平成8年度第6回学習会 平成9年3月24日
都市農地と防災まちづくりについて、防災都市計画から見て感じるところ、考えているところをお話ししてみたい。
病める都市と苦悩する都市農業
まず、都市の農地について共通認識になっていることについて述べたい。
日本の都市の形成を近郊農地との関係で見て見ると、非常に安上がりな都市づくりを進めてきたと言える。中心部には投資がなされたが、人々の暮らしがある生活圏には十分な投資がなされてこなかった。このことは道路の整理や公園緑地の整備状況からいっても明らかで、通常ならスラム化しているところである。それをぎりぎりに抑えてこれたのは「農地」があったからである。しかし、その農地もいまや広範に破壊され、環境・防災など色々の面でどうしようもないところまできている。
「農地は大切である」という世論はある程度醸成されてきているし、個別事例としても農地を大切にする試みが様々な分野で出始めてきている。全員が都市に農地がいらないといっているわけではなく、アンケートを取ってみると8割近くが「農地は大切である」と答える状況にすらなってきている。しかしながら、このような市民や都民の意向に沿った有効な施策を打ち出せないでいる。これがいま我々がおかれている状況であるといっていい。これを「病める都市」と「苦悩する都市農業」という言葉で表現したい。
都市計画にも見え出せない展望
「病める都市」について掘り下げてみよう。構造・空間としての貧しさ、文化・精神面での貧しさ、さらにゴミ問題や福祉問題の深刻化。どこをみても都市をめぐる諸情勢はゆきづまってきている。都心以外での公共施設の整備は立ち遅れて、コミュニティも未成熟である。人々が住まわされている居住条件はきわめて流動的といってよく、こうした多くの矛盾を抱えつつも、行政は決定的な解決策を持ち合わせていない。都市計画でもどうしていったらよいのか展望が見えないし、示せない状況になってきている。現在都市は大きな隘路に直面し、閉塞状況に陥っているとさえいえよう。一体どのような方向へ物事を進めてゆけばこの「悩める都市問題」を解決できるのであろうか。
苦悩する都市農業
「苦悩する都市農業」の側も見て見よう。こと農業に関しては専門ではないため、外から見て「こうだ」と思えることについて述べて見たい。まずは、市民の農業に対する理解がまだまだ不十分で、市民の間での精神的なふらつきがあることである。開発業者を中心として農地を儲けや投機の対象とする動きも依然として強い。また、この根底には相続税の問題が横たわっている。
ひるがえって、農業を支援する農業政策の弱さがある。むろん農政は農業部局や経済部局だけがやるべき仕事ではなく、別の部局がやってもよい。それでも行政政策全般として見ると、農地をどのようにするのかがきちんと位置づけられていないし、施策そのものが対象外とされている。加えて、長時間労働、後継者不足、低収入など農家自身が抱える諸条件が営農意欲を低迷させている。
芽生えつつある都市農業への新たな胎動
このような厳しい環境の中で、農にかかわる色々な試み、いままでの農業のあり方から出かかった新たな動きが見られはじめている。特に地域との関わりがあるものとして見て見ると、市民と連携した有機農業・市民農園・生産者が自らが価格をつける無人スタンド・朝市などが行われてきているし、特定の生協グループや市民を対象とした農業講座なども開かれはじめている。秋川のファーマーズセンターは、市や地域の農業者からの自発的な要望で建設されたものではなく、TAMAらいふ事業が押しつけたとも言えるものなので、どう評価するかが難しいのだが、気になる存在ではある。昨日も見てきたのだが、結構軌道に乗っているし、地域的な農業のあり方の一つとして重要にも思える。農業公園づくりも西日本では盛んであり、四国の方では会社ぐるみで事業化を考えている組織もある。
このような新たな動きは、戦略として確立されたものにはまだなりえてはいないし、個々バラバラで自治体・住民・農家が連携したシステムも構築されてはいない。そのあたりが課題として残りはするが、多くの課題を抱える中でさまざまな都市農業に対する試みがなされてはじめてきていることだけは確実である。
追求されなければならない多面的機能
