1.喫煙の呼吸器に対する影響についての疫学的研究

(1)大気汚染・喫煙と呼吸器症状などの関係

  大気汚染の呼吸器に対する影響については、英国では1930年代から深刻な問題になっていたが、わが国でも昭和30年代の
 経済の急成長に伴い、各地で工業が発展し、資源やエネルギーの消費が急激に増加した。このため工業地帯では大気が汚染され、
 その影響と思われる気管支喘息や慢性気管支炎などが急増し、大きな社会問題となった。
  これに対応し、大気汚染の健康、ことに呼吸器に対する影響を明らかにするために、昭和40年頃から全国各地で大気汚染と咳
 や痰などの呼吸器症状や肺機能との関係についての疫学調査が始められた。臨床での経験から、喫煙者には呼吸器症状を訴える者
 が多いことが分かっていたので、これらの疫学調査の中で成人を対象とした調査では、喫煙習慣についても問診が行われた。予想
 されたように、呼吸器有症状率は喫煙の有無や喫煙量と密接に関連することが明らかにされたので、大気汚染の程度の異なる地区
 の呼吸器有症状率を比較する場合には、性、年齢のほかに、喫煙習慣の差も補正した訂正有症状率が算出された。
     図・・4―1 年齢、喫煙状況別にみた慢性気管支炎症状の頻度(略)
     図・・4―2 地区・喫煙量別有症者率(年齢を標準化)(略)
     図・・4―3 喫煙習慣別呼吸器症状有症率(30歳以上、女)―複合大気汚染影響調査(6地区の平均)(略)
  このような疫学調査の一例として、近畿地方大気汚染調査連絡会が行った調査の成績から、性、年齢階級別、喫煙習慣別に、F
 letcherの基準による慢性気管支炎症状のある者の率をみると、図・・4―1(略)のようになっている。男女とも年齢の
 上昇とともに有症者率は高くなるが、どの年齢でみても、有症者率は非喫煙者が最も低く、喫煙量が多くなるほど高くなっている。
 また大気汚染の程度(PbO2法で測定した硫黄酸化物の量)および喫煙習慣別に、年齢を標準化した有症者率をみると、図・・
 4―2(略)に示したように、大気汚染の程度が悪くなるほど有症者率は高くなるが、大気汚染の程度が同じ者の中では、非喫煙
 者の有症者率が最も低く,喫煙量が多くなるほど高くなっており、これらの成績からみて、喫煙の影響が明白である。
     図・・4―4 喫煙習慣別にみた呼吸機能検査結果(30歳以上、女)―複合大気汚染影響調査(6地区の平均、197
           4年)(略)
  昭和45年度から49年度にかけて厚生省と環境庁が全国6地域で実施した複合大気汚染健康影響調査で、咳や痰のある者の率
 が調査され、またスパイロメーターを用いた呼吸機能検査も行われた。図・・4―3(略)には喫煙習慣別に咳の有症率、痰の有
 症率、持続する咳や痰の有症率を示してあるが、いずれの率も非喫煙者に比し、喫煙者の値が高くなっている。大気汚染と肺機能
 検査の成績との間には関連はみられなかったが、喫煙習慣別にみると、図・・4―4(略)に示したように努力肺活量、%肺活量、
 1秒量、1秒率のいずれも喫煙者では非喫煙者に比し減少しており、喫煙の影響が明らかである。
  牧野および溝口は、慢性呼吸器症状(持続性咳・痰と喘息)と喫煙量と大気汚染度(硫黄酸化物とNO2濃度とを指標とした)
 との関係を東京都の行政区分55地区の1万7000人の家庭婦人を対象として統計解析を行った。
  ・ 上記呼吸器3症状は加齢効果が顕著で、これは喫煙の有無にかかわらず認められた。
  ・ 上記3症状に及ぼす喫煙の影響として、喫煙本数が増すと持続性咳・痰の有訴率が直接的に上昇することが認められた。す
   なわち、喫煙量の増加は加齢と同様の有訴率への影響をもたらし、35歳で1日30本の喫煙者は、70歳の非喫煙者に相当
   する有訴率を示した。
  ・ 東京54地区の大気汚染物質との相関分析では、危険率5%以下で有意に硫黄酸化物やNO2を指標とする汚染度が持続性
   咳・痰の有訴率(訂正有訴率)に寄与することを示した。
  宍戸らは、横浜市民を対象として大気汚染と呼吸器症状との関連を5年の間隔で2回調査を行い、規制前後の大気汚染状況下で
 の成績を比較し、かつ汚染度の低い鎌倉市の調査結果との比較をも行った。
  横浜市の大気汚染状況の昭和50年から54年までの経年変化は、SO2が明らかに減少、NOおよび浮遊粉塵は微増、NO2
 は横ばいという結果であった。呼吸器症状有症率は、前回に比し明らかに低下した。したがって、この有症率低下はSO2減少に
 起因すると推測された。また、有症率は女より男のほうが、40歳代より50歳代のほうが高かった。また、男では、非喫煙群、
 前喫煙群、現喫煙群となるにつれてその値は高くなったが、女では前喫煙群で最も高い値を示すものがかなりあった。また、呼吸
 機能値は、非喫煙群のほうが現喫煙群より高値を示した。鎌倉市の汚染度は横浜市の最も低い汚染度と同程度で、呼吸器症状有症
 率は今回の横浜市のそれとほぼ等しかった。
  太田らは、肺疾患病歴のない東京都内居住者の剖検肺の沈着炭粉の分析から、大気の汚染度を推定するというユニークな研究を
 行っている。分析には電子スピン共鳴法を用い室温で測定した。その結果、R1、R2、R3の3種類の常磁性電子が検出された。
 R1は炭化水素の熱分解や燃焼の際生ずる炭素ラジカルと考えられ、特に喫煙との関係が認められた。R2成分としては共役炭素
 系に酸素が付加した形のラジカルの存在を推定した。R3はFe+++を主成分とする常磁性イオンで大気中のほこりが主な原因
 と考えられた。R1の炭素ラジカルのスペクトルは、たばこ灰の炭素ラジカルスペクトルの特徴と一致している。R、ラジカルは
 かなり安定しているとはいえ生体にはあまり好ましいものではない。これらの所見から太田らは一般環境中の生活において疾病と
 のかかわりあいを考える場合,複数の因子による影響を考慮すべきことを述べている。

