’96タイ国植林フォーラム

感想文 NO,1へ
心が広く勤勉な村人
マレーシア植林に引き続き2回目を参加させていただきました。タイ国は初めての旅行で、歴史や文化、経済そして日頃の生活状態など、大まかに検分したいと思いました。
また、一番確かめておきたいことは、日本との友好関係について、肌で感じ取れればと願っておりました。
さて、、植林活動はオイスカ現地スタッフの並々ならぬ準備とロータリーの後楯により全て順調に計画どおりに実行できたものと評価させていただきました。
今回の特色として、国王在位50周年を記念した植林と、「子供の森」計画がうまく相乗効果として意識が高まってきていることだと思います。
植林フォーラムの目的によく言われる言葉に「植林を日本人と共に行動することに大きな意義があり、タイ国民の啓蒙に役立つことになる」云々を聞くたびに果たしてそうだろうか?と思いつつ、度重なる歓迎式典に戸惑いを感じたのも事実でありました。
日本人は、最後に木(気)を植えるだけで何の苦労もしていない、と思っている現地の人もいるだろうし、かといって測量や苗の確保などの現地教育には、自らの行動実践に必要なことだろうし、と行きつ戻りつの錯綜となった。が結論は今の方法が最善であると総括しました。
さて今回の植林もそうだが、各地での歓迎に必ず食事の歓待があり印象に残りました。
食の風習に慣れるに従い、味や材料、種類など最高のおもてなしをしていただき、感謝の一言であります。これも日本人の口に合うように工夫の味が感じられ、また果物の豊富さが、料理の香辛料に格別な味付けにもつながっているものと、勝手に想像したものです。
今回の植林に参加して思ったことは、予想以上に勤勉な現地の皆さんであったことと、相手の考え行動を謙虚に受けとめているように思われたことでありました。
「子供の森」を通して、タイ国は森林の重要性をますます高まっていくことは時間の問題であることは異論はないことでしょうが、国レベルで考えていくと多くの課題が山積し、それも緊急を要すると聞いております。この対策として、誰もが言われているように地球規模の自然保護、復活であります。
自分自身を振り返ってみて、私の行動は、できることから、身近なことから、責任をもって自然環境に役立つことを考えて行動しようと改めて思い知らされたことであります。
終わりに、今回の計画を実行された関係の皆様に心から感謝申し上げます。
ロータリー・オイスカ植林フォーラムに参加させていただき、感想をのべさせていただきます。
1992年8月、10日間を利用して東北タイ(スリン県コークムアン村)で植林をした経験はありました。たまたま静岡新聞で今回の植林フォーラムの記事を読み、今度は違った方面に、また他の人たちの活動を勉強し、参加者皆さんととの親睦を図りたく参加したわけであります。
タイの8月は、雨季とは知っておりました。メースアイ郡での山々の木緑の多かったこと、色あざやかさには少々驚きました。多くの種類の花木、くだものの木等々が成長しており、これも雨季の時期かと思いました。植林に当たっ

ては、現地のオイスカのスタッフの方々の努力により、村民、関係者一体となって植林ができたことは言葉が通じなくても気持ちが一つとなったことだけでも十分な成果があったと思われます。
団長さんも言っておりました通り、植林により自然災害から人々を守り、集落ができ、生物が住み、空気汚染が解消され、良いことづくめです。こうしたことは、人から聞き、本で読んで知ってはおりますが、実際に体験をすることによって、初めて身につくものだと感じました。以前聞いておりましたが、東南アジアの木々を世界中が経済発展のために使い果たしたと耳にはしておりましたが、現地スタッフの皆さんの努力により、木の大切さが少しずつ理解されていると思われました。今回の植林も、また、以前の時と同様に現地の子供たちが手に土をつけ、靴に土をつけ一緒にし、終わった時のすがすがしい目の輝きや、笑った時の顔の表情がなんともすばらしく思いました(日本の子供にはこんなことはないかな?)。生活環境や価値観は違っても、子供らしさ、人間らしさを持っていると思いました。
