2.喫煙と肺がん
(1)疫学的研究
たばこは16世紀に世界各地にひろまったが、パイプ、葉巻、紙巻たばこのかたちで多くの人びとが喫煙するようになったのは
20世紀になってからであった。西ドイツのMullerは1918年から1937年までのケルン市の剖検例中の肺がんの比率
の増加、この増加がほとんど男のみに限られていることに注目し、喫煙と肺がんの関係を疑った。そこで、86例の肺がん患者の
喫煙状況と健康人の喫煙状況を比較した。その結果、非喫煙者は健康対照群では16.3%であったが肺がん群では3.5%と低
く、逆にヘビースモーカーは肺がん群では65.1%と高率であったが、健康対照群では36.0%と少ないことがわかった。M
ullerは1939年にこの結果を報告し、すでにその当時に肺がんの予防には禁煙が重要であることを指摘している。Mul
lerの症例−対照研究では、症例群は剖検で確認された肺がん患者で喫煙歴などは遺族から聴取し、対照群の健康人の喫煙歴な
どは直接本人から聴取しているので方法論的に多少問題があるが、これは世界で最初の肺がんと喫煙に関する症例−対照研究であ
るといえる。
図・・2―3 職業、結核既往、喫煙、大気汚染と肺がんの関係(尼崎,西宮における疫学調査)―観察因子以外の因子
をRotating multiple matching法でそろえて肺がんの相対危険度を計算(略)
その後、喫煙、特に紙巻たばこの喫煙と肺がんの関係についての多くの疫学的研究が行われた。1950年にはWynder、
Doll、Levin、Schrek、Mills&Porterらの5つの研究グループが相次いで、紙巻たばこの喫煙と肺が
んの関係についての症例−対照研究の結果を報告した。これを契機として世界各地で喫煙と肺がんに関する症例−対照研究が行わ
れ、さらに両者の関係を確認するために、いくつかの大規模なコホート研究が行われた。これらの研究の結果、喫煙と肺がんの関
係はさらに明らかとなった。1964年に公表された米国公衆衛生局の「喫煙と健康」に関する報告書には喫煙と肺がんに関する
29の症例−対照研究と7つの大規模なコホート研究の結果がまとめられている。
わが国でも尼崎・西宮の地域住民を対象として、喫煙、大気汚染、職業、胸部疾患(結核)の既往と肺がん死亡率に関するすぐ
れたデザインの疫学調査が行われ(図・・2−3(略))、喫煙の影響が大気汚染、職業、胸部疾患の既往に比べて大きいことが
明らかにされた。1965(昭和40)年に全国の6府県、29保健所管内の40歳以上の地域住民約26万5000人を対象と
して開始された「計画調査」においては、すでに2年間の観察で、喫煙本数と肺がん死亡率の間に量−反応関係がみられることが
確認された(図・・2−4(略))。その後13年間の観察から、日常の飲食習慣や嗜好習慣のうち、喫煙と肺がんの関係が特に
密接であり、他の日常生活上の習慣と肺がんの間にはほとんど関係がみられないことが明らかにされた(図・・2−7(略))。
計画調査においては2年間の観察ですでに喫煙本数と肺がんの間に量−反応関係がみられたが(図・・2−4(略))、16年間
の観察結果からみると、さらにきれいな量−反応関係が観察されている(図・・2−6(略))。これらの日本における喫煙と肺
がんの関係に関するコホート研究および図・・2−1(略)に示した7つのコホート研究およびその後の研究の結果も含めて、喫
煙本数と肺がんの相対危険度の関係をみると(図・・2−7(略))、いずれの国、いずれの集団についても喫煙本数と肺がん死
亡リスクの間に量−反応関係がみられている。ただし、わが国の調査では欧米諸国での調査に比べて、相対危険度が低く(勾配が
ゆるやかに)なっている。この理由は明らかでないが、過去(終戦前後)のたばこ供給量が少なかったこと、紙巻たばこ1本当た
りの喫煙量が少ない(吸殻が長い)ことなどが考えられる。
図・・2―4 喫煙本数別にみた肺がんの標準化死亡比―計画調査1966−67(略)
