地球環境再生植林フォーラム'99タイ国チェンライ県コース(静岡班)
参加者感想文集
橋新 耕三
僕がこの植林フォーラムに参加したわけは、大学の授業の1つで、タイの農業の現状について色々話を聞いていたので、タイという国に行って実際に自分の目で見たくなったから、というのが第一にありました。
現地に行ってわかったことは、タイ北部では、ほとんど日本と同じような農業をやっているということです。
確かに、トラクターや田植機を持っている家は少なく、集団で手で稲を植えている光景はよく目に入りました。それはもう日本ではほとんど見られない姿です。しかし、灌漑設備が整っており、きちんと区画された田んぼが並んでいました。多分そこでは、化学肥料や農薬がまかれ、研究所で品種改良された稲が育てられていることでしょう。伝統的な農業風景が少しは見られるのでは、と期待していた僕には少し物足りなかったです。それはこのような風景かといえば、たとえば、池のような所で育つ、茎の非常に長い水稲を栽培している所や、水牛を使って田を耕す姿なのです。水稲の長い茎の部分は、水牛のえさとなったり、直接田にすき込まれ有機肥料となります。また、水牛は、農地を耕すほか、糞を、燃料や田の肥料にする事ができます。このような、有機的な循環がなされていて、持続可能な農業を実際に見て、化学肥料に頼りすぎてだんだん田畑がやせ、農薬なしではほとんど作物を取れなくなってしまった日本の農業に生かせたらな、と考えていたわけです。
それでも、山岳民族の村を訪問したとき、少しだけ、伝統的な農業を垣間見ることができました。それは、高床式の住宅の下で、豚を飼っているところや、裏庭らしき所にバナナの木が生えているところです。人の排出物を豚が食べ、そうして育った豚を今度は人が食べるということや、表の畑で換金作物を育て、裏庭では、果樹や野菜などを何層にもわたって育て、家での食べ物に多様性をもたせている、ということを聞いたことがあったので多分これがそのものか、または、その名残だろう、と思って少しうれしくなりました。
また別の目的というか、希望として、地球や、ほかの人のために何かしたいと考えていました。現地では、どこでも歓迎されました。はじめのうちは、声をかけられても戸惑ってばかりでしたが、そのうち、意味は通じなくても、こちらも大声で何か話しかければ、自然と楽しいムードになっていました。こうやって植林はみんなまじめにしかも楽しく行うことができ、交流会では、ランカー村では、綱引きなどのゲーム、ホイマッケンではサッカーをして楽しい時間を過ごせました。彼らは僕たちが来たこと、いっしょに植林をしたことなどすべてに感謝し、本当に一緒にいる時間を楽しんですごしてくれ、僕も本当に来た甲斐があったと感じると同時に、また来たいな、と思いました。
その後、ナイトバザールのときに、オイスカの現地職員の人と話す機会があって現地でどのような苦労があるのかを聞くと、地球環境を守るため、森林の伐採を止め、植林を行うべきだ、というのは豊かな先進国の立場から見た考え方で、現地では、今を生きていくために、木を切って薪にしたり、森林を畑に変えなければならず植林なんて言ってられない、というのが常識というか、一般的な考え方です。だから、そのような所でどのように相互の理解を深め、両方の利害を一致させるかが難しいということでした。この話を聞いた後、もう一度タイの村人の歓迎ぶりを思い起こすと、20年以上もの間、オイスカの職員の方々が、タイの人々に植林の大切さを伝えてきたから、僕のような日本人が数時間の間植林に来ただけで歓迎されたのだな、ということがわかりました。そう考えると、僕らの植林活動は国際協力の表面のおいしいとこどりをさせてもらったのだ、気付かされるとともに、このような機会を与えてくださったオイスカ、ロータリーの方々に感謝し、僕も何らかの形でこのような国際協力の骨組みの一部として働けたらな、とあこがれずにいられません。
めちゃくちゃな文章になってしまいましたが、まとめると、とても楽しく、勉強になる旅でした。ありがとうございました。
鈴木 安晃
私が今回の植林フォーラムに参加させてもらった理由は、国際協力や環境問題への関心があったからでした。