今回の植林で、私は以前よりたくさんの木を一本でも多く植えたらと思っていましたが、後の管理の大切さを聞きまして、植えればいいという考え方を改めました。また、機会がありましたら植林フォーラムに参加させていただきたいと願います。最後に、植えた木が林となり森となりジャングルになることを期待しております。
再訪「タイランド」
「太陽とほほえみの国」6回目の訪問が実現しました。初めの4回は国際空港の北約15キロメートルのBCMCO.LTDでの製缶設備増設工事並びに現地従業員への技術指導、5回目は家族とのプーケット旅行、そして今回の植林フォーラムが6回目となります。バンコクの街は仕事と遊びで各所を廻り、高層階のビルディングが並ぶ大都会と、都心から5キロメートルも離れると生活の苦しい家屋があり、日本の昭和20年代と60年代が混在した印象が非常に強く、今回訪れたチェンライ、チェンマイも苦しい厳しい環境かと思いましたが、思ったより都会的な生活できれいな古都であることが分かりました。また、バンコクで見られたバイクの4〜5人乗り、しつこい物売りの人々、黒い煙をモクモクと出す一昔前の乗用車、物ごいをする親子等が全くといってよいほど見られず、街の違いか年月の経過かは判断がつきませんでした。
当社は4月から7月にかけて飲料用容器販売が最盛期になることから、今年はゴールデンウィークは3日、夏のお盆は7日の休みとなり、暑い夏の7日間をどのように過ごすか迷っていたところ、静岡新聞での植林フォーラム記事に目が止まり、タイ北部にも一度は行ってみたい、タイ国に少しはお返しもしたい、自分ができるボランティアも実行してみたいと浮気的な多目的で参加させていただきました。
東南アジアを主に何故、植林をする必要があるのか? タイには緑が一杯あるはずという記憶から、フォーラムそのものに疑問を持っておりましたが、お椅子化の機関誌をいただくと共に、ロータリークラブ静岡に出向き、昨年、一昨年に参加された方のレポートを読ませていただき、その目的が少しずつ理解できた次第です。3日間に計3校で植林をさせていただきましたが、自分自身、子供の頃から、杉、檜等を植えてきた経験から、今回のフォーラムは植林でなく各校の「子供の森」造成に対し、ほんの少しの手伝いをさせてもらったと思うほどの軽作業であり、申し訳ない、本当にあの程度でよかったのかと迷っております。子供の森、村の森づくりはタイの人々にとってメリットが目に見えてきにくく、理解してもらうためには多大な努力も必要であったこと、人々が力を合わせて環境を守ろうと立ち上がったことに対し、日本で環境をないがしろにした今までの自分を反省すると共に、環境保全に対して自分は何をどうすべきか、少し時間を費やして考えていきます。
終わりに、山内所長をはじめとする現地スタッフ、オイスカ静岡県支部、国際ロータリークラブの関係者の皆様に対し、フォーラム後半の「太陽」と男女を問わない人々の「ほほえみ」に再開させていただいたことを厚く御礼申し上げます。コープクン・カップ。
サワディー クラップ(今日は!)
今回は植林フォーラムに2回目の参加なので、どうしても前回のフィリピンと比較してしまうが、体力的には前回よりは楽だし観光的な要素も見られたので、はっきり言えば充実感をあまり感じなかった。また、タイでは子供の夏休みがないのかわからないが、子供と一緒になって汗を流す時間がなく、形式的な歓迎の感じをうけました。
バンコク付近の山を除いて、フィリピンと違い山の緑が目に付いたが、森林面積は1950年には62.4%であったものが1994年には20%にまで低下していると知り、大変深刻な状況であることがわかった。開発の進んだ中部・東北部・南部では大きな減少率のようだ。
この原因の一つは、日本を始めとする多くの外国の企業がゴルフ場・工業団地・別荘用地あるいはエビの養殖場などにするための伐採であり、これ

によって、現地の人々の雇用が確保され、日本向けの製品が作られ、日本人の観光客が増えて年間10%台の経済成長率が維持されているが、その反面では、地価の高騰・公害の発生・賃金労働者の増加による農山村の疲弊・貧富の差の拡大・教育の機会の不平等・経済優先による人間性のゆがみなどが生じている。
