JA相模原との対談 平成8年3月4日
JA相模原の援農システム整備事業とは
市民むけの農業体験や農業講習を行っている自治体は結構多い。けれども、公共職業安定所と協力して人手不足農家へ農作業希望の市民を斡旋している事例は全国的にも珍しい。JA相模原が昨年から取組み始め、日本初の試みとして各方面から大きな注目を集めている「援農システム」とはどのようなものなのだろうか。東京都農業会議とともに現地へおもむき、この事業の直接の仕掛人であるJA相模原農地利用調整センターのマネジャー土屋邦愛氏にお話をうかがった。今回は、この事業の紹介です。
進む高齢化と労力不足
相模原市は平地が大半を占める台地上にあり、畑作と養蚕・畜産とが結びついた複合経営の農業が行われていた地域であった。しかし、都心から40キロ圏に位置していることから東京と横浜のベッドタウンとして昭和40年代から人口が急増した。今では人口57万人を越え、県内でも横浜・川崎に次ぐ巨大都市である。
膨れ上がる人口とともに農地や農家も急激に減少。昭和35年に3,800haあった農地は、平成2年には1,000haを割込み、4,000軒以上あった農家戸数も半分以下の2,000軒に減少した。
開発はなおも激しく続いている。生産緑地の指定率も34%と低く、昔から盛んであった酪農・養豚も、区画整理事業の導入とともに確実に潰れている。臭気公害への住民の苦情から養豚農家の移動先がないのである。
その上、高齢化と担い手不足も深刻化している。農家の半数以上が65歳を越え、JAの正組合員4,180戸の平均年齢も63才と高齢化が進んでいる。農地を所有していても作付しているのは半分だけで、後は休ませている。こうした農家も増えている。耕し切れない農地が不耕作地として確実に広がっている。
JAでは平成6年度に「農地利用に関する意識調査」を実施した。その結果、320戸の農家が労力不足を解消するため「農作業を委託したい」という回答を寄せたのである。
農業へ関心をよせる市民たち
このように農家が労力不足に悩んでいる一方で、農作業の体験を持たない都会人の間では、多様な余暇活動の一貫として市民農園への関心が高まっていた。平成7年に市が毎年実施している市政に関する世論調査の項目中に初めて農業への「農作業の手伝い」の項目を設け、市民の意向を調査したところ、実に回答者の41.2%が農業を「やってみたい」と答えるという結果がえられ、予想以上の市民が農業に関心をよせていることがわかったのである。
市民と農家とを結ぶ援農システムを作ろう
需要と供給。両者をドッキングさせ、市民のエネルギーを農業に注ぎ込もうという発想は誰にでも思いつく。JAでは昨年行った意向調査をベースに再度詳細なアンケートを実施。この結果、320戸の農家のうち、61戸が委託希望者をしていることが判明した。
文章で書けば「判明した」と一言ですんでしまうが、これだけの事実を把握することは簡単なことではない。大変な作業だった。農家は漠然と質問しても答えてくれない。JA職員が一軒一軒農家を歩き、聞き取り記帳をし、ようやく農家の意向が掌握出来たのである。
さて、繁農期に労力の助っ人を頼むことは、小田原のミカン農家などが日常茶飯事としてやっていることである。
「そんな大変なことではない」。JAでは最初は簡単に考えていた。市の担当者もボランティアの無料紹介であるならば、差し支えない。そう気軽に思っていたという。だが、話はそう簡単には片付かなかった。
農家に農作業の委託を行う場合では問題がないが、一般市民への委託を行う場合には「斡旋業」となる。たとえボランティアの斡旋であっても労働省の見解では職業紹介と見なされる。加えて、職業安定所は職を求める人の側の立場に立つ。農家の情報を市民に提供することには問題がないとしても、「こういう市民が農業をやりたいと思っている」という情報を農家側に流すことは、市民のプライバシーの保護上、問題がある。詳しく調べているうちに、こういうことがわかったのである。
要するに小田原での事例は「モグリ」であって、正式には職安法に抵触してしまうのである。
「えらいことになった」。乗りかかった船である。土屋氏は職安とは打合せだけでも5〜6回はしなければならない破目になった。その中で幾通りもの方法を提案し、この中で一番よいとされたシステムを選択したのである。