(2)室内空気汚染に対する喫煙の影響

  近年、大気汚染は改善される傾向がみられているが、一般家庭や職場で、建材の変化、サッシの使用による気密性の増加、冷暖
 房の普及などに伴い、室内空気の汚染が新しい問題として登場してきた。室内空気の汚染の原因としては、炊事や暖房、ことに開
 放型の石油ストーブ、ガスストーブなどによるNOx、CO、CO2、建材や寝具などから発生するホルムアルデヒド、各種のス
 プレー、カビやダニなどがあるが、このほかに室内での喫煙によるたばこの煙の汚染が重視されてきている。
  たばこの煙による室内空気の汚染を客観的に、定量的に知るために、空気中のニコチン濃度の測定、尿中のコチニン濃度の測定
 などが試みられている。CO、ニトロソアミン、浮遊粉塵などはたばこの煙に特有のものではないが、これらについても測定が行
 われている。
  大久保および浅野によれば、喫煙と室内CO2およびCO濃度の変化は、CO2は喫煙本数よりも室内滞在者数との関係が深く、
 COは喫煙者数と相関して上昇する。非喫煙者の血中COヘモグロビン濃度もこれに伴って増加する。
  東京都衛生局の室内汚染状況に関する立入り検査では、某麻雀屋では夕刻6時以降の室内CO濃度は11〜14ppmを保って
 いた。そのほかに酒場、喫茶店などに常時働く人びとに及ぼす影響も考慮されなければならない。
  松下らは、喫煙で室内気中に放出される発がん関連物質のひとつであるN−ニトロソアミンを定量的に測定するための液体−固
 体捕集系と熱エネルギー検出器付きガスクロマトグラフからなる測定法を確立した。国産、外国産のたばこ銘柄により大幅に含量
 が異なり、これらが事務室や喫茶店などでも検出されることを示した。
  吉良らは、室内空気中のニコチンを捕集定量する方法を開発し、一般事務室、病院内待合室などで平均6〜15μg/・のニコ
 チンを検出した(図・・4−5(略)。また、経時的に職員の出勤、禁煙時間帯、外来患者、面会人の数により平均濃度±2SD
 を上下する変動をみた。自動車内では、換気装置の作動、窓の開閉で大幅に変動する。また、宴席で90μg/・の汚染を認めた。
 要するに、換気、室内容積、喫煙量、人の出入りなどで、日常環境内のニコチン濃度には著しい変動がみられる。
     図・・4―5 (略)
  室内浮遊粉塵量は喫煙によって大幅に増加する。浮遊粉塵とは径10μm以下で肺内に侵入する粉塵をいうが、たばこ煙の平均
 粒径は0.2〜0.4μmで、シガレット1本から20・前後の粉塵が発生する。粉塵中たばこの煙の占める割合は、一般事務室
 で25〜28%、会議室で73〜82%、休憩室で88〜90%という報告がある。粒子は、ニコチン、水滴、タールからなり、
 タールには発がん性のある種々の環式芳香族のヒドロカーボンが含まれるほか、フェノール、ベンゼン、ナフタリン、金属イオン
 なども含まれている。

