「オスとメス=性の不思議」(1993) 長谷川眞理子 講談社現代新書
読了 2001.5
今授業をもぐって受けている先生の著書。
教科書コーナーに立ち寄ったらあったから買ってみた。
一言でいうと
ヒトのみならず生物界においてなぜ性というシステムが存在するのか、そしてそれがどのようにあるのか、をわかりやすく解説した本。
うーん、とても解りやすくて読みやすくていい。
概して長谷川眞理子先生の本は書いてあることはおもしろいんだけど文章としていまいちおもしろくなかったりする、
つまり書くのが下手だったりするんだけど、この本は内容もその表現のしかたもうまく、おもしろい。
生物の繁殖のしかたは分裂に代表される無性生殖と有性生殖とがあるが、
いわゆる高等生物と呼ばれるものは有性生殖を行うものが多い。
単純に考えると、無性生殖をした方が自分の遺伝子をそのまま次世代に伝えることが出来るから繁殖効率もよくなり、
より繁栄しそうなものだが、複雑な生物になっていくほど実際にはそうなっていない。
なぜかについては、ウィルスに抵抗するためというW.D.ハミルトンの「赤の女王仮説」が現在最も有力。
無性生殖だと遺伝形質が変わらないからウィルスに冒されたらその個体群は全滅するが、
有性生殖で遺伝的多様性を増やしておけば全滅はしない。
このことから性の本質は遺伝物質つまり遺伝子の交換であり、そうすることによって様々な遺伝子を生み出し、
ウィルスに対して抵抗している、ということになる。
オスとメスという二つの性が現れた過程は、有性生殖をする初期段階では性は2つと決まったのではなく、
ただ2つの個体が原初の海の中で遺伝子を半分ずつ取り交わしていて、その取り交わすときに少しでも多くのエネルギーを持った、
体の大きな個体とそうした個体を動き回って見つけることの出来る少しでも機動性のいい個体とがうまく結びついたときが
最も繁殖効率(生存率×繁殖速度)が高く、次世代に多くの子を持ちやすい。
そうした交配を繰り返していくうちに、
移動能力はないが多くの栄養を含んでいるものがメスつまり卵となり、栄養は持っていないが移動力が高く生殖するための
他個体を見つけやすいものがオスつまり精子となった
というシナリオを描いている。
このシナリオは自然淘汰の理論にも適合しているし、多くのオスとメスの性質にも合致しておりとてもイカシている。
ここまでの内容が第1章約20ページに記されているがこの考え方はぜひとも知っておくべきだと思う。
あとはざっと書くと、2章3章は性転換する生物などの話。
4章5章は子供の世話をするのはオスかメスか種によって決まっていることとその理由。
6章はオスによるメス獲得戦略について。
7章はメスの選り好みについて。
ここまではヒト以外の生物について扱ってきていて、最も興味ある「ヒト」の性について早く出てこないかな、
と少しいらいらするかもしれないがここは辛抱。
8章からはこれらの生物と対比させていよいよヒトの性のシステムについて。
この章は生物学的なヒトのシステムについて。
つまり動物との直接対比から得られる客観的事実について述べている。
9章は社会学的なヒトのシステム、つまり過去から今に至る間に存在した性のシステム、
婚姻や家族形態や女性獲得競争システムについて。
最後の10章は多くのメッセージを含んでおり、特に「説明することは肯定することとは違う」という言葉が印象に残った。
今どうなっているかはどうあるべきかとは違う。
男は浮気性であるという事実とだから浮気をしてもいいということとはまったく別の問題だ。
また、身体的な男女差に由来する男女区別は文化によってなくすことが出来る。
どうあるべきかは今後考えなければならないといったこともいっている。
思うに、こうした生物学的視点を持って文化だの性役割だのを論議するという社会的土台が必要なんじゃないかな。
「こうあるべき!」「女は虐げられている!」という理想もしくは被害者意識が先行しているフェミニストや
哲学者や道徳者の言っていることはむなしい。
それに同調して行動する人たちはもっとむなしい。
いや、フェミニストは実際こうした生物学的進化的背景を知っていながらそうした事実には触れずに、
より賛同者が多くなるための主張、自分を売り込むための主張をしているものもいるというからなお厄介だ。