バーバラ・ウォルフさんの日本レポート(部分訳)

原文はこちら http://www.globalmeditations.com/japan2.htm

 ワシントンD.C.で春に桜が咲くのは、素晴らしい光景です。

 ワシントンD.C.の最初の桜の木は、日本からの贈り物でした。そこでは、桜の開花の到 来とともに、春が祝われます。この贈り物は愛の贈り物でした。

 この愛の行為は、両国間の絆を強めて、両国間に敵対行為を生じさせないだろうと考え ることでしょう。不幸にも、そうではなかったのです。1941年12月7日、日本はハワイ の真珠湾を攻撃し、両国は即座に戦争状態に入りました。それは広島と長崎への原爆の爆 発で終結を迎えました。そのような武器が戦争で使われたのは、初めてでした。結果は壊 滅的でした。何千人(ママ)もの人々が死にました。2つの都市は完全に破壊されまし た。

 1945年8月6日の広島への原爆投下という行為は、生き残った人々の考えを変えまし た。彼らは過去の廃墟から平和の都市を建設することを決意したのです。そして、このこ とを彼らは実際に行なってきました。この新しい広島で、彼らは博物館と記念碑のある平 和公園を作りました。起こったことを語り伝えるためです。

 生存者の子孫たちは今でも、訪問者を平和公園に案内することに彼らの生活を捧げてい ます。それは、人類が核兵器を使った結果を理解するためです。理解が生まれれば、その ような兵器を再び使う考えを思いとどまらせるのに役立つだろう、と彼らは期待している のです。

 私は、「世界市民外交官」のメンバーであり、スミソニアン協会のコンサルタントであ るマーガレット・フィキオリスと一緒に、広島でいくつかのピース・セレモニーに参加し ました。最初のセレモニーは、WPPS http://worldpeace.org によって12月3日に開催 されました。これは、ハワイ真珠湾の軍艦ミズーリ号上でのピース・セレモニーと同時に 開催されました。

ハワイのWPPSは、ホームページに次のように書きました。「新しい千年 を迎えるにあたり、人類にとって、20世紀の戦争と紛争を超え、愛における一体性の世 界へ移行することが大切であると私たちは信じています。なぜなら私たちはみな一体であ るからです。この運動を促進するために、私たちは《インターナショナル・ピース・セレ モニー》を開き、世界のすべての国々の平和を祈ります」

 広島でのセレモニーでは、マーガレット・フィキオリスと私がスピーチし、中澤英雄教 授が聴衆に通訳しました。私たちはシンプルに、心から話しました。私は言いました。 「私は今日、みなさんとご一緒するために来ました。私たちは人類という家族の過去の傷 を癒す手助けを、真珠湾の友人たちとともに行なうことができます。私たちはひとつで す。愛です。平和です。平和です。平和です。」

 http://www.geocities.co.jp/NatureLand/3176/hawaii/main.html これは広島のセレモ ニーの写真です。これはホームページで、別に写真のページが15あります。

 写真ではセレモニーで使われたピースポールが見えるでしょう。WPPSは、四面に異なる 言語で「May Peace Prevail On Earth」と書かれたピースポールを、世界中に10万本以 上建立してきました。また写真には、世界のあらゆる国の国旗が見えるでしょう。広島の セレモニーで各国旗が揚げられた時、私たちは英語と日本語で「○○国が平和であります ように」と祈りました。

 セレモニーの最後に、私たちはハワイでピースセレモニーを行っている人々と電話で話 しました。その間に、私たちのセレモニーの写真がコンピューターによって送られていま した。

 http://homepage1.nifty.com/oneness これはハワイのピースセレモニーの写真です。

 12月10日、小雨の中、マーガレット・フィキオリスと私は、平和公園の端で平和の 式典に参加しました。これは、東京から広島までの1000Kmを、10月13日から12月10日まで 歩いて来た人たちによって開かれました。

