4.喫煙の呼吸器への影響に関する基礎的研究
肺という臓器にとって喫煙はきわめて特異的な刺激である。たばこの喫煙様式(吸いかた、吸い残しかた)による吸入量の差は
あるとしても、喫煙者は少ないときには1日10本程度、多いときは1日40本以上も毎日反復して、しかも10年、20年、
30年と連続して喫煙し、その間、肺はたばこの煙に暴露され続けている。このような一定の量で定常的に反復され、かつ長期に
わたり持続される生体への刺激というものは他に類をみないといえよう。気道系を介する刺激という点で、炭鉱夫の塵肺に比較さ
れようが、この場合は就労が終われば刺激から解放され、また休日も存在する。重工業地帯の大気汚染も、気象条件などに少なか
らず影響を受ける。
気道、肺実質と接触するたばこ煙成分は、吸入気(1回換気量)で希釈はされるが、喫煙時の喫煙個体の1回換気量は比較的一
定で、肺内でそう大幅に濃度変化をするとは考えられない。一方、血中のたばこ煙成分は、村中ら、Isaacらの血中のニコチ
ン濃度変動の成績で裏づけられているように、肺からの吸収、循環血液による希釈、体内での代謝、排泄で短時間内に大きく変動
する。また各臓器への血流分布も可変であり、肺以外の臓器ではたばこ煙成分の暴露には波がある。すなわち、肺は喫煙刺激に対
し他臓器に比べより定常的に暴露されているということができる。
このような刺激様式により肺にどのような影響がみられるか、喫煙に対する健康影響の観点のみならず生物学的にも、大きな関
心がもたれる。
(1)喫煙者肺の病理形態学的特色
高齢の喫煙常習者の剖検肺には、ごく軽度の変化までいれれば90%以上に、肺気腫性変化がみられるという。一方、同一年齢
層の非喫煙者の剖検肺では、その発見率は、10〜15%にすぎず、肺気腫性変化はより軽度である。さらに他の報告によると、
喫煙者の肺の気腫性変化は喫煙状態と量−反応関係にあるともいう。
病理組織所見からいえば、汎小葉型よりも小葉中心型の肺気腫性変化がめだつ。図・・4−7(略)はRyderらの成績であ
るが、喫煙者に肺気腫症が好発するという傾向がこの図からも明瞭にうかがえる。しかし、報告者Ryderは、以下のことにも
注目すべきであるとしている。すなわち、高齢者の非喫煙者にも高度のものではないが気腫性変化が低率ながらみられ、また高齢
の喫煙者にも気腫性変化がない症例もある。
図・・4―7 非喫煙者(A)と喫煙者(B)の剖検肺での気腫性変化の比較(略)
肺気腫症の発生という観点から、より一義的な意義をもつ状態として現在注目をあびているのは、血清の蛋白電気泳動でα1−
グロブリン分画に泳動されてくるα1−アンチトリプシン(α1―AT)を先天的に欠損している個体である。正常な個体の場合
α1―ATの産生をコントロールする遺伝子が同型接合型の形で存在し、α1―AT産生が障害されている個体では欠陥遺伝子が
正常の遺伝子との異型接合型、あるいは欠陥遺伝子のみの同型接合型で存在し、メンデルの遺伝の法則に従うと考えられている。
異型接合型の場合が中間型欠損症、後者の同型接合型は高度欠損症となると考えられている。
健常な個体の肺末梢領域では、プロテアーゼとα1―ATなどのアンチプロテアーゼがバランスを保って、正常な肺胞・間質組
織が維持されていると考えられている(プロテアーゼ−アンチプロテアーゼ均衡説)。α1―ATを欠損する個体ではこの均衡が
破れ、末梢領域でプロテアーゼの働きが上回り、肺胞壁が崩壊して肺気腫症が成立してくると考えられている。
欧米では、本家系に属する個体が多くはないが存在し、米国NIHなどでは遺伝子工学的手法を導入し、ヒト由来のα1―AT
による治療までも試みられている。幸いにしてわが国では本酵素欠損例の報告はきわめて少ない。
α1−AT欠損家系個体での30歳代前後での高率な肺気腫症の発症、長期喫煙者での20年、30年の喫煙を経て50歳代か
らの高率な肺気腫症の発症というきわめて類似した現象の対比から、肺末梢領域でのアンチプロテアーゼ活性の抑制、不活性化が
喫煙の呼吸器系への影響のひとつとして注目されてきており、喫煙は肺気腫症の一義的な原因であるということはできなくとも、
肺気腫性変化を促すものであると考えられる。
