リボルバー ( 一 ) 目の前のネタケースに並ぶいかにも旨そうな素材を吟味しつつ注文する。 「トロとウニ」「ヒラメと鱸」 板前は初めの注文を受けて後、本日のお薦めネタを告げた。 場の雰囲気は怪しいけれど切り出した。 「大将、勝手だけど、今日は軍艦巻きで後全てお願いできるだろうか、」 老舗の看板が相手にあることは、こちらも承知せねばならない。 「実は、二人共、日本橋に来るのは初めてで、知ってることは海苔問屋の 発祥地だというだけでね、だから海苔に拘りたいわけです。」 「特別ねえ、お任せで良ければ承知ということではいかがですか」 「悪いね、そちらに後は任せますから、よろしく。」 江戸期の日本橋は食品卸問屋の集積地であった。幕府御用達の浅草海苔が庶民の 食する海苔にまで飛躍した発端は、大森・品川の海苔業者と提携を結んだ日本橋・ 山形屋によって全国に流通させたことといわれる。 二人は以前勤めていた会社で、「海苔」をきっかけに親しくなった経緯があった。 七年ぶりに再会したのは川瀬民子という元同僚の葬式であった。互いにそれぞれ 会社を辞めてからも彼女とは賀状を交換し続けていたことから連絡を受けて参列し そこで再会した。加奈子はまだ独身であった。加藤も同じく独身を通していた。 二人の交わりの発端は、加藤の八年前に書いた『海苔の話』という随筆に詳しい。 『 海苔の話 』 職場の団欒のひとときに新入社員になった女性が恥じらいつつ含み笑いしながらも 真面目な瞳を向けてこう告げた。 「笑わないでくださいよ。実は気になって仕様がないことが幾つもあるのです。」 彼女は同僚の顔の動きを確かめて続けた。 「例えば、味付け海苔って海産物なのに製造元の会社名が山本山とか山形屋とか山が 付いているでしょう。それが気になっているんです。気になるともう堪らなく じれったくなるの変ですか?」 暫く沈黙が続いて口々に合点を意味する言葉が発せられ続いたのです。普通なら ひとときの話題として記憶から遠ざかる話であるが、ここに変人と自称する男あり。 帰宅後早速白紙の用紙に書きとめた。 調査名 海苔の歴史 調査目的 味付け海苔って海産物なのに製造元の会社名が山本山とか山形屋とか山が 付いていることの理由を明らかにすること。 調査項目 ・海苔の製造会社名を調べる ・屋号の由来について ・流通事情について 資料収集 海苔会社のパンフレットを入手する 翌日男が彼女に一枚の用紙を手渡した。そこには次のような海苔についての予備知識が 記されていたのです。彼女は読んで呆れた様子を堪えて礼を述べた。 ープリテスト結果報告書ー (1) 山本海苔の商標は梅に丸である。当社の極上銘柄は「梅の花」 ^や^^は屋号であるが家紋としては山形印としてある。 (2) 家紋の由来や商人が屋号として取入れたいきさつは定かではないが本来家紋は 位置や地勢と本末関係・職業・出身地あるいは先祖の名前などで付けられる。 (3) 仲買人の仕組みは、江戸幕府の成立以前からあったとおもわれる。江戸に幕府 が移り、日本橋や幕府御用達の商人が仲買人との流通経路を設けていた時に、 海苔の海産物が現れその取り扱いをしたと考えられる。 まとめ 以上から推察しますと、山地と海苔との関わりは日本が山国であり、戦国時代は山を 防壁に城下町は作られたと思われる。そこで富を得た商人は出身地が山に関係したもの だからという理由が一つ。海苔の生産に従事する人達は出稼ぎ職人だったこと、江戸へ 移住する信州・甲州などの山間人であろうことも一つ。だから商号・屋号として山形印 が多い。一方、地域物産品として今日所在する海苔製造会社は海産物にちなんだ名前が みられる。(浜っ子ー名古屋の大手、白子のり、磯っ子、磯のりなど) しかし、これらの会社は昆布や乾物などの海産加工品の多品目扱い会社であって 山本海苔・山形屋など全国市場とする乾のり業者は、伝統を重んじる格式豊かな社風と 品物の性格から旧来の商人屋号を踏襲していると思われる。 ー 以上 ー 彼女の反応とは別に男は「海苔の歴史」へ引き込まれていく自分を知った。 次の土曜日の休み図書館に行って海苔について書かれた本を揃えた。それで分かった事。 ・ 最古の海苔は「出雲のり」。 鎌倉時代前より名の知れた特産のりは幾つもあった。 ・ 1600年 浅草のり誕生の背景 徳川家康の浅草方面地域改造策によって大市街地造成事業がなされる。 1624年には人口百万となる。浅草は行徳塩の運搬ルートにあり、漁業の開発や 隅田川沿いの一角に蔵前成立させる。(諸国からの米麦の集積蔵)浅草観音寺の隆昌。 その後浅草でのりは作られなくなるが門前市として「のりの取引所」となる。 ・ 品川のり 品川宿で売られる上質もの ・ 天海僧正の「浅草のり」命名説 上野の東叡山は江戸城と同様、精神物の献納地指定とする。仏法の江戸市中・市外への ひろまりと呼応して、寒天・凍り豆腐と共に浅草の名物となる。 ・ のりの養殖について 製法の材料ヒビ建ての資金源は最初、紀伊国屋文左衛門が用意したという。 隅田河原へ製造小屋を築き、のり抄き業はのり問屋の仕事で初期ののり売りは 漁師や旅篭の副業であった。植木職人などもしていたとある。 ・ 海苔屋の出現 1687年には「のり商」の名はない。