さて、次に都市農業が持つ多面的機能に着目したい。なぜ、それを論じなければならないかというと、都市の農地・農業が果たしている様々な機能への理解が十分でないことが、都市農地の軽視へとつながり、それが都市農業衰退の要因の一つとなっているからである。例えば、少し以前までは、公共用地のためのストックというのが都市農地へ対するせいぜいの評価であった。無論のこと法律上はそうなってはいないのだが、実際上はその程度の評価でしかなかった。平成4年の都市計画中央審議会の答申において、環境という観点からようやく高く評価されるようになってきたにすぎない。しかし、環境面から評価されたといってもそれは概念にすぎず、まだ、農地や農業が持つ機能を解明し、その重要性をきちんと認識した上で評価がなされているわけではない。
また、都市農業が持つ多面的機能といっても、求められる機能はどこにいっても同じではなく、東京のような過密都市で求められる機能とそうではない地域で求められる機能とでは自ずから違いもあるであろう。
そこでだいぶ以前に多面的機能をスタースティックな表として整理したことはあるのだが、これをダイナミックなものに反省して整理しなおしてみた。
まず、農が持つ機能としては、多くくくりとして「大地としての存在機能」と「生産としての機能」に分けられるであろう。その外側にチラホラと言及されては来ているものの、まだきちんと整理されていない、そして、これからさらに追及してゆかなければならないテーマとして、教育や福祉等がある。
また、これら諸機能をトータルとしてどのように調整していくかという点で各種計画がある。環境基本法が土地利用計画とリンクしていないのが最大の問題なのだが、防災計画(緊急計画でしかない地域防災計画ではない。むしろ空間の安全性の配慮した震災予防計画に近いイメージを持ってもらいたい)にも農地は位置づけられるべきである。
さらに、補足しておくが、地域内で食糧が作られ、生鮮野菜類が供給出来るということは防災上も意義が大きい。
これに加えて最近、特に重用視されているものに「都市景観」がある。東京都の場合では、都市景観に都市の美の方向からアプローチをして来たために、景観というととかく表面的なものに見られてしまうのだが、本来の都市景観の概念(景域という言葉の方がよい)は、生態系をも含んだ文化としての環境のことをいっている。そしてその景観に対しての計画も各自治体が作り始めており、その中に農家の屋敷を含めて農地をどう位置づけていくかがこれからの大きな課題ともなっている。
また、日本ではとかく戦略がないままに開発がされているが、本来の都市計画には開発を抑制機能があったはずである。本来農地や緑地が持っている開発コントロール機能が発揮出来れば、スプロールの広がりを防ぐことも出来よう。
農業がより発展するための都市像が求められる
このような様々な多面的機能を農業農地が十分に発揮するためには、どの程度の量があればいいのか。また、どうしたらいいのか。これからの課題はまだまだ残る。教育や福祉などはこれから追及しなければならないテーマであり、これら機能は都市との関係の中で更に強まり高まる可能性を持っている。むしろ、都市が求める多面的機能をより発揮させるために農業の形態も変えてゆくことも必要になってきているのではないか。それは都市住民のためだけではなく、農業者のためでもある。
要するに、都市との関わりによって都市農業はより発展していくであろうし、それは将来の都市や社会のあり方像を設定していくことでもある。しかも、これは従来の事業ベースのやり方では出来ない。行政が行う施策だけではなくて、地域のまちづくりとして取り組んでいくこと。行政はそれを側面から支援していくことが必要である。
地域にこだわることが問題を一石二鳥で解決する
さて、工業を基礎とした高度機能集積型の近代都市がいかに多くの課題に直面しているかについて、最初にふれた。この「病める都市」が抱える課題に対して、農業・農地はかなりの分野で対応が可能である。高齢化社会への対応、防災都市づくりへの対応、省資源リサイクル型社会の形成、自然生態系との強制都市、都市住民の人間性の回復、地域コミュニティの復元、市民の自己実現志向の実現。農業の側から答えられるものは実に多く、いずれも本質的なものばかりである。しかも、これら課題は、同時一体的に解決出来るのである。