高三になった頃、本格的に途上国のために何かをしたいと思うようになり、大学では国際協力、環境問題、食料といった二十一世紀において避けては通れない分野を勉強しようと思いました。しかし受験に失敗したため、また来年に向け勉強する事になりました。
そんな、毎日の変わらぬ日々に飽きが出始めた六月のある日、新聞で今回の植林フォーラムの記事を発見しました。私は戸惑うことなく参加することに決めました。
まず始めに言っておきたい事、それは、この植林ホーラムに参加させてもらい本当に良かった、という事です。十代という若さ故、感じることがかなりあったように思います。
タイに着いて2日目、ランカー小学校で初めての植林をし、現地の小学生と共に汗を流し、交流を深めました。 初めは、言葉が通じず、戸惑いもありましたが、笑顔でいることですぐに仲良くなることができました。同じ目的を持って汗を流すことの大切さ、すばらしさを感じることができました。
午後は、パートンガム小学校での管理作業に汗を流しました。途中スコールが来たため3・40分しかできず、物足りない思いもしましたが、この管理作業を通じて気を育てていくには、人間の愛情が必要なんだな、と思いました。
3日目は観光でしたが、まさかこの観光で一番考えさせられる体験をするとは思いませんでした。ミャンマーとの国境近くで、5・6歳の子供達が赤ん坊を背負い、私たちにお金を要求してくるのです。テレビなどでよく目にする光景ではあったものの、実際目の当たりにし本当に心が痛みました。彼らはそれによって生活費を得ているのかと思うと、お金を渡さずにはいられませんでした。しかし、一人に渡したことにより子供は5人、6人と増え、どうすることもできずバスに乗り込みました。お金をもらえない子供もいたので、果たして自分のしたことがあっていたのか、間違っていたのかは今でも分かりませんが、間違っていたような気がします。
子供達の他にも、目のつぶれた老人や路上生活者がお金を求めており、タイ国内での貧富の差を感じさせられた一日でした。
その日の夜は、ナイトバザールに行きました。高木さんと山本さんと私の3人で、値切り隊を結成し、10バーツ(約30円)値切るのに一時間近く交渉したりしました。19年間生きてきて一番楽しい買い物だったように思います。
4日目は、私が最も楽しみにしていた、少数民族ラフ族との交流でした。行きのトラックの荷台に乗っている時は、本当にワクワクしました。ホイマッケン小学校に着くと、植林の儀式が一時間近く行われ、植林に対する思いというのか、ここの人達は植林を本当に大切に考えていることが分かりました。
植林は山の斜面で行われました。ここでの作業で、私たち日本人と現地の人との作業のスピードの違いに驚かされました。現地の人はかなりの斜面にもかかわらず、とにかく速い。一方、私たち日本人は、斜面を登るのに精一杯で作業に乗り遅れていました。
もう一つ感じたことは作業の質です。私たち日本人は苗木を植えた後、土をかぶせ、雨などで流されぬ様しっかり固めますが、現地の人は土をかぶせるだけで終わってしまうのです。でも私は、細かいことを気にしない彼らのやり方が結構好きでした。
作業が終わるとラフ族の村見学に行きました。私と冨永君は、ある一軒の家を訪問させてもらうことにしました。家にはいると直ぐに、バナナやメロンでもてなしてくれました。私たちもその家のチュンチャキーという女の子にアメをあげました。身振り手振りで話をしているうちに、その家族はこの村で一軒だけアカ族ということが分かりました。私は争いなどが起こらないか疑問に思いましたが、周りのラフ族の人達とうまく生活しているようでした。実際に隣の家の人と笑顔で話しているのを見ました。この家には、私たちが忘れてしまった、何かあたたかいものを感じました。どこかのんびりしていて、少しここで生活してみたいな、なんて思いました。本当にやさしい人達でした。
5日目の植林は雨の中で行われました。私は同い年のタイの男の子と友達になりました。言葉はあまり交わしませんでしたが、心が通じ合うというか、一緒にいるだけで楽しい友達ができました。住所を聞けばよかったと思っています。ここでの植林は、とても広い面積でとにかく疲れました。でもタイの人とすべてを終わらせたときは充実感で一杯でした。また何年後かに木々の生長ぶりを見られたらいいなと思います。
