地球環境再生植林フォーラム'99タイ国チェンライ県コース(静岡班)
参加者感想文集

冨永 和樹
 
 僕はオイスカの植林フォーラムに偶然参加することが出来ましたが、たくさんの人に出会えて様々な体験ができ本当に良かったと思います。
 僕はタイに行くのは初めてだったので、すごく楽しみでタイの人達の人柄や食べ物等がどういう感じかというのが気になって仕方がありませんでした。ボランティア活動は始めてでそれも海外で植林ということだったのですごく楽しみでした。
 タイの空港に着いたらロータリーの人達が笑顔で迎えてくれて表情には出しませんでしたが嬉しくて感動しました。
 最初の植林活動はランカー小学校でした。僕は子供は苦手な方ですけど、ランカー小学校の子供達は人懐っこくて、よく笑う可愛い子ばかりで自然とつきあうことが出来ました。ランカー小学校に限らずタイの子供達はみんなこういう子供なんだろうなと思いました。植林活動の時はよくしゃべるおもしろいおばさんに気に入られて、ずっと一緒に作業しました。タイ語でしゃべている時は分かりませんでしたが、雰囲気が伝わってきて楽しくて仕方がありませんでした。
 ホイマッケン小学校での植林は高いところが嫌いだったので大変でした。村見学の時に偶然アカ族の親子の家に行って、食べ物などを出してもてなしくてくれたので、とても感動しました。
 すべての植林が終了して県庁で感謝状をもらったので嬉しかったです。
 今回の植林フォーラムは楽しいことが多かったのですが、同時に色々なことを知り感じました。物乞いをしてくる子供達の話は聞いていましたが、ミャンマーで実際に子供達に物乞いをされたとき耐えられずに何度もお金をあげたらバスまで付いてきて子供達にもバスに乗ってた人にも申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
 今回の植林フォーラムで行った場所はまだ木が多くありましたが、聞いた話だと木が全然ない山や森林伐採が深刻な国がたくさんあるそうなので今後も植林活動はもちろん、他のボランティアにも参加し、そのような事に携わった仕事に就くようにします。
 今回の植林フォーラムが楽しいだけで終わらず、多くの人達と出会い、多くのことを感じ、実際に海外で植林をして森林の大切さや発展途上国の現状が少しですが分かったのでとても良かったです。
 本当によい体験、ありがとうございました。
 
