を黙々と行っているのだととても感動しました。

ヌエバビスカヤの皆さん、特に子供達と共にとても楽しい一時をすごす事ができたことを幸運に思います。私の人生の中で忘れる事のできない良い体験(思い出)となりました。全く私の期待通りでした。そして特に感じた事は、言葉が通じなくても国が違っていても気持ちは通じるものだと、又ひとつになるものだと。

《三日目の植林の時》

子供達と休憩時間に地図を広げて場所を確認していたら、兵隊さん?が近づいてきて「地図を貸してごらん、この辺だよ」というふうに教えて(英会話でだいたいそう言っている様だ)くれ、仲間に入って来たのです。私が思うのには、3日間植林の様子を見ていて、自分たちも一緒に加わりたくなったのだと思いました。そして写真を撮ったり、ジェスチャーで会話したり、私も単語だけで話したり。休憩が終り作業開始、少しして気が付くとすぐ下で一人の子供が穴を掘ろうとしていたら、兵隊さんが2人近づいて来て、子供達からトンガを取って一生懸命穴を掘り始めました。もう一人の兵隊さんも近づいてきて他の方へ、穴を掘って、木を植え始めたのでした。とても良い光景でした。人の心を動かすってこんな事を言うんでしょうね。

ひとつ気がかりな事があります。ガーデンパレスホテルに泊まった朝、フィルムを買いに町のお店に入ったのですが、私の洋服の裾を引っ張るので下を向くと4歳位の女の子がお金ちょうだいとジェスチャーで言っているのです。私はどうしていいのかわからず外に出たのですが、いまになっても頭から離れず、あの時お金をあげれば良かったのかと気になってしょうがありません。あの小さな女の子の事が忘れられないのです。どうすれば良かったのでしょう。

沢井さん、池田さん、マリオさん、他の方々、色々お世話さまでした。皆様のご活躍とご健康をお祈りします。

石原 慎介 

フィリピンの植林に参加して色々ありましたが、百分は一見にしかずと言う様に実際に体験しないとわからないものだと思います。俺は植林を通してフィリピンの生活、現地の人との交流、国特有の文化はとても大切だと思います。過去の戦争の傷跡は両国にとっても悲しい事実です。日本人はフィリピンの為ともいいますが、環境破壊に国境はないので様々な問題は自身の考え方、現地の人の考え方に問題が有ると思います。

そしてフィリピン人にも金を日本人から少しでも多く取ることの他にまず自然の大切さを理解させる事と働く事の大切さ、すばらしさを知ってもらわなければならないと思います。

全体を通じてヌエバビスカヤ班はまず成功といえるでしょう。

参加する人も半信半疑で応募するケ−スが多いと思うので観光はともかく植林をいかに有意義に行えるかを考えてプランして下さい。

この植林ツアーも数多くの人の努力と経験でここまでに至ったと思います。そして一緒に汗を流して働いた仲間は本当に良いものでした。時間的に余り余裕は有りませんが又機会を狙って参加したいと思います。どうもありがとうございました。そして頑張って下さい。

新谷 誠 

この植林には上は70代の戦争を体験した事のある高齢の人から、私のような何の予備知識のない若輩者まで幅広い範囲の人達が「植林」というテーマに向かって心をひとつにし、一生懸命取り組んだ。本当のことを言うとフィリピンに来る前の私の心は半分遊び気分でありました。しかしいま、飛行機に揺られ長くこの文を作文している私の心はフィリピン国を思う気持ちと全世界の恒久の平和を願う気持ちで胸がいっぱいです。

短い滞在期間で私の心が変わったきっかけは子供達の愛らしい笑顔に有りました。子供達が地球の模型を囲んで、それぞれの伝統的な服を着ぞろい、「We are the world」を熱唱しながら木は切ってはいけない。しかし人間は木を必要とし、どんどん切り倒してしまうという矛盾を訴えかけてくれた時は目頭が熱くなりました。

最後になりますが、このような国際協力が過去20年間継続して行われております。当時子供だった子たちは今は立派に成人しています。そういう人達が毎年毎年来る日本人の姿に何を感じ取ってくれるか?