なにをバカな。とかく問題が多ければ、よけいめんどうになるのではないか、とお思いになるかもしれない。しかし、ちょっと考えてみればわかることである。問題は個々ばらばらにあるのではない。地域住民にとっては、すべての課題は独立に存在しているのではなく関係している。ゴミ問題と防災まちづくりのように一見かけ離れた課題であっても、地域レベルに戻すとすべてがつながってくる。そして、地域で取り組めば取り組むほど簡単にしかも楽しく解決するのである。
縦割行政の持つ限界
しかし、行政の内部にいると、これらの関係が縦割行政の中でズダズダに切られてしまう。わかっていても課題を関係づけてゆけない。これが行政の限界である。
埼玉県の和光市は住民が多い団地やればうまく動くと考え、大きなシステムを導入し、見事に失敗した生ゴミのリサイクルについて考えて見よう。生ゴミリサイクルのような事例は役所主導で実施するのでは絶対に動かない。大きなシステムを導入しても決して動かない。その地域の住民が絶対に必要であると自覚し、自ら動くようにならなければ駄目なのである。そのためには、ゴミが目に見える形でリサイクルされていることが大切である。見えるレベルでありさえすれば、ゴミを通じてコミュニティが育まれ、単なるゴミのリサイクルから暮らし型の見直しを含めた環境保全運動へもつながっていく。堆肥であれば広域で流通すればいいのではなく、地域の中で流通させてこそ意味がある。それは食べ物も同じである。いま東京都が広域で有機農産物を流通させようとしているがこれは駄目である。やはり地域である。
私は地域で防災まちづくりをやってきて、本当にそのことを感じる。例えば、地域に30人の人がいるとしよう。30人もいれば普段の生活の中で関心を持っているテーマも多様である。輪がネットワークとしてどんどん広がり、解決出来る課題も増えていく。ところが、これを行政の決められた仕事としてやっていくと、本来はつながるはずの課題が切り刻まれ、狭められるという悲劇を招く。
必要だが限界があるポリシーミックス
「病める都市」を地域の都市農地と農業が解決出来る可能性を見てきた。しかし、現実の都市農業は苦悩している。この今後の展望を、政策制度面での改善、世論の形成、実践事例の想像という三つの分野から方向づけていきたい。
まずは、税制の改正、農政政策、都市計画制度など政策制度面での改善、これは当然である。しかし、これもばらばらにやったらちぐはぐで動かない。国分寺市のような小さな自治体であっても、部局によって依拠するところが異なり、意見の一致を見ることはまずないのである。だから、言葉の上では連携といっても、いまの行政機能のままでは難しいし、限界がある。しかも一番大切な相続税制の改正は国家社会体制にかかわることだけにやっかいである。
必要な都市農業の実証的研究と世論形成
世論形成も必要である。これには研究者や市民グループなど積極階層の果たす役割が大きい。
例えば、多面的機能の研究にしても、東京都林業試験場の久野春子氏のような研究者はまだまだ少ないのではないか。都市農業の実証的な研究は部分的には行われているものの、研究事例はわずかであり、かつ遅れている。学問的にもきちんと整理されてはいない。研究を進め、いかに農地が大切であるかを出していかない限り、論拠として弱く目を向けてもらえない。なんといっても都市農業はまだまだマイナーな話題なのである。
また、都市農業に関心をよせているグループもあるのだが、総じて一般論になってしまい地域での論理を組み立てていない点に欠点がある。
実践事例の創造
このように課題を掘り下げていくと色々問題はあるのだが、それで手をあげてしまうのではなく、ある方向を見定めた実践事例を創出していくこと。これが大切である。農業・農地を介在させた具体例が出てくることによって行政や研究者も刺激をされ触発されていく。私はこの実践をなにより大切にしたい。
いま社会情勢はまちづくりに向きはじめてきている。まちづくりの意義がわかりさえすれば実に様々人々が参加してくる。これまで長年携わってきたアンケート結果から見ても、7割は都合がつけば参加したいと答え、1割から2割は積極的に参加したいと答える。しかも、この中には3%ほどリーダーになりたいという人がいるのである。農地・農業を守ることで地域のかかえる様々な課題解決への道が拓かれることがわかりさせすれば、一気に展望は開ける。
