M.I.T.が運営する白神系サイト「マタギさんと歩く白神山地」へようこそ。 それではM.I.T.誕生秘話をご紹介しましょう。
「M.I.T.」はエムアイティと読みますが何の略かと申しますと、、実はあんまり意味はないんです。元々はトライアスロンのスイム競技で使用するスイム用のウェットスーツをデザインして販売したり、大会のオフィシャルTシャツ(完走者用、スタッフ用)をデザインして納品していました。 その後諸事情(サラリーマンが忙しくなった)で休眠状態となっていました。 ひょんなことからこの度めでたく脱サラ(古い言葉だねぇ〜)をしたことがきっかけで活動を再開したわけなんです。筆者は数十年前横浜で活動していたノア・デザイン(クリスチャンのインダストリアルデザイナー&グラフィックデザイナーの集まり)に参加していました。当時は休みといえば丹沢山系、八ヶ岳、北アルプス方面など山〜山の山男でした。 北アルプスは裏街道の鹿島槍〜針ノ木岳を縦走している時に,天からの「故郷青森に帰りなさい」との啓示?を受けて、故郷の青森県にUターン。 山から海へ、、?帰ってきた当初は悪友の誘い(当時の流行)で休みといえばサーフィン&サーフィンで、塩漬けの日々。そんなある日(1986年)最近では白神山地「赤石川」や「ミニ白神」で有名になった??イカ焼きの町「西津軽郡鰺ヶ沢町」で開催される第一回鰺ヶ沢トライアスロン大会の事務局長(知人)が選手集めをしているという情報をキャッチ! ハワイのアメリカ兵(海軍、陸軍、海兵隊)が体力自慢で始めた競技の始まりと聞いて興味深深、胸キュンキュン(筆者はミリタリー系大好き!but意味の無い戦争は反対!)。 当時は海で(海水浴場じゃないよ)1〜1.5kmの遠泳をするお馬鹿さん?(真面目なトライアスリートのみなさんごめんなさいね)はそんなにいなかったんですね。 運悪く私の友人に「悪知恵銀行」と呼ばれる知識人?がいまして、彼にそそのかされてトライアスロンに出るはめになったのがそもそもの始まり。 そりゃ毎週のように海に入っている我々サーファーは海の楽しさも知っているし、怖さも知っているし、サーファーがある種の女のコにモテることもよぉ〜く知ってますよ。 でも海で長距離を泳ぐとなると話は別問題なんですね。 何事もGO
FOR IT!のサーファースピリットで、そそのかされたその日からプール通いと屋台ラーメンの日々が始まったのであります。 実は悪知恵銀行さんは凄腕マネージャだったのです! だってド素人の私をハワイのアイアンマンレースまで持ち上げたんだから、、驚きでしょ! そりゃ「猿年生まれ」だからおだてりゃ木にも登りますよ! でも世界選手権までは出ないでしょ!普通はね!。 サーファーといえども最初は25mも泳ぐ事ができず、、10mも泳ぐとプールでは息も絶え絶えでしたね。 それよりなにより競泳水着!カッコイイでしょ! ゴーグルごしに見える水面下の世界に引き込まれてゆくのであります。 それでも毎日通っていると少しずつ泳ぐ距離も伸び、ついでに髭も伸ばし始めました。 髭があるとなんか気分はトライアスロン!鉄人!って感じでしょ! それに体脂肪が燃焼して体重も減り始めたんですね! 有酸素運動だもん最高のダイエットでしょ。なんかどんどん自分がシュワちゃんみたいに変身してゆく←錯覚→夢を見ていました。 え〜と当時の泳法は2003年バルセロナ世界選手権ゴールドメダリストの北島くんと同じ平泳ぎでして、まぁ私の場合はカエル泳ぎとでも申しましょうか、足のキックで大きな推進力を得る泳法でした。 腕の引きは推進力というより息継ぎのタイミングのためにあるような申し訳程度のストローク。 タイムは50m1分10秒位だったと思います。 トライアスロンの次の種目は自転車ですよね。 トライアスロン業界では自転車のことをエンジンもないのにバイクって言うんですが?? 100%人間の力で進む自転車ですよ! でもバイクなんです?? スピードは70kくらい出ちゃうんですよ! スピード違反で捕まったことはないけどね!(*^^)v 当時は一回きりの競技だと思っていたので競技用の自転車は購入しないで、弟の通学用の自転車(BSのロードマンって名車知ってる?)の泥除けを取ったりタイヤを交換したりと、、いわゆる改造自転車で参加したんです。 練習しているうちに自転車はなんとかなりそうな気がしてきたけど、やっぱり水泳が心配の種でした。 最後のランニング10Kは歩いてでも制限時間内に完走するつもりで簡単に考えていた。「そうそそのかされていた」と言う方が正しいけど。 競技の一ヶ月前に友人たちと実際のコースを泳ぎ、試走をしたときに愕然としたのを覚えています。 水泳からトランジッションで自転車に乗った時でした。 平泳ぎで消耗した脚では思うようにペダルを踏むことができずいきなり「ピクッ!ピクッ」って痙攣だもの。 2000年のシドニーオリンピックから正式種目になったトライアスロンは Swim 1.5km Bike 40km Run 10km オリンピックでは、この距離で行われ、オリンピックディスタンスとも呼ばれています。トライアスロン大会の多くがこの「ショート」タイプでこの距離を完走すれば、いちおう「自分はトライアスリートだ!」と言えるでしょう。