これらはみな日本が昭和30年代からたどってきた道である。物を買い増やすために働き、結局は「消費するために働く機械」に過ぎなかったことは、バブル経済の破綻や阪神大震災でつくづく身に染みたはずであるし、日本全体の借金が420兆円もあることを知って日本は外見だけ立派に見える虚栄の国であったことは、そら恐ろしくなる。
このような二の舞を、またしても東南アジアの国々にさせてよいものか、日本の現実を直視してもらい、物によっては本当の幸福は得られるものではないことを、声を大にして叫ばなければならない。そもそも経済の発展と人間の発展とは比例するものなのか疑問を持たざるを得ない。
さらには、人々が低賃金で働いたものの上に我々の日常生活が成り立っていることは、倫理的に耐え難い思いがする。例えば、日本の猫の餌になる缶詰は、タイ人には高くて食べれないマグロの白身を(もちろん赤身と混ぜて)、タイの労働者が加工していることを考えると、日本人は、低賃金で悪い環境の中で働いている現地の人々のことを思いやる感性を失ってしまったのだろうか。
また、バングラデシュでは多くの子供たちが残飯をあさって、ようやく1日に1回の、しかもその残飯は何日もたっていて、日本人ならもう腐っていると思うようなものを食べてその日を暮らしている。このような国々の暮らしと先進国といわれる日本人のそれを比べると、同じ人間として生まれながら、生まれた国が違うだけでこのような差が生じてしまっていいのだろうか。
私がこのような考えをもつようになったのは、4〜5年前に読んだシモーヌ・ヴェイユという思想家によるところが大きい。
彼女は高校の教師でありながら一人の工場労働者となって、1年間朝早くから夜遅くまで、生来の頭痛をおして泣きながら旋盤を動かし、部品の不出来で賃金が容赦なくカットされるような体験をして、労働とは何かを『工場日記』にまとめた。また、1936年のスペイン内戦では、ファシズムのフランコ政権に立ち向かった人民軍側を支援するため、前線に行くことを申し出たり、ナチスによるフランス占領下の自国民の窮乏を思うあまり自分の食を切り詰めて、遂にはイギリスで絶食状態で亡くなっている。
このように、不平等や不正義に我慢できず、自分を省みず弱い人々の痛みを自分のものとするために、その中に入っていくという清冽で高貴な精神にふれると、私も少しでもそれに近付きたいと思うようになりました。
そこに、NGOのひとつであるオイスカとの出会いがあり、自分が出来ることを、少しでも弱き立場の人々に捧げることが出来れば、このうえない喜びを感ずることができると思いました。オイスカは、開発途上国の第一次産業を中心として人を養成し技術を教え、一緒になって汗を流す援助をしており、経済開発に伴う変革の嵐をまともに受ける人々をを支えることができるものと信じています。
オイスカの研修センターでは、化学肥料や農薬を使わずに、複数種の農作物を作り、畜産と組み合わせた有機農業を目指して努力をし、緑なす森を育て村を作るため、現地の人々と協力して植林作業を進めていることを知り、感動を覚えました。
目先の利益にとらわれずに、むしろ損を承知で、身を粉にして現地の人々と協力している姿は、これからの我々の生き方の指針ともなるものと確信しています。
そして現地タイで、もう一つの生き方、つまり市場経済ではない、生きるための農業を地域の人々とともに推進しているスリン県ターサワーン村サーマツキー寺のナーン和尚などのために、オイスカが支援できるようになれば、さらに人間としての連帯の輪が広がり、地球環境の改善にも役立つものと思います。
これからも私は、つつましく誠実に日々を生きていながら不平等の扱いを受けている人々、正義が実現されない社会に生きる人々にこそ、ヴェイユの書のタイトルである本当に公平な「神を待ちのぞむ」ものです。
コップクン クラップ(ありがとうございました)
今度こそ熱帯雨林の原生林と出会えると期待しました。しかし訪れたタイには大きな木があまりなく期待は、はずれました。目にしたのは開発の現状でした。ですが国境の町メーサイではミャンマーにはまだ大きな木がたくさんあると聞きました。思わず、国境を越えていってみたい気持ちになりました。しかしここも時間の問題ではないかと考えさせられます。