━━━木を植える大切さや、あなたがたの事を真剣に考えいている人達も世界にはたくさんいるんだよ。我々もできる事は一生懸命頑張ってするから君たちも正しい道を選んで頑張ってほしい。そういうものを感じ取って欲しい。金も大切だが本当に世界を結んでいくのは知恵と愛であると思います。

石原 伸一 

今回、この植林フォーラムに参加して良かったと思うことがいくつかある。まず第1に挙げられることは、少しでもフィリピンという国について知ることが出来たこと。事前に三ケ日高生と村山先生とで学習した事プラス1週間の生活の中で体験して知った事の2つがそれである。第2は植林とはどういう作業であるか、又、どのような理由で行い、どのような効果があるかを知ることが出来たこと。そして第3にその植林という活動の中で、フィリピンの人と片言ながら会話する事が出来たこと。これは来る以前に出来ればいいと思っていた事なので、とても嬉しかった事である。

逆に良くなかったことは1つだけある。食事がいまいち口に合わず、体調を崩し気味だったことである。でも、それはそれでいい体験だったと思っている。

長いようで短い1週間だったけど、この国というかヌエバビスカヤという町が好きになって、言葉さえ通じるのなら、ずっと住んでいてもいいかな−−と思っている。

またこのようなフォーラムがあるのなら、ずっと参加し続けたいと思う。とにかく今回の植林フォーラムに参加できて、色々な意味で良かったと思う。

木村 督 

このフォーラムは私にとって、とても大きな経験となった。植林に対しても戦時中の話にせよ、この国の子供達の純粋なところもすべてがすばらしい体験だった。

初体験の植林だったけど、なかなかおもしろかった。何となく必死こいて木を植えていると、フィリピンの人達が英語で話しかけて来る。そんなに得意ではない英語で何とかコミュニケーションをはかりつつ、休憩がくるのを心待ちにしていた。最初のうちは、数を、植えた木の数を数えていたけれど、途中位からもう数がいくつだろうと構わなくなっていた。時折吹きつける山の風がとても心地よかった。

植林が主体なのだけれど、その陰でとても強い力をもっていたのが戦没者の石碑だと思う。戦争を知らずに育った私でさえ、とても恐ろしく思えた。バレテ峠はとてつもない程の崖である。だから尚更、こんなところにまで追い込まれ、必死になって戦う者の恐ろしさというのは理解しがたいところに有るだろうな。

結果的にすばらしい内容のものとなったけれど、その中には地元の人達の優しさみたいなものがあったからだと思う。それにこのようなフォーラムだからこそ、ただの旅行ではないからこそ味わえるものだと思う。ただ単に植林という訳ではなく、その国の人々と接して心と心が通じあって、そして初めて植えた木々が成長し始めるんだろうな。本当に少ししか、世界から見れば見えない位の力だろうけれど。

子供達はとても元気があったと思った。何だか自分は何しているんだろうと考えてしまう位のスピードでどんどん植えていくわけだろうけれど(楽しんでいるのかも知れない)誰かの言葉じゃないが、今のフィリピンの道路の傍でボーっとしているような大人にならないでもらいたいよ。あの子供達が持っている今の目の光を失わせるような国ではだめだって思う。

この企画はとても良いものだって思う。人とコミュニケーションを取る時英語ができないとどんなに不安かっていうのが一発で分かる。木を植えられるし、夜、ホテルからの風景がきれいだったり、日本ほどホテルの設備がしっかりしていなかったり、交通の規則というものが失われている状況とか、他では味わえないスリルがあったりする。良い経験ができるから今後も有ってもらいたい。他の国を見ることも必要だって思う。

小澤 好生 

この植林計画は、はっきりいって心配なことが沢山あった。一つはバスでの移動が多いので酔いやすい自分が多くの人達に迷惑をかけてしまわないかということ。二つめは植林をしてばててしまわないかということです。

22日にバスでマニラからバヨンボンまで8時間かかるということで、いつ気分が悪くなるのかとても心配であったが、なんともなくバヨンボンに着く事が出来た。おかげで、その後の行事がしっかり参加できたと思う。

23日には初めての植林をした。ハイスクールの生徒と一緒に行ったわけだけど、自分は彼らのやさしさにびっくりしました。自分が持っていたバックをかわりに持ってもらったり、自分が一人でやっていると手助けをしてくれたりして、色々と協力して植林ができて良かったです。

