其の3


 あなたの部屋にもガンが相当転移している (前編)

  「低周波公害」は見えない、聞こえない、臭わない公害

 飛行場・航路や駅・鉄路などにおける騒音・振動・排気などの問題は、問題そのものを認識され、被害の度合いも量れれば、その対策を検討したり今後の乱開発に歯止めを掛けるきっかけともなり得る。ゴミ一つとっても、タバコに代表されるポイ捨てによる非環境美化、ダイオキシンの懸念される小・中規模の超高温焼却できぬゴミ焼却場問題、リサイクル法施行で更に拍車する不法投棄、数年持たず満杯となる予定のゴミ一時収納場など目で見えるものあれば臭いを放つもあり、どれもハッキリその問題認知できること自体、問題を問題の場に引きずり出すコトができる救いの神が存在しよう。

 「電磁波」。特にその中でも出力の弱い「低周波」の場合、問題として取り上げるには「見えない幽霊が、あなたを殺しに来るであろう。」という話のレベルに近いがゆえ、<問題になり得ないというのが問題となる>。むしろコチラの方が大問題であった場合でも、問題にならない・問題にしてもらえない・問題であるということ自体一般の実感に備わってない。その背景には、<みんなが>使っている携帯電話が殺人電波を発しているなんて突出した事象なんかは、みんなが使っているというコト自体がブラインド(「目くらまし」と言おうか・・)となり、そこまでの発想にとても漕ぎ着けないのである。電化製品の大半が悪質な電磁波を多量に放射しているとしても、買って使ってもらわにゃ企業も困るし、今更現代の生活の利便性のスピードをいきなりギヤの一速に落とすなんてコトはもはやナンセンスだし、戯言であり、狂気に近い発想なのだ。
 「低周波公害」は実在するし、認知もされている。というより、「有識者を通じ実証され一応「一問題事」としては辛うじて扱われている。」と言った方が、正確なところである。だから当然、その有識者自身に完全否定される心配はないが、また単なる一問題であるがゆえここに心血注ぎ議論立てる者など極少数派となる。また当問題が、<状況証拠ばかり集めた検察側に、物的証拠が欠けているような側面>も併せ持つ。「低周波を浴びる」=「ガンになる」という定理・法則は予想でしかない。せいぜい、「低周波を浴びる」=「ガンになることもある」=「ガンになりやすい」ということしか言えないのだ。
 だが怯むべからず。「ガンとは無関係である」という台詞の堤防は、既に決壊しているのだから。
 しかしながら、コトの白黒はいつまでも着かないでいる。

 「AIDS」などと似て潜伏期間が長い。このことが、「低周波公害」認識性の最大のネックとなっている。無論「AIDS」とは全然、その性格が違う。「AIDS」の場合、その原因が「当時の非加熱製剤」や「医療器具や性行為による二次感染」であることが公認されており、しっかり「原因が割れている・ハッキリしている」という事柄にまだ救いの神が存在する。「低周波」が原因になるガン等の場合、性質の悪いことに「家電製品を使ったり」、「携帯電話で話をする」ってこと自体<平素の環境>として認識されているから、いつからというのも特定しにくいし、まして快適だったり・便利だったり・生活に不可欠になっていたりなどその人当たり・人相がこと人間に対しては電化製品・携帯電話などが良い事尽くめであることが、その裏の顔に大きなほうかぶりを掛けてしまう。「低周波影響」の潜伏期間が長いことが自身の割り出しを困難にし、「低周波」を問題の場から、容疑者枠から、大きく外してしまっていたことはごく自然な流れだったと言っていい。
 そしてこの公害が、公害らしからぬ「見えない、聞こえない、臭わない」などの特質をもった産物であることが、不明瞭の森にこの問題を追いやった訳だ。

