地球環境再生植林フォーラム'98 フィリピン(ネグロス島)
参加者感想文 NO,1 (氏名前の番号は名簿番号)
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氏 名 |
コース |
班 |
職業・役職 |
歳 |
NO,1
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戸塚 宏 |
短期 |
1 |
オイスカ掛川小笠支局会長 |
78 |
| 芹沢 良夫 |
短期 |
1 |
オイスカ県支部副会長ジャトコ名誉顧問 |
76 |
| 三田 昭男 |
短期 |
1 |
オイスカ磐田天竜支局会長 |
70 |
| 野田 博信 |
短期 |
1 |
オイスカ県支部事務局 |
69 |
| 山口 裕嗣 |
短期 |
1 |
ロータリー環境保全小委員長 |
64 |
| 横井 守 |
短期 |
1 |
オイスカ県支部事務局長 |
63 |
| 竹内 祥三 |
短期 |
1 |
竹内祥三会計事務所 |
55 |
| 幡鎌志計雄 |
短期 |
2 |
神職 |
70 |
| 山下みつ枝 |
短期 |
2 |
主婦 |
63 |
| 奥宮 良治 |
短期 |
2 |
交通安全協会森地区支部事務局長 |
58 |
| 橋詰 満子 |
短期 |
2 |
褐ネ多利亜 |
57 |
| 塚本こなみ |
短期 |
2 |
グリーンメンテナンス |
48 |
| 清水 俊男 |
短期 |
2 |
公務員 |
47 |
| 初世 亮一 |
短カンラオン |
2 |
SBSツアーズ添乗員 |
26 |
| 宮沢 育夫 |
短サガイ |
3 |
会社員 |
39 |
| 永田 千穂 |
短サガイ |
3 |
保母 |
25 |
| 田部井貴之 |
短サガイ |
3 |
天竜林業高校 |
16 |
| 宮沢 由次 |
短サガイ |
3 |
中学 |
13 |
| 吉田 晴彦 |
長期 |
4 |
日本理化製紙草薙工場 |
59 |
| 笠原 敏彦 |
長期 |
4 |
会社員 |
55 |
| 水野 鐘次 |
長期 |
4 |
東海フルハーフ |
54 |
| 西原 久雄 |
長期 |
4 |
自動車保険事務所 |
50 |
| 藤田 昇 |
長期 |
4 |
潟tジキョウ |
49 |
| 澤井 勝之 |
長期 |
4 |
オイスカ県支部 |
40 |
| 井上美知代 |
長期 |
5 |
主婦 |
55 |
| 久米 善和 |
長期 |
5 |
三信工業 |
44 |
| 砂子 幸弘 |
長期 |
5 |
浜松海の星高校 |
41 |
| 久米 恵子 |
長期 |
5 |
主婦 |
40 |
| 佐久間啓介 |
長期 |
5 |
小糸工業 |
29 |
| 徳岡 一成 |
長期 |
5 |
会社員 |
29 |
| NO,2 |
山内 良昭 |
長期 |
5 |
中村建設 |
26 |
| 大森久美子 |
長期 |
6 |
会社員(原電ビジネスサービス) |
28 |
| 中村真奈美 |
長期 |
6 |
会社員 |
28 |
| 黒川 梓 |
長期 |
6 |
宇都宮大学国際学部国際社会 |
20 |
| 臼井 弘美 |
長期 |
6 |
静岡中央高校 |
17 |
| 前田 京子 |
長期 |
6 |
小笠高校 |
17 |
| 潮 賢太郎 |
長期 |
7 |
横浜国立大学院 |
22 |
| 原 剛 |
長期 |
7 |
浜松大学 |
21 |
| 下鍋 章博 |
長期 |
7 |
近畿大学 |
20 |
| 青木 信介 |
長期 |
7 |
|
20 |
| 鈴木 俊也 |
長期 |
7 |
静岡工科専門学校自動車科 |
19 |
| 鈴木 智志 |
長期 |
8 |
大建工業(株) |
21 |
| 片岡 豊久 |
長期 |
8 |
静岡産業大学 |
19 |
| 殿本 広平 |
長期 |
8 |
愛知学泉大学 |
18 |
| 鈴木 陽 |
長期 |
8 |
天竜林業高校 |
16 |
| 齋木 啓充 |
長期 |
8 |
天竜林業高校 |
16 |
| 葛山 陽平 |
長期 |
8 |
金谷高校 |
16 |
概略
正式名 地球環境再生植林フォーラム'98 フィリピン(ネグロス島)
期間 平成10年8月7日〜12日(短期班)
総員47名、内短期17名。年齢最高78歳−最低13歳。ロータリー関係者4名。学生16名、女子8名。
ネグロス島の面積は四国の2/3くらい、西と東の州に分かれ、人口は4百万人弱、西の人口が東の倍くらい。西の首都バコロードは人口45万。バゴは14万人。
研修センターは、カンラオンが71年頃より、バゴが81年頃より始まり、別のサガイ市のものと今は3つの支局になっている。カンラオンには標高8百米の高地に200haの農地が展開し、現地人の長の下で80人くらいで働いていた。バゴは面積27ha、研修センターになってから10年目。仕事は農業指導に始まり、養蚕、養豚、植林、子供の森計画、育児指導など多岐に亘っていた。
私自身の体験印象
私はオイスカが気に入り、ツアー参加はこれで7度目、その都度よい思いをしてきた。今回の一番の印象はカンラオンの奥深い高原に展開された見事な水田などの農地だった。最初の日本人古川さんの苦労が身に染みた。有機肥料の作成場、色々な農業機械、用水池など。カナダやパラグアイの大農法に比べれば、やや劣るとはいえ、こんな所でこれだけの努力が行われているのを見るのは感動ものであった。カンラオン山の雄姿も忘れ難い。馬に乗ったり、夜皆の前で踊ったり、いい気分になり過ぎ、翌朝下痢をしてしまった。6人部屋での経験は得難いものあった。幸い下痢は悪性ではなく、まる一日の絶食で治った。
しかし祝賀式を失礼してしまった。それでも他の