6日間という短い間でしたが、本当に貴重な体験をすることができました。
最後に、何事もなく無事に帰ってこれたのもオイスカの方々をはじめとする現地スタッフ、それと活動を共にした仲間達のおかげだと思います。本当にありがとうございました。そしてご迷惑をおかけして本当にすみませんでした。
これからもこの経験を生かし、将来、夢を叶えるためにも努力していきたいと思います。
中村 信也
何が幸せか 〜タイ国チェンライ県植林フオ−ラムに参加して考えたこと〜
通勤途中、今年の夏休みは外国に行きたいな。それも変わったところが好いな。どこか
ないかな、と思いつつ職場に着きました。そして、新聞を拡げたところ植林フォ−ラムの
ことが記され、参加者募集が載っているではありませんか。何たるタイミングのよさ、その場で電話しました。参加の動機は皆色々とあると思います。必ずしも植林に興味ある人だけではないと思います。だから、旅して感じたことや印象深かったことなどは人様々でしょう。
私は山岳民族ラフ族の村が圧巻でした。私は山育ちのせいか平野や海の景色には馴染めず、山景色になると胸弾むものがありますから相性が好かったのでしょうか、今でも鮮やかに懐かしく目に浮かんできます。高床式の家々の下には、ニワトリ、アヒル、イヌが走りまわっていました(不思議と猫は一匹も見ませんでした)。ブタは可哀相です、放し飼いされておらず、床の下の囲いの中で暮らしていました。その腹いせなのか囲いの中に入ってきたニワトリをブタが追い払っていました。ニワトリは数匹のヒヨコを従え、母親ぶりを発揮していました。
子供達は動物と交じって走り回っていました。家の中は電気はなくテレビもありません。
だから昼間でも真っ暗で、光は竹の壁から洩れくる太陽光だけです。だから、昼寝以外は外で遊ばざるをえません。かつての日本の田舎もこうだったのでしょう。日本は富という宝を得ました。そして、ニワトリはケ−ジの中に入れられ、イヌは鎖でつながれました。
ブタは輸入肉の方が安いので消えてしまいました。子供たちに親が働きに出掛け不在のために、親代わりにテレビとゲ−ム機が与えられ、賢くなるために塾にもゆかねばなりません。いくら勉強しても中々成績はあがりません。当たり前です。皆勉強していますので、
現状維持がやっとです。でも親はそのことが解りませんので成績不振を責め立てます。
貧しきことは悲惨なことでしょう。でも、富を得ても別の悲惨があります。どんな生活
が幸せなのか今以て解りません。ただ言えることは途上国は貧しい、可哀相だという目で
見ないことです。キャンディを持って歩きましたが、与えることは貧しさを可哀相とした
金持ちの施しの思想です。意味なく与えることに抵抗がありました。物を与えることより日本の踊りを見せたり、歌を歌ってやったり、遊びを教えたりするほうが子供たちは喜んだかもしれません。
山下 みつ江
飛行機の乗り継ぎに時間がかかりロスが多いように思いました。
これも途上国に行くが故の貴重な心構えの準備の時間だったとも思いました。
この植林も回を重ねるごとに参加する人達の心構えも意識もより高まり今年度は特に若い人達が熱心に雨の中での作業にもかかわらず懸命に働き続けてくれました。
メーラオ村の雨の中の植林作業でした。
見渡す限りの広い平地でしたが雨のため足元が泥濘みあるけないくらいでした。にもかかわらず一人の女子大生の子は重い鍬を振り上げながら穴を掘り丁寧に一本一本だいじに植えていきました。振り返ってみれば他の人達は顔さえも分からない位、遙か彼方の方まで進んでいました。
この時私は思いました。単に早く(雨のため)植えるのではなく一本一本が今後根付く様にきちんと植えることが大事なことです。こうすれば2年もすれば見上げるような大きな木に育ってくれることでしょう。
私たちは植えられた木一本一本に竹で支えをして紐で結んできました。
いつも思うことですが大勢の人だから広い範囲に植林が出来る事はあたり前ですが、もう少し仕事の分担を決めるとか何らかの仕事の進ませる方法があると思います。どうしても仕事が雑だと思います。仕事の量を考えて確実な仕事がしたいと思います。