喫煙と肺がんの関係については、1日当たりの喫煙本数と肺がん死亡リスクの間に関係がみられるほか、たばこ煙を肺に深く吸
い込む者はふかす者に比べて肺がん死亡リスクが大きいこと(図・・2−8(略))、フィルター付きのたばこはフィルターなし
のたばこに比べて(図・・2−9(略))、低タール低ニコチンたばこは高タール高ニコチンたばこに比べて(図・・2−10
(略))、肺がんの死亡リスクが低いことが観察されている。
図・・2―5 諸因子別肺がん標準化死亡比(男)―計画調査1966−78(略)
図・・2―6 喫煙本数別にみた肺がんの標準化死亡比(男)―計画調査1966−81(略)
喫煙開始年齢については年齢が低いほど、肺がんリスクが大きいという報告が多数あるが、わが国の計画調査においても喫煙開
始年齢が低いほど肺がん死亡リスクが高いこと(図・・2−11(略))、その関係は喫煙本数別にみても成立すること(図・・
2−12(略))が確認されている。
一方、前喫煙者(以前喫煙していたが現在禁煙している者)についての禁煙期間と肺がん死亡リスクの関係についても多くの報
告があり(図・・2−13(略))、いずれの調査においても前喫煙者では喫煙継続者に比べて禁煙期間が長くなるにつれて肺が
ん死亡リスクが低下し、非喫煙者(全く喫煙したことがない者)の値に近づくこと、その速さは喫煙量が少ない(喫煙本数が少な
い、喫煙期間が短い)者ほど速いことが観察されている。わが国で行われた計画調査でも同様の傾向が観察されている(図・・2
−14(略))。
図・・2―7 世界各地で行われたコホート調査からみた喫煙本数と肺がん死亡リスクの関係(略)
以上は主として、紙巻たばこの喫煙と肺がんの関係についての大規模なコホート研究(一部、症例−対照研究を含む)から得ら
れた結果であるが、紙巻たばこ以外の、刻みたばこ、パイプたばこ、葉巻たばこと肺がんの関係、さらに組織型別にみた肺がんと
喫煙についての研究も行われている。これらの研究のうち、わが国で行われた喫煙と肺がんについての症例−対照研究を中心に紹
介する。
瀬木らは昭和37年から昭和45年にわたり、関東地区および仙台の4病院で診断された肺がん患者378例(男296例、女
82例)と性・年齢をマッチさせた病院対照756例を対象として、肺がんと喫煙に関する症例−対照研究を実施した。その結果
は図・・2−15(略)に示すように、紙巻たばこの喫煙本数および刻みたばこの喫煙量との間に量−反応関係を認めている。
図・・2―8 たばこ煙の吸い込みの程度と肺がん死亡リスクの関係(男)(略)
図・・2―9 フィルターの有無別にみた喫煙本数別肺がん死亡リスク(略)
図・・2−10 紙巻たばこのタール・ニコチン量別にみた肺がん死亡リスク(略)
図・・2−11 喫煙開始年齢別にみた肺がんの標準化死亡率(男)―計画調査1966−81(略)
図・・2−12 喫煙開始年齢別、1日喫煙本数別肺がん標準化死亡率比(男)―計画調査1966−81(略)
なお、最近わが国では喫煙者の大部分は紙巻たばこを吸っており、パイプおよび葉巻たばこの喫煙者は比較的少ない。そのため、
わが国ではパイプおよび葉巻の喫煙と肺がんの関係についての研究は十分行われていない。外国で行われた成績をみると、パイプ
および葉巻の喫煙者の肺がんリスクは非喫煙者と同等か、わずかに高い(2〜3倍)程度であり、紙巻たばこの喫煙に比べると肺
がんのリスクははるかに低い(図・・2−16(略))。この理由として、パイプおよび葉巻の喫煙者では、一般にたばこ煙を肺
に吸い込まないこと、紙巻たばこに比べて喫煙量が少ないことなどがあげられている。
清水は昭和50年から昭和56年までに愛知県がんセンター病院で診断された肺がん患者101例と性・年齢、調査時期、居住
地をマッチさせた同数の病院対照例を対象として、肺がんと喫煙、その他の種々の環境要因についての症例−対照研究を行ってい
る。この研究においては図・・2−17(略)に示すように、肺がん症例を組織型によりKreyberg ・型(偏平上皮がん、