日程はそれなりにこなすことができた。その点皆さんに心配をかけ、お世話にもなり、厚く感謝申し上げる。特に現地の渡辺さんと旅行社の初世さんには本当にお世話になった。
今回の人たちの中には優秀な女性社長や働き盛りの中年男性、それに若い学生とベテランなど変化が多かったが、よくまとまっていたと思う。班別の編成ももう少し違った人を混ぜる手もあったろう。お互いにもっと話し合う時間がほしかったように思う。
フィリピンは後進性の強い発展途上国であるが、着実に進歩しているように見える。しかしマニラの林立する高層ビルとネグロス島の首都バコロードの町並み、それと山間僻地のカンラオンの今にも崩れそうな家など、貧富の差、文化の落差の大きいのには目を見張る思いがあった。バゴ市長が工場や別荘などを持ち、37年市長をやった後、奥さんが市長に選ばれたのはその象徴的なものだったろう。
小学校の先生も生徒も能力主義で選別されていく話しは当然といえるのに驚いた。
ネグロスで入院した病院は立派だった。以外だったのは付き添いが夜病人のベッドに添い寝したり、消灯がなく、冷房もなく、扇風機の音と酸素吸入のポンプの音がうるさかったことである。それでもよく寝られたし、隣の病人と仲良くなった。
オイスカは東南アジアなどで現地にあった産業指導、特に現地の人と一体となった農業や植林などで成功してきた。しかしタイなど回りに工業化が進んで来ると難しくなる。要は現地に本当に役立つことを、その地域その時に応じて一緒にやることである。また彼らが自分の力で出来るようになれば、譲ってあげることであろう。今は日本的農法が役に立つが

、やがて日本でも東南アジアでも、先進国的な大農法が徐々に取り入れられることになろう。植林もマングローブや裸山などでは文句なし良いことだが、町の小学校など回りにたくさん植えにくい所で後どうするかも考えることが必要だろう。
これから先、農業ばかりでなく工業指導がもっと必要になるだろう。日本では今、中小企業が続々潰れているが、彼らを巻き込んで現地を見ていくことも必要だろう。
ロータリークラブとの連携はいろいろな課題があるようである。オイスカ側のPR、ロータリー側の勉強自覚は当然ながら、現地ロータリーへの連絡連携を是非やってほしい。また現地のオイスカが現地のロータリーと関係を持ったり、連絡が取れるとさらによいと思う。
またいつか皆さんと会えることを楽しみにしています。どうもありがとうございました。
今度の旅で、カンラオン慰霊碑前ではからずも「慰霊の詞」を述べることになり、責任の重大さを感じた。
オイスカの方々のご指導により、フィリピンで亡くなられた数多の戦没者と戦後その地を開拓された古川外男さんご夫妻のご冥福を祈り、一行の代表として慰霊の詞を述べさせて頂いた。
昨年は高校生、大学生が今年より2倍程あって、高校生でタバコを買いたい等、オイスカの植林フォーラム一行としては考えられないことがあったようだ。 しかし今年は誓約書を取ったことで、紳士的国際交流を進める意味でよかったと思った。しかも今回は、会社員でボランティア精神で参加してくれる人達が多く、またバゴ研修センター10周年記念式典ももたれ、ロータ