 
井上美知代
 
 雨期だという事で雨は当たり前なのですが、やはり天気の良い事はいいものです。だから一番印象に残ったのはホイマッケン小学校のあるラフ族の村です。集会場の落成式典は女性禁止の為、一時間を虫取りに当てました。教室の横を1人の男の子供が歩いていました。その子は皆が坊主頭かタレントの”ウド”の様な髪型をしているのに一人だけすそ上げにして髪を伸ばしているのです。ちょっと見ると日本のどこにでもいる様な子供ですがラフ族の村ではちょっと異質です。その子を呼び止め紙に虫の絵を描いて「行こー」と言い二人で虫を探していると男の子達が次々とついて来ました。運動場の横にしょうが畑が有りました。そこに丁度カメムシがいて私が指をさして「これこれ」と呼ぶと皆はすぐ分かりショウガ畑を行ったり来たりカエルもトカゲもクモも何でも私に持ってくるのです。次はショウガ畑の横にある十六ささげの豆ののような畑に入りました。この畑にも沢山いました。子供達はこの豆を取って、こりこりとそのまま食べています。”ふむふむなるほどここの子供達はお腹がすくとそのまま豆を取って食べるのか”と思いながらそれでも次々と虫を取ってきてくれます。一通り取り終わり運動場を横切りました。男の子供達はそれで終わりになりました。次々に山に入る道がありそちらに伺うと女の子供の一団がついて来ました。今度は今までに採集した虫を見せることが出来ますので私がやろうとしている事がすぐ分かりました。皆で一本道を歩きます。トンボもチョウチョも沢山います。「ヌン、ソーン、サーム、スィ、ハー イチ、ニ、サン、シ、ゴ」と皆で数を数えながら沢山採集しました。私が見つけて「それ、それ」と言うと皆で「それ、それ」と言いながら背の高い女の子が両手でパッと採ってくれるのです。皆で「それ、それ」「グゥード」「いる、いる」「いないねー」等、山へのつき止まりまで歩きました。チョウチョウも沢山いましたのでチョウチョの唄も歌いました。”チョウチョ チョウチョ 菜の花止まれ”楽しい虫取りも終わりに近づきました。もう植林作業の人々が一列に並んで山に向かっています。急斜面の植林が始まります。すっかりさぼってしまっているので”チョウチョ”の節で”おさぼり”の換え唄を皆で歌いながら学校に着きました。学校に着くと私はカレー係ですがカレーもおおかた煮えて結局カレー係もさぼってしまいました。
 落成式の一時間はあっという間に過ぎてしまい次の行事は余興です。私が思っていたフフ族の服装での余興です。その中で何といっても一番は初老のおばさんの踊りです。単調のリズムのおどりの中で仕草と雰囲気が何とも言われません。日本の盆踊りもそうですがプロのおどる盆踊り程味気ないものはないです。そのおどりも終わりいよいよ昼食になりました。後で食事のことを思うと私はここの豆腐スープとお寺のおかゆが1,2を争います。次がここの豚の角煮です。柔らかくおいしく煮てあります。それに学校の生徒は30人程が寄宿生活をしているということで給食室?もあります。しかしどこに寝泊まりしているのか聞き忘れてしまいました。もしかすると村の家に分かれて寝ているのかなと勝手に思ったりしました。そして村の中を散歩です。愛知県犬山のリトルワールドにアカ族の家がありますので中に入れてもらい”フムフム一緒だ”と思いながら村の中を採集しながら歩きました。黒豚もいます。ニワトリ、アヒル、インコも皆一緒に生活をしています。
それにしてもハエが非常に少なくなかなか衛生面は良好です。いよいよ帰りの時間になりました。一緒に虫取りに行った女の子が涙をふいています。私の後をただただついて来た子供がニコニコしています。本当に思い出深い一日となりました。
 この植林をした急斜面程いろいろな植物が根をはやし、その根でもって土の流出をくい止めることが出来る様、それには下草刈りをしていろいろな草の根が入りまじり土の流出をくい止める、そんな大変な作業をこれから地元の人達はやっていかねばなりません。植林した木が流出しないように願わざるをえません。
 雨のどろんこ植林、フォールデントライアングルの観光、朝市の食用コウモリやカエルの市場。おいしそうなハチの巣、ナイトバザールの山岳民族の衣装等本当に短い植林フォーラムでした。最後にピアニカを集めてくれた榛原郡川根町笠間中学校の林先生を始め生徒の皆様、個人的に集めてくれた塚本様、どうもありがとうございました。
 皆健康で帰国出来た事を感謝して感想を終わります。  
 
青島 正尚
 
 ホイマッケン小学校の午後のセレモニーは、少数民族ラフ族の少女達による伝統舞踊で幕が開けた。鮮やかな刺繍で彩られた黒衣を身にまとい、獣を想起させる長い付け爪が笛の音に合わせてたおやかにリズムをとる。日差しは午後になって強くなり、額はじっとりと汗ばむ。短時間ではあったが村の人達と共に急傾斜地の植林作業をしたあと、現地と日本の2カ国のカレーでもてなされた昼食のほろ酔いが加わって、心地よい疲労感に包まれる。はにかんだ笑みをうかべた少女達の幻想的なステップに砂塵がゆるやかに舞う。それはタイ北部の山岳地帯ににわかにゆらめいた陽炎のようだった。
 「この活動は地元民への意識啓蒙であると同時に、戦後日本がやってきたことの代償行為でもある。」今朝のバスの中、最年長の三田さんの言葉がよみがえる。日本はこれまでどんな道筋で歩んできてしまったのだろう。今日は8月9日。遠く長崎や広島を思いやる。これから日本はどこへ向かおうとしているのだろう。生まれてくる未来の子供達を思う。
 国を守る基本は教育と環境だという。両者は本来切り離すことのできないものであるが、戦後日本の教育はずいぶんと子供達を環境(自然)から切り離してしまった。二十歳を過ぎて登山を始めたが、知識ばかりで生きる知恵に欠けている自分を痛感することもたびたびあった。
 平成15(小・中は平成14)年から施行される新指導要領に、「総合的学習の時間」が導入される。既成の教科書の枠を取り除き、環境問題、郷土理解など体験学習も含め自由なテーマで授業を展開する。教科書もなければ評価もない。「国際」「情報」「福祉」など教育界への要求(課題)は限りないが、昨今の閉塞感を打ち破るには、この環境・ボランティアにひとつの突破口があるように思われる。地球を思い、足下の土を掘る。妙に力むことなく行動に移せる、新しい価値観をもった世代の可能性を、今回参加の学生さんや小学生参加の皓太君にも感じることができた。
 大きなマイク音で我に返る。セレモニーはバンド演奏へと変わっていた。さほどポピュラーでもないグループだそうだが、子供たちは強い関心を示している。その関心は残った昼食にも向けられている。このタイ国も、貧困や地域格差といった様々な問題がいまだ山積みしている。無垢な子供たちはきっとどんな環境でも生き延びようとするだろう。紫外線が肌をさしても、酸性雨がふりそそいでも、運命として受け入れていくのか。そういうわけにはいかない。ちょうど今日植えたキレークやサダオの苗木に、間伐や下草刈りをするように、何か手だてをしていかなくてはならない。鍬を握って汗をかき続けなくてはわからぬことがある。雨季を感じさせる湿った風が、混乱する心を撫でていった。
 今回貴重な体験をさせていただいた、オイスカおよびロータリーの方々、参加の皆さん、本当にありがとうございました。
 