大細胞がん、小細胞がん)とKreyberg ・型(肺胞上皮がんを含む腺がん)に分けて喫煙との関係を調べている。その結
果、Kreyberg ・型肺がんと喫煙の間には密接な関係がみられるが、Kreyberg ・型肺がんと喫煙の間には、ほ
とんど関係は認められず、多量喫煙者で軽度の肺がんリスクの上昇を認めている。なお、この研究ではKreyberg ・型肺
がんでは、金属などの職業被曝および肥満との間に関連を認め、牛乳および果物摂取は両型の肺がんリスクを低下させる可能性が
あることを示唆する結果を得ている。
図・・2−13 禁煙後の年数と肺がん死亡リスクの低下(略)
図・・2−14 禁煙後の年数と肺がん死亡率の低下―計画調査1966−78(略)
図・・2−15 紙巻たばこおよび刻みたばこの喫煙と肺がんリスクの関係(男)―関東地区および仙台地区の肺がん患
者378例および病院対照756例を対象とした症例−対照研究(略)
図・・2−16 たばこの種類別肺がんの相対的危険度(略)
図・・2−17 組織型別にみた肺がんと喫煙量の関係(略)
図・・2−18 組織型別にみた肺がんと喫煙量の関係―西村らによる967例の肺がん患者を対象とした症例−対照研
究(略)
西村らは昭和39年から昭和51年にわたり、愛知県がんセンター病院で診断された肺がん患者967例(男731例、女23
6例)と、対照群として性・年齢構成をマッチさせた一般地域住民を対象に、肺がんの組織型別に喫煙との関係についての症例−
対照研究を行っている。その結果は図・・2−18(略)に示すように偏平上皮がん、小細胞がん、大細胞がんなどのKreyb
erg ・型に属ずる肺がんと喫煙量の間に量−反応関係を認め,Kreyberg ・型の腺がんについても弱い量−効果関係
を認めている。
中村らは昭和53年から昭和57年にかけて大阪府立成人病センターで診断され,喫煙状況の明らかな肺がん患者582例およ
び性・年齢、初診年月をマッチさせた同数の病院対照患者を対象に、肺がんの症例−対照研究を行い、組織型別、性別に喫煙との
関係を解析している。その結果、男では非喫煙者に対する喫煙者の肺がんリスクは小細胞がん10.3、扇平上皮がん6.0、大
細胞がん4.4、腺がん2.8となっていた。女の腺がんでは喫煙者の相対リスクはわずかに上昇(1.8)していたが、統計学
的に有意ではなかった。男ではいずれの組織型についても喫煙と肺がんリスクの間に量−反応関係が認められたが、女の腺がんで
は量−反応関係は認められなかった。
図・・2−19 組織型別、性別にみた肺がんと喫煙量の関係―肺がん患者827例と地域住民対照1473人を対象と
した症例−対照研究(略)
Shimizuらは昭和52年から昭和57年にかけて仙台厚生病院で診断された肺がん患者827例(男661例、女166
例)と、対照群として無作為に抽出した一般地域住民1473人(男727人、女746人)を対象に肺がんの症例−対照研究を
行い、肺がんと喫煙の関係を組織型別、性別に解析している。その結果は図・・2−19(略)に示すように、男女とも喫煙と肺
がんの関係は扇平上皮がんで最も強く、次いで小細胞がん、大細胞がん、腺がんの順であった。また、この研究では肺がんと喫煙
の関係はどの組織型についても男より女で強い傾向が認められているが、対照群の偏りの影響が疑われる。
(2)実験的研究
1)たばこに関連した肺腫瘍発生実験
喫煙とがん、特に喫煙と肺がんの関係が疫学的研究から明らかにされるにつれ、動物実験でたばこ煙の発がん性を確認しよう
とする試みが行われた。後述するように、たばこ煙の粒子状成分およびガス状成分には多種類の発がん物質と発がん促進補助物
質が含まれていることが明らかにされている。
たばこに関連した肺腫瘍発生実験では古くはたばこの葉自体、またはたばこの浸出物、たばこのヤニを用いた実験も行われて
いるが、たばこタール、たばこ煙濃縮物質を用いた実験、たばこ煙に含まれている特定の発がん物質を用いた実験、既知の発が