リー・オイスカ共同事業で、役員、関係者多数の参加もあった。
このオイスカバゴ研修センター10周年記念式典にはジャネット・トーレス市長さんを始め、国会議員、市会議員、地元の来賓の方多数が参加されて盛大な記念式典が執行された。静岡県でもあった停電騒ぎがフィリピンでもあったので、マイクが使えない、レコードテープも入れ替えたりした。しかし立派に式典は続行されたのは、司会者や所長さん等、皆さんの準備の良さに感心した。
バゴ市の山間部の小学校訪問と植林にいった時ポリスではなく、銃を持った兵隊が何人か付いて行ったのは、市長さんと我々日本人に万一の事があってはいけないというゲリラ対策であると聞いて、治安の面でフィリピンは不安があることがわかった。
平和の全ての面で恵まれている日本の有り難さをつくづく感じた次第である。
幾たびかの海外旅行を経験している私ですが今回の旅には格別のものがありました。法人会女性部会における社会貢献の一つ「手づくりノート」の寄贈というお役目のもと、ちょっとした好奇心の軽いのりで参加した私にとっては予想以上の感動の旅でした。
ネグロス島の生活は物的に恵まれすぎている日本と比較するとひどく貧しいものでした。まず私は豊かさと貧しさについて学びました。この事は近年私が地球環境を含めて人間として生まれてきたことの使命、宿命を追求していく中でのテーマでもありました。物に恵まれた豊かさが幸で物的に貧しい事が不幸せとだれが決めたのでしょうか。ネグロスの島の人々は、素朴で純真でした。私たちを迎えてくれる全ての場面で、それを感じ、それは暖かさと愛に満ちあふれたものでした。手作りのセレモニー、手作りの料理、細やかな気遣い、この日のために、一生懸命練習したであろう演芸会。子供達の笑顔は、無邪気でカメラを向けると始め1人であったファインダーの中は、あっという間に集まってきた顔で一杯になってしまう。カメラに収まりきれない子供達は、仕方無く外してシャッターを押す。フラッシュに大歓声がわき起こる。ちょっとしたふれ合いの全てに言葉は通じなくても、それ以上のコミュニケーションを持つことが出来、親しみと優しさに包まれ心あらわれる思いの連続でした。この喜びは、決して、お金で買うことの出来ないものであり、自然を慈しみ自然と共生する生活、まさしくこれが幸せそのものであると目の当たりに感じることが出来ました。海と空との境のない果てしなく広がる海辺でのマングローブの植林

、でこぼこ路をトラックの荷台に乗っての移動、広大なオイスカ農場での植林、満月の夜の屋外での食事会、突然のスコール等々。
感激と感動と感謝と私はすっかり『感・感・虫』になってしまいました。又、この旅を通じて長年に渡るオイスカのすばらしい活動に接し、この地道な活動を支え続けていらっしゃる人々のご苦労にも深く頭の下がる思いで一杯でした。この素晴らしい旅を有難うございました。
フォーラム期間中には子供共々皆様にはたいへんお世話になり、ありがとうございます。渡航中、親子共々健康で過ごせたことうれしく思います。
当初、参加の理由として、子供に日本の生活とは違う国に行き、自分の国の生活の豊かさを知り、実感させ、母親にわがままばかり言っている息子に何かを感じ取ってほしかった事。そして、私ごととしてオイスカの趣旨も多少なり理解が出来たこと、それからなによりもフィリピンという国に行ってみたかったという単純な理由で参加させていただきました。
実際フィリピンに着き、植林フォーラムの行動をするまでは観光気分で考えていたわけですが、島に渡り、島民の生活、そこで暮らす子供達を見て、オイスカの趣旨がより理解できたように思いました。
静岡での参加説明会の時、「現地の子供の笑顔はとても良く行ってみればわかる」と話されましたが、自分も行ってみてよくわかりました。由次も「ここの子たちの笑顔っていいね。きっといじめなんてここにはないよね」と、 自分が障害を持って生まれ、ずい分友達にいじめられていたことを考えながら、フィリピンの子供達はいいな。と思ったのだと思います。
私も英語を話すことが出来れば、もっと子供達と楽しい時間が過ごせたのにと、残念に思いました。帰国後、参加のしおりを読み直し、参加前の考えを、少し恥ずかしいと思う気持ちです。妻にも、チャンスがあったら長男と是非参加してみたらと勧めた次第です。
帰国後、新聞にフィリピンでの事件が書かれていました。オイスカの職員の方々もご苦労の多いことと思われますが、どうぞお体に気を付けられ頑張って