 
河崎 陽子
 
 今回初めて植林フォーラムに参加して、なにもかもが私にとって初めての連続だった。
 植林をするために4ヶ所、小学校や村などへ行ったが、人見知りではじめての場所が苦手だったので、内心は言葉も通じない人達といっしょに木を植えたり、交流したりできるのだろうかと、不安でいっぱいだった。しかし実際行ってみると確かに言葉は通じないが、少しずつわかるようになってくる。しかもこちらもかまえないで子供達やその村の人達と身振り手振りで気持ちを伝えたりできるのには、自分自身が驚いた。木を植えているときに困っているとすぐに助けてくれたり、手をかしてくれたり、教えてくれたりして、その行動がとても自然なので気持ちが優しくなっていくように感じた。しかし現地のことをなにも知らないことで、自分の行動が現地の人に迷惑をかけてしまったこともあるように思った。日本で生活していると、自分自身何ができて、何をするかを常に問われているようで、それに夢中で、他人に対する思いやりを考えるのは二の次になってしまう。今回それを強く実感し、反省した。
 そして又、訪れたところで歓迎を受けたり、短い時間でも楽しく過ごせたと思うことができたのは、オイスカの様々な活動とそれを通じての多くの人々の大変な努力があったのだろうことを感じずにはいられなかった。このフォーラムは、オイスカの活動の中でも表面的で華やかな部分で、根本には現地の人がふりむこうがふりむくまいが、日本人だけで植林をしていく活動があると聞いた。今回はオイスカの活動の一部を見たという気持ちで、自分自身何もできなかったのでボランティアをしたと思うことには抵抗を感じた。多くの木が切られて環境破壊が進んでいること、それを改善しようと活動している人達がいること。現地の人がその活動に対して色々感じているだろうことを少しだけ見た。そして自分の知らないことがたくさんあってもっと知っていくべきだと思った。
 このフォーラムに参加して感じたことを言葉にするのは難しく、まとまりのない文章になってしまったが、この経験をこれから何かにつなげて生かしていければと思っている。
 
 
高木 重幸
 
 新聞を見て、このフォーラムが今夏にあることを知りました。以前、オイスカ高校でお世話になった時、海外研修引率の経験はありましたが、また違った角度から色々なことが学べるのではないかと思い、参加してみる気になりました。
 私は日頃、環境の変化を体感し、また意識して生活をしているわけではありません。世間では、世紀末とかノスタラダムスなどということばを耳にしますが、そんな戯言など気にせず、むしろ「そんな簡単に地球は滅びっこない。」と考えている一人だと思います。しかしこのフォーラムでは、色々と考えさせられました。
 地球誕生46億年以来、地球環境を悪化させる出来事は何度も起きてきましたが、その都度、地球自身は自然と修復してきました。だから、私たちは平気でいられるのだと思いますが、快適な暮らしを求めているのなら、地球のことも真剣に考えてあげるべきではないか。特に、何もない土だけを目にした時には、人類は環境を変化させてきただけでなく、破壊をしてきたのだと強く感じました。
 現地の人達とともに汗を流したことは小さな行為であるが、それが自分に喜びとなって返ってきた。自己満足ではいけないと思う。地道な活動である。人類が人類の繁栄を願い、自分が自分の生存を願っているのなら、このような活動を通じて、楽しみながら自然のありがたさを知り、環境について考えてみるのもいいと思いました。
 安堵で平凡で不自由さをあまり感じず、ただ仕事や趣味が中心の生活を送る私だったが、ご年輩の方や班員の若い人達が本当に強い意識を持っていたことに驚き、刺激を受けました。この6日間、視野を広げることができ、何か大切なことを学んだ気がします。どうもありがとうございました。
 
 
MOTO727(?)
 