ん物質または発がん促進物質と喫煙を併用した実験が多い。ただし、これらの動物実験では主として、たばこタールやたばこ煙
に含まれている発がん物質を動物の皮膚に塗布、皮下注射、気管支塗布、気管内噴霧、気管支内注入したりするものが多く、人
間の喫煙に類似した条件でのたばこ煙の吸入実験は比較的少ない。その理由としては動物では一般に鼻腔の粒子濾過機能が高く、
たばこ煙が肺内に到達しにくいこと、たばこ煙の吸入では高濃度の発がん物質の投与が困難であるために、腫瘍が発生しにくい
ことがあげられている。
これまでに外国およびわが国で行われた、たばこの発がん性に関する動物実験の結果を要約すると表・・2−1(略)、表・
・2―2(略)に示すとおりである。たばこの発がん実験で最も古いものは、1900年にBroschが報告したたばこの葉
の浸出液をモルモットの皮膚に塗布した実験である。この実験では上皮の増殖を認めているが、がんは発生していない。たばこ
に関連した動物実験で初めて発がんに成功したのはわが国の■であり、ウサギの皮膚にたばこヤニを塗布し、表皮がん、肉腫の
発生を認め昭和7年に報告している。表・・2―1(略)および表・・2−2(略)に示すように、たばこの発がん実験ではい
ろいろな方法が用いられているが、たばこ煙の吸入実験では容易に発がんに成功しなかった。最初にたばこ煙の吸入実験で肺が
んの発生に成功したのは米国のHammond、Auerbachらである。彼らは、86頭のビーグル犬に気管切開により強
制喫煙を行い、2年半にわたりフィルターなしの紙巻たばこを喫煙させた24頭のうちの2頭に微小な扁平上皮がんの発生を認
め、1970年に報告している。その他の喫煙のみの実験で肺がんの発生を認めた報告は少なく、わずかにわが国の滝沢がマウ
スに1日20本の強制喫煙を600日間行い初期腺がんの発生を認めている。その他の実験で肺がんの発生に成功しているもの
は、主として犬を用いて発がん物質を気管支内へ注入するか気管支粘膜下に注射したものである。Hammond,Auerb
achらの実験を追試するためにビーグル犬、家兎、ハムスターなどを用いた強制喫煙実験が行われているが、いずれも・型細
胞の増生、扁平上皮化生、喉頭腫瘍の発生などにとどまっている。この理由のひとつとして、後述するように、近年たばこ煙の
タール含量が減少し、たばこ煙に含まれている発がん物質および発がん促進物質の濃度が低下し、発がん性が低下していること
があげられる。
表・・2―1 外国におけるたばこの発がん性に関する動物実験(略)
表・・2―2 わが国におけるたばこの発がん性に関する動物実験(略)
たばこの発がん性に関する動物実験ではいろいろな動物を対象として、たばこタールや発がん物質の皮膚塗布、経口投与、気
管内注入、たばこ煙の吸入、強制喫煙などのいろいろな投与方法が用いられているが、現在のところ、マウスは皮膚の塗布実験
に、ラットはニトロソ化合物や芳香族アミン類の経口投与に、ハムスターはたばこ煙やその成分の吸入実験に適しているとされ
ている。
2)たばこ煙に含まれている発がん関連物質
これまでに行われた実験から、がんはイニシェーションとプロモーションの2段階を経て発生し、イニシェーションの段階に
はイニシェーターが、プロモーションの段階にはプロモーターが作用するとみられている。1つの物質で発がんするものを完全
発がん物質と呼んでいる。
表・・2―3 たばこ煙の気相に含まれている主要発がん物質(略)
表・・2―4 たばこ煙の粒子相に含まれているイニシェーター(略)
別に示されているように、たばこ煙には多種類の有害物質が含まれている。これらのうち、たばこ煙に含まれているイニシェ
ーターおよび発がん物質は表・・2−3〜表・・2―6(略)に示すとおりである。表・・2−3(略)は、たばこ煙の気相に
含まれている主要発がん物質(ただし,揮発性ニトロソアミン類を除く)である。表・・2―4(略)は、たばこ煙の粒子相に