下さい。
参加して、本当に自分のためによかったです。
はじめは、すごく単純に「木がないから木を植える」と思っていました。参考文献をよんでも、(財)オイスカがなぜ植林をしているのか、子供の森計画も全然私の頭の中では消化されていませんでした。
でも、実際にこのフォーラムに参加して、子供達やフィリピンのいろんな人と出会い、オイスカのしている事を目の前にして、やっとわかりました。昔、理科で習った食物連鎖作用のように、木を植える事によって、その後例えば水が浄化され、貝や魚が育ったり、子供達に木を育てる気持ちや意欲が芽生えたり、そうゆう事全てが人が生きる事につながっている。素晴らしい事ですよね。そんなことに私が少しでも手を貸す事ができたかと思うと、うれしいです。
植林の他に、私には「子供達に会いたい」という目的がありました。まあ、「会いたい」というより「心の触れ合いを持ちたい」という事ですが...。皆はどう感じているのかな? とにかく私は早く子供達に会いたかったし、触れ合いたくて、モロカボック島についてからはウズウズしていました。あんなに積極的な私は日本では見れなかったと思います。自分でも驚きです。大人も子供もすごく純粋な目、優しい心を持っていますね。触れ合ってよけいに感じました。
子供達と触れ合うたびに、私の中に何ともいえないパワーがでてきたし、逆に子供達からすごいエネルギーを貰いました。
フォーラム中に何度も子供達と触

れ合い感じ、学んだ事。保母という仕事をしていて良かった!私には、子供達の笑顔が純真な心がすごく必要であり、イコール私の生きていくための命でもある。今までは、というか保母になりたいと思った理由が「母親と触れ合えない子供達の第二のお母さんになりたい」で、常にそう思って仕事してきました。でも、今は違うんです。さっきも言ったように、お母さんや子供達に必要とされる側ではなくて、私に子供達が必要である事がわかりました。この気持ちを忘れずに、仕事を続けていきたいですね。現実の世界に慣れてしまうといつしか忘れてしまいます。でも、そうしたらまた日本を離れればいい。自分に無理なプレッシャーはかけたくない。またいつか、あの子供達にお互い成長した姿を見せたいですね。
それから、年齢や境遇の違う人との出会いにも感謝しています。短い時間を一緒に過ごしただけなのに、あんなにも気を許せて語り合う事ができました。もう、一生大事な仲間、友達です。これからも宜しく!
フィリピンタイム!ということで日程に大分変更があったけど、あれはあれで。
日日仕事で時間に追われていますが、その中でも子供達はいつ何をしでかすかは予想がつかないし、同じ子でも毎日違いますから。正直少し嫌に思った時もあったけど、でもおもしろかったです。
ただ、もう少し、1箇所の子供達とじっくり植林を通して触れ合いたかったですね。植林自体のやりかたも、ちょっと考えるべき点があると思います。
あと、私のちいさな野望ですが...デイケアセンターは日本円で50万で1箇所建つそうです...。
フィリピンにいて、いつも「あ〜、ここに皆(日本の友達)がいたらなあ」って思っていました。そしたら、言葉や写真では伝えられない感動を一緒に感じる事ができたのに。押し売りはしたくないけど、ちょっとでも私の気持ちを感じてもらえるように、周囲の人達に伝えていきたいです。
本当に皆さん、いろんな意味で『ありがとうござい