今回の植林ボランティアは、私にとって始めての海外ボランティアとなりました。それまでに、国内でのボランティアは何回か行っていましたが、今回は今までとは勝手が違うので少し緊張していました。
 植林活動を行うタイに向かうまでは、その活動事態についてさして深くは考えてはいなかったのですが、現地に向かうにつれて自分達の役割の重要性を感じてきました。
簡単に言うと、日本政府がタイに昔行った事に対するお詫びをしに行くのが今回のボランティアの意図であると聞きました。それを聞いて、私はタイの人達に対してどんな態度をとればいいのか分かりませんでした。
 しかし、その心配も初日の活動で消えました。初めに立ち寄ったランカー小学校での植林は思っていたよりも楽でした。それに、現地の小学生達もとても友好的で、植林をしている私に寄ってきて一緒に手伝ってくれました。 言葉はほとんど伝わらないのですが、身振り手振りでなんとなくですが、意思の疎通ができました。現在の日本社会は言葉に頼りすぎて意思の疎通が下手になってきていると思います。その点で、タイの人達は日本人が豊かさと引き換えに無くしてしまったものをまだ持っていると思いました。多分、日本の小学生ではあの様に懐いてこないと思います。
 タイは日本に比べまだまだ生活水準が低く、日本人の視点から見ると貧しい生活をしていましたが、タイの人達からは貧しさは感じられませんでした。現地の案内役の人が、タイは工業化が急速に進み、人口が増加していて、森林がそのために減少していると言っていました。いざ、タイに行ってみて総合的な面でとても綺麗な国だと思いました。だから、その綺麗さが失われていくのはとても残念な事だと思います。しかし、人間は過ちを犯してからそれに気づくもので、それは止めようがないと思います。
だから、私達先進諸国の人間が、少しでも手助けすることが出来たらいいなと思いました。


橋新 耕三

 僕がこの植林フォーラムに参加したわけは、大学の授業の1つで、タイの農業の現状について色々話を聞いていたので、タイという国に行って実際に自分の目で見たくなったから、というのが第一にありました。
現地に行ってわかったことは、タイ北部では、ほとんど日本と同じような農業をやっているということです。
確かに、トラクターや田植機を持っている家は少なく、集団で手で稲を植えている光景はよく目に入りました。それはもう日本ではほとんど見られない姿です。しかし、灌漑設備が整っており、きちんと区画された田んぼが並んでいました。多分そこでは、化学肥料や農薬がまかれ、研究所で品種改良された稲が育てられていることでしょう。伝統的な農業風景が少しは見られるのでは、と期待していた僕には少し物足りなかったです。それはこのような風景かといえば、たとえば、池のような所で育つ、茎の非常に長い水稲を栽培している所や、水牛を使って田を耕す姿なのです。水稲の長い茎の部分は、水牛のえさとなったり、直接田にすき込まれ有機肥料となります。また、水牛は、農地を耕すほか、糞を、燃料や田の肥料にする事ができます。このような、有機的な循環がなされていて、持続可能な農業を実際に見て、化学肥料に頼りすぎてだんだん田畑がやせ、農薬なしではほとんど作物を取れなくなってしまった日本の農業に生かせたらな、と考えていたわけです。
それでも、山岳民族の村を訪問したとき、少しだけ、伝統的な農業を垣間見ることができました。それは、高床式の住宅の下で、豚を飼っているところや、裏庭らしき所にバナナの木が生えているところです。人の排出物を豚が食べ、そうして育った豚を今度は人が食べるということや、表の畑で換金作物を育て、裏庭では、果樹や野菜などを何層にもわたって育て、家での食べ物に多様性をもたせている、ということを聞いたことがあったので多分これがそのものか、または、その名残だろう、と思って少しうれしくなりました。
 また別の目的というか、希望として、地球や、ほかの人のために何かしたいと考えていました。現地では、どこでも歓迎されました。はじめのうちは、声をかけられても戸惑ってばかりでしたが、そのうち、意味は通じなくても、こちらも大声で何か話しかければ、自然と楽しいムードになっていました。こうやって植林はみんなまじめにしかも楽しく行うことができ、交流会では、ランカー村では、綱引きなどのゲーム、ホイマッケンではサッカーをして楽しい時間を過ごせました。彼らは僕たちが来たこと、いっしょに植林をしたことなどすべてに感謝し、本当に一緒にいる時間を楽しんですごしてくれ、僕も本当に来た甲斐があったと感じると同時に、また来たいな、と思いました。
 その後、ナイトバザールのときに、オイスカの現地職員の人と話す機会があって現地でどのような苦労があるのかを聞くと、地球環境を守るため、森林の伐採を止め、植林を行うべきだ、というのは豊かな先進国の立場から見た考え方で、現地では、今を生きていくために、木を切って薪にしたり、森林を畑に変えなければならず植林なんて言ってられない、というのが常識というか、一般的な考え方です。だから、そのような所でどのように相互の理解を深め、両方の利害を一致させるかが難しいということでした。この話を聞いた後、もう一度タイの村人の歓迎ぶりを思い起こすと、20年以上もの間、オイスカの職員の方々が、タイの人々に植林の大切さを伝えてきたから、僕のような日本人が数時間の間植林に来ただけで歓迎されたのだな、ということがわかりました。そう考えると、僕らの植林活動は国際協力の表面のおいしいとこどりをさせてもらったのだ、気付かされるとともに、このような機会を与えてくださったオイスカ、ロータリーの方々に感謝し、僕も何らかの形でこのような国際協力の骨組みの一部として働けたらな、とあこがれずにいられません。
 めちゃくちゃな文章になってしまいましたが、まとめると、とても楽しく、勉強になる旅でした。ありがとうございました。