今回は「子供の森」というプロジェクトは大変効果の大きいものだということを実感させていただきました。特に植樹後4年目で5メートルほどに成長した木には驚きでした。育てていく、いや一緒に育っていくことを学習できることは子供たちの努力もさることながら自然の生命力に学ぶことの大切さを改めて教えられました。また、子供たちの歓迎と親切なもてなしはいつも感激です。
今後のことですが植林フォーラムのような活動を関心のない人にも知ってもらうにはどうしたらよいかということです。それは過去2回の植林フォーラムが自分の中にある生き方というか今までの生活のしかたがこれでよいのかという大いに考えさせられるものがあったからです。今の消費文明に対する疑問もありましたが、みんな世の中のせいにして済ましていました。環境が大切だ、自然を守ろうと解ってはいるのですが、なかなか行動がそれに伴いません。経済活動が盛んになればなるほどこうした活動が環境に及ぼす影響について、大変であると解るのですがどのような行動をとったらよいのか具体的にはできません。
まだまだ、不法伐採が日常的に行われていると聞きました。経済発展には欠かせないことなのでしょうか。穏やかな生活はできなくなってしまうのでしょうか。
最後にB班の皆様おつきあいありがとうございました。楽しく無事に日程をこなすことが出来たのも皆さんのおかげです。皆さんのご健勝をお祈りいたします。
ツアー雑感
到着日より雨が降っており、雨季のチェンライを経験してしまった。3年ぶりのタイの北部地方。早朝、YMCAの周辺を散歩してみると、お坊さんがはだしで托鉢に歩いていたり、犬がたくさん歩いていたり以前のまんま。時間がゆっくり流れるだけではなく、この国は、簡単には生活スタイルを変えない頑固さも秘めているのかしら。
植林の日。急斜面を登っ

て行くことになったが、植林と山登りの2つの要素が必要であった。自分ひとりだけ息を切らしているようなので、これは年齢のせいではなく昨夜の飲み過ぎのせいだと思った。
夜の交流会時、タイ人の言う「SAKE」と「SAVA」、日本人の言う「MECON」、この3つで盛り上がってしまった。芸の無い人間というのは私のことに違いない。
本来の目的から外れるが、国境が無いのは音楽とスポーツだから、バレーボールだけでなく、セパタクローやソフトボールもやりたかった。
毎日、早くシャワーを浴びたかった。銀製品もシルクもあとからで良い。自分のようながまん強くない人間はボランティアには向いてないと思う。ボランティアには、やさしい心の次に、健康な体も必要。
研修センターや3年前の植林地を訪問して今さらながら、スタッフや村の人たちの苦労がしのばれた。広大な土地。変わらぬ暑さ。崇高な事業に対する村の人たちの意識。やせた土質。少ない水。成長が速く、鋭い葉を持つ雑草。でも成長の速い自然が味方してくれる。人々の笑顔が味方してくれる。
P.S.松井さんが新聞に載って良かった事。
1.会社の皆が、単なる観光ではないというのを知っててくれてた。休暇が取りやすかった。
2.オイスカのPRに新聞の力は大きい。
平成8年8月17日(土)午前10時、タイ航空TG643便は、96ロータリー・オイスカ植林フォーラム「タイ」班総勢62名を乗せ、成田空港を飛び立った。バンコクを経由し、今回の植林の目的地、チェンライというタイ最北の都市に到着したのが午後7時、時差で2時間戻してあるため、およそ11時間の空の旅であった。当社からは、経営政策第二PT森下登志美、自動車部管理課秋山一夫、グループ事業部関連事業課岩崎貴の3名が、海外研修制度を受け、この植林フォーラムに参加している。
なぜタイで植林かと思われる読者のために、現地の森林状況及び植林の目的について説明しよう。
タイ国は1950年代には国土の7割が熱帯林に覆われていたが、現在では3割をきっている。タイ北部でも、近年特に森林減少による土地荒廃が問題視され始めた。雑木は多いが大木になる木がなく乾季(4〜9月が雨季)になると山々の木々は葉が落ち、赤肌が露出するようになる。そして年間降雨量が著しく少なくなり、水不足も深刻である。また雨季となると少量の雨でも土砂崩れが各地でおきている。作れる作物の種類や量も当然減少傾向にあり、住民の農業離れは確実に進んでいるのが現況である。
