1.歴史的背景
  地上の産物である煙草が人間の生活にいつ入ってきたのか定かでない。煙草の種子は小さく、成熟期には草丈1.2〜2.0m
 となり、その生育は実に旺盛なものである。これらの野生の種子が人工的に改良され、今日の煙草として日常生活に入ってきたの
 には長い年月を要している。
  1492年、コロンブスがキューバ島で住民の喫煙習慣のあるのに驚き、これを報告している。さらに、1494年から150
 0年の第2次、第3次報告において、南アメリカ沿岸で噛みたばこ習慣のあることを伝えている。中南米地域において、どのよう
 な理由により、かような風習が生まれ、どのように伝えられてきたかについては今なお謎とされていることが多い。
  煙草という植物がスペインに伝えられ、以後ポルトガル、フランス、イギリスへと煙草葉が送られ、喫煙習慣はその後急速に広
 まっている。1559年ポルトガル、リスボン駐在フランス大使のジャン・ニコがフランス女王ガザリンに煙草の乾燥葉を献上し
 た。ニコチンの名はそこから発しているといわれている。
  イギリスは煙草の栽培適地としてアメリカ大陸のバージニア、北カロライナに産地の拡大を行い、煙草の販売による税がイギリ
 スの主要財源となった。
  わが国には元亀、天正の頃、ポルトガル人の渡来により伝えられたといわれている。慶長の初期に栽培が始められ、指宿、出水、
 あるいは長崎付近に栽培され、以後非常な勢いで栽培が北上するとともに喫煙習慣が伝播している。
  煙草は、「延命草」「反魂草」「仁草」と称される反面、「毒草」「貧乏草」ともいわれ、しばしば喫煙禁止の令が出され処罰
 等が行われたが、喫煙の習慣は止むことなく今日にいたっている。
  天明時代の横井也有は『鶉衣』で次のように記している。「夜道の旅のねぶたきとて、腰に茶瓶を携えられず、秋の寝覚めの淋
 しきとて、棚の餅にも手のととかねば、只この煙草の友となること琴詩酒の三つにもまさるべけれ。」また、文化12年の『北そ
 う瑣談』には、「或人の話しに煙草は慶長10年南蛮国より種を渡せし。漢土へ渡れるのも大抵同じ比とぞ。始の程は火災のおそ
 れありとて、官より禁ぜられしかど、其禁終われて、今にては飲食につぐものとなれり。」と記している。
  また、わが国における喫煙と健康に関しての記述がされたのは、貝原益軒の『養生訓』(正徳3年:1713年)が最初のもの
 であろう。ここには、喫煙の健康被害や中毒性のことおよびその根本的対策としての防煙の重要性が示されている。「姻草(たば
 こ)は性毒あり。姻をふくみて、眩い倒るる事あり。習へば大なる害なく、少しは益ありといへ共、損多し。病をなす事あり。又
 火災のうれいあり。習へばくせになり、むさぼりて、後には止めがたし。事多くなり、いたつがはしく家僕を労す。初めよりふく
 まざるにしかず。貧民は費多し。」
  明治以降、近代国家として行財政を体系化するにあたり、煙草問題も新たな展開をみた。明治9年、煙草税則が定められるとと
 もに、明治13年には東京岩谷商会により「天狗煙草」が発売され、さらに明治24年に京都村井兄弟商会が「サンライズ」、2
 7年には同会が「ヒーロ一」を発売している。このような煙草の栽培製造販売を通じ喫煙習慣が拡大していく過程において年少者
 喫煙も一般化する傾向をみせた。明治26年、学習院長により学習院の禁煙令が出されるとともに、明治27年には文部大臣によ
 り「小学校ニ於テ生徒ハ喫煙スルコト及煙器ラ付帯スルコトラ禁ズベシ」との訓令が出された。
  煙草行政としては明治29年に葉煙草印紙税法が制定され、さらに葉煙草専売法が明治31年、引き続き明治37年3月31日
 煙草製造専売法が公布(実施同年7月1日)され専売体制がすすめられ、現代の民営化にいたるまでの基本をなしている。
  一方、禁煙活動も展開され、健全なる青少年の育成を目的として明治32年「幼者喫煙禁止法」案が提案され、それが「未成年
 者喫煙禁止法」と改め、明治33年3月7日公布、4月1日施行されて現在にいたっている。また,同年には鉄道営業法も施行さ
 れ、停車場や車内での吸煙禁止が定められている。未成年者喫煙禁止法の全文と、鉄道営業法の抄を掲げておく。

  未成年者喫煙禁止法(明治33年3月7日 法律第33号)