24日の植林では2日目ともあって慣れ、とてもスムーズに出来ました。この時もハイスクール生たちの笑顔が特に印象的でした。

25日の植林は小学生とともに行ったが3日の中で一番疲れました。最終日で疲れがたまっていたのかも知れません。

今回のフォーラムを通じて自分は多くのものを学んだと思います。この経験を自分の将来に活かしていきたいと思いました。

内藤 敦代 

今回で2回目の植林の参加。しかし特に高い志を持って参加したわけではなかった。

植林の大切さ、このフォーラムの意義等、理解はしているつもりであるが、一種の自己満足ではないかと思いながら参加した。

はげ山に森林をつくる元として苗を植える高校生たち、小学生たちと分からないながらもコミュニケーションをとる。現地で頑張っている方の話を聞く。同じ参加者同士様々な会話をする。などなど──一つ一つの事柄に対して自分は自分なりに力をそそぎ、一つ一つに対して満足、あるいは反省をしていく。すべて自分なりであり、こんな参加の仕方をしてきた。

今回印象に残っていることは大変な場所での植林、その大変な山を軽々と走り回る子供達の笑顔、町の方々の期待と努力においては、ホストファミリーの方々と話した中で「またヌエバビスカヤに来る?」の質問が多くあったことで痛感。戦争の傷跡については戦没者慰霊碑を参拝した時の元兵士の方々の表情、涙、思わず多くを語ってしまう昔話で痛感。

帰国して自分がやろうと思うことは、戦争について知るために何冊か本をよむこと。もうひとつフィリピンに限らず、ロータリー&オイスカ事業に限らず自己発見の旅に出るためにお金を貯めたい。そう考える。

今澤 崇子 

フィリピンでの1週間は、たくさんの刺激を受け、本当に楽しいものだった。というのは、参加した方々や、現地の人達との出会い、そしてフィリピンの森林作りに少しでも協力できたこと。また環境問題への問題意識を肌で強く感じることができたからである。

バスでマニラからヌエバビスカヤへ向かうまでの道のりに現れた山々は木の育ちやすい気候であるにもかかわらず、ほとんどがはげ山で、大変驚いた。その原因として主に戦争の際の展望を開くために焼き払った事。家畜の放牧のために焼き払った事、そして商用木材として伐採された事が挙げられるそうだ。いずれにしても日本にもその責任がある事は確かである。

「子供の森計画」は、未来を担っていく子供たちの森林への関心を高める事や、その重要さを教えていくために非常にすばらしい計画だと思った。しかし、それだけではフィリピンの森林は復活しない。フィリピンの経済成長、生活の向上、教育向上も同時に行われなければならず、たいへん複雑で難しい課題である事を実感した。又、日本を始め、先進国による心ない伐採は止めなければいけないと思った。

今回、実際に自分で植林をしてみて、いい汗をかいた上に、子供たちの素朴さに触れ、心温まる時間を過ごすことができたが、この活動への参加が自己満足やいい思い出だけで終わっては決していけないと思った。森林の復活は非常に長い年月をかけて実現するもので、その準備や管理には大変な労力と費用がかかる事を忘れてはならない。

日本でも原因こそ違っても森林は年々減少し、そこから生まれる災害を防ぐために国土は益々人工化されている。経済的豊かさの中で日本人は自然の大切さ、すばらしさを忘れているのではないか。身近な所から考え直すいい機会でもあったと思う。

このようなフォーラムのために準備して下さった方々、また参加なさった方々に厚く御礼申し上げます。ありがとうございました。そしてまた機会を見つけて参加したいと思います。

海野 恵子 

私たちの生活の中で「木」の存在は計り知れないものです。しかし、これほどもの大量な木材がいったいどこから集められているか等といったことについては、殆ど無知に等しい状態でした。そして今回の植林活動に参加して、自分は今まで何て罪深いことを平気でしていたのだろうと情けなくて仕方がありませんでした。そうです、あの大量の木材の多くがこういった途上国からのものであり、環境保護をうたいながらも自らが環境を破壊していたのです。ですから今回自分が植えてきた木が確実に根付き、成長していくことを切実に願います。環境保護はお金を援助するだけでは守ることが出来ません。木を植える人と木を育てていこうとする真心が大変重要なのだということがとても良く感じました。私たちもこれからは口先だけでなく心と身体を尽くして環境保護を訴えていくつもりです。貴重な経験をどうもありがとうございました。

