平成8年度農地主事研修会より 平成8年8月30日

東京のまちづくりと都市農業

地域計画研究所 井原 満明


blue.gif「地主=悪」という図式は貧しい発想だ
 イギリスの農業は、オーナー、経営者、小作農という三重構造になっている。日本とは全く逆で、貴族は農地を持って農村に住み、都会で過ごすための別荘を都市に持つ。
 「人生の究極の目標は農業者になること」が国民の間でも一種のシンボルとなっている。例えば、ピーターラビットが夢として目指したのも牧場を持つことだった。綿羊飼育の第一人者となり、いまでもそれは「ヒルトップ農場」として保存されている。ナショナルトラストが百年前の伝統的方法で農業経営を行なうことを条件に希望者を募集し、いまも昔のままの営農方法で続いている。
 つまり、イギリスでは貴族が宅地を供給してきた。土地は分譲されず、賃借であって、土地が金儲けになるという考えがない。
日本においても、農家は住宅の供給者としてもっと街づくりにも取り組む必要性がある。昔は良心的な名主はいた。土地を持っている人がすべて悪いという考え方はおかしいし、それをどう見直していくかがこれからの都市住民の課題であろう。

blue.gif西洋のまちづくりと日本のまちづくりとの違い
 東京も高々40年前は農村であった。それが急速に宅地化した。農村が宅地化するいわゆる「スプロール化」は都市計画上から見ると決してよいことではなかったが、農業経営から見れば「計画的」であったともみえる。農家は自分の農地の中で最も土地条件が悪いところから転用していったからである。
 西洋の都市は都市国家が母体となっている。都市国家間では戦争があったため、都市は城壁に囲まれ、その外側に農地がある構造が作られてた。城壁都市の密度は驚くほど高く、城壁は住民を外敵から守るとともに農地への都市化の侵食を防ぐ役目をしてきた。だから西洋の町づくりでは、都市と農村が徹底して峻別されている。
しかし、日本の都市計画はここまで徹底出来ていない。都市の中に農村環境が息づいている。それがある意味では、日本のまちづくりの特徴となっている。したがって、都市計画にどう農地を組み込むか、それがいま課題となっているわけである。

blue.gif環境の観点から農地が着目されだした
都市であれ、農村であれ、最近の生活様式は全く都市化している。しかし、生活様式が都市化したからといって、その基盤となる生活文化は残っている。
一般論からすれば、「都市農業」は誰からも支持されるという状況にあるわけではないだろう。しかし、自分の身近な農地に限っていえば、相当高い評価が出てくる。例えば、あなたが30坪のミニ住宅に住んでいるとしよう。クーラーの音さえ気になる環境だ。だが、隣に300坪の農地があることを想像して欲しい。たとえ、他人の土地であっても、いかほどかのうるおいが感じられるであろう。各区市が、農業の振興計画を策定するにあたって行ったアンケートの調査結果からみても、「地場の野菜を食べたい」という回答が7〜8割もあり、地元の農業への関心の高さがうかがわれる。これはスーパーの店頭にならぶ匿名農産物への反動であろう。要するに、身近な農地は地域のシンボルともなっている。

blue.gif農業は教育にも役立つ
最近の子供の偏食が多い。柔らかいものだけを食べるため、どうしても歯が弱くなり、結果として矯正しなければならなくなるのだが、母親はなかなか偏食をなくすことが出来ない。この偏食の要因も8割は味よりも精神的なものであるといわれる。生産している光景を目で見て食べる大根の味は、全く違うであろう。
 いまの母親は二十代後半に第1子を産むのだが、赤ん坊がはいはいするスペースがない。はいはいは子供の骨格を作るために大切な運動なのだが、家が狭く物が溢れているために、子供はものにつかまってすぐ立ってしまう。これは決してよいことではない。東京の子供が育つ環境は育っていない。
 同じことが外国でもいえる。ドイツでも子供の姿勢が悪くなっており、脊椎湾曲を矯正するため、農家が行っている「乗馬民宿」が着目されている。乗馬をすると背を伸ばす。動物との交流も出来ることから流行っている。
自閉症を癒すにも農業は大切である。教育的見地から見ても農家との交流の大切さがわかる。

blue.gifドイツでは色彩や景観に配慮している
都市では農村部に比較して原色の色彩が多く使われている。目の疲れも大きい。バイエルン州の農地整備局では「農村の色」というパンフレットを作成し、農地を整備するにあたって色彩へも配慮している。これがEU全体の政策にも反映されている。
このような農業が持つ要素を活かすことは、建設省が推進しようとしている「個性のあるまちづくり」「潤いのあるまちづくり」を実現することに欠かせない。