彼らは、1945年8月6日の原子の火から灯した 平和の炎を持ってきました。この炎は2年半にわたって、日本中を徒歩で運ばれてきまし た。歩く人々は、ネイティブ・アメリカン、南アフリカ人、日本人の僧侶、大学教授、広 島の原爆生存者などでした。

ネイティブ・アメリカンの精神的指導者トム・ダストゥは、 ホピ族の長に聖別されたピースパイプと聖なる1束の薬草を持ってきました。その薬草は 奈良毅教授に渡されました。彼は「ひろしま2001―世界平和と人類和楽を祈る集い」 http://www3.ocn.ne.jp/~hiro2001/と呼ばれる12月のピースイベントのリーダーで す。

私たちは平和の炎から灯された小さなろうそくを手渡され、彼らと一緒に近くの慰霊 碑まで歩きました。そこには名前が知られているすべて原爆犠牲者の名前が記録されてい ます。毎年、多くの名前が付け加えられています。今年は、公園案内人の祖母を入れて、 5000人以上の人が加えられました。

 12月11日の午後遅く、ピースウォークの人たちは、無縁墓地でネイティブ・アメリ カンやり方で儀式を行ないました。ネイティブ・アメリカンの指導者、トム・ダストゥが その儀式を指導しました。マーガレットと私は、自分のために祈ってくれる家族のいない 犠牲者のために祈る大きな輪に加わりました。

 その後、私たちは川へ行き、約2000人の灯籠流しの人に加わりました。そこでは、紙の ランタンに祈り言葉を書き、中のろうそくに火を点け、川に浮かべて流しました。こう いったカラフルな明るいランタンが、川を動いたり流れるのを見られるのは、何と美しい 光景だったでしょう! それは愛の瞬間でした。

 12月12日のうすら寒い朝、私たち2000人以上の人々は、また平和公園に集まりまし た。そして私たちは両手をつないで、慰霊碑から池に沿って、永遠の平和の火まで届き、 また慰霊碑まで戻ってくる大きな輪を作りました。55年前の8月6日の爆発の瞬間である 午前8時15分ちょうどに、鐘が鳴り響きました。そして私たちは黙祷して平和の祈りを 捧げながら立っていました。マーガレットと私は、12月3日のセレモニーで出会った WPPSの人々と一緒になりました。毎年8月6日に、何千人もの人々がここ平和公園でこの セレモニーを繰り返します。それは核兵器廃絶と世界平和に対する広島の希求の表現で す。

 その後、私たちは3時間のプログラムを見るために会館の講堂に座りました。それは、 私たちの宇宙と地球と人類の歴史の短いサイレント・ムービーで始まりました。その映像 は広島への原爆の爆発で終わりました。それは暗い瞬間でした。

 一人の原爆の生存者は、面長で豊かな白髪のやせた男性でしたが、1945年8月6日に彼 の身に起きたことを話しました。大きな悲劇を追体験した時、彼の顔に悲しみの表情が浮 かびました。そのイベントの主な企画者であるスティーブ・リーパーは英語と日本語を話 しますが、彼はメモを取り、その男が話し終わった時、それを通訳しました。マーガレッ トの隣に座っていたカリフォルニアから来た若い女性が泣き出しました。彼女は広島で実 際に起こったことを、今まで知らなかったのです。他の人たちも泣いていました。

 スティーブ・リーパー(英語司会、通訳)は私にメモをくれました。私は原爆生存者の 体験談を私のレポートに付け加えました。これは楽しい話ではありません。

http://www.globalmeditations.com/survivor.htm

 3時間の残りは、生命の美に焦点をあてていました。音楽、歌、劇です。ギリシャ人の バイオリン奏者が、若い日本人女性のピアノの伴奏によって演奏しました。コーラスが歌 いました。若者と老人との静かで伝統的な日本の劇が演じられました。

 ひろしま2001の集いの最後に、短い映画がありました。その中で、奈良教授が平和公園 を、平和の鐘のところまで歩いて行き、1回鐘を鳴らしました。

 世界は、この平和の鐘の音を聴くでしょうか?
 世界は、戦争思考から、桜のかぐわしい香りへと、方向を転換するでしょうか?

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