喫煙が大きく影響すると考えられる肺の形態学的変化は、肺気腫のみではない。剖検肺また喫煙者の手術肺でも認められている
が、呼吸細気管支、気道系(非呼吸)細気管支領域の気管支壁、粘膜上皮、内腔に炎症細胞の浸潤、肉芽の形成、内腔の閉塞、線
維化などの非特異的病変がみられる(small airway disease)。特に呼吸細気管支などの末梢気道病変は、
喫煙者に多い小葉中心性肺気腫と関連づけて、肺気腫症の発生を促す前駆的病変としても関心を集めている。
肺がんは別として、喫煙との関連が重視されるもうひとつの呼吸器の病態は慢性気管支炎である。前述の末梢気道病変とは対照
的に、主気管支、葉気管支、区域気管支などの高位の太い気管支に粘膜の変化、気管支腺、気管支平滑筋の肥大、さらにはこれら
の萎縮がみられるのを形態学的特徴とする。臨床例には慢性にあるいは繰り返し痰を伴った咳が3ヵ月以上持続するという症状を
もつ。日常生活でしばしば遭遇するが、喫煙とともにゼロゼロと咳嗽をはじめ漿液・粘液性の痰を喀出する長期喫煙者がこの病態
の典型である。
前述してきた形態学的変化と若干趣を異にするが、慢性喫煙者では肺胞・毛細血管隔壁の透過性が亢進しているという新しい知
見が最近報告されている。99mTcを標識したdiethylene triaminopentaacetic acid
(99mTc DTPA)という親水性の放射性のトレーサーは気道を介して肺胞に到達すると循環血液中に移行するが、これを
γカメラなどで体外性に計測できる。Jonesらは慢性気管支炎、肺気腫症のいずれもない臨床的に全く無症状の喫煙者に本物
質をエアゾールの形で吸入させ、非喫煙者に比べ有意に本物質の血中への移行が高まっていることを観察し、肺胞・毛細血管隔壁
の透過性は喫煙者で高まっているとしている。なお、この変化は禁煙後数日で非喫煙者のレベルに復するという。99mTcDT
PAの肺胞から血中への移行の機序をより詳細に検討しなければならないが、この成績は肺胞・毛細血管隔壁への喫煙の影響を考
えるうえで関心をもっていくべきであろう。
(2)気管支粘膜上皮への喫煙の影響
気管支粘膜にみられる扁平上皮化生が、長期喫煙者に高頻度に認められ、喫煙量の増加と相関して扁平上皮化生の発生頻度も高
くなることは、1956年のAuerbachの報告以来幾多の研究者によって追試確認されてきた。この扁平上皮化生が肺がん
発生の母地となる可能性については論議の分かれるところであった。Saccomannoは扁平上皮化生を4つの異型度すなわ
ち、・異型なし、・軽度異型、・中等度異型、・高度異型に分け、ウラニウム鉱の鉱失の喀痰を長期に追跡した。この異型度が経
時的に進行し、carcinoma in situからさらに扁平上皮がんに発展した症例を彼が多数発表するに及んで、肺が
ん発生と扁平上皮化生との密接な関連が認められるようになった。中等度異型までは、可逆性であるが高度異型になると非可逆性
になるという。萩原は,昆平上皮化生を高度喫煙者の13%(1例は女性)に,非喫煙者の4.8%に認めた。喫煙量の増加にと
もない扁平上皮化生の発現率も上昇する。また核異型を示すものは高度喫煙者群のみに認められた。さらに追跡調査の結果として、
変化を示さないもの、異型度の増したもの、異型度の低下したものなどが認められ、扁平上皮化生のすべてががん化の方向へ進む
のではないが、発がん条件を満たす一部のものががん化するとしている。
線毛の超微形態学的研究で滝沢ら、永井らは慢性気管支炎、気管支拡張症で特に線毛の脱落、複合線毛などの異常線毛を多く認
めた。また、喫煙習慣のあるものは、ないものに比しこれらの異常線毛が高率に認められた。玉置らは、種々の慢性急性気道疾患
および対照健常者の気管支粘膜の生検標本について走査電子顕微鏡による観察を行い、非感染者や健常者でも喫煙者では、線毛の
脱落と短縮を高率に認めたと報告している。これらの異常は粘膜線毛輸送能力の低下をもたらすと考えられる。
(3)気管支・肺胞洗浄液組成でみた喫煙の影響
近年の呼吸器病学で特に注目されているのは、各種のびまん性肺疾患で、気管支肺胞洗浄(Bronchoalveolar
lavage:BAL)によって採取される肺胞を中心とする肺末梢領域の洗浄液の分析である。本法はわが国の池田によって開