それは、前もってJAが求人情報を作成し、求職者に公開(3ケ月)するとともに、職業安定所へ求人票と求職票を提出して、職安に斡旋・紹介してもらうというシステムだった。
農業研修講座の開催と農家への斡旋
方法が決まった。このシステムをもってJAの援農システム整備事業はスタートすることとなった。だが、一口に求人情報の作成といっても、これも簡単な作業ではない。農家は顔なじみの近所に人に仕事をたのむことはあっても、赤の他人を金銭契約で雇用することには慣れていない。
どんな年齢のどんな性別の人を希望するのか。給料はいくらにするのか。交通費を払えるのか。すべてJAが手取り足取り援助して求人情報を作成しなければならなかったという。その結果、13戸の農家が正式に求人を希望することとなった。これで求人側の準備体制は整った。
次は、求職側の立ち上げである。いくら農業に関心があり援農を希望するといっても、相手は不特定多数の市民である。農業体験があるかどうかもわからない。少なくとも職業として農家に就職するのである。いい加減な人は斡旋できない。そこでJAでは農業研修講座を開催することとした。援農に必要な農作業の基礎知識や実技を修得するための、実習体験を行おうというのである。
かくして10月5日にJAが無料で開校し、第1回の研修講座がスタートした。以来、毎週木曜日ごとに延べ6回、11月9日まで講座が開かれた。木曜日という日程を設定したのにもわけがある。土日だけだと希望者が殺到する。中には冷やかしもあるかもしれない。しかし、平日の木曜日であっても受講するというのは相当に熱心な人であるはずである。こうした作戦であった。
問合せは数多く来た。とくに東京や横浜からが多かったという。しかし、いくら熱意があっても市民だけを対象とし、遠方の人はことごとくことわった。いくら市から補助金を受けているからといっても、市内の農家のことを考えれば、受講者を市民に限定する必要はない。意欲ある人を他県から集めてもよいはずである。ところが、あえてそうしなかったのは、わけがあった。土屋氏の脳裏には「歩いて通える程度の範囲からの労力提供」という援農者システムが描かれていたからである。
土屋氏は言う。農家は普通の会社とはわけが違う。雨が降れば、せっかく来てもらっても仕事がない。断らなければならないかもしれない。日中すべて仕事があるわけでもない。夏は暑い昼最中ではなく3時すぎに来てもらったほうがいいし、昼の食事の心配もある。一緒に昼食を取るとなれば、農家の奥さんの負担が増える。昼食は家に帰って食べてもらった方がよい。交通費のこともある。正式に雇用するとなれば、交通費の手当も必要である。あまりに遠方であれば、日当と大差なくなる。交通費は原則として支払わない距離がよい。このようなことを考えると、労力はやはり近所から調達するのが望ましいのである。また、急に忙しくなって、手伝いをたのみたい場合がある。この時も、すぐ来てくれるのはやはり近所の人なのである。
かくして、募集人員30名の枠に対して、28名の市民から応募があり、うち26名が受講し卒業することとなった。
最終日の閉講式の後、職業安定所から担当者がJAの研修会場まで足を運んで来た。ここで斡旋がなされ、結果として契約が成立したのは、13戸の希望農家のうち、8戸の農家であり、紹介できたのは9名(1農家に2名)であった。
農地保有合理化事業と連動させたJAの戦略進
さて、このようにして立ち上げられた援農システムであるが、話を聞いているうちに、実のところは「援農」がメインでスタートしたのではないことがわかってきた。
そもそもこの援農事業を行っているのは、平成6年からスタートした「農地利用調整センター」である。土屋氏の肩書も、このセンターのマネージャーとなっている。
市町村段階での農地保有合理化法人が実施できるようになったとき、その運営は市がやるべきか、農業公社がやるべきかという議論があったという。特にJAにノウハウの蓄積があったわけではない。だが、結果としては、JAが農地保有合理化法人となり、事業を実施することになったのである。
JAレベルで農地の貸借をやれるようになったことにより、農家は身近な感じを受けているようである。申込みが随分増えた。例えば、現在JAが借り受けている農地は11haで、これは相当な量といってよい。