鈴木 安晃

 私が今回の植林フォーラムに参加させてもらった理由は、国際協力や環境問題への関心があったからでした。
 高三になった頃、本格的に途上国のために何かをしたいと思うようになり、大学では国際協力、環境問題、食料といった二十一世紀において避けては通れない分野を勉強しようと思いました。しかし受験に失敗したため、また来年に向け勉強する事になりました。
 そんな、毎日の変わらぬ日々に飽きが出始めた六月のある日、新聞で今回の植林フォーラムの記事を発見しました。私は戸惑うことなく参加することに決めました。
 まず始めに言っておきたい事、それは、この植林ホーラムに参加させてもらい本当に良かった、という事です。十代という若さ故、感じることがかなりあったように思います。
 タイに着いて2日目、ランカー小学校で初めての植林をし、現地の小学生と共に汗を流し、交流を深めました。 初めは、言葉が通じず、戸惑いもありましたが、笑顔でいることですぐに仲良くなることができました。同じ目的を持って汗を流すことの大切さ、すばらしさを感じることができました。
 午後は、パートンガム小学校での管理作業に汗を流しました。途中スコールが来たため3・40分しかできず、物足りない思いもしましたが、この管理作業を通じて気を育てていくには、人間の愛情が必要なんだな、と思いました。
 3日目は観光でしたが、まさかこの観光で一番考えさせられる体験をするとは思いませんでした。ミャンマーとの国境近くで、5・6歳の子供達が赤ん坊を背負い、私たちにお金を要求してくるのです。テレビなどでよく目にする光景ではあったものの、実際目の当たりにし本当に心が痛みました。彼らはそれによって生活費を得ているのかと思うと、お金を渡さずにはいられませんでした。しかし、一人に渡したことにより子供は5人、6人と増え、どうすることもできずバスに乗り込みました。お金をもらえない子供もいたので、果たして自分のしたことがあっていたのか、間違っていたのかは今でも分かりませんが、間違っていたような気がします。  子供達の他にも、目のつぶれた老人や路上生活者がお金を求めており、タイ国内での貧富の差を感じさせられた一日でした。
 その日の夜は、ナイトバザールに行きました。高木さんと山本さんと私の3人で、値切り隊を結成し、10バーツ(約30円)値切るのに一時間近く交渉したりしました。19年間生きてきて一番楽しい買い物だったように思います。
 4日目は、私が最も楽しみにしていた、少数民族ラフ族との交流でした。行きのトラックの荷台に乗っている時は、本当にワクワクしました。ホイマッケン小学校に着くと、植林の儀式が一時間近く行われ、植林に対する思いというのか、ここの人達は植林を本当に大切に考えていることが分かりました。
 植林は山の斜面で行われました。ここでの作業で、私たち日本人と現地の人との作業のスピードの違いに驚かされました。現地の人はかなりの斜面にもかかわらず、とにかく速い。一方、私たち日本人は、斜面を登るのに精一杯で作業に乗り遅れていました。  もう一つ感じたことは作業の質です。私たち日本人は苗木を植えた後、土をかぶせ、雨などで流されぬ様しっかり固めますが、現地の人は土をかぶせるだけで終わってしまうのです。でも私は、細かいことを気にしない彼らのやり方が結構好きでした。
 作業が終わるとラフ族の村見学に行きました。私と冨永君は、ある一軒の家を訪問させてもらうことにしました。家にはいると直ぐに、バナナやメロンでもてなしてくれました。私たちもその家のチュンチャキーという女の子にアメをあげました。身振り手振りで話をしているうちに、その家族はこの村で一軒だけアカ族ということが分かりました。私は争いなどが起こらないか疑問に思いましたが、周りのラフ族の人達とうまく生活しているようでした。実際に隣の家の人と笑顔で話しているのを見ました。この家には、私たちが忘れてしまった、何かあたたかいものを感じました。どこかのんびりしていて、少しここで生活してみたいな、なんて思いました。本当にやさしい人達でした。
 5日目の植林は雨の中で行われました。私は同い年のタイの男の子と友達になりました。言葉はあまり交わしませんでしたが、心が通じ合うというか、一緒にいるだけで楽しい友達ができました。住所を聞けばよかったと思っています。ここでの植林は、とても広い面積でとにかく疲れました。でもタイの人とすべてを終わらせたときは充実感で一杯でした。また何年後かに木々の生長ぶりを見られたらいいなと思います。
 6日間という短い間でしたが、本当に貴重な体験をすることができました。
 最後に、何事もなく無事に帰ってこれたのもオイスカの方々をはじめとする現地スタッフ、それと活動を共にした仲間達のおかげだと思います。本当にありがとうございました。そしてご迷惑をおかけして本当にすみませんでした。
 これからもこの経験を生かし、将来、夢を叶えるためにも努力していきたいと思います。


