4.喫煙と脳卒中

(1)脳卒中の危険因子

  脳卒中の危険因子に関する疫学研究は、日本人を対象とした数多くの調査成績がある。そして、cross sectiona
 l study(断面調査)、retrospective sudy(後ろ向き調査)、prospective study
 (前向き調査)を通じて、危険因子として最も重視されるのは、加齢と男性であることを除くと、高血圧ならびに心電図や眼底所
 見における高血圧性変化である。このことは、脳卒中を病型別に脳出血と脳梗塞に分けた検討でも両者に共通して認められている。
 そして、欧米諸国に多発する虚血性心疾患とは異なり、わが国の脳卒中の危険因子としては、高脂血症は指摘されていない。むし
 ろ、脳出血に関しては、血清総コレステロール低値、低アルブミン血症が危険因子となることが指摘されている。
  そして、欧米の虚血性心疾患とは異なるわが国の脳卒中のこのような危険因子の姿は、食塩の過剰摂取、動物性食品の摂取不足
 を特徴とする在来の食生活によりもたらされたことが明らかにされている。これら栄養と脳卒中の関連についての成績は、疾病と
 栄養に関する検討委員会報告書においてまとめられている。
  また、過去のわが国における農村地帯を中心とする厳しい肉体労働、冬期の寒冷と不備な暖房なども、脳卒中あるいはその主因
 たる高血圧の危険因子と考えられている。
  飲酒と喫煙に関しても疫学研究は進められているが、飲酒に関しては、高血圧などの他の危険因子とは独立に脳卒中の危険因子
 となるという報告とともに、近年は飲酒が高血圧の成因に重要な関与をしているとする報告が多くなっている。
  飲酒に比べると、喫煙と脳卒中の関係は明確ではない。喫煙者が多いほど脳卒中死亡率、発生率が高いとする成績がある反面、
 非喫煙者のほうが高いとする成績、全く無関係であるとする成績などに分かれている。また、喫煙のみを取り出した単変量の分析
 では喫煙と脳卒中発生に関連がみられるが、高血圧など他の有力な危険因子を考慮して多変量解析で分析すると危険因子とはなら
 ないとする成績などまちまちである。
  欧米諸国においては、脳卒中の危険因子に関する疫学的な検討成績は、虚血性心疾患のそれに比し少ない。欧米諸国においても、
 脳卒中の危険因子としては高血圧ならびに高血圧性臓器変化を示す所見が重視されているが、それ以外にも、高脂血症や、高血糖、
 糖尿病の既往歴など、虚血性心疾患と共通する因子が危険因子としてあげられている。欧米諸国の脳卒中と栄養の関連に関する成
 績も上述の検討委員会の報告書にまとめられている。
  喫煙と脳卒中発症の関連を認める成績がある一方、認めない成績もあり、見解は必ずしも一致していない。しかし、これまでの
 prospective studyで、多変量解析などにより喫煙以外の要因の影響をも考慮して喫煙の影響を検討した成績は
 比較的少なく、また、これらの検討成績では喫煙が有意のリスクファクターとして示された成績は少ない。
  虚血性心疾患の場合は、多くのprospective studyにおいて、高脂血症や高血圧など他の有力な危険因子を考
 慮しても、なおかつ喫煙が独立の危険因子であることを示す成績が得られている。この点の検討が、脳卒中の疫学研究においては
 まだ不足している。以下、わが国の研究成績を中心に示す。