ました』。
See You Again!
ぼくは、7月ごろ父から「フィリピンで植林ボランティアをやってみないか?」とさそわれました。最初は外国に行ってみたいという気持ちから行くことに決めました。貧しい国だと思って行ったフィリピンのマニラは、日本と変わらない町でした。だけど、一歩島に入るとマニラとは全然違ってとてもびっくりしました。あまりにも何もなく、犬もやせて細っていて子供も多くマニラと島は、どうしてこんなに差があるのだろう?と思いました。僕が住んでいる日本にも、これほどの差がある場所があるだろうか?最初は外国に行ってみたいという気持ちだけだったけど、どうしてマングローブを植えないといけないのかがわかりました。僕が植えた木がちゃんと育ってこの島の人たちの役に立ってくれることを願っています。僕たちは平和な生活をしているけど、フィリピンの人達は豊かな生活ではなさそうだけど、フィリピンの人達は笑顔多くて、いじめもなさそうなので、楽しい生活ができると思います。
まず第一日目はモロカボック島行きです。サガイ市の港より一時間ほど舟に乗ってモロカボック島に着きました。大歓迎のセレモニーが終わり1時間の自由時間となりました。校庭の木立のまわりがキラキラ輝いて光っています。”なんだろう。きれいだ!!”近づくと高い木の葉から蜘蛛の糸のようなものが地面に下がり、それに1cm位のグリーンの色をしたい

も虫が20cmおき位についているのです。1本の木のまわりを何十本もの糸が小さないも虫をつけて風にふわふわゆれながら立っているのです。あの木も、この木もまるでメリーゴーランドの様です。なんと素敵な島なのでしょう。それから、葉や木を観察していると、私に興味を持った3〜4人の男の子が私について来ましたので、すぐ紙に虫の絵を描いて”一緒に採ろう”といいましたら、まず最初に採ってきてくれたのはハエです。なにしろハエは、だれが見てもだれに聞いてもこの島に一番沢山いる昆虫です。次々に男の子が増え場所も移動しながら学校の裏庭をグルーと一周しました。雑草が茂っている所に行くと”スネーク”と教えてくれる”フムフムこの島にはヘビもいるのか”こっちへ行こうと次から次へ場所を変えてみつけてきてくれます。2cm位のキンカメ虫を沢山採ってきてくれました。クモも採ってくるので又絵を描いて”これは足が4対あるから違う”と言ったのですが分かったかなー。そういうわけであっという間の1時間でした。それから食事はカニ、めずらしい貝、バナナの皮の蒸しパン、焼き鳥、鳥料理etc・・・・。なれとは恐ろしいものです。始めはハエが気になっていたのですが、そのうちエーイイヤもー。と思ったらだんだん平気になってくるのです。でもコーラのビンの中でハエがおぼれてしまったのだけは飲めませんでした。子供達は皆明るく人なつっこくて島を案内してくれた3人うち2人が自分の家を教えてくれました。ハイスクールの子供です。で、きっと島の中でも中以上の家庭の子供達と思います。家はちょっと見るとバナナの葉と竹との組合せ。大風が吹けば飛んでいきそうな家が多くその為トイレは半数くらいの家が無いと聞きました。家の裏が海なので水洗トイレです。家にトイレのある家も、海に行き捨てるだけで

すですから私たち一行34名が行くに当たり、トイレを2基用意してくれてありましたが大変なことです。島民にとって他国の人たちが大勢で泊まるということは始めての出来事。随分刺激になったろうと思います。帰りはネグロス本島との中間くらいにあるホワイトビーチに寄りました。ジャイアント馬場が足の裏を見せているのではないかと比喩できるほどの珊瑚だけのビーチです。皆楽しそうに泳ぎました。そして午後は慰霊塔参拝です。ネグロス島だけで1万6千人余の方が亡くなられた事をお話下さいました。夜ベッドに入ってから思い出したのです。嫁いであまり日がたってなかったときです。義母が自分のアルバムを出して見せてくれた時のことです。その中に義父の出兵の写真がありました。主人が子供で写っておりましたので昭和17〜18年の頃のことと思います。その時戦病死だった事を義母は言っておりました。私もまだ若く"あーそうなんですか" で終わりました。そして8年前義母が亡くなりもらった遺品が"子供を頼む"という義父からの軍事ハガキだったのです。義母はずーっと持っていたのです。その事を思い出したら涙がぽろぽろ出てきました。本当に戦争とはむごいものです。次の日は10周年記念式典でしたが式典でのハプニングはオイスカの研修生の体重で舞台の床が抜けてしまったことです。あれは危なかったです。そのあとのパーティーの食事の中で豚の内蔵を血液で煮たおかずは始めて食べるものの一つでしたが、ぱらっとしたライスにかけて食べてみました。レバーペーストを塩味で味付けし、臭み消しにショウガの千切りをたくさん入れてありました。"うん、ヤギ汁よりいける!!"と思いました。
11日はナハバ小学校が印象的です。炎天下の式典が終わると迷彩服を着て銃を持った護衛が植林をするまわりをずっととりまいています。その中で植林が終わったあと、ここでも子供達と虫探しをしました。モロカボック島は男の子ばかりでしたが、山の小学校は女の子ばかりです。早速、絵の虫を見せて学校の裏庭で虫さがしです。時間があまりありませんでしたのでと