    〔未成年者の喫煙禁止〕
   第1条 満20年ニ至ラサル者ハ煙草ラ喫スルコトヲ得ス
    〔没収〕
   第2条 前条ニ違反シタル者アルトキハ行政ノ処分ヲ以テ喫煙ノ為ニ所持スル煙草及器具ヲ没収ス
    〔親権を行う者及び監督者に対する罰則〕
   第3条 未成年者ニ対シテ親権ヲ行フ者情ヲ知リテ其ノ喫煙ヲ制止セサルトキハ1円以下ノ科料ニ処ス
   ・親権ヲ行フ者ニ代リテ未成年者ヲ監督スル者亦前項ニ依リテ処断ス
    〔販売者に対する罰則〕
   第4条 満20年ニ至ラサル者ニ其ノ自用ニ供スルモノナルコトラ知リテ煙草又ハ器具ヲ販売シタル者ハ10円(8千円)以
      下ノ罰金ニ処ス
  鉄道営業法(明治33年3月16日 法律第65号)−抄−
   第34条 制止ヲ肯セスシテ左ノ所為ヲ為シタル者ハ十円(二十円以上四千円未満)以下ノ科料ニ処ス
    一 停車場其ノ他鉄道地内吸煙禁止ノ場所及吸煙禁止ノ車内ニ於テ吸煙シタルトキ
    二(略)
  戦時体制下における煙草配給制度の発足は、ある意味で喫煙拡大の傾向をもたらしたとの意見もある。戦時体制下と戦後の混乱
 期における煙草葉の不足は、代替葉の活用や、辞典等に用いられていたインデアン紙を利用した手動煙草紙巻きあげ器などが、一
 般家庭に入り込む事態をもたらした。この間において、わが国で広く栽培されまた野生していた大麻をたばこ代替に使用しなかっ
 たことはきわめて重要なことであり、これは国民のもつ生活習慣のある種の英知であり注目に値するものがある。
 戦後においては、たばこと健康問題がしだいに重要な関心事となってきている。昭和39年には厚生省児童局長通知および公衆衛
 生局長通知が出され、未成年者の喫煙防止と国民保健の立場から喫煙の健康に及ぼす害についての啓蒙普及を要請している。また、
 昭和42年、中学校学習指導要領改正により、保健体育に飲酒喫煙問題が取り上げられた。昭和46年、第4回消費者保護会議に
 て、たばこの中に含まれているタール、ニコチンなど有害成分の表示が方向づけられている。また、昭和46年の専売事業審議会
 成分表示等の答申をふまえた国会審議を経て、昭和47年からは、たばこ包装に「健康のため吸いすぎに注意しましょう」という
 注意表示が行われるようになった。昭和51年からは、国鉄新幹線こだま号に禁煙車が設けられている。昭和53年、国立病院、
 国立療養所での喫煙規制に関する通知が出された。昭和53年、国内航空機、国鉄連絡船内に禁煙席が、昭和55年からはひかり
 号に禁煙車が設けられている。さらに昭和55年、喫煙と健康問題に関する衛生教育についての通知、昭和59年、医療機関にお
 ける喫煙場所の配慮に関する通知などが出されている。一方、昭和61年には小学生を、62年には中学生を対象にした、禁煙教
 育の手引書が作成されている。
  戦後の日本国内における喫煙対策の主なものを、まとめて以下に示す。
   昭和39年    喫煙と肺がんに関する会議
   昭和39年1月  児童の喫煙禁止に関する啓発指導の強化について、厚生省児童局長通知(児発第60号)
   昭和39年2月  喫煙の健康に及ぼす害について、厚生省公衆衛生局長通知(衛発第68号)
   昭和42年4月  専売公社,たばこ煙中のニコチン・タール量発表
   昭和45年    関係各省連絡会議
   昭和46年3月  専売事業審議会、成分表示等の答申
   昭和47年4月  たばこ包装に、吸いすぎ注意表示
   昭和51年8月  こだま16号車禁煙
   昭和53年4月  喫煙場所の制限について、厚生省医務局国立病院課長、国立療養所課長通知(病第58号)
   昭和53年6月  国内線航空機に禁煙席設置
   昭和53年7月  国鉄連絡船に禁煙席設置
   昭和55年3月  喫煙と健康の問題に関する衛生教育について、厚生省公衆衛生局長通知(衛発第233号)
   昭和55年10月 ひかり号に禁煙車両設置
   昭和57年11月 国鉄特急列車の大部分に禁煙車両設置
   昭和59年4月  医療機関におけるたばこの煙に関する配慮について、厚生省医務局長通知(医発第335号)
   昭和61年3月  公衆衛生審議会喫煙と健康問題に関する専門委員会設置(厚生省)