(3)塵肺症

  1)石綿肺
   昭和31年の宝来らによる最初の石綿肺結核の剖検例の報告以来、わが国の石綿肺研究が始まり、最近では本症と悪性中皮腫
  および肺がんとの合併が注目され、その際の喫煙の関与に関心をもたれるようになった。成田は石綿工場従業員中の石綿肺症患
  者から、最近5年間に5例に肺がんの合併を、1例に腹膜中皮腫の合併をみている。肺がん5例がすべて高度喫煙者であり、か
  つ家族歴にがん患者を有しており、悪性腫瘍発生要因として喫煙のほかに家族性負荷の関与も大きいと結論している。春日らは、
  呼吸器症状がなく胸部X線上異常陰影を有しない石綿工場従業員51人を対象として、石綿暴露年数および喫煙の有無により6
  群に分けて呼吸機能検査を行い次の成績を得た。・肺活量・1秒率は全員がほぼ正常範囲内にあったが石綿暴露が長期に及ぶと
  低下する傾向を示す。・V25,V50/V25は喫煙、非喫煙を問わず、石綿暴露が6年を越えると急激に低下する。・CD
  (拡散能力)は、全員正常範囲内にあったが、石綿暴露よりも喫煙による影響がみられる。
   石綿肺のみならず一般に塵肺症と肺がんの合併はよく知られているが、その発生には肺の線維化過程における扇平上皮化生の
  出現が共通の因子のひとつと考えられる。特発性間質性肺炎に高率に合併する肺がんもこの条件下での発がん促進因子の影響が
  論じられている。
   Weissは、喫煙か肺のクリアランス機構障害を通じて石綿残留を助長することを指摘している。
   Andrionらは、898例(478喫煙者)の中高年者剖検肺の胸膜プラークと喫煙歴との間に有意の相関を認めた。こ
  のことに石綿暴露がどの程度関与しているかは不明であった。

  2)塵肺の呼吸機能検査に及ぼす長期喫煙の影響
   相沢ら塵肺に関する健康管理委員会は、塵肺健康診断受診者2657人を対象として、長期喫煙の呼吸機能検査に及ぼす影響
  を検討した。喫煙者は1949人(73.3%)、前喫煙者は138人(5.2%)、非喫煙者は570人(21.5%)であ
  る。その成績は、
     ・長期喫煙者では、咳、痰、心悸亢進などの自覚症状を訴える率が高い。
     ・一部の塵肺の型を有する中高年者で肺末梢領域の障害を反映すると考えられるAaDo2などの検査値に長期喫煙の影
     響が軽度に認められた。
     ・塵肺の呼吸機能検査の影響に比し、喫煙の影響は軽微であり、呼吸機能障害度判定には大きな影響はないと思われる。
   Hepplestonは、珪肺において吸引されたシリカの発がん性は疑わしく、喫煙の影響のほうがはるかに大きな比重を
  占めることを推測している。

  3)クロム酸塩製造工場従事者の肺疾患と呼吸機能
   クロム酸塩工場従業者にしばしば発生するクロム肺がんは、現在ではよく知られた事実である。木村らは、8例のクロム肺が
  ん症例の切除肺または剖検肺の形態学的検索を行い、偏平上皮がん6例、腺がん1例、小細胞がん1例のすべてが喫煙者(喫煙
  指数400〜1200)であり、その7例に種々の型の肺気腫の存在を認めた。この肺気腫の併発には年齢要因、喫煙要因にク
  ロム酸塩吸引が影響すると推測している。次にクロム酸塩工場従業員93人を対象として「非喫煙および軽度喫煙者」と「高度
  喫煙者」の2群に分けて呼吸機能検査を行い、次の成績を得た。非喫煙および軽度喫煙者群では、V25、MMEF(最大呼気
  中間流量)は職歴の長さと負の相関を示し、CV/VCは職歴の長さと正の相関を示した。高度喫煙者群では、非喫煙および軽
  度喫煙者に比し、FEV1%、V25、MMEFは低値を示し、CV/VC、RV/TLC(残気量/全肺気量:残気率)は高
  値を示した。しかし職歴の長さによる有意の変化はみられなかった。
   クロム酸塩工場従業者の高率な肺気腫発生率は、年齢要因のみでは説明できず、喫煙歴、形態学的検索、呼吸機能検査結果を
  総合して前述の3要因の関与を推測している。