ても仲良しになるとまではいきませんでしたが、それでも一人の女の子はバスに乗った私にいつまでも手を振ってくれました。山の子供はとてもはにかみやの子供達ですが、虫採りとなるとちょっと違って元気になります。海の小学校と山の小学校とは印象が違いました。
最後はカンラオンです。カンラオンの湧き水が豊富な場所で水田には良いところだという印象は受けました。大小の石がごろごろと今でも畑にあるのを見て、大変な所だったんだと思わざるをえません。それでも今でも通信システムが何も無く、直接話しをするしかない事は本当に陸の孤島です。オイスカの研修センターへ、カンラオンの役所へと何らかの方法ですぐ連絡の取れるシステムが出来ることを願わざるをえません。一日は長いのに一週間は短い植林フォーラムが終わりに近づきました。腹六分目にコーラと水の一週間。最後の日に同じ5班の砂子さんに"行くときと帰りでは顔が違う"と言われる位、日に焼けてしまいました。
最後に国際ロータリー第2620地区の皆様、オイスカ支部の皆様、私たちを迎え入れる準備をして下さったフィリピンネグロス島の皆様ありがとうございました。
今回は2回目の参加となり、次のようなことに注意をはらって見てみた。
Q1 昨年、植林した所(モロカボック島)はどうなったか?
観1 マングローブは定着していた(満足)
観2 宿となった校舎の北側に植林したマホガニーは80%位が枯れていた。
《 島の人の話ではエルニーニョの影響か雨が降らず水不足であった為とのこと 》
Q2 今回訪問した所は緑豊かな所だったがなぜ植林が必要なのだろうか?
観1 同じ緑でも草では保水力が無い
観2 雨期は緑だが乾期になると緑が消えてしまう。
Q3 比国では植林に対してどの程度理解されてい るか?
観1 子供の森(CFP)は満足レベルと思う。
観2 大人の森(AFP)はあるのかないのか不明
《 カンラオンでは木を切っていた。あの後植林 がされれば◎であるのだが 》
Q4 植林以外にも我々に出来ることはないのか
観1 いっぱいあると思われる
《 オイスカの会員を増やす 》
★ この文を読まれた皆さん個人で考えて可能性を見つけて進んでいただきたい。以上
私は始めて森を育てるための植林をしました。今まで日本で森をつくるという未来を考えて木を植えたことはありませんでした。自分が少々木を植えたところで森になるのものか?ましてや日本では新たに森にするほどの場所も私の知る限りではあり

ません。でもオイスカでは何年も前から日本から何十人という人達が植林に行き、そして森に育っていると聞きました。そしてその森が近くに住む人達の役になってきていると聞きました。森はしいては地球の未来のためになるものです。私のような小さな力でも多くの人の小さな力の仲間入りをさせてもらって大きな力となればいいなと思い、このツアーに参加しました。
始めの植林はモロカボック島の学校でした。「ヤシ」と「アカシア」の木を植えました。島の子供達といっしょに植えました。島の子供達は私たちが着いたとき、バトンガール達のすごい歓迎ぶりでした。また大人達も私たちの通る道まで出てきてくれて出迎えてくれました。そして先ほどの植林を手始めに行ったのです。その後、潮の満ち引きの都合にて夕方海岸でのマングローブ植林をしました。この島はそれこそ前々からも日本の人達が何回か行ってマングローブを植えていたので、それらの木が大きく育っていました。島が少しずつ大きくなっていくのかなあと思ってしまいました。さてこのモロカボック島には始めて私たちが泊まるということでサガイの人達の応援にて、飲み水の用意から食べ物、ベッドetc...、色々と準備をしていただきました。島の人達にとってはいつもと違う忙しい日々だったでしょう。もちろんサガイのオイスカの人や市の人達もたいへんな準備であったと思