今回の植林では、ホイ・ヒア、トゥン・プラーオ、パートゥンガムという三つの小学校を訪問し、「子供の森」計画に参加した。土地荒廃がすすむ中で、子供のうちから、自分と一緒に成長する木に親しみをもち世話をすることで心の教育を図り、また、未来への環境教育が実践を通じて学べるものとして、学校の近くに学校林をつくるという計画のことを「子供の森」計画という。
タイ北部の人たちと、日本の参加者が、同じ大地で作業することにより、地球的視野に立ち、「森をつくり大地をつくること」の大切さを知り、「大

地の他の種が互いに共存できる環境、文化の推進」に協力することが植林の目的である。
8月も下旬にかかり、残暑厳しい日本よりも赤道に近いタイの夏に対し、一種の警戒心を抱きながらチェンライに到着すると、雨季のさなかということもあって、やや激しい雨が我々を迎えてくれた。思ったより暑さは感じられず、むしろ、日本よりもすずしい印象を受けたが、宿泊施設(YMCA)内の暑さは冷房設備が無ければ夜寝ることはできないほどであり、シャワーはあるが、充分な湯など出る訳もなく、やや濁った水道水を見て、タイでの一週間に限りない不安を覚えた。翌日はタイの観光もかねて、右側にメコン川を眺めながらバスで北上し、ミャンマーとの国境、ゴールデン・トライアングル周辺を見学した。道路には信号機らしきものも無く、小学生の頃社会科の教科書で見た大戦直後の日本の景色に酷似した農村に、十数台の軽トラックが往来している風景が延々と続いていた。植林をする学校は街の中心から2時間程度かかる田舎道と聞いていたため、想像が困難だったが、この日の見学でおおよその見当がついた。
タイに到着して3日目、いよいよ植林を体験する日になった。やはり朝から雨が降っていたが、小降りのため、一応雨具の用意をしてバスに乗り込んだ。私は運動靴だったが植林に以前にも参加したことがある年配の方などは地下足袋を用意していた。
見なれた車窓には青々とした田園風景が広がっている。所どころに放牧された牛を見かけたが、馬は全くいなかった。同様に犬は殆どの家で飼っているようだが、猫は結局2匹しか見ることはなかった。バスの添乗員にとってはそれが普通であり、馬や猫がいないからといって困ることはないと返答されたので、残念ながら疑問は解決されなかった。
2時間ほどバスに揺られてホイ・ヒヤ小学校に着くと、既に三百人を超える人々が集まっていた。現地の水は腹をこわすから飲むなと言われていたが、タイの女性がこんにちはという意味の「サワッディー」という笑顔のあいさつと一緒に、氷の浮かんだよく冷えた水を渡されると一気に飲みほした。
郡長のやや長めのタイ語でのあいさつなど歓迎のセレモニーが運動場に設営されたテントで行われた後、植林用のくわを渡され植林方法の説明を聞いた。4メートル間隔で穴を30センチメートルくらいの深さで掘り、そこに苗木をおいて周りから土をかけ、踏み固めた後に乾燥から守るための草をかけて一つの苗木の作業が終わる。
説明の後、5、6分歩くと植林地についた。そこにはオイスカという緑化推進を目的とした団体のタイの研修員らが穴を掘り苗木を置いてある状態になっていた。。我々はその苗木を袋から出し、土をかけ固めて草をかけるという作業を四、五百人で三千本の苗木を植える作業を行った。普段から腰を曲げる姿勢、いわゆる農業や土木業の類をしていないと、作業自体というよりもその姿勢がつらい。4、5本苗木を植えると小雨がパラつく涼しめの天候にもかかわらず、うっすらと汗がにじむ。現地の人々が慣れもあると思うが巧みにくわを操り植林していく速さに対し、自分の作業の遅さに自己嫌悪に陥りながら、結局は植える方より草をかける作業が中心となってしまった。
苗木の数に対して実働人員が多いことと、事前にオイスカの人が穴を掘って準備してくれてあったために全体の作業は3時間もかからずに終了した。正午を少し過ぎたあたりで、村民が用意してくれた、日本人の口にはあまり合わない緑のカレなるものをアロエ(タイ語でおいしい)と言いながら、我慢して食べた。私と同室だった人は全く食べることができず、いつも果物を食べていた。とは言え、慣れている人は何杯もおかわりをしていた。