発されたファイバー気管支鏡の臨床への導入が契機となって、1974年、米国NIHのReynoldsらにより開発され、以
後わが国はもちろん世界的にも急速に普及し、得られた洗浄液中の細胞、液性成分に表現されている各種間質性病変の特徴を解析
し、その病因論、進展の機序を解析しようとしている。健常成人ではBAL液中の細胞成分の90%以上が肺胞マクロフロージで
構成されていること、現在なおその病因が明らかでないサルコイドーシスでは末梢血中のTリンパ球の減少とは対照的に肺胞腔内
にリンパ球、特にTリンパ球分画が増加していること、過敏性肺臓炎でもリンパ球分画が増加していること、特発性間質性肺炎で
は好中球分画が増加していることなど各種病態に特異的な所見が集積され、肺胞・間質領域における防御・免疫学的機構の解明に
も迫る知見が日々新たに入手されつつある。
各種肺疾患でのBAL液分析の過程で、同一疾病でも喫煙者と非喫煙者の間に、無視することのできない差が存在することが明
らかとなり、健常成人の喫煙者と非喫煙者でのBAL液の細胞成分、液性成分の比較分析が進められた。わが国では螺良、安岡ら
の詳細、広範囲な業績をはじめとし、各施設からの報告がある。螺良、安岡らは、22歳前後の健常志願成人の非喫煙者と平均
4.6±1.0pack yearの喫煙者および平均年齢50歳前後の肺に限局性病変を有し、その健側肺を洗浄した症例中の
非喫煙者と喫煙者を対象として検討した。後者の喫煙は44.4±18.7pack yearの喫煙歴を有する。その成績は表
・・4−2(略)、表・・4―3(略)に示すとおりである。すなわち、長期喫煙によりBAL液中の総細胞数、肺胞マクロファ
ージ分画の増加傾向がみられている。この傾向は喫煙歴の短い健常若年志願者の喫煙者よりも、局在性の肺疾患をもってはいるが、
その健側肺を洗浄した高齢者の対象患者の喫煙者でさらに明らかであった。なお表・・4―2(略)に示されているように、リン
パ球、好中球、好酸球分画にはむしろ低下傾向がみられるとしている。この点に関しては2、3の見解の相違がみられる。総細胞
数がふえ、分画のパーセントには変化はないのであるから、リンパ球、好中球も実数としてはやはり増加しているとする報告もあ
る。また米国のHunninghakeらs、Ludwigらは肺の生検組織所見、手術標本で間質組織から肺胞に非喫煙者に比
べ喫煙者では明らかに好中球が増加していると報告している。
なおリンパ球に関しては、B細胞とT細胞の割合、さらにT細胞のsubsetsが問題になってくるが、リンパ球自体が少な
く、リンパ球を特別に選択的に集めて分析する必要があり、その結果は今後に期待される。
表・・4―3(略)は前述の例でのBAL液蛋白成分の分析結果である。安岡らの測定結果では、総蛋白量(TP)、A
lb/TP比、IgG/TP比、IgG/Alb比いずれも喫煙者と非喫煙者の間で有意差はみられなかったという。
表・・4―2 健常志願成人および対象患者の気管支肺胞洗浄液細胞成分の分析結果(略)
表・・4―3 健常志願成人および対象患者の気管支肺胞洗浄液の蛋白成分の分析結果(略)
このほかにも安岡らは喫煙者でのBAL液中のCEAの増加、リゾチーム活性、secretory component(分
泌成分)の低下、さらに50歳以上の長期喫煙者での肺胞表面活性物質の減少も報告している。
(4)喫煙による炎症細胞の肺末梢領域への移行
マクロファージ、好中球の局所的集簇は、その機序はともあれ炎症の存在を意味する。BAL液中の肺胞マクロファージ、好中
球の増加はそう重篤なものではないとしても、慢性の喫煙により肺末梢領域に炎症が成立していることを示唆する。吸入たばこ煙
中に炎症誘起性物質が存在し、これで誘起される炎症の結果として、流血中から肺胞腔へ単球(肺胞マクロファージの前駆体)お
よび好中球の移行が起こるのがひとつの機序であろう。肺胞マクロファージの場合は、肺末梢組織内で増殖しうるとされているが、
喫煙によりこれが亢進することも関与しているのかもしれない。なお、モルモット、ラットに経気道性にNO2、塩化カドミウム
を投与して実験的肺気腫をつくる研究で、Thurlbeckら、Freemanらはこれら物質への暴露後まず好中球の肺胞内