含まれているイニシェーターとその発がん活性度を示し、表・・2―5(略)は、たばこ煙の粒子相に含まれている発がん物質
である。表・・2−6(略)は、たばこおよびたばこ製品に含まれている揮発性ニトロソアミン類である。このうち、特に多量
に含まれているのはnitroso−dimethylamineである。表・・2−7(略)は、たばこ製品に含まれている
たばこ特異的ニトロソアミン類である。これらのニトロソアミン類はマウスに対して肺腺腫、肺腺がんを、ラットに対して鼻腔
がん、食道乳頭腫、食道がん、咽頭乳頭腫、肝がん、肺腺腫、肺腺がんを、ハムスターに対して気管乳頭腫、鼻腔がん、肺腺腫、
肺腺がんを発生することが報告されている。
表・・2―5 たばこ煙の粒子相に含まれている発がん物質(略)
表・・2―6 たばこおよびたばこ製品に含まれている揮発性ニトロソアミン類(略)
表・・2―7 たばこ製品に含まれているたばこ特異的ニトロソアミン類(略)
たばこ煙に含まれているイニシェーターや発がん物質の量は表・・2−3〜表・・2―7(略)に示すようにいずれも微量で
あるが、数十年にわたって喫煙を継続するとかなりの量に達する。例えば、紙巻たばこ1本の煙に含まれているbenzo(a)
py−reneの濃度は10〜50ngであるが、1日に20本の割合で50年間喫煙(合計約36万5千本)すると3.65
〜18.25・に達する。また、たばこ煙には表・・2−3〜表・・2―7(略)に示したイニシェーターや発がん物質類のほ
か、線毛障害物質も含まれているために、気道のクリアランス機能を障害し、発がん物質の肺内貯留、沈着を促進し、間接的に
発がん性を増強する可能性もある。
図・・2−20 米国のフィルターなしの紙巻たばこ(8.5・)の煙に含まれているbenzo(a)pyrene量
の減少(略)
図・・2−21 1955−60年と1970−77年の2つの期間の喫煙習慣別気管支の高度所見の頻度(%)(略)
図・・2−22 米国における年齢別肺がん死亡率の推移(男)(略)
図・・2−23 米国における18歳以上の成人1人当たりの紙巻たばこの消費量および推定メール摂取量(略)
たばことがん、特に紙巻たばこと肺がんの関係が注目されてから、たばこ製造メーカーは低タール、低ニコチンたばこの開発
を続けてきた。そのため、最近市販されている紙巻たばこ煙に含まれている発がん物質の量はかなり減少しているとみられる。
図・・2−20(略)は米国のフィルターなしの紙巻たばこの煙に含まれているbenzo(a)pyreneの濃度の推移を
示したものであり、明らかな低下傾向がみられている。その他の発がん物質や非発がん性有害物質の濃度も減少傾向を示してい
る。これらを反映してか、1955〜60年の間と1970〜77年の間に肺がん以外で死亡した患者の気管支粘膜の組織学的
所見を比較すると、図・・2−21(略)に示すように、高度所見(carcinoma−in−situ)の頻度は1970
〜77年の症例では激減している。
最近、米国、英国などで特に比較的若年層で肺がん死亡率が低下傾向を示しているが(図・・2−22(略))、これは喫煙
率の低下ならびにフィルター付きの低タールたばこの普及によるタール吸入量の低下を反映したものとみられる(図・・2−2
3(略))。
(3)喫煙の寄与率
喫煙と肺がんの因果関係は多くの疫学的研究および実験的研究でほぼ確立してきているとみられる。喫煙と肺がんの因果関係で
問題にされているのは肺がんの原因は喫煙のみではないこと(表・・2−8(略))。喫煙者のすべてが肺がんにかかるわけでは
ないこと、動物にたばこ煙を吸入させても肺がんが発生しにくいことなどの点である。これらの問題点はいずれも喫煙と肺がんの
因果関係を否定するものではないので、ここでは喫煙が肺がんの発生にどの程度寄与しているかについて検討する。
肺がんの原因・リスクファクターとしては表・・2―8(略)に示すように、喫煙、職業性因子、食品・栄養性因子、遺伝的因
子などの種々の因子があげられているが、われわれの日常生活習慣、大気汚染、職業などのうち、図・・2―3(略)および図・