中村 信也

      何が幸せか     〜タイ国チェンライ県植林フオ−ラムに参加して考えたこと〜

 通勤途中、今年の夏休みは外国に行きたいな。それも変わったところが好いな。どこか ないかな、と思いつつ職場に着きました。そして、新聞を拡げたところ植林フォ−ラムの ことが記され、参加者募集が載っているではありませんか。何たるタイミングのよさ、その場で電話しました。参加の動機は皆色々とあると思います。必ずしも植林に興味ある人だけではないと思います。だから、旅して感じたことや印象深かったことなどは人様々でしょう。
 私は山岳民族ラフ族の村が圧巻でした。私は山育ちのせいか平野や海の景色には馴染めず、山景色になると胸弾むものがありますから相性が好かったのでしょうか、今でも鮮やかに懐かしく目に浮かんできます。高床式の家々の下には、ニワトリ、アヒル、イヌが走りまわっていました(不思議と猫は一匹も見ませんでした)。ブタは可哀相です、放し飼いされておらず、床の下の囲いの中で暮らしていました。その腹いせなのか囲いの中に入ってきたニワトリをブタが追い払っていました。ニワトリは数匹のヒヨコを従え、母親ぶりを発揮していました。
 子供達は動物と交じって走り回っていました。家の中は電気はなくテレビもありません。 だから昼間でも真っ暗で、光は竹の壁から洩れくる太陽光だけです。だから、昼寝以外は外で遊ばざるをえません。かつての日本の田舎もこうだったのでしょう。日本は富という宝を得ました。そして、ニワトリはケ−ジの中に入れられ、イヌは鎖でつながれました。 ブタは輸入肉の方が安いので消えてしまいました。子供たちに親が働きに出掛け不在のために、親代わりにテレビとゲ−ム機が与えられ、賢くなるために塾にもゆかねばなりません。いくら勉強しても中々成績はあがりません。当たり前です。皆勉強していますので、 現状維持がやっとです。でも親はそのことが解りませんので成績不振を責め立てます。
 貧しきことは悲惨なことでしょう。でも、富を得ても別の悲惨があります。どんな生活 が幸せなのか今以て解りません。ただ言えることは途上国は貧しい、可哀相だという目で 見ないことです。キャンディを持って歩きましたが、与えることは貧しさを可哀相とした 金持ちの施しの思想です。意味なく与えることに抵抗がありました。物を与えることより日本の踊りを見せたり、歌を歌ってやったり、遊びを教えたりするほうが子供たちは喜んだかもしれません。