への移行、ついで肺胞マクロファージの集簇の2段階を踏んで炎症細胞が肺胞内にふえることを観察している。なお、カドミウム
はわずかではあるがたばこ煙の粒子相の成分でもあり、またNO2はガス相に含まれており、これらの物質を通じて喫煙が呼吸器
系に影響を与えている可能性がある。
Tottiらはつい最近のことであるが、ニコチン自体が好中球に対してchemoattractanl(遊走化物質)であ
るという成績を発表している。喫煙者の血中ニコチン濃度のレベルで好中球の遊走は促されるという。しかし、単球に対してはそ
の遊走を促す作用はなく、また好中球の場合も遊走は促されても、活性酸素の放出、ラインゾーム酵素の活性化などはみられない
という。
たばこ煙中の粒子相の1成分である炭素の肺末梢領域への沈着によっても、これら炎症細胞の肺胞・間質領域への集簇がみられ
るという報告がある。Hoidalらは、たばこ煙の粒子相の成分を完全に除去するとこれら炎症細胞の集簇を抑制することがで
きるとしている。Adamsonらはカーボンの微小粒子をマウスに吸入させている。数時間のうちに多数のカーボン粒子が・型
肺胞上皮細胞の中にとりこまれ、残りが間質の中にフリーで存在する。次いでこれら局所近傍の毛細血管内に多核白血球および単
核球が集まりはじめ、24時間後には両細胞が肺胞・間質内に移動してくる。48時間もすると好中球は消退しはじめ、肺胞マク
ロファージが主役を占めるようになり、残っているカーボン粒子は貧食される。マクロファージの場合はまず流血中からのものが
ふえ、ついで局所で増殖したものが集合してくるという。
たばこ煙の気相、粒子相内に、なお多くのchemoattractantが存在するのであろう。その結果として肺胞腔内に
出てきた好中球、肺胞マクロファージは活性化され、また前述のカーボン粒子をとらえこんだ肺胞マクロファージ、・型肺胞上皮
細胞から、以下に述べる各種のchemoattractantが放出されてくる。
(5)喫煙により遊走してきた肺胞内炎症細胞の活性化
長期喫煙者からBALで採取した肺胞マクロファージの形態学的研究については、わが国でも少なからず関心がもたれている。
まず、光学顕微鏡レベルの成績としては、島田、千田らが、多核の肺胞マクロファージの出現率の増加、細胞内に黒褐色顆粒を含
むマクロファージが多いことを報告している。また、島田と同様、螺良、安岡の研究グループの一員である福島らは走査型電子顕
微鏡で肺胞マクロファージの細胞表面を観察している。カバーグラス上に粘着させた状態で観察したものであるが、非喫煙者から
採取した肺胞マクロファージに比べ、喫煙者のそれは円形の細胞(round cell)よりは平坦に広がっている細胞(sp
reading cell)が多く、その表面は波立ったような粗な面を呈し(ruffIe)、より多数の薄層状偽足(fil
amellipodia)、線維状偽足(filopodia)を出しカバーグラスに強固に粘着し、この粘着能が亢進している
ことが示唆された。
また、形態学的にみた肺胞マクロファージの機能亢進の所見に対応して、生化学的にもまた生物学的にも機能亢進所見がみられ
ないかに関心がもたれている。
前述した島田は喫煙による肺胞マクロファージの生化学的、生物学的活性化についてきわめて詳細な検討を行っている。肺胞マ
クロファージの細胞当たりでみると酸素消費能は喫煙者で非喫煙者より有意(p<0.01)に高値を示していたが、これを肺胞
マクロファージ蛋白量当たりでみてみると両群に差はなかったという。この成績は、平均5pack yearの比較的短い喫煙
者の若年成人でもまた平均45 pack yearの長期喫煙者の50歳以上の高齢者でも一致していた。また、肺胞マクロフ
ァージのライソゾーム酵素として酸性ホスファターゼが非喫煙者に比し喫煙者で上昇していた。しかも短期喫煙者よりも長期喫煙
者でより高値を示したという。さらに酵素消費能、ライソゾームの活性と同様、肺胞マクロファージの代謝の亢進状態を反映しう
るものとして、nitroblue tetrazolium(NBT)還元能もみているが、これは前述の長期喫煙者でのみ亢
進していたという。同じ教室の福島らは、NBT還元能と肺胞マクロファージの電子顕微鏡的超微表面構造とを対応させて検索し、