また、このような社会参加は個人の自己実現にもつながるのである。
市民防災まちづくり学校を拠点に地域を変える
次に自分なりに国分寺で進めてきた実践例を紹介してみたい。国分寺では昭和53年から本格的に防災都市づくりに関する諸事業をやってきた。計画の樹立、防災情報の市民への提供、防災まちづくり学校、防災推進委員会への支援、防災まちづくり推進地区事業の実施、緊急な各種個別施策の実施と、大きく6つの体系に分類できるのだが、具体的には地域で住民が抱えている諸課題を災害だけではなく環境の健全化につながることで解決しようとやってきた。それはライフスタイルに入り込む非常にトータルなものである。安全で住みよいまちづくり。高木町を第1号計画地区として、55年からスタートさせた。すでに5地区で実施され、いま6番目が始まっている。面積的でいっても人口でいっても市民の2割がこの計画の基で生活していることになる。やがて全域で行われるであろう。
各地区では一つの地区で約30人。多いところでは50人位が中心となって地域活動を行っており、行政はそれを側面から支援している。
地域自治組織を動かす。言葉で言うのは簡単だが、普通このようなことは地域社会では絶対に起こらない。積極層はどの地区にもいる。しかし、一部の積極階層だけでは、古い体質の町会や自治会を動かすことはできない。まちづくりは地域全部を動かさなければ意味がない。そこでどうするか。情報を市民提供しリーダー層を育成ために「市民防災まちづくり学校」を昭和53年からスタートさせた。いま卒業生が750人位になっている。そして、卒業生の中からボランティアで防災活動をやってゆきたいという人が出てきている。そこで、希望者を「推進員」として市長が認定することとした。私は認定したくはなかったのだが、市民から「そのほうが動きやすい」との要望を受けて生まれた認定制度である。
いずれにしても、このように市民がフェイス・トウ・フェイスで情報交換をできる場を作ったことが、まちづくりを進める上で効果が大きかった。
市民合意で「まちづくり宣言」を行う
例えば、高木町の場合、当時、防災上危険な塀が600ケ所もあったのだが、ブロック塀をなくすために、多様な選択(低い塀、フェンス、生け垣どれでもいい)を与えて意識改革を進めてきた。その結果、3分の1が変った。つまり、塀くらいのものであれば意識によって変えられるのである。これを生け垣への助成金を用いて一律に誘導してゆこうとすれば、どうしてもこのようなまちづくりは出来なかったであろう。
4メートル幅程度しかない狭い道ならば、生け垣などがなく、セットバックした方がよい。セットバックして広がった道。そして、その道を通る人々が庭を見て楽しめる街の方がよいではないか。それが本来の望ましい街のあり方であり、住宅地であるならそれは可能である。建て売り業者にも協力を依頼し、そのような住宅を実現させた。
高木町では阪神淡路大震災を契機として、八つの条文からなる「まちづくり宣言」を行っている。条文の第一番目は「農地・農業や自然の営みと住民生活が共生できるまちづくりをめざします」という内容である。この条文そのことはどうということはない。「共生」という言葉は役所ですら簡単に使う。しかし、この宣言文は、最初は40から50あった項目を、1年半もんで絞り込み、高木町の全900世帯がすべて一致した上での宣言文なのである。むろんのことこの中には13戸の農家も入っている。そこまでたたいた上で成文化を行っている。何人かの町会の役員やどこかの役人が机上で作ったものとはわけが違う。宣言文を記述した看板もあるのだが、班長さんはこれを自宅の玄関に下げておくように取り決めしている。それはよそから来た人に対する高木町民の主張なのである。
要するに、住民意識の中で農業者がなくてはならない存在にならなければらならないし、そこまでゆけば、援農や域内での契約栽培にも発展していく余地がある。
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