一握りの土から自然を大切にし命ある物を慈しむことだと思います。
大地の生いたちを想像し野山の木々花の美しさに気づき心の安らぎを覚える。こういう感性や知識は人を豊かにする大切なものと考えます。
そして私達は自然を大切に守っていくことを心から願っております。
最後に数々お世話になった皆様、有り難うございました。
待井 俊之
私がタイの植林フォーラムに参加するのは今回で3回目になります。
初回から通じ感じた事が、数々ありました。
まずは、特に感心したことは、参加者した若者たちのことです。
人は概ね、始めての地や始めての行い、始めての人との出会いなどで、不安や緊張は当然持ち合わせるもの、しかし、時が過ぎるうち、我が出てくることがあります。
ところが、今回の参加した若者たちは、一つ一つのスケジュールが進み、一日一日が過ぎていっても明るく、まじめに不満など一言も口にせず、ドシャ降りの中、下草刈りを行い、突然のミニ運動会でも全力で楽しませてくれました。
彼たちは、今回何かを見つけたような気がしました。
又、現地の人々も、明るく逞しく、生きていく姿は何十年も前のにほんの姿にも似ているように思います。
以前の日本の農業は、機械などに頼らず、家族や地域の人々の力を借り、助け合いながら生きていた。
しかし、現在では有り余る電化製品、何でも手に入る食生活、衣、食、住、すべてが変わってしまった。
タイ国内でも少しずつ、日本のような"文化"を取り入れていっています。しかし、私自身、勝手ながら思うことは
「日本の良いところ、悪いところ、すべて学んで下さい。そして子供達も、大人達もあの笑顔を忘れないで下さい。」
三枝進吾、三枝はる江
今回は植林活動2回目だったのでなんとなく感じはわかっていたのであまりびっくりすることはありませんでした。
タイに着いてバイクの輪々車が多いのには吃驚しました。乗れるだけ人が乗っているのにも...
ランカー小学校での植林はすごい急斜面ではげ山なのに吃驚しました。何年後には青々と緑の山になっていることと思います。
現地の人との交流、暮らしている家も現実に自分の目で見ることもでき、本当に感謝しました。
メーラオ村での植林は雨の中広い面積での植林で少し大変でした。平地であんなに広く植えてきたのでまた何年後には見てみたいと思います。
メースウアイ寺院では、女性みんなと一つ部屋に泊まれたのでとても和やかになれうれしかったです。
本当に子供連れで皆様には大変迷惑をかけました。
いろいろありがとうございました。今後の活躍をお祈り申します。
大木 皓太
僕は、行ってみて小学生みたいな小さい人が一人もいなくさみしかったけどSBSツアーズの初世さんやタイのガイドのノエさんやセックサンさんたちが、はげましてくれてとてもうれしかったです。
いろんな人が気づかってくれ、楽しくすごせました。
おわかれのときは、とてもさみしかったです。また9月の何日にまた会えると聞いてとてもうれしく安心して帰れました。
植林では2回目の急なしゃ面でとてもこわく下を見ないで半分くらいきて下を見るとこわくて足がすくんですわりこんで「おりれない、おりねない、おりれない」などといっていると、初世さんが「おいでよ」と言ったので、おりないで登ってゆるいところからおりればいいなと考えて、初世さんといっしょにいって、しだいになれて、初世さんとはぐれて自分勝手な行動をとってしまい、そのことは深く反省しています。
タイに行って2日目にタイのガイドのセックサンさんがおかまだと聞いてウソだと思いました。だが、しかし、ノエさんに聞いてみるとニューハーフだといったのでびっくりしました。
2回目の植林のときトラックのにだいにのっているとき、後にいたノエさんたちがのっている車でセックサンさんが投げキッスをしたのでおかまということを本当だと思いました。
タイはいろいろなことがあって楽しかったです。
欄 卓哉
今回初めて植林フォーラムに参加させていただきました。
こういった活動自体初めての経験だったので、とても充実していて楽しかったです。
