並木


処分場計画について:

ひとこと :市川
{ 一般廃棄物最終処分場は、迷惑施設と呼ばれますが、私たちは、日々ごみを出し続けている現状では生活必需施設と考えています。だからこそ、一部の地域の方々の犠牲の上に成り立っている私たちの生活であって本当良いのか?を、もう一度市民と行政が真剣に考え直していく大切な機会だと考えています。

私たち多くの市民は、行政の第一の目的が、「全ての市民の人権を守り、健康で安心して暮らせる環境を目指す事」であると信じています。そのためには、常に「人」を意識して政策を考え、公共の事業等が進められる事を望んでいます。しかし、この処分場計画に象徴されるように、いつのまにか「人」が「形」に置き換わりはじめた時、建設はあくまで本来の目的のための、一つの手段以外のなにものでもないのに、いつのまにか建設することが、目的になってしまい、形に囚われ振り回され目的や他の手段についての話し合いが、なかなか進められない事を心配しています。

この処分場のような施設は、一度作られた場合、半永久的に、そこに在り続けるのです。そのような施設を今の大人たちの判断だけで決めてしまって良いのでしょうか?次の世代である子どもたちの気持ちが余り気にされずにいる事が気になり、お互いの理解も十分得られぬまま計画が進められる事は、多くの人達の間に深い遺恨や不信感が残るのではと心配しています。

反対の意見も賛成の意見も、同じ市民の意見です。人それぞれ考え方が違うのですから一つの事に対してこのように様々な意見が出てくる事は自然な事です。ここを理解してお互いが受けいれる気持ちを持つ所から始める事が大切なのではないでしょうか?反対だから駄目、賛成だから良い。逆に反対だから良い、賛成だから悪い。という事は在りません。どちらも同じように自分という部分から市政を考えているのですから、話し合って行く中で解決の糸口が必ず見つかると信じています。

自分の意見や、やり方と違うと言って相手を否定してしまうのでは解決に結びつきません。逆に対立を深める結果になってしまいます。特にこのような施設は、相互理解のうえで進められる事が大切ですから周囲の人が冷静に客観的に判断しながらより良い方向を探すという環境を作っていく必要を感じています。

(はじめに形が在ったから、反対、賛成意見となって対立という構図が出来あがってしまったのではないでしょうか?形になる前の段階であったとしたら「いろいろな意見」という考え方が出来、十分な話し合いも出来たのでは?と考えます。その時点であれば、意見はYES,NOの2つではないのですから…。)

私は、自分たちの出すごみが、このような形で人の心を傷付け合う結果を招いている事を知り残念に思うと共に、なんとか良い形で解決できないか? 大勢の中での一部の声に同じ市民として耳を傾け一緒に考えていきたいと関わってきました。 今感じている事は、ごみを出す私たち自身がごみについてもっと真剣に考えなければいけないと言う事です。市民、行政の枠を超えてみんなで考え話し合う事が大切な事ではないでしょうか?。}
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