4、5日目の植林についても山の斜面に植える学校もあったが、全体的な流れは同じと思ってよいだろう。ただ、途中からバスを降りて軽トラックで目的地へ向かう時に舗装されていない道があり、車が動けなくなった。おりしも大雨の
78後で、ぬかるみというよりは泥沼という道路を皆で押すのである。2回、3回と押すがなかなか動かない。石をタイヤの下に敷いて10回目くらいにやっと脱出できる。赤に近かった雨具のズボンが泥だらけになって赤い部分が見えなくなっていた。
7日目には、3年前の植林地の見学に行った。高さ30センチメートルくらいの苗木が、3〜4メートルの高さになっていて、前回参加した人たちは大変感動しているようだった。ちなみに、我々の植林した樹木はチーク、アカシアマンギウムなどで10年くらいで立派に成長する。
今回の植林に参加して、環境保護の大切さについては事前の学習等で理解していたつもりだった認識の甘さを痛感させられた。世界の森林の約半分を占めている熱帯林は毎年1700ヘクタール(日本の面積の約半分)という恐るべきスピードで減少している。山はあっても森がない現実を自分の目で確かめられたことは、日本から出なければ得ることのできない貴重な体験だった。
私にとって「植林」は初めての経験でした。3日間の植林でしたが、実際、私が植えたのはごくわずかなものでした。しかし、一人が数十本植えただけでも、みんなでやれば数百本、数千本にもなります。日本人の60人、そして現地の多くの方が参加して、植林ができた成果は本当に大きいものだと思います。
また、現地の文化に触れることができたのも、私にとっては感動でした。タイの踊りを見たり、演奏を見たり、新鮮なものでした。私たちが演奏したとき、タイの方々が興味をもって見てくれたように、私も彼らの演奏や踊りに興味をもちました。その中で楽器をプレゼントできたことは、きっと子供たちも喜んでくれたと思います。
私は以前、タイを訪れたことがありました。観光旅行で、バンコクやアユタヤなどに行きました。その時には、あまり心の交流というものはなかったと思います。私も、タイは初めてで、なかなか話しかけることもできなく、ほとんど会話もなかった気がします。
しかし、今回のフォーラムでは、いろいろと話すことができました。会話をすることで、笑ったり、考えさせられたりできました。その中でタイの方々の笑顔は見ていて心が落ち着くと思いました。日本人にはなかなかできない笑顔だと思います。子供も大人も本当にいい表情をしていました。
ところで、今回の旅の中で私が感じたことで、改善すべきでは、という点がいくつかあったのでここで書きたいと思います。一番言いたいことは「お金をかけすぎではないか」ということです。一体何に対してお金をかけすぎているかというと、「食事」に関してなのです。食事のぜいたくさはちょっとやりすぎだと思います。たしかにおいしい、食事でスタミナもつき、一日の疲労もとれるかもしれません。実際私も、おいしくいただきました。少し話はそれますが、今回の旅の旅行費は18万円です。あの食事で、1人1万円分減らしても、かなりのごちそうを食べられるでしょう。1人1万円で、60人で60万円。60万円分、無駄に使っているのではないでしょうか。我々のぜいたくに、ここまでお金を必要とするでしょうか。60万円、タイの方に寄付できないでしょうか。我々が一緒に植林し、小学校で昼食を共にした人々は、私たちがレストランで食べたものを食べる機会を、そんなにもつことはないでしょう。はっきりいってぜいたくです。我々はぜいたくをしすぎだと思います。
事務局コメント
確かに食事の内容は良いものがでました。まずは村人が準備してくれた食事は真心がこもっているということです。精一杯村の人達が作ってくれたのを「贅沢だから」と食べないわけにはいかないと思います。たぶんレストランでの食事のことを言っているのかと思いますが、大人数が入れて、時間が早く出来て、衛生的に良いとなると、どうしても現地の人からみれば良い店を選ばざるを得なかったのが現状です。個人で行くと簡略な食事が出来る場所があるのですが....