round cellの形をとる細胞より喫煙者に多くみられるspreading cellのほうで有意に亢進していたとい
う。
生物学的機能として、肺胞マクロファージの表面レセプター、粘着能、貧食能も検索している。肺胞マクロファージにはIgG
のFc(補体結合領域)や補体に対するレセプターが存在することはすでに知られているが、IgGのFcに対するレセプターに
は喫煙による影響はみられなかったとしている。これに対し、補体へのレセプターは喫煙により有意に低下し、これを仲介とする
肺胞マクロファージの貧食能も低下していたという。また、補体レセプターは肺胞マクロファージの粘着能にも関与するとされて
いるが、血清の存在する系とこれを欠く系とで粘着能を調べ、前者では有意に粘着能は亢進していたが後者では逆に低下していた。
これらは酵母に対する非特異的貧食能であるが、肺胞マクロファージの貧食能の低下を示すものと受けとめている。
肺胞マクロファージも他の組織マクロファージと同様プロスタグランジン、ロイコトリエンなどアラキドン酸由来の生理活性物
質を放出することが明らかになりつつある。これら物質の気管支、肺血管への作用や、炎症細胞遊走、血小板凝集など局所ホルモ
ンとしての意義から、当然のことながら喫煙による肺胞マクロファージのアラキドン酸代謝への影響に強い関心がもたれる。螺良、
安岡のグループの大串らは、この観点から検索し、喫煙によっても14Cアラキドン酸の肺胞マクロファージ脂質へのとり込みは
影響を受けないが、マクロファージ細胞当たりでみると、PGE2、TXA2のcyclooxygenase系物質、Iipo
xygenase系物質の放出能は喫煙により低下しているという。Lavioletteらもこの点を詳細に検討し、喫煙者か
ら得た肺胞マクロファージではPGE2、TXA2の合成が著明に低下していると報告している。彼らはこの所見の意義はなお明
らかでないが、より広範性の肺の脂質代謝の異常のあらわれでないかとしている。一方、大串らは個個の肺胞マクロファージでは
このような所見であるが、喫煙者では局所に肺胞マクロファージが増加しており、肺胞マクロファージ全体でみれば局所へのアラ
キドン酸代謝物の放出はむしろ増加しているのではないかと推定している。これが事実とすれば、前述した各種の炎症細胞の遊走
を促す機序に、さらにLTB4を代表とするアラキドン酸代謝物が加わることになる。
肺胞マクロファージの活性化に比べれば、喫煙者の肺胞腔に増加しているとされている好中球の活性化に関しては詳細な報告は
今回検索した範囲ではみられない。
(6)喫煙と肺末梢領域でのプロテアーゼーアンチプロテアーゼバランス
LaurellとErikssonが報告したα1―アンチトリプシン(α1―AT)の欠損と肺気腫症の高率な合併の事実と、
Grossらのラットの気管支内にエラスチンを融解する蛋白分解酵素であるパパインを注入して実験的に肺気腫を作成すること
に成功した実験の2つが、肺気腫症の成因としてのプロテアーゼーアンチプロテアーゼ均衡説の大きな支えとなっている。また一
方、長期喫煙の高齢者に肺気腫症の合併が高頻度であり、しかも、長期喫煙者には、BAL液中に肺胞マクロファージと好中球の
増加がみられる。これら一連の現象をたどっていくと、増加した肺胞マクロファージ、好中球からのプロテアーゼが、肺末梢領域
でのプロテアーゼーアンチプロテアーゼの均衡に破綻を招来し、肺気腫が成立してくるのではないかという考えが出てくる。前述
した肺マクロファージの活性化を示唆する形態学的、生化学的、生物学的特色も、この考えによくマッチする。
エラスチンのような不溶性基質を扱うことのむずかしさなどの問題があったが、合成基質としてsuccinyl trial
anyl p−nitroanilide(SLAPN)を使用しうるようになり、その知見の集積が促された。Rodrign
ezらは血清フリーの培地で喫煙者から採取した肺胞マクロファージを48時間培養して、非喫煙者のマクロファージに比べ有意
に多量のエラスターゼを分泌することを観察した。一方、肺胞マクロファージのIysateを使用しての観察であるが、McG