上記のようにクォーターサイズのトライアスロン(オリンピックディスタンス)では自転車は40Kです。 5Kほどペダルを踏むと脚の筋肉もだいぶ回復してきます。 バイクは2本脚で交互にペダルを踏むので踏まない方の脚はほんのコンマ数秒ですが休ませる事ができるのです。 そこで私は大胆にも大会一ヶ月前にクロールの練習に取り掛かりました。 クロールも短距離用の脚のビートを多用する泳ぎではなく、脚のキックはタイミングをとる程度に打ち、腕のストロークで推進力を得る泳法です。 トライアスロンでは水泳だけが腕の推進力を主に使用して進む種目です。 バイクもバーを引く為に腕を使いますし、ランニングでもストライドとピッチを維持するために力強い腕の振りは重要ですが主たる推進力はやはり脚力です。 このまま平泳ぎでトライアスロン本番に望めば3種目とも脚力を使うことになるので、耐久競技では脚がもちません。 もっと効率よく全体の筋力を使う必要があります。 クロールは両腕を交互に大きくストロークしますので水をかいている反対の腕はバイク同様にコンマ数秒間ですが休ませる事ができるのです。 脚力も平泳ぎほど消耗しませんのでトライアスロンの最初の種目には最適な泳法だったのです。 当時日本におけるトライアスロン黎明期ではスイム競技でウエットスーツを着ることは一般的ではありませんでした。 トライアスロン発祥の地ハワイ島コナで毎年開催される世界選手権ではウエットスーツの着用は禁止されていました。 もちろんハワイで保温目的のウェットスーツは必要ないのです。 しかしウエットスーツを着用するしないでは浮力で大きな差が出るのです。 私たちサーファーはほとんど一年中海に入りますので、そのシーズンや水温によって素材や形状(デザイン)が違う数種類のウェットスーツを使用しています。 真冬は5mmのネオプレーン・ドライスーツにブーツとグローブ、時にはキャップも着用します。 5月頃からは3mmジャージのフルスーツ、6月ころから半袖のシーガル、7月は半袖半ズボンタイプのタッパ、真夏はランニングタイプと半ズボンなどなどです。 実はウエットスーツは既製品もあるのけど当時はオーダーが基本でした。 やっぱり体にフィットしていないと動きにくいしパドリングもきつくなるからです。 1986〜7年頃のトライアスロンのスイム競技では保温用に2mm素材のジャージで作った既製品のベストを着用する選手もいました。 私も実際に購入して最初の競技で着用しました。 バイクへのトランジッションでとても脱ぎずらく時間を要し苦労させられました。 地元開催の第一回記念大会が終わり一ヵ月後には山形県酒田市で行われた第一回酒田おしんトライアスロンに参加し、悪知恵銀行にそそのかされて始めたトライアスロンにどっぷりはまってしまった自分がそこにいたのです。 そして翌年第三回全日本トライアスロン宮古島大会、同年アイアンマン大会日本予選会である全日本琵琶湖大会にエントリー。 同年10月にはハワイ島コナの世界選手権にエントリー、完走とトライアスロンにどっぷりはまってしまったのです。 1988年の宮古島大会に向けてトレーニングを積みながら3台目のバイクのデザインを悪知恵銀行さんと考えながら秘密兵器の準備をはじめたのです。 バイクも今では一般的になったステップイン式のペダルや空気抵抗を減らすポジションがとれるDHバー、ヘルメットなどエアロダイナミクスをデザインに取り入れた新製品がぞくぞくと登場してきました。 当時私が開発した秘密兵器はスイムスーツです。 ある程度の浮力を確保し水の抵抗が少なく腕のストロークで負担が少なく、かつトランジッション時に簡単に脱げるスイム用のウェットスーツでした。 ハイネックで水の浸入を防ぎロングジョンデザインで腕のスムーズな回転を可能にし、足首にファスナーを取り付けて簡単に脱げるようにしました。 素材も表スキンとし水の抵抗を軽減して、保温と浮力のバランスも考えられていました。 サーフィンのウェットスーツをオーダーしていた工場と契約してオリジナルスーツのオーダーを始めたのです。 長々と書きましたがこれがM.I.T.の始まりなんです。 これがなんで今「白神山地」なの?って? そうですねその辺はおいおい書こうと思ってます。 つづく、、
PS: トライアスロンに興味のある方は Triathlon Life Designer さんのページ に行ってみてください! 丁寧に説明してくれるHPです。