矢島 まどか 

今回初めて植林活動に参加し、たくさんのことを学ぶことができました。1週間という短い期間は驚くほど早く過ぎてしまいました。その中で植林活動はたった3日間しかなく少しもの足りなかったです。

フィリピンという国を初めて目にして、私はすべてに驚きを感じました。住居は日本では考えられないような造りで、身につけてる衣服や靴もとても貧しいものでした。まだ幼い子供が朝早くから、夜遅くまで働いていました。フィリピンでは、貧富の差がしっかりと目で見ることができました。治安が悪いため警察の方々も同行してくれました。

日本の山には、たくさんの木が生えています。しかし、フィリピンの山はまったく違っていました。ここまで木のない山ははじめてです。山や現地の人々を見るたびに悲しくなりました。日本では、毎日毎日たくさんの木を使っています。フィリピンの切られてしまった木もきっと日本の人も使ったことでしょう。山があんなにまる裸になるまで切ってしまうなんて考えられないと思いました。フィリピンに来て物の大切さを実感しました。ボールペンをあげたときのあの喜びの顔は忘れられません。

植林の第1日目の日から、とても急な山に登って植林をしました。登るまでは、とても疲れるものの現地の子供達と一緒に疲れを忘れて、山の頂上で木を植えることができました。そこで働いている人々の1日分の給料が80ペソ(320円)ということでとても驚きました。日本人ならきっとこんな仕事はしないだろうと思いました。

現地の人々がどこでも私達を歓迎してくれて、とてもうれしかったです。今回この活動に参加し、本当によかったと思います。私達が植えた苗が成長して、立派な木がしげってくれれば良いと思います。何年かしてその木の成長ぶりを見に来たいです。来年の植林活動にも参加したいです。

荻野 梨香 

私がこのフィリピンの植林フォーラムに参加した理由は、高校で授業とは別に環境問題について色々勉強をしてきまして話を聞いたりしただけでは分からない事が沢山あると思っていました。

そんな時、石和RCの方から学校を通じて今回のフィリピン植林フォーラムについて知り自分の目で今の現状を見たり植林を自分の手でしてみたいと思い参加しましたが、最初は7泊8日も長いと思っていました。しかし色々な年代の人達が集って植林をしたり、このようなことに参加する事ができてとても楽しく勉強になりました。

あまり英語が話せなかったけど、フィリピンの人はとても親切で言葉が分からなくても気持ちが伝わってきました。

植林は同じ年くらいの人達と一緒になって汗を流してとても良かったと思います。私達が植えた木が来年は大きくなっているのを見てみたいです。

植林だけではなく、フィリピンの学校も見学して一番印象に残っているのが子供達が日本の私達の為に日の丸の旗を作って迎えてくれたのがとてもうれしかったです。

日本の学校と比べて全然違いましたがとても温かくいい人達だと思いました。子供達と住所を書きあって写真を撮ったりなど、フィリピンの男の人に「I love you」などと投げキッスをされてすごくびっくりしました。少しですがフィリピンの子供達と会話ができてとても良かったです。

あと、ホストファミリーと共に市内見学は、大学を見たり、アイスクリームをごちそうになったり、色々な買物までしてもらって本当にいい人達ばかりで、もう少しフィリピンに居てもいいかなと少し思いました。あっという間に終わってしまって色々な人達と親しくなれてとても今回の植林フォーラムに参加でき良かったと思っています。自分の目で見てきた事や体験してきた事は勉強になり、日本の若い人達にも知ってもらいたいです。そしてまたこういう植林フォーラムに参加したいです。

高橋 かおり 

今回の植林フォーラムにあたって多くの人に参加理由を尋ねられた。しかしはっきりとした理由も無くあいまいなまま参加した事に気がついた。

毎日移動に何時間も使い、ハードスケジュールの中、はじめは知らなかった人達と最後にかわした会話は「参加して良かった」とうことだった。この時はじめてフォーラムに参加した意義のようなものを感じた。

しかし今もずっと考え続けていることは、このフィリピンの大量のはげ山がこのような植林で昔のようになるのだろうかということです。この疑問を解くためにも出来るかぎり多くの人達にフィリピンの現状を訴えていきたいと思います。