blue.gifエコライフを農家に学ぼう
江戸文化に造詣が深い作家の杉浦さんの話をシンポジウムで聞いたのだが、江戸はエコロジーの観点からすると、かなり環境保全型の都市であった。例えば、米のとぎ汁ひとつにしても、床を拭き足を洗う。さらにこれを植木にやるなど、無駄がない使われ方がされていた。これからはこうしたライフスタイルの問題を考えなければならない。農家は産業と生活とが結びついたライフスタイルを送っている。このような生活を都市生活者が評価し、学び取ることが求められるであろう。

blue.gifリゾートによる地域活性化のあやまち
リゾート開発に取組んだ多くの県の計画は失敗した。失敗しただけでなくそのために地域が崩壊した場所すらある。活性化とは、もともと盛んであったモノが沈滞している場合に、それを再興することが活性化であり、その材料が起爆材なのである。
しかし、地域経済はリゾートのようなもので活性化されるほど生易しいものではない。衰退する農業や林業をそのままにホテルやゴルフ場だけを作っても、それは地域経済の活性化にはつながらない。 では、活性化と振興の違いはなにか。農業だけでやろうとするのが振興。それだけではやれないため、他の起爆剤を使おうとするのが活性化である。
例をあげよう。いま商店街は、おそらく商業振興だけではどうにもならない状況にある。第一次産業をもりたたせるため消費者が活性剤になっての観光産業でなければ、地域の活性化にならない。木工所だけを作るとどうなるか。外材に頼ることとなる。需要を高める職人をこそ育成しなければならないのである。
数年前、JAや江原製作所がスポンサーとなり都市と農村の交流のあり方を研究をしたことがある。そこで作成したのが、「都市による農村の再生」と「農村による都市の蘇生」である。都市と農村は対等ではない。都市の経済力を持ってすれば農村の再生も可能であろう。同時にある意味で死にかけている都市をも再生することになる。

blue.gif都市住民のライフスタイルを変えること
人々がリフレッシュ出来る場所は、北海道ではなくもっと手軽に行ける場所である。リゾートの語源は、「足しげく通うこと」である。非日常性ではなく、日常性の延長。あくせく働くこの都市での日常ではなく、落ち着いた環境の中でじっくり滞在し家族の対話や自分を見つめられること、、、。
グリーンツーリズムという言葉がある。このグリーンという言葉の中には価値観を変えるという意味あいがある。環境にやさしいツーリズムということだ。ホワイトツーリズムは山岳観光、ライトツーリズムは都市、ブルーツーリズムは海である。
こうしたツーリズムが出てきた背景にはヨーロッパ諸国の環境破壊にたいする反省がある。無駄なことをしていてもあたりまえだというライフスタイルに変わらなければ環境は守れない。無駄に捨てている金があるのなら、それを環境を維持する方向へ、例えば地域の農家が作った農産物を買うことで都市住民が農村を支えて行くという方向へつながっていく。

blue.gifコ−ディネ−タ−としての行政の役割
消費者と農業者を同席させれば、行政が金を取らなくてもやれることはある。花を植えるのは子供たちがするとか、パートナーシップで行えば、公園づくりでも7倍の事業効果があるといわれる。事業費でいえば7分の1で出来てしまうのだ。実際にこうしたデーターがイギリスで出ている。フランスではきめ細かな宿泊施設がパートナーシップで作られる等、街づくりのキーワードにもなっている。これからは行政がオールマィティではない。しかし、行政と民間は対等ではないし、役割が異なる。例えば、使っていない資料館があったとしよう。ここを地域資源を紹介する場所にするとか、異業種をどう結びつけるのかが行政の役割なのである。都市農業に限って言えば、農業を軸に学校、福祉、都市計画にサゼッションしていく役割を担っているのでないか。
このように、グリーンツーリズムはヨーロッパではすでに根付いている。専門家によれば日本は20年遅れているといわれる。だが、最近の時代の変化は早い。20年の遅れも実際は10年位で取り戻せるのではないか。だとすれば、10年後には評価される。この10年間をどう生き延び、しのぐかが大切である。
【参考】
平成8年度に東京都と東京都農業会議とが区市町村職員を対象に行った「農地主事研修会」での特別講座の内容をまとめました。


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