owanらは喫煙者と非喫煙者の肺胞マクロファージのエラスターゼ活性には細胞当たりでみてもまた蛋白量当たりでみても差は
ないとしている。しかし、BAL液の総量当たりでみると喫煙者のエラスターゼ活性は非喫煙者の25倍も高く、これは喫煙者の
BAL液中の肺胞マクロロアージの増加によるとしている。
Tanoffらの成績では、BAL液中にはα1−ATでは抑制されないエラスターゼが存在し、非喫煙者に比べ喫煙者に有意
に高いとし、このエラスターゼは肺胞マクロファージからも分泌されているが好中球からも分泌されているとしている。
好中球からのエラスターゼの放出についてはAbboudらの報告がある。彼の研究によると好中球のそれは、量的にみて年齢
の高いほど、喫煙者が非喫煙者よりも、また喫煙者のなかでも肺気腫症を合併している個体に多いという。しかし、肺気腫の発生
に関しては、好中球からのエラスターゼは豚の膵エラスターゼより力価は小さく、動物実験でのこのエラスターゼによる肺気腫の
作成は容易でないともされている。
プロテアーゼーアンチプロテアーゼの均衡という考え方からすれば、前述してきたプロテアーゼの増量による均衡の破綻に加え、
喫煙によるアンチプロテアーゼの活性の阻害もその破綻の大きな原因となる。
アンチプロテアーゼの代表はα1―ATであるが、このほかにα1−マクロクロブリン、気管支分泌液中の低分子性の抑制物質
がある。しかし、α1―ATが最も多種のプロテアーゼに対し抑制作用を示し、トリプシン、キモトリプシン、カテプシンG、好
中球および睦由来のエラスターゼ、レニン、ウロキナーゼなどに作用しうる。α1―ATは肝細胞で産生され、血流から涙、唾液、
BAL液中へ移行する。
Gadekらは健常者およびα1−AT欠損個体を対象にBAL液中のα1−ATを測定し、健常者ではアルブミンを基準とし
て5μg/・、欠損者では2μg/・と血中と同様BAL液中でも低値であることを報告している。
α1―ATは酸化されて不活性化しやすい。この不活性化は活性基中に存在するメチオニンの酸化による。たばこ煙中には多種
のオキシダントが存在する。たばこ煙の水溶性抽出物はα1―ATおよび気管支分泌液中の低分子性アンチプロテアーゼも抑制す
ることが知られている。Cohenらは、高ニコチン、高タール含有のたばこほどα1―ATを酸化する力は強いとしている。ま
た同時に、生体内の貧食細胞が産生する過酸化水素によってもα1―ATの酸化が発生しうるだろうとしている。すなわち、たば
こ煙はその中に含まれる各種のオキシダント、またたばこ煙が誘起する炎症細胞の肺胞内への遊走を介して、直接的にまた間接的
にα1−ATを酸化しうることになる。
表・・4―4 ヒト肺胞マクロファージに対する喫煙の影響と禁煙(1〜6カ月)の効果(まとめ)(略)
これらの予測を裏づけるわけであるが、Gadekらは喫煙者、非喫煙者のBAL液のエラスターゼ抑制能を測定し同時にイム
ノアッセイ法でα1−ATを量的に測定し、量的に同じでも喫煙者のBAL液のエラスターゼ抑制能は非喫煙者に比べ40%も低
いとしている。
(7)肺胞マクロファージでみた禁煙の影響
禁煙により呼吸機能がどのような影響を受けるかについては前述したように多くの報告がみられ、図・・4―6(略)に示した
ようにその改善がみられる。BALの導入により肺胞の細胞学的、生化学的、形態学的環境に関する情報、それらの喫煙による変
化が明らかとなれば、当然のことながら禁煙によりこれらの各因子はどのような影響を受けるかに関心がもたれてくる。
表・・4―4(略)に示したが、島田らは周到にも禁煙による肺胞マクロファージの形態学的、生化学的、生物学的機能
の変化についてまで検討している。禁煙期間1〜6カ月の例での成績を以下のように報告している。肺胞マクロファージの総数、
形態、蛋白含量、viabilityには禁煙の影響は少なく、なお喫煙者の状態に近かった。そのライソゾーム酵素活性、NB
T還元能の生物学的機能にも、この期間ではなお改善はみられていない。しかし粘着能、貧食能などの生物学的機能は非喫煙者の
レベルまで改善がみられたという。以上の結果から、肺胞マクロファージに対する喫煙の影響のかなりの部分は、1〜6ヵ月の禁
煙によってもなお残存すると推定している。