ちなみに神奈川県内には、市町村が運営する農業公社はなく、農協が運営する農地保有合理化法人も県内でここだけである。
1農協で11ha。この大量の農地をどうするか。JAの本当の狙いはそこにあった。実は、このセンターがある地域は、昭和58年に国の補助事業を導入し、団体営土地改良事業(畑総)を実施している場所なのである。受益面積は58.2ha。農道だけで9.6kmもある。これだけ整備すれば、農家の意識もかわる。
農家は土地基盤整備を区画整理事業と勘違いしているのか、地価が高くて当然だと思っている。ところがどっこい、ここは調整区域の上、農振地域のアミがかかっているのである。だから、値段を聞けば絶対に売ろうとはしない。守るべき聖域は固めてしまったのである。
ところが、事業完了後、情勢は悪化した。基盤整備事業が終了して聖域整備された段階で、かえって農家の営農意欲が低迷し、草だらけになってしまった。
要するに、援農システム出発のもとをたどれば、この固めた容器をどう活用するか。国庫事業としてのしばりがある以上どうにもならない。ペナルティを受けないようにこれをなんとかしたいという根ッ子にゆきつくのである。
下のイメージを見ていただきたい。
簡単に言えばこういうことだ。大半の農家には意欲がない。農地をもて余している。一方で意欲ある農家は労力が不足している。だから、もしこの意欲ある農家が例えば0.2人分の労力が不足しているとすれば、ここに1人分の労力をつぎ込めば、0.8人分の余力が生まれる。この余力をもって、意欲ある農家は規模を拡大し耕さない農家の土地を耕してくれるであろう。こういう発想である。
これは、逆に就農希望者からすれば、こういうことになる。脱サラでいきなり農業をやるといっても、あるいはシルバー世代が第二の人生として農業を選択するとしても、いきなり農業委員会の認定を得て就農するには無理がある。かといって、農地法に抵触するから農地を貸すことは出来ない。市民農園では中途半端だ。だが、もし、こうした形で農家の傘の下で援農作業をしていれば、本当にやる気がある人であれば、1反や3反くらいの農地は自由きままに耕してしまうであろう。その上で、本当の農家になってもらえれば、それもよい。こうした狙いがあったのである。
求められる農家の意識啓発
では、果たしてこのようなJAの戦略は見事にあたったのだろうか。結果を検討してみたい。まずは、農家側をみてみよう。
第一の問題点は、求める意欲の不足が見られる点である。農家サイドからの援農希望は、自発的には出てきていない。PRしてまで人を求める気は農家にはさらさらなく、JAからの激しい呼びかけで、ようやく出てきている。また、求人を希望する農家であっても中々人を使える状態になっていないというのが実情である。露地農家では青色申告すらしていない農家が多い。このようなドンブリ勘定では、とうてい人は雇えない。
援農希望はしていても、いざはじめると求人が集まらないという背景には経済的な理由もある。人不足で困っていも、金が払えるかどうかで足踏みする農家が多いのである。
例えば、雇用賃金といっても色々とある。酪農ヘルパーでは1.5万円。植木は2万円。ハウス内での収穫作業だけとか直売店員では時給650円など様々である。しかし、人を雇う以上は、最低賃金法に基づき最低でも5千円は準備しなければならない。これだけ出しても雇いたいという農家は少ないのである。
そのことはJA相模原管内の農家の営農状況も関係している。管内の野菜農家の規模は小さく、市場出荷を行っている農家は数名だけであり、3haの大規模農家でも直売が多いという。本来これほどの規模の農家が直売に専念するためには施設化を推進し、端境期をなくすことが必要である。
ところが、相模原台地は地勢上水が不足する地域であって、もとよりその施設化するための水がない。そこで、経営体も育成されない。こうした状況になっている。
第二は、農家の意識改革が必要な点であろう。いままで人を雇った経験がない農家は実につっけんどんな対応をする。例えばこういう例がある。「職安で見ました。明日うかがいたいんですけど」援農希望者が電話をしたとする。これに対して「明日はだめだよ」とだけ答えてしまう。なんと無礼なと、都会人の反発を買った農家もあったし、援助にきたおばさんを泣かせてしまった農家もあった。