3日間の植林でしたが、今年の夏のとてもすばらしい経験になりました。このような経験をさせてくれたオイスカ、ロータリーの人たちに感謝したいと思います。
自分の意見としては木を植えるだけでなく測量など1から植林活動をし自分で全てやりとげたんだという満足感をあじわいたかったなあ思いました。しかしそれは少人数でやることであり、現地のひとにやる気をおこさせるということであるということでした。その満足できなかったぶん、横井さんがいったように「心の木を植えた」ということで満足できたと思う。
このすばらしい経験を学校などでありのままに伝えていきたい。
最後に自分の荷物を運んでくれた人にお詫びしたい。さぞ重かったのではないかと思う。水を6リットルも入れてしまったからである。
なぜこんなに入れてしまったかというと、自分は学校で猪鼻湖の水や三ヶ日町の河川の分析や水の浄化の実験など水に関することをやっていて日頃から汚い水を見てきているためもあったり、日本で売っている海外の水が問題になっていたりしたこともあり大量に日本の水を持っていってしまった。あらためて荷物を運んでくれた人にお詫びします。


今回の植林フォーラムは、1994年フィリピン(ダバオ)での植林フォーラムにつづき、2回目の参加となりました。
参加した理由は、以前フィリピンに行き現地の人や子供たちと一緒に植林をしたり交流などをして、とてもいい体験をしたということです。
このフォーラムに参加して最も印象に残ったものはタイの山々です。山の斜面には太い木は見あたらず細い木や雑草があるだけで、森という存在が全くありませんでした。山にあった木のほとんどが伐採され、その木のほとんどが私たちの住んでいる豊かさの裏側だと思うと複雑な気持ちがします。
この様に深刻な環境におかれている森林が、また元通りに復活するには長い年月が必要となります。
このタイの地に自分の手によって植えた小さな木もやがて大地にしっかりと根をはって、成長してくれると思うと次のフォーラムが楽しみになります。
これからも植林フォーラムに参加する機会があったらまたよろしくお願いします。
タイに行くのは初めてで非常に胸踊るものがあったが、不安だったことがひとつだけあった。それは、タイ語の本を家に忘れてきてしまったこと。この本をうまく利用してタイの人たちと仲良くしようと計画していたのが失敗に終わった。
飛行機で移動中、約6時間も座りっぱなしはさすがに腰がこってしまってきつかった。だけど窓から見える海や島の景色は最高だった。
タイではあまり食欲がなくてタイ料理は食べれなかったけど、あのとびきり辛いところがやみつきになりそうなくらいおいしかった。数年前にタイ米のことで騒動になったけど、日本米と味は変わらないのになぜ日本中が騒動になるほどの騒ぎになったのか理解に苦しむが、そんな騒ぎを起こした日本人である自分に、心安らぐような笑顔をつくってくれるから非常に嬉しかった。
植林活動では現地の人たちが一生懸命木を植えていてくれたために少しか植えることができなかった。できればもっとたくさん植えたかった。
出発前日の新聞に中国の自然破壊のすごいことを読み、植林フォーラムに参加することが意義のあることだと思った。
丁度、タイ王国50周年記念の植林、数年前より植林活動してきた方たちの植林した場所を見学して、緑の林に感動した。
タイの国旗の赤は王様、白はお釈迦様、青はタイ人の意味のように信仰の深い国だと思いました。
バートンガム小学校にいき、郡長、村人、ボーイスカウトの人たちとの交流はなごやかな一時でした。タイ人の方たちと料理をして感じたことは、言葉は通じませんでしたが、ゆずり合いや助け合いの精神があり、なごやかな一時を過ごせました。料理で例をとれば、タイ人はヤシの果物、ペパーミントの葉の入ったグリーンカレー、日本人は国から持っていったカレーを作り、テーブルを共にして、タイ舞踊や「さくらさくら」の大正琴の歌を楽しみました。写真が趣味ですので、作っている場面を数枚とりましたので、できれば送りたいと思います。
テレビや報道で国境の場面を見ますが、実際の現地にいって見ると、検問があり通行証明があれば通れるし、思っていたよりこわいイメージは感じられなかった。日本は島国でよかったと思う。
タイに行って雨に会い、日本に来て雨に会い、植林には最高の天気だったと思います。
「国際ボランティア」をしてみたいと思って参加したが、1週間やそこらでボランティアできるなんておこがましかったなと思った。植林といっても、実際には穴も掘ってあって、支柱もあって、苗もセットされていて、ほんの少し手を加えるぐらいで、ほとんどセレモニーのパフォーマンス……こんなのでいいのかなと疑問もあったが、日本人が来て一緒に植えたという事実が、タイの人が木を大切にしていこうという気持ちを持つという説明を聞きほっとした。