います。そのおかげで私たちは楽しい一泊をさせていただきました。私たちは木を植える以外の時間で島のハイスクールの子たちと小グループをつくり島のいいところへ連れていってもらいました。そこへ行く途中、身振り手振りでしたがいろいろ話しもできました。私は、そのかわいい友達たちといっしょにマングローブを植えられた事、本当にうれしく思いました。少しの時間でも会話が出来たことで、ただ行って話しもろくにできなくて植林するというのとは全然違います。子供達の態度が違うのではなく、私たちが違うのです。最初にモロカボックの子供達と植林ができて本当に良かったと思います。「言葉がわからないから」と自分で後ずさりしていた部分が大きく前進できた気がします。
島の植林が終わってサガイ市に入るとサガイ市の人たちが私たちのために昼食会を用意してくれていました。心からのもてなしにありがとうという言葉を心を込めて言いたいです。次の日にはバゴ研修センター
10周年記念式典がありました。ここでは記念植林として並木を植えてきました。ポツポツと雨が降ってきましたが急いでみんなで(長期班・短期班)植えました。並木の横には田んぼがあって水路がありました。植林をした手をその水路の水で洗いました。(センターの人が容器に水を入

れて流してくれました)ぬるま湯のように温かい水でした。田んぼの中を通ってきた水だからとのことでした。記念植林が終わる頃にはスコールになっていました。それでもジプニーに乗って『かいこさん』を見てきました。美しい糸が沢山とれるといいですね。雨が上がってからカラマンガン海岸にてマングローブを植えました。途中で小学生の子供達と合流して植えました。今度の砂地はとても堅くてモロカボック島の様に簡単にはいきませんでした。センターの人が砂地を掘ってくれて私はやっと1本、2本と植えることができました。(木を植えるといっても私がしたことは一番おいしい所だけをやってきた様です。私に植林の手伝いをさせてくれてありがとう)
さて、この海岸にも先人達がマングローブを植えて下さり森になっていました。でもやはり育ちにくい所もある様でところどころ抜けている所がありました。とにかく植えていくということで植えてきました。子供達も頑張って植えてくれました。次の日はバゴ小学校訪問で素敵なセレモニーがありました。次には保育園も訪問しました。とてもかわいらしい子供ばかりでした。次には山の上へ上へとのぼっていき、ナハバ小学校という学校に行きました。ここの子供達は島の子たちとはちょっとちがって恥ずかしがり屋さんが多いようでした。植林の時には男の子が一生懸命に穴を掘ってくれて植林させてもらいました。ここでの植林が終わり山を下りて昼食会(ここでも心づくしのおもてなしがありました)すてきなダンス(男性の(日本人)目が輝いていましたよ)その後、ナチュラルウォーター(VIVA)の工場見学、原生林見学をしてきました。原生林本当に少ないなと思いました。山には松が植えられていました。このとき雨が降っていました。次にジェイモンテリア小学校に行きました。雨の後だったので植林しやすい様にと子供達が穴を掘ってくれてあった中に雨水がたまっていましたが子供達といっしょに植えることが出来ました。終わってからはスナックタイムです。ナハバ小学校でもそうでしたがみな心づくしのスナックを用意してくれてありました。準備は大変だったでしょうにありがとう。この日は短期班の人達が帰る日でしたが飛行機が飛ばず次の日朝早く出かけていきました。私たちはカンラオン研修センターに向かいました。「きれい」始めの一言です。農業モデル地区となっているだけあって、美しい田んぼ、そして庭、予定がくるってしまっていたので植林は予定していた1,000本の半分の500本になりましたが山の途中で植えました。植えているときは一生懸命でしたが終わって振り返ると素晴らしい眺めです。すぐ下に段々田んぼがあって、池があって右向こうには海が見えて、夕食会でのセレモニーも楽しかったです。そして何よりも雨期に行った私たちに素晴らしい星空が迎えてくれました。日本では見られない美しさでした。
これらの素晴らしい体験をして帰