海苔屋の出現は東叡山の 計画的大量買上げによって正木屋という海苔屋が成立したのです。 江戸町人の経済力向上は食い物の美味を漁りだす時代をもたらし 「のり商」が店を浅草に出すにいたったのです ・ 御用商人に指定される 幕府御用達の「のり御用商人」に浅草の著名海苔問屋が指定される。 永楽屋・扇屋・正木屋・長坂屋・井筒屋・中島屋などである。中でも永楽屋は1773年 江戸城の御用商人となり大海苔問屋と発展させた。 御用商人は生産者に対して製法の材料ヒビ建ての資金源となり手工業体制をとる。これは 享保期より100年続き、1820年永楽屋の刑処以後、御用商人の勢力は衰えていく。 ・ 日本橋のり商の急速な台頭 日本橋は江戸商業の中心地で各種の食品問屋が集まっていました。文化時代に山形屋は 大森・品川の「のり仲買商」との結びつき強化をはかりました。 男はここまで書いた後ペンを置いて当時を考えてみたのです。 庶民がそれぞれ育んでいた食べ物が社会によって大きく歪められていったのだと。 どう歪んだのか、美味を漁りだすという庶民の食生活の変化が商いの標的になり、 それによって生産や流通機構の変革を為さしめたのではあるが、人間の欲望の図式 そのものではないのか。 しかし、それによって海苔が広く人々の食生活に浸透していったことは認めざるえない。 だがそれは長く保証されたものではないということも分かった。海苔本来の歴史が 必ずどこかにあるに違いない。それを支え人々に保証させるものは一体何であろうか。 江戸時代が男の頭の中で海苔によって展開し始めたといえます。 今日海苔はスーパーの特価品としてレジの近くにかならず置かれている。がそれは 人々の真に望む有様なのか?そうではあるまい。江戸時代にあってもそうではあるまい。 ・ 製造者の反抗 御用商人の勢力に翳りが見えると、それまで言いなりになっていた製造者も仲買人と 同じく反抗し始める。それは納入先の変更であった。指定された海苔問屋ではなくて 穀物業問屋であろうと考える。そのことは新興勢力の台頭を容易にさせた。 旧勢力が強圧的であったに対して、日本橋の海苔商は人間関係を育てつつ大森の海苔 仲買商の中へ仕入先を開拓し大きく成長することになった。 文化文政期、浅草一辺倒を徐々に断切り日本橋や江戸市中に新しい販路を開拓し、信州 等の出稼者を使って大きく商売を広げた。 ・ 海苔消費の急増 封建経済体制が大きく揺らぎ始めた安永期から文化文政期に海苔消費は支配階層から 江戸っ子の食べ物へと変換し需要が飛躍した。当然品不足が生じ、荷受問屋の大幅利益や 群小の海苔商人の成長を許さなかった。それは幕府が養殖場拡張規制をしていたからです。 浅草のり製造はこれを機に各地に伝わることになった。 農漁村の貧困の対策として、仙台・尾張・相馬・三河・吉田藩などが領内の養殖を奨励した。 海苔食の大衆化は品質低下物の普及を助けた。江戸の末期には、現在の宮城・福島・千葉 駿河地域・和歌山・広島と広がる。 ・ 品川・大森の産地仲買及び生産者の労力について 村人以外に出稼ぎや信州などからの移住者の労力を利用していた。これらの人々の中から 販女のような行商をする人あるいは秘法を各地へ村八分承知で教えた人、新産地を千葉に 開拓した人などがある。又、産地に根を生やし生産者や仲買や荷受問屋を引き継ぐ人も あったと考えられる。江戸売りと旅師は出稼ぎや奉公人の中から出たが、彼等は1852年 諏訪商人の加盟団体を作った。彼等の手で海産の神として諏訪明神を江戸の海苔業者に 更に信仰熱を高めたと考えられる。 男はこうしてノートに書き込みながらふと疑問に思ったのです。現在の流通事情なら 大いにありうることだが、時は江戸時代。あまりに急速な発展ではないか。海苔の 文献を見廻してパリ博に出品され好評となって明治期息を吹き返した海苔のことを 知ってこれだと思った。海を渡るつまり紀伊国屋文左衛門が和歌山のみかんを知ら しめたのは交易船であること。交易船が広告宣伝塔の役目を果たしていたのだ。 ・ 俵物と諸色 1697年に銅に代る物産として交易の増額を願い出たことから 俵物と諸色という名 が始まった。1785年輸出高の記載をみると、昆布では3000石(1200両) 1860年では7600石(3500両)と飛躍している。 海苔の名称はこの中には見当たらないが乾物・水産加工物の取扱いは、米の取扱い高の 1/4を越えている。(大阪問屋の国内取扱い高資料より) いかに先記の日本橋における荷受問屋の資本力が大きいか伺える。 俵物・諸色と海苔メーカー名との関連は直接ないようだが問屋成立の背景との関わりに おいて重要な意味がありそうだと言える。 出雲に端を発した海苔の歴史、樽前船等の交易船によって全国に伝わった歴史に思い馳せて いくと、縄文時代に出雲を拠点に大陸・半島の文化が船によって日本海沿岸に伝わる 古代のロマンが、男の脳裏に漂ってきたのです。手にするペンが震えていました。 「あなたのささやかな疑問は私にロマンをこの上ない悠久の歴史へ導いてくれました。」 男は彼女にそう告げました。彼女はそれ以来男に対する見方が変人から信頼すべき人に 移行したことを喜びました。そして、その後、彼女はささやかな疑問を男にだけ打ち 明けることにしたのです。前と違って大層心踊らせながら・・・。 ー 完 ー