社会心理学は心の動物園だ

動物園は楽しい。世界中のいろいろな動物が集められており、それを眺めているだけでも飽きない。
社会心理学という心理学の一分野もこれと同じように、いろいろな生活場面における人の心理が集められて名前がつけられており(覚えにくい名前なのも動物園とそっくり)、なかなか楽しかったりする。

動物園は、「ライオンかっこいい!」「ゴリラは恐いなあ」「コアラかわいー」といった印象を受け、実世界でライオンやゴリラや熊や蛇を見かけたとき「・・・逃げろ!」、コアラを見かけたとき「抱きかかえてみよう」といった行動をとるのに便利である(しかし、日本では町にライオンやゴリラがいることは滅多にないが)。
一方社会心理学研究で得られた知見を集めた「心理園(仮)」では、ヒトの心にどういった特徴・傾向があるのかが「ストーカーの心理」「自尊心」「ロメオとジュリエット効果」「社会的責任性規範」といった名前が付けられて陳列されている。
このまだまだ未完成である心理園(仮)を一回りした人は、実世界で「この人はストーカー的性質を持っているな」「この人はロメオとジュリエット効果を起こしてあんな変な男とつき合っているんだな」と応用し、人間関係を対処するのに便利である(実際はそう簡単にはうまくいかないが)。

また、世にいう社会心理学者はテレビなどのメディアにしゃしゃり出てきて心理園(仮)を世間の人にかいま見せている。
こうした行為は一般の人を心理園(仮)にいざなうということでは意味のあることかもしれないが、多くは「ふーんおもしろいな」で終わる。動物園に例えていうなら、コアラがユーカリの葉を食べているところだけをVTRで流し、「コアラかわいい」という印象のみを視聴者に植え付け、コアラがユーカリの毒を解毒するために一日20時間もの時間を寝て過ごしていることを知らせないのと同じ行為をしている。
つまりうそは言ってないが真実を語ってもいなく、番組として、もしくはその心理学者にとって都合のいいことしか言っていない。

社会心理学はまた歴史の上でも動物園の動物と同じ道を歩むだろう。
科学の上では動物たちははじめは博物学という学問分野で研究され始めた。
博物学は大航海時代以降隆盛を極めた学問であり、生物にはどのようなものがいるのかを発見してそれを記録する学問である。
博物学はただ集めて記録するだけだったが、同時に動物なら動物学者、植物なら植物学者によって生態や行動、習慣が観察され、そうした研究をよりどころとして19世紀半ばにダーウィンやウォレスが生物は進化してきた結果の産物であるとという仮説を打ち出すこととなった。

社会心理学もヒトの心はどのようなものがあるのかを発見して名前をつけて記録している点では博物学のレベルにとどまっており、今後この発見をよりどころしてそうした心の性質や特徴がどのように現れてきたのかを調べなければならない。

博物学に対してダーウィンの行ったこと、そのことは社会心理学に対して進化心理学が行うことと対比できる。
社会心理学はこまごまと集めてきた研究結果にのっとり、そうした心がどのように進化してきたのかについて仮説を立てようとするのが進化心理学である。

いままで第二のダーウィンになり損なった人・学問がある。
それは1975年に"Sociobiology"(『社会生物学』)という本を刊行し、動物の進化からヒトの心や行動の進化までを一本の線でつなぐ「社会生物学」を提唱して「社会生物学論争」を引き起こしたE.O.ウィルソン。
また、第二のダーウィンと呼んでもいい人は1977年に"Selfish Gene"(『利己的な遺伝子』)を発表したR.ドーキンスだと思う。
ドーキンスは、ヒトを含めたあらゆる生物は遺伝子(DNA)を過去から未来へ運ぶ乗り物であり、生きていることの主役は遺伝子であるといい、生物観のパラダイムシフトを促した。
ここではヒトの心や行動も遺伝子が次の世代に残るための手段であることを示した。

話が社会心理学からずれてしまったが、もっともいいたいことは社会心理学はそれ自体は意味がある学問で今後も活発に活動していくだろうと思うが、それのみでは完結されず、博物学に対して行動生態学と同じ図式で社会心理学に対して進化心理学という図式が成り立ち、進化心理学との協調をはかることでより真実が手近なものになるだろうということである。

戻る