(2)脳卒中の危険因子としての喫煙

  海老原、伊藤の脳卒中入院患者に関するretrospectiveな症例−対照研究では、喫煙は脳卒中の危険因子であるこ
 とがうかがわれるとしている。
  澤井は、日本循環器管理研究協議会により実施された全国11カ所のprospective studyにより、性、年齢を
 マッチさせて、脳出血191例、脳梗塞233例の症例−対照研究を行った成績から、脳血栓では喫煙者の率が有意に高値を示し
 たが、脳出血ではこの傾向は認められなかったとしている。脳血栓について年齢別、血圧区分別に分けてみても、同様の傾向であ
 った。
  平山らは全国より抽出した6県29保健所管内の40歳以上の成人26万5118人について、13年間の追跡調査を行い、追
 跡開始時の喫煙者と非喫煙者のその後の脳卒中死亡率を比較した(表・・3−12(略))。その結果、脳卒中のうち、くも膜下
 出血では喫煙者は非喫煙者に比し、男で1.66倍、女で2.20倍、くも膜下出血以外の脳卒中では男で1.26倍、女で
 1.20倍の高率を示したと報告している。社会階層別にも、脳卒中の標準化死亡比を喫煙者と非喫煙者で比較し、社会階層の高
 低にかかわらず、男女とも、喫煙者は非喫煙者に比し死亡比の高いことを認めている。しかし、血圧などの他の要因をも考慮した
 場合の成績は不明である。
     表・・3−12 喫煙習慣別にみた標準化死亡率(略)
     表・・3−13 脳卒中の危険因子、農民と漁民―線形判別関数の係数(略)
  橋本らは福井県下の住民を対象に循環器検診を実施し、その後平均3年間の追跡調査の結果、非喫煙者および1日に20本未満
 喫煙者では脳卒中発生率は、5%であったが、1日20本以上の喫煙者では2%であると報告している。しかし、血圧などの諸要
 因を考慮した多変量解析による分析では、喫煙は脳卒中発生の危険因子として有意の関連を示さなかった。
  木村らの九州の農村、漁村15年間の追跡調査では、多変量解析による分析成績では喫煙は有意の危険因子とはならなかった
 (表・・3−13(略))。
  岡田らは、愛知県下の2町で40〜79歳の住民4737人の追跡調査を実施し、追跡調査開始時に調査した諸要因と脳卒中発
 生率の関連を検討した。そして、脳出血、脳血栓とも、非喫煙者に比し喫煙者では、その発生率は高い傾向にあること、脳出血よ
 りも脳血栓にこの傾向はより明らかであることを報告している。しかし、血圧などの他の要因を考慮した多変量解析の成績につい
 ては報告していない。
  田中らは、高知県下の農村の男女1688人について10年間の追跡調査を行い、追跡開始時の喫煙状況と脳卒中発生との関連
 を検討した(表・・3−14(略))。その結果、1日20本以上の喫煙者ではそれ以下の喫煙者および非喫煙者に比し、脳出血
 では2.09倍、脳梗塞では1.06倍の発生率を示したが、これは有意の差ではなかった。また、血圧などの諸要因を考慮した
 多変量解析の成績では、喫煙は有意の危険因子とはならなかった。
  さらに、田中らは、新潟県下の一農村地区において40歳以上の男女2359人の6、5年間の追跡調査を行い、脳梗塞発症と
 喫煙の関連を検討した。そして、性、年齢を補正した標準化発生比を比較し、1日20本以上の喫煙者は1日20本未満の喫煙者
 および非喫煙者に比し1.33倍のリスク比を示すが、これは有意でないと報告している。
  尾前らは、福岡県下の農村住民の追跡調査により脳出血、脳梗塞の危険因子を多変量解析により分析し、喫煙は脳出血、脳梗塞
 の危険因子としては有意なものと認められないと報告している(表・・3−15(略))。ただし、高血圧群と非高血田群に分け
 て、脳卒中と喫煙との関連をみると、高血圧群において、喫煙量の多いものは脳卒中発生率が高いという傾向を認めている。
  日本(広島,長崎)、ハワイ、サンフランシスコにおける共同研究(ニホンサンスタディー)において、日本の成績では、45
 〜69歳の男子1366人を4年間追跡した結果、4年間の脳血栓発症者の1日平均喫煙本数は18.5本、非脳卒中者では
 13.7本で有意差が認められた。しかし、血圧などの諸要因を考慮した多変量解析で脳血栓発症との関連をみると、喫煙は有意
 の危険因子とはならなかった(表・・3−16(略))。
     表・・3−14 脳出血,脳梗塞の危険因子:多重ロジスティック関数の係数高知県大正町、10年間(略)
     表・・3−15 脳卒中発症危険因子(多重ロジスティック・モデル)久山町、18年間(略)
  一方、欧米諸国における成績をみると、retrospectiveに行った症例−対照研究では、喫煙を脳卒中発症の危険因
 子として有意であるとする成績が多い。しかし、これらの研究の多くは血圧などの他の危険因子を考慮していないため、喫煙と脳
 卒中の直接的な関連を示すデータとしては不十分である。
  喫煙が脳卒中の発生率、ないしは死亡率を高めるか否かについて、prospective studyの成績は賛否相半ばす
 るといえよう。米国公衆衛生総監の報告書にまとめられた成績を表・・3−17(略)および表・・3−18(略)に示す。
  喫煙のみでなく、脳卒中発症に関与すると思われる血圧などの諸要因をも考慮して、多変量解析により脳卒中の危険因子を検討
 した成績は少ない。
  このうちフィンランドにおける35〜59歳の人びとを対象とした8年間の追跡調査では、年齢、血圧、糖尿病、脳卒中の既往
 が、脳卒中発症の有意の危険因子であり、喫煙は男においては危険因子となっているが、女では危険因子とはなっていない(表・
 ・3−19(略))。
  Menotttiらの40〜59歳の男1524人の15年間の追跡調査成績では、37人の脳卒中が発症したが、年齢と血圧
 が有意の危険因子であり、喫煙は3番目の大きな値を示したが、有意ではなかった。
  フラミンガムの18年間の追跡調査成績では、脳梗塞の危険因子として、高血圧と高コレステロール血症(ただし比較的若年者
 のみ)が指摘され、喫煙は有意の危険因子となっていない(表・・3−20(略))。
  ニホンサンスタディーにおけるハワイでの日系米人の成績では、45〜68歳の男7895人を6年間追跡し、多変量解析によ
 る危険因子の検討の結果、喫煙は脳血栓の危険因子とならないと報告している。ただし、同期間の一過性脳虚血発作では、多変量
 解析の結果においても喫煙が危険因子となっていた(表・・3−21(略))。
  最近、ニホンサンスタディーにおける12年間の追跡調査成績が報告された(表・・3−22(略)、表・・3−23(略))。
 それによると、年齢、血圧などの要因を補正しても、脳梗塞、頭蓋内出血(脳出血、くも膜下出血を合わせたもの)の危険度は、
 喫煙によって著しく高まるが、禁煙により低下するとしている。欧米諸国において、虚血性心疾患に対しては喫煙が危険因子であ
 ることが明らかであるのに対し、脳卒中と喫煙との関係については上記のように、6年間の追跡では危険因子とならず、12年間
 の長期の追跡で危険因子となっている。
     表・・3−16 脳卒中の危険因子:多重ロジスティック関数の係数―日本とハワイの比較(略)
     表・・3−17 脳卒中に及ぼす喫煙の影響:発生率よりみた検討(略)
     表・・3−18 脳卒中に及ぼす喫煙の影響:死亡率よりみた検討(略)
     表・・3−19 全脳卒中および脳梗塞の危険因子(対象:35歳〜59歳の男3750人、女4074人)(略)
  ただし、くも膜下出血においては喫煙は有力な危険因子のようである。カリフォルニアにおける55歳以下の女を対象とした大
 規模なprospective studyの成績では、喫煙はくも膜下出血の発生率を5.7倍高め、ピル(経口避妊薬)の使
 用は6.5倍高めると報告している。そして、喫煙とピルの併用は、両者とも使用しないものに比し、発生率を21.9倍高める
 としている。また、これ以外にも、retrospective studyにおいて、喫煙がくも膜下出血の危険因子になると
 いう成績、ピルとの相乗効果を示す成績、prospective studyにおいて、喫煙がくも膜下出血の危険因子になる
 という成績が報告されている。しかし、くも膜下出血の発生数が比較的少ないこともあって、prospective stud
 yによって、血圧などの他の要因の関与を考慮した検討はほとんどなされていない。
     表・・3−20 脳梗塞の危険因子―多重ロジスティック関数の係数(略)
     表・・3−21 一過性脳虚血発作の危険因子―多重ロジスティックモデルの係数(略)
     表・・3−22 喫煙者と非喫煙者の脳卒中発生の相対危険比(略)