ボランティア活動というと、何かを“やってあげる”というイメージが僕の中では強かったのですが、この植林フォーラムは“一緒にやろう”という感じでした。
はじめは、初めて来た土地に対する緊張と言葉が通じないことに対する戸惑いでかたくなっていましたが、最初のランカー小学校での植林で吹っ飛びました。村に着いたときは僕らをどこか敬遠していた村の人たちと、一緒に植林しゲームなどで交流することによって、こんなにお互いの距離が縮まるとは思ってもみませんでした。
そして言葉というのは意思伝達の一つの手段にすぎず、他の方法でも自分の気持ちを伝えられるから言葉ができないことは大した問題ではないことに気づきました。村の人たちが木を守っていくためには、この行事のことを楽しかった思い出として残しておくことが大切だと思いました。そういう意味でも村の人たちと“一緒にやる”ことは大切なことだと思いました。その方が楽しいですし。
堅苦しい交流会が多い中、メースウアイ中高校での夕食会は堅苦しくもなくて楽しかったです。食事のスタイルも変わっていたし、タイの人はおもしろい人ばかりだったですし。できるだけこういう感じの交流会にして欲しいと思いました。
植林は木を植えることより交流の方がメインだったこともあってか、それほど大変ではありませんでした。最後のメーライ村では全部植えられなくて残念でした。
何もかも初めてのことばかりで、迷惑をおかけしました。本当にいい経験ができて良かったです。ここでの経験をこれからの人生で存分に生かしていきたいと思います。ほんとうにありがとうございました。
杉山 美智子
いつのまにか9月になってしまいました。
さて、夏の植林フォーラムに参加できて、よかったと思っています。多少体調がよくなかったのですが、皆様にご迷惑をかけずに帰ることが出来てほっといたしました。
帰国後は夏の暑さもあってせいせいしない日々を過ごしてしまいぼんやりと熱帯の国をさまよっておりました。
5年前にマレーシアを訪れたときの感慨はとても深く大きいものでした。はじめてということもあったのと、私自身の若さが大いにそう感じさせたのかもしれません。今回のタイ北部、しかも少数民族の人々との交流、これは今後なかなか行く機会がないところと大いに期待していたのですが.....今ひとつ心に強く刻み込まれるものがなかったのは何故だろう。植林を現地の人々と一緒にする、そして植林の重要性を何となく分かってもらう、私達消費国の人々が出かけて行って現地の人達と様々な交流をする。行動を通して私達の感謝の意味を伝える。そして生産することの大切さを.....ということはとても意義深いものだったが....今回は両手を挙げて単純に喜べなかった。すばらしい行動と勇気なのに....
私のこんな心配をよそに現地の人達が私達といっしょに植えた木々を大切に育ててくれればその成果は十分なのかもしれない。
今回のグループは皆様がとても落ち着いて行動できたのではないでしょうか。構成メンバーにもよるのでしょうが、行動がスムーズに出来て本当によかったと思っています。
こうした行動は、おばさん、おじさん連中の参加も大事なのですが、若い人達の参加が意義深いものがありますネ、大いに若い人達の参加を期待したいと思います。でもまた私も機会がありましたら、同じ肌を持つ人達はどこか共通の世界を共有できるような気がして、是非出かけてみたいと思っています。私達もそうですが、生活環境が便利になれば現地人の生活もどんどん変わっていってしまうのですネ、文明の利器は人間性を破壊する部分もありますネ。
行程としては、ゆっくりすることができてよかったです。
同じ所に宿泊できるということがとてもよいです。
最後のバンコックのホテルは”せっかく泊まるのに。たったの5時間、しかも睡眠時間”とても残念でした。良いホテルで最後はゆっくりとして帰ることが出来たらという思いだったと思いますよ。
皆様も 僧院は思っていたよりきれいだったので、ホットしました。
タイの北部は水に恵まれているからでしょうか、トイレが思いのほかきれいでした。
少数民族の人達も我々のような人達の出入りがあるので思った程素朴には感じられませんでした。
「生きる」ということは、とても強い人間にならなければならないことなのですネ。