労力になるかどうかは別として、どこに行っても、「日本人が来た」というだけでものすごく歓迎されて驚いた。こんなに喜んでもらっていいのかなと思うくらい。特に山岳民族の村では、民族衣装を着た子どもたちが並んで、ひょうたんを首にかけてくれたり、バラの花をくれたり、皆はずかしそうにしながらも一生懸命な姿がとてもかわいかった。貧しいかもしれないけど、表情がとても生き生きしていたのが印象的で、少しうらやましかった。食事のことも少し心配だったが、日増しに食欲が上がるほどだった。村の人たちのことを思うと、自分たちがいいとこどりだけしているようで、少し申し訳なかった。
総勢60名余り、15才〜75さいという幅広い年齢層で。学生だったり仕事してたり、いろんな人がいて、おもしろかった。
あちこちから集まった人たちが、交流会のための合奏の練習をしたり、タイの現地の人たちの交流など、普通の観光旅行では味わえないことを体験できて本当に楽しかった。同じ班の人たちと話をすると、皆、真面目に自分の生き方とか考えていて刺激になった。
いろいろなことを感じすぎて、まだ自分の中でもまとまらない。
横井さんの挨拶の中で「気持ちの『き』を植える」ということを言われたが、自分の中にも、今回感じとったその気持ちの木を植えて育てていきたいと思う。
できれば今度はもっと長期のものに参加した

いし、言葉を少しでも覚えて現地の人とコミュニケーションがとれるようにしたいと思っている。
今回のこの植林に参加したのは、実は、青年海外協力隊員として、海外の植林事業に従事してみたいと思いつづけていたのですが、仕事の関係でなかなかチャンスに恵まれず、仕事をやめていこうかどうしようかと迷っていたからです。迷っていてもしかたないから、まずは現場をみてみようと思い参加しました。今、フォーラムが終わって思うことは、海外で植林をするということは、なみたいていの苦労ではできない……ということです。タイでは、木を何本か植えただけですが、その下準備、そしてこれからの保育作業、どれだけ大変であるかということを肌でかんじることができました。でも、だからこそ、やりがいを感じるんじゃないでしょうか。私も実際に現地の人たちといっしょに汗を流したいという気持ちが、また強くなりました。
そして、今回のフォーラムで多くの人たちに出会えたこと、本当によかったと思いました。兄か心に持っている、そして何か自分がしたい、そんな一人一人の想い、また生き方、私にものすごく刺激を与えてくれました。ほんの短い間でしたが、この出会いを大切にしたいと思っています。
今、フォーラムを終わって、まだ答はでていません。しかし、このフォーラムに行ったことで、何かしら私の中で考える材料になったことは確かです。ありがとうございました。
長いようで短い8日間でした。タイへ入国するまでは体力勝負のフォーラムだと覚悟していましたが、正直なところ、楽に過ごしてしまったように思います。特に植林については、除草をしたり、穴を掘ったり、肥料を作ったりと、炎天下の中での作業が待っているとばかり思っていました。しかし、実際行ってみると、穴は掘ってあ

るし、場合によっては肥料も分けられていて、我々は穴に苗を植えるだけでよいという状況でした。このような状況に、最初は不満を抱いていました。一種のボランティアとして参加しているにもかかわらず、普通の観光客と同じようだと思ったからです。
今でも、その気持ちは心残りですが、山内さんをはじめとするオイスカのスタッフや、村民の苦労話を聞くと、これで、満足すべきなのかという気がします。考えてみれば、我々が植林を行って、何万本も植えても、それを管理するのは、すべて、村民の手にかかっているのです。つまり、木を植えることよりも、村民の意識を改善させることが第一の目的と言えます。これほど大変なことはありません。そう考えていくと、コミュニケーションがもっと有効に行えれば良かったと思わずにはいられません。身ぶり手ぶりだけでは、どうしても気持ちを伝えるのが限られてしまいます。また、山岳民族など外界との接触が少なかったり、民族意識が高いと、どうしても、我々との交流にとまどっていたように思います。そのような時に、一言でもタイ語が話せたら、だいぶ異なっていたのではないでしょうか。
今回のフォーラムを通して、自分にプラスになったことは、数えきれないと思います。以前から国際協力や国際ボランティアに興味があって、参加させていただきましたが、私には、まだまだ経験と知識が不足していることを実感しました。いろいろな価値観の人と交流できたことも収穫になりました。今後の自分の人生に少しでも生かしていけたらと思います。


感想文 NO,1へ