山下 みつ江

 飛行機の乗り継ぎに時間がかかりロスが多いように思いました。 これも途上国に行くが故の貴重な心構えの準備の時間だったとも思いました。
この植林も回を重ねるごとに参加する人達の心構えも意識もより高まり今年度は特に若い人達が熱心に雨の中での作業にもかかわらず懸命に働き続けてくれました。
メーラオ村の雨の中の植林作業でした。
見渡す限りの広い平地でしたが雨のため足元が泥濘みあるけないくらいでした。にもかかわらず一人の女子大生の子は重い鍬を振り上げながら穴を掘り丁寧に一本一本だいじに植えていきました。振り返ってみれば他の人達は顔さえも分からない位、遙か彼方の方まで進んでいました。
この時私は思いました。単に早く(雨のため)植えるのではなく一本一本が今後根付く様にきちんと植えることが大事なことです。こうすれば2年もすれば見上げるような大きな木に育ってくれることでしょう。
私たちは植えられた木一本一本に竹で支えをして紐で結んできました。 いつも思うことですが大勢の人だから広い範囲に植林が出来る事はあたり前ですが、もう少し仕事の分担を決めるとか何らかの仕事の進ませる方法があると思います。どうしても仕事が雑だと思います。仕事の量を考えて確実な仕事がしたいと思います。
一握りの土から自然を大切にし命ある物を慈しむことだと思います。 大地の生いたちを想像し野山の木々花の美しさに気づき心の安らぎを覚える。こういう感性や知識は人を豊かにする大切なものと考えます。 そして私達は自然を大切に守っていくことを心から願っております。
最後に数々お世話になった皆様、有り難うございました。


待井 俊之

 私がタイの植林フォーラムに参加するのは今回で3回目になります。 初回から通じ感じた事が、数々ありました。 まずは、特に感心したことは、参加者した若者たちのことです。 人は概ね、始めての地や始めての行い、始めての人との出会いなどで、不安や緊張は当然持ち合わせるもの、しかし、時が過ぎるうち、我が出てくることがあります。 ところが、今回の参加した若者たちは、一つ一つのスケジュールが進み、一日一日が過ぎていっても明るく、まじめに不満など一言も口にせず、ドシャ降りの中、下草刈りを行い、突然のミニ運動会でも全力で楽しませてくれました。
 彼たちは、今回何かを見つけたような気がしました。 又、現地の人々も、明るく逞しく、生きていく姿は何十年も前のにほんの姿にも似ているように思います。 以前の日本の農業は、機械などに頼らず、家族や地域の人々の力を借り、助け合いながら生きていた。 しかし、現在では有り余る電化製品、何でも手に入る食生活、衣、食、住、すべてが変わってしまった。 タイ国内でも少しずつ、日本のような"文化"を取り入れていっています。しかし、私自身、勝手ながら思うことは
「日本の良いところ、悪いところ、すべて学んで下さい。そして子供達も、大人達もあの笑顔を忘れないで下さい。」


三枝進吾、三枝はる江

今回は植林活動2回目だったのでなんとなく感じはわかっていたのであまりびっくりすることはありませんでした。 タイに着いてバイクの輪々車が多いのには吃驚しました。乗れるだけ人が乗っているのにも...
ランカー小学校での植林はすごい急斜面ではげ山なのに吃驚しました。何年後には青々と緑の山になっていることと思います。
 現地の人との交流、暮らしている家も現実に自分の目で見ることもでき、本当に感謝しました。
メーラオ村での植林は雨の中広い面積での植林で少し大変でした。平地であんなに広く植えてきたのでまた何年後には見てみたいと思います。
メースウアイ寺院では、女性みんなと一つ部屋に泊まれたのでとても和やかになれうれしかったです。 本当に子供連れで皆様には大変迷惑をかけました。 いろいろありがとうございました。今後の活躍をお祈り申します。


大木 皓太

僕は、行ってみて小学生みたいな小さい人が一人もいなくさみしかったけどSBSツアーズの初世さんやタイのガイドのノエさんやセックサンさんたちが、はげましてくれてとてもうれしかったです。 いろんな人が気づかってくれ、楽しくすごせました。
おわかれのときは、とてもさみしかったです。また9月の何日にまた会えると聞いてとてもうれしく安心して帰れました。
 植林では2回目の急なしゃ面でとてもこわく下を見ないで半分くらいきて下を見るとこわくて足がすくんですわりこんで「おりれない、おりねない、おりれない」などといっていると、初世さんが「おいでよ」と言ったので、おりないで登ってゆるいところからおりればいいなと考えて、初世さんといっしょにいって、しだいになれて、初世さんとはぐれて自分勝手な行動をとってしまい、そのことは深く反省しています。
 タイに行って2日目にタイのガイドのセックサンさんがおかまだと聞いてウソだと思いました。だが、しかし、ノエさんに聞いてみるとニューハーフだといったのでびっくりしました。  2回目の植林のときトラックのにだいにのっているとき、後にいたノエさんたちがのっている車でセックサンさんが投げキッスをしたのでおかまということを本当だと思いました。  タイはいろいろなことがあって楽しかったです。