根は悪い人ではないのだが、都会人とのつき合いをわきまえていない。「明日はちょっと忙しくて困るんですが、是非お願いしたいので○○日に来てくれますか」と答えればよいのに、その訓練を受けていない。だから最低限のマナーの修得が必要なのである。
消費者の要望は所得より自然体験
次に消費者の方はどうだろうか。消費者側にも問題がある。援農希望者の気分を総じて言えばこうなる。「市民農園を借りていたが、もっと広いところでやりたい。青空の下でうんと農業をやりたい。おみやげにちょっとした野菜が貰えれば、給料はいらない」。
750円の時給を出すといっても椎茸農家のコマ打ち労働には人気がなく、野菜農家に人気があった。それもハウスではなく露地ものである。これは予想外のことであった。だが、これでは困る。職安は現物支給でもよいといっているが、単価が決められない。また、最低賃金法に基づく最低賃金は634円である。これもクリアーする必要がある。
意識啓発は都会人にも必要なのである。とかく、都会人は手伝いにいけば喜ばれるという思い込みがある。これは改めなければならないという。また、消費者の希望は増える一方だが、農家からの需要は増えない。そういう構造になっている。これをどうするかも問題である。
おわりに
さて、最後に相模原の事例をベースに東京で実施する場合を考えてみたい。相模原と比較した東京農業の最大の弱さは「守るべき聖域」を持っていないことであろう。
相模原の農振地域とて無論のこと安泰ではない。線引きをはずして欲しいという影の声はあるに相違ない。だが「絶対にはずしはしませんよ」。土屋マネジャーは胸をはる。そう言わせるだけの投資をしてしまっている。
基盤整備そのもののやり方には疑問が残る。道路の幅員も必要以上に広いし、碁盤目の区画整理も農業をやるためだけには不要のものである。開発のための下準備とかんぐりたくもなる。だが、うんと将来のことは別として、とりあえずここは守るんだという、聖域を持っているのはなんといっても強みである。
市民農園としての延長としての農業ボランテアならそれもよい。だが、あくまでも産業としての農業支援を考えるのであれば、まず守るべき容器(農振地域)を完成させること。それを根っ子に基盤事業や農地保有合理化事業など国営事業を導入させ、ガンジガラメの既成事実を作ってしまうこと。その上で、あの農地を守ろう、というスローガンとともに、ボランテイア労力を集中投下すべきであろう。でなければ、足のない事業になりかねない。
第二には、ターゲットを絞り込むことの必要性である。アンケート調査からわかるように相当数の都会人が農業を体験することを希望している。しかし、JA相模原の戦略の凄味は、まさに職業人としての援農を考え、単純なボランティアを考えていないことである。それも60歳以上の男性と40〜50代の女性を担い手として想定し、絞り込んでいる。30代は意欲が高くても子供がいたりして無理だと、実にクールにわりきっている。このようなしたたかな戦略が必要であろう。趣味としての「援農」は決して悪いことではないが、本当に農家のためになる労力と、消費者の「自己満足」としての援農とはわけることが必要であろうかと思える。
第三には、事前の根回しの必要性である。職安からは身体障害者も取れるようにしてくれないと困る、こうした要望もあるという。法システムからして当然の要請である。だが、こうした職安の要請をいちいちまともに受けていては産業育成にはつながらない。事前の根回しが必要である。農家の詳細な希望調査と受講者のすりあわせをおこなった上で、セレモニーとしてだけ職安が加わる。これが理想であろう。また、アフターフォローも必要である。実際、JAでは受講者や斡旋した人々との密接な電話連絡によるサービスを行っているという。
「歩いて通える範囲から労力を調達する」。東京ではそこまでやる必要があるかは疑問である。しかし、これに近いほどの濃密な人と人とのすりあわせを行うセクションを設けない限り、いくら援農システムときれいごとを言ったところで、机上プランで終わるだけに違いない。農家のためにどれだけ役立つかは疑問である。やる以上は徹底してやり抜くこと。でなければ、やらない方がいい。それが、相模原の視察で強く感じた思いであった。
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