・2―5(略)に明らかなように、喫煙と肺がんの関係が最も明白である。
喫煙以外の諸因子のうち、肺がんとの関係が比較的よく明らかにされているのは職業性因子である。これまでに行われた研究で
肺がんの発生に関与しているとみなされている職業性因子としては石綿、ラドン核子、マスタードガス、クロロメチルエーテル、
クロム、砒素、ニッケル、ベリリウム、アクリルニトリル、塩化ビニルモノマーなどの暴露を受けた労働者、コークス炉、ゴム製
造工場の労働者などがあげられている。これらの種々の職業性因子のうち、喫煙との相乗作用が明らかにされているのは石綿とラ
ドン核子の暴露である。Hammondらは石綿断熱作業者と一般集団の肺がん死亡率を比較し、石綿暴露と喫煙の間に相乗効果
があることを認めている(図・・2−24(略))。Archerらはウラニウム鉱山の鉱夫と一般集団の肺がん数を比較し、ウ
ラニウム鉱山での労働と喫煙の間に相乗効果があることを認めている(図・・2−25(略))。また、この集団では特に小細胞
がんの肺がんの増加が著明にみられている。ウラニウム鉱山の鉱矢の肺がんリスクの増加の原因としてはラドンガスの吸入による
ラドン核子からのアルファ線の暴露によるものとみられている。大気汚染も肺がんのリスクファクターのひとつとみなされている
が、両者の因果関係は明らかでなく、因果関係があるとしても、大気汚染の肺がんに対する寄与度は喫煙に比べるとはるかに小さ
いと考えられる(図・・2−3(略))。肺がんの発生に遺伝的因子も関与しているものとみられる。
表・・2―8 肺がんの原因・危険因子(略)
図・・2−24 石綿暴露の有無別,喫煙習慣別肺がんの相対危険度(略)
図・・2−25 ウラニウム鉱夫と一般人の喫煙習慣別肺がん罹患率の比較(略)
Tokuhataらは、肺がんの家族歴がある場合には非喫煙者でも喫煙者でも肺がんのリスクが2〜3倍増大していることを
認めている(図・・2−26(略))。食品・栄養性因子としては緑黄色野菜の頻回摂取者の肺がんリスクが低下していることが
報告されている。
図・・2−26 肺がん家族歴の有無別,喫煙習慣別肺がんの相対危険度(略)
図・・2−27 わが国における喫煙の推移と肺がん死亡率の推移(略)
図・・2−28 日本における肺がん死亡率および関連要因の年次推移の比較(略)
近年、わが国では肺がんの死亡率が上昇しているが、これと喫煙(喫煙率およびたばこ消費量)の関係をみると、図・・2−2
7(略)に示すように、たばこ消費量と肺がん死亡率の上昇傾向は類似している。男の喫煙率が低下しつつあるにもかかわらず、
肺がん死亡率が上昇しているのは、喫煙者1人当たりの喫煙量の増加および過去の喫煙の影響が顕在化しつつあることなどによる
ものと思われる。さらに、たばこ消費量のほか大気汚染の推移も考慮して、肺がん死亡率の推移傾向と比較すると、図・・2−2
8(略)に示すように、大気汚染の歴史は比較的浅く、しかも近年改善傾向にあること、これに反してたばこ消費量の伸びは肺が
ん死亡率の上昇より先行し、近年はほぼ同じ推移傾向を示していることから、わが国の肺がんの増加には大気汚染の悪化よりもた
ばこ消費量の増加の影響のほうが大きいものと思われる。
一般に特定の原因・リスクファクターの、ある疾患の発生に対する寄与度はその原因・リスクファクターに暴露された場合の相
対危険度と人口集団における被暴露者の割合(または人口集団全体の疾患の罹患率および原因・リスクファクターに暴露された集
団の罹患率)から人口寄与危険率として、定量的に示すことができる。このようにして計算された喫煙の肺がんに対する人口寄与
危険率は平山らの計画調査では男69.4%、女13.2%と推定され、西村らの症例−対照研究から男62.1%、女23.2
%と推定されている。日本人女性の喫煙の肺がんに対する寄与率が低いのは喫煙者が少ないためである。ただし、これらの計算で
は受動喫煙の影響は考慮されていない。