欄 卓哉

 今回初めて植林フォーラムに参加させていただきました。
こういった活動自体初めての経験だったので、とても充実していて楽しかったです。
ボランティア活動というと、何かを“やってあげる”というイメージが僕の中では強かったのですが、この植林フォーラムは“一緒にやろう”という感じでした。
 はじめは、初めて来た土地に対する緊張と言葉が通じないことに対する戸惑いでかたくなっていましたが、最初のランカー小学校での植林で吹っ飛びました。村に着いたときは僕らをどこか敬遠していた村の人たちと、一緒に植林しゲームなどで交流することによって、こんなにお互いの距離が縮まるとは思ってもみませんでした。
そして言葉というのは意思伝達の一つの手段にすぎず、他の方法でも自分の気持ちを伝えられるから言葉ができないことは大した問題ではないことに気づきました。村の人たちが木を守っていくためには、この行事のことを楽しかった思い出として残しておくことが大切だと思いました。そういう意味でも村の人たちと“一緒にやる”ことは大切なことだと思いました。その方が楽しいですし。
堅苦しい交流会が多い中、メースウアイ中高校での夕食会は堅苦しくもなくて楽しかったです。食事のスタイルも変わっていたし、タイの人はおもしろい人ばかりだったですし。できるだけこういう感じの交流会にして欲しいと思いました。
植林は木を植えることより交流の方がメインだったこともあってか、それほど大変ではありませんでした。最後のメーライ村では全部植えられなくて残念でした。
何もかも初めてのことばかりで、迷惑をおかけしました。本当にいい経験ができて良かったです。ここでの経験をこれからの人生で存分に生かしていきたいと思います。ほんとうにありがとうございました。


杉山 美智子

 いつのまにか9月になってしまいました。
さて、夏の植林フォーラムに参加できて、よかったと思っています。多少体調がよくなかったのですが、皆様にご迷惑をかけずに帰ることが出来てほっといたしました。
帰国後は夏の暑さもあってせいせいしない日々を過ごしてしまいぼんやりと熱帯の国をさまよっておりました。  5年前にマレーシアを訪れたときの感慨はとても深く大きいものでした。はじめてということもあったのと、私自身の若さが大いにそう感じさせたのかもしれません。今回のタイ北部、しかも少数民族の人々との交流、これは今後なかなか行く機会がないところと大いに期待していたのですが.....今ひとつ心に強く刻み込まれるものがなかったのは何故だろう。植林を現地の人々と一緒にする、そして植林の重要性を何となく分かってもらう、私達消費国の人々が出かけて行って現地の人達と様々な交流をする。行動を通して私達の感謝の意味を伝える。そして生産することの大切さを.....ということはとても意義深いものだったが....今回は両手を挙げて単純に喜べなかった。すばらしい行動と勇気なのに....  私のこんな心配をよそに現地の人達が私達といっしょに植えた木々を大切に育ててくれればその成果は十分なのかもしれない。  今回のグループは皆様がとても落ち着いて行動できたのではないでしょうか。構成メンバーにもよるのでしょうが、行動がスムーズに出来て本当によかったと思っています。  こうした行動は、おばさん、おじさん連中の参加も大事なのですが、若い人達の参加が意義深いものがありますネ、大いに若い人達の参加を期待したいと思います。でもまた私も機会がありましたら、同じ肌を持つ人達はどこか共通の世界を共有できるような気がして、是非出かけてみたいと思っています。私達もそうですが、生活環境が便利になれば現地人の生活もどんどん変わっていってしまうのですネ、文明の利器は人間性を破壊する部分もありますネ。
 行程としては、ゆっくりすることができてよかったです。 同じ所に宿泊できるということがとてもよいです。 最後のバンコックのホテルは”せっかく泊まるのに。たったの5時間、しかも睡眠時間”とても残念でした。良いホテルで最後はゆっくりとして帰ることが出来たらという思いだったと思いますよ。
皆様も 僧院は思っていたよりきれいだったので、ホットしました。
タイの北部は水に恵まれているからでしょうか、トイレが思いのほかきれいでした。 少数民族の人達も我々のような人達の出入りがあるので思った程素朴には感じられませんでした。
「生きる」ということは、とても強い人間にならなければならないことなのですネ。