ようこそ、環境観察会のページにおこしいただきました。

それではただ今から、世界一の環境先進国、ドイツの環境首都として名高い「フライブルク」の街並み観察に出かけましょう!

この催しは「疑似体験」をしていただくものです。
今日(8月13日)嬉野自然観察会にご参加をしてくださいました、宇留田敬子様の実体験談などを中心としての内容となっています。

宇留田様は平成9年に、同じドイツのユアランゲンという都市でホームステイをなさった経験をお持ちの方で、「ミミズのカルロ」を日本に導入する先達者として著名な今泉みね子さん(地球・人間環境フォーラム客員研究員)といった人たちとも交流されたそうです。そして、
あの「カルロのいる学校」の校長先生!との記念写真等も見せていただきました。また、いろいろと考えさせられる問題がわが国には多いということも理解できました。

さてそれではミミズ万太郎さんに解説のほうをお願いします。

まず全体に感じられることは、街全体が緑に包まれたエコ構造だということです。
ここに自動販売機は見当たりません。ジュースはマイカップ使用が常識なのです。
旅行者への配慮で、デポジット制のコップを用意されていますが、このようにすべてが再使用可能な社会構造になっているのです。生ごみは燃やさないことが最優先の方策です。
ですから小山のような生ごみ捨て場で、堆肥化されるのです。大量ですから大型機械が使われていました。

日本とともに大敗したドイツ。しかしドイツに退廃は見られません。経済復興一辺倒に夢中となっていったわが国とはやはり人種が違うのでしょうか?
ここでは官・民が一体となって完璧な循環型社会環境社会をソフトとハードの両面で展開されていました。
日本とドイツとの意識の差を知るには、実際に現場の空気を吸われ、市民の根底に根付いている自然への慈しみ・自然を愛し、自然を大切に自然に感謝する心などを感受しているドイツ国民の日常の生活スタイルを知ることが一番手っ取り早いのではとも思われます。それは日本人の環境に配慮する心構えとは、あまりにもかけ離れているからです。日本は非常に恥ずかしいです。この乖離が甚だしいのです。
「日常での食事内容も質素でしたよ。」と写真を見せていただきましたが、驚くほどつつましやかなメニューでした。

では具体的に報告をします。ドイツの人たちは揚げ物はたまにしかしないようです。汚れるからです。油は使い切ってしまうのが常識です。
三角コーナーもありません。炊事のときに出る生ごみは湿っておらず、そのまま容器に入れられます。日本では考えられませんが生ごみの収集は月に1回だけです。今日のメーンメニューは「具たくさん野菜のコンソメ煮込み」、まず材料(大根・ニンジン・ジャガイモ・玉ねぎなど)は洗わずに切られます。洗いの段階は細かく切られたあとで、水を入れたボールの中で一緒に濯がれるのです。残り水は庭に利用されます。この料理で使われた水の量はたったのボール1杯分だけでした。
小さな冷蔵庫の中も、すべて詰め替えの可能なビン容器が使われています。無くなれば補充されるのです。洗濯機が回されるのも週に2〜3回だけです。これは一般の家庭での普通の行ないです。

見たことは忘れない思い出(百聞は一見)
If I see it, I remember it. and If I do it, I understand it.


「三つ子の魂、百まで」の具現化が低学年から始められています。学校と家庭との相互でです。これが人間形成の初期段階において完結されるのです。
バスは天然ガス使用で、有毒ガスは極少です。そしてこのバスをみんなは利用します。その媒体は便利な「地域環境定期券」がそれです。日本では鹿児島市が考え方を採用していますが、ドイツのレギオカルテはもっと概念が深いです。
ごみから発生させたメタンガスと天然ガスの使用は、広域コジュネレーション・システム(広い地域を対象にして電気と熱をそれらの割合に応じて配布し、効率よく供給するパワープラント)をいち早く立ち上げた科学立国ドイツの一端を垣間見る思いです。
これでお分かりのように、ごみは有資源という考え方が徹底されています。
分別は確立されています。ここで「ごみ」と呼ばれるものは何のリサイクルにも貢献しないものをいいます。前述のメタンガス発生用として埋め立てられるものは「ごみ」ではなく「護美」なのです。資源です。
そしてあくまでも目標は「ごみZERO」なのです。

もっと具体的な話をしましょう。今、日本では容器包装法についてなど一連の環境基本法はぐちゃぐちゃとしています。ところがここでは1991年に交付されました。歯磨き材は箱には入っておらず、チューブのままで売られていますし、ペットボトルは姿を消しています。デポジット制も定着です。余談ですが会社の社長さんは10年以前の当時に「ごみはZEROにせよ!」と命令されたそうです。
こちらでは現在においても「半減せよ!」だと思いますが、この意識の差は相当なものがあるように感じられます。マイカー通勤やマイカー買い物だってシステムが人間工学を応用した感があり、物理的・金銭的に解決されているようです。
RDA(資源リサイクル推進協議会)が日本からの視察団を迎えるとき、日本人はかならず「ごみのことばかりを質問したい」というがこれはおかしいとの環境保護局長の話は恐縮でした。
フライブルクではゴミ(護美)の問題は三番目程度で、地球問題としてのもっと大きな課題に取り組んでいるそうです。日本では500mlのペットボトルを税金をかけて処理しようとの考え方がありますが、そんなものをフライブルクでは到底理解され得ないでしょう。

冒頭で紹介したように首都は住宅の中に緑が埋まっているというか、緑の空間にエコ住宅が介在している環境です。側溝は曲がりくねり、潤いをかもし出し、自然から恩恵を受けた水は河に戻っていきます。屋根は芝生が張られてあります。ソーラーが普及しています。建物の壁面には緑の絨毯が這い登り、これらは「エネルギー住宅」となっているのです。

少し家の中に入らせてもらいましょう。
照明ランプは省エネランプで、数も少ないですね。食事も質素です。飽食までして残す日本とは全然、生活スタイルが違います。
ここでもそうだったように「先ず省エネは官庁から」が良策だとのことです。行政のとるべき環境計画が将来を約束するようです。いわゆる動機付けです。
学校教育にはビオガルテン(有機農業)が導入されています。肌で感じ取る「ミミズのカーロプロジェクト」もこの思想が出発点でした。
フライブルクで日常生活をしている一般の人々、小学生児童を日本に招待すればみんなは一同に「ギャー!」と叫ぶことでしょう。過剰な包装法、「護美」への取り組みという哲学概念の違い、エネルギーの無駄遣い、無頓着・・・・。

郊外ではウサギが飛び跳ねているのを見ることができる、この環境は素晴らしいものがありました。この市民に日本が見せられるものは何もないということを感じた偽装体験でした。

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