(3)結論

  以上のように、わが国においても、欧米諸国においても、喫煙が脳卒中死亡率、発生率を高めるという成績は認められるが、否
 定的な成績もあり、一致した成績は得られていない。また、喫煙が脳卒中の死亡率、発生率を高めるとしても、それは比較的若年
 者にのみ認められるとする成績と、高齢者でも喫煙が脳卒中の死亡率を高めるという成績とがあり、この点においても一致した成
 績は得られていない。
  retrospectiveに行った症例−対照研究においては、わが国でも欧米諸国でも、喫煙が危険因子であることを示唆
 する成績が得られている。しかし、これらの成績においては、血圧、血清脂質などの他の要因に関して、症例群と対照群の間での
 マッチングは厳密にはなされておらず、症例−対照研究の成績からは結論を下し得ない。
     表・・3−23 喫煙者,非喫煙者,禁煙者の脳卒中発生の相対危険比(略)
  prospective studyにおいて、脳卒中発症に関与する危険因子を多変量解析で分析した成績では、大部分の報
 告において喫煙は、有意の危険因子となっていない。また、脳卒中と喫煙の間に量−反応の関連を認めたとする報告も少なく、喫
 煙を中止することにより脳卒中発生ないし死亡を減少させたとする報告は少ない。
  したがって、現状では喫煙は脳卒中発生を高める可能性はあるが、そのことの立証は疫学的にはまだ十分でないと結論せざるを
 得ない。
  ただし、女性において、海外における成績では、喫煙とピルの相乗作用によるくも膜下出血発生の危険度は著しく高い。他の関
 連要因の検討はまだ十分とはいえないものの、喫煙の危険性を強く示唆すると思われる。