ってきたわけですが、ボランティアを行うという事、今まで自分が考えていた基本はだいたい合っていたと思います。でも一番必要なことは、やはりその現地に行かないと出来ないという事です。何をどうしたいのか。どれをどの様にすればいいのか、そしてそれを現地(場)の人たちと共に行うには、そしてその後の事は....とても難しいことです。でもだからといって何も手を出さなければよい方向へとは変わっていきません。私たちが沢山の木を植える事はできなくても、そこの人たちと手を取り合ってやっていこうという気持ちはいつまでも続けていきたいことです。でも私はやはり日本人ですね。頑張ろうという気持ち、長く続きません。山を登るだけで息をきらして「まだー」と言葉がでてしまう。現地の人たちは重い苗やシャベルを持ってきているのに、せめて私の出来ることから少しずつ、なんといってもそれをやってきた日本人がいるのですから、オイスカはこれからもやっていくわけですから、それにロータリーもどの国にもあるわけですから、地球にとって良い事を、人も木も海も山も空も.......
フィリピン・ネグロス島のマングローブ植林に佐久間啓介が出会った。
各地にて数回にわたり行われた植林、小学校訪問
そこでもっとも強烈に記憶に焼き付いたこと
それは子供達の明るさ、素直さ
物質的に恵まれていないのは明白でも彼らの瞳の輝きは日本の子供のそれとは異なっていた。
陰湿ないじめなど彼らには無縁だろう。
物質的に裕福になった日本の子供はテレビや雑誌から無秩序に流されるくだらない情報により蝕まれて素直であることが恥であるかのようにさえ思えてくる。
現地の子供達の目に我々一行はどのように写ったのであろうか?
”自分の国の自然も守れないくせに余計なお節介をして自己満足する偽善者”
いささか自虐的過ぎるだろうか?
(過剰とも思える歓迎ぶりから迷惑がられてはいないのはわかる。)
はっきり言って今回の植林作業は我々が手を貸さずとも現地の人だけでも成し得たであろう。
では彼らが真に我々に望むことは?
我々がわざわざ彼の地まで出向いた意味は?
彼らは我々になにも望んでおらず、来てくれたことだけで感謝しているのだ。
そしてこれらの経験をしたものは自分が見聞きした現実を日本にいる人たちに語り、広く知ってもらい更に己の人生を改善して行くことが自分が今フォーラムに参加した意義だと考えます。
今回、始めて社会人として民間団体のボランティアに参加しました。大学時代、私は大学主催のワークキャンプに3回参加しました。場所はバリ

島が1回、インドネシアのスンバ島2回です。約2週間の滞在でした。社会人になってからは休みの都合で、なかなかこういったワークキャンプに参加することが出来なかったのですが、今回、この期間、会社が休みであったためなんとか参加できたのです。
社会人として、又、フィリピンは初めてでしたので、学生時代、インドネシアで経験したものとはまた違う今回のワークキャンプでした。まず感じたことはしっかりとした組織力、そして今までの過去の実績です。モロカボック、各小学校訪問、研修センターなどを訪問し、そのことを感じました。特にカンラオン研修センターでは日本的に管理、組織化されていましたし、あれだけの立派な農場をつくることは大変だったことが想像できます。古川さんの努力を改めて感じました。また、それをひきついだ人々の努力もすばらしいものだと思います。
民間ボランティアということで、参加した年齢の幅が広く上は59歳から下は16歳まで(長期班)で、参加動機など色々な考え方を持った方々が集まっていたと思います。
私自身、「できるだけ現地の人に接するようにすること」「共同の精神を持つこと」「相手を尊敬し、感謝する気もちを忘れないこと」を心がけるようにしました。だから「日本人が植林をしに来てやった」という気持ちではなく現地の人と共に協力しあいながら植林を教えてもらう気持ちで取り組んだつもりです。実際、日本人が植林をしたところで現地の人に比べれば全然遅いに決まっているのだから。フィリピン人、日本人が植林することの大切さ、必要性を認識す

ることが植林フォーラムの要であると私は思っています。
最後に我々を快く受け入れてくれたフィリピンの人達に感謝したいと思っています。私が想像していた以上の歓待を受け、余りあるほどの食事を用意してくれていました。沢井さんも言ったとおり、最善の準備をしてくれていたと思います。彼らの気持ちを素直な気持ちで受け入れることが国際協力の中ではとても必要なことだと私は思います。