 ただ、電化製品に長時間向き合った生活をしていると「ヒリヒリする感覚」、「チクチクする感覚」、チカチカ・イライラ・ピキピキ・ワナワナ(形容がズバリ的を得ているかは不明。)するなどの感覚を経験したことはないだろうか?温泉につかったり、森林浴などした時ハタと<忘れていたような「常体」>の感覚を取り戻すことはないだろうか?そして、日常・社会生活におきソレが得体の知れない契約にも関わらず、知らず知らずのうち署名させられていた様な不安を感じる方にだけ、これからはお付き合い願ってもいい。




  浅き夢見し、深き学ばんとす

 心肺停止しても、脳の方はといえばナゼか生きていることが多々ある。
 その間は、ひょっとすると、三途の川を渡る意識下に置かれているんだナと想像したりもする。実際にあった話では、「臨終を告げられ棺に納められた遺体が、葬式の最中お経を聞いて目が覚めた!」というような事実が多数報告されている。彼等九死に一生組が語るには、「夢」の中では、三途の川を渡るか渡らぬかで迷っていたというのである。一時TVドキュメントでも、よくやっていた。が、「川○浩のソレ」と違いこちらはしっかりした事実に基づいている。

 「夢」は、不思議な現象である。就寝中は「死」と似た様な体験を、「夢」を通して、毎日と言っていい程私たちはしているのかも知れない。
 いい夢なら、現実では成し得ない超ファンタジー空間を楽しませてくれることも不可能でない。「意識」、「精神」といったものが本来自由に飛び回れるものであるかの様だ。だがソレは虚無感に満ちていて、ソノ中では非力であり、手応えの乏しいモノとのたまわれるかも知れないが、幸福感を得るのは身体ではなく「脳」、もしくは「意識」であり、「夢」も「意識」で味わうものなら同値であろう。実際、<悲しい夢を見て、目が覚めたら涙が出ていたなんて経験>は誰でも1度くらいあるんじゃないだろうか。「夢」は覚めると、「現実」がどこへも逃げも消えもしていないことを知覚する。「現実」は、忠犬ハチ公のようちゃんと待っていてくれる。「夢」は、やはり「夢」だ。(最近の話だと、長いようで一瞬しか見ていないという通説に反し、「夢」はずっと見ているという科学的論証さえ生まれている。が、個人的な推論はチョット違う。昔から幽体離脱するという話があるが、実は熟睡しているノンレム睡眠時こそ逆説的に「夢」を見ていて(というよりむしろ、「夢」を体験していて)、浅い眠りにさし掛かると(レム睡眠時に移行すると)、覚醒の準備に取り掛かるべくか、その記録を作業的に今にも目覚めんとする脳に慌しく単に書き込んでいるだけで、その「真実の夢」の脳による認識されたものを「夢」と人は言っているのではないかと思う。そうすれば、最近の<ノンレム睡眠時も「夢」を見ることがあるという学説>も、旧来から現在までの本流の「夢」はレム睡眠時に見るという学説も、双方それとなく共に納得の棺に自然に収まる。ここに個人的な推論をつい吐かせさせたり、その推論のコアとなる幽体離脱論説ではその特有の浮遊感を創造させたり、ほんと「夢」を見せてくれるじゃないか、なあ「夢」よ。)

 「夢」の話で少し反れたが、真の死が「脳死」であることは、多くの医療関係者の有識でありかつ国民の常識となっている。
 そして心肺停止の死者は、まだその脳に、肉体に戻る<気>を残しているのかも知れない。心臓死したその人は、「あの世」というフィールドでもなく、「無」というフィールドでもなく、まだ「夢」・・「夢世界」という「現世」とは違うフィールドに「自分」を置いているだけであろう。いや、「無」はなく、また「あの世」と「夢(世界)」は同じもので、その対極に「現世」があるだけではないだろうか?常にそのどちらかに、「自分」は属しているだけだろう。
 心肺停止の彼氏も火葬されてしまえば、「自分」が「自分の意識」が戻り得る「脳」はなくなる。ついては「脳」を守る行為こそ、自分を守る行為であり、「脳」に危害を及ぼすものこそ一級戦犯と言わざるを得ない。自分の「精神」を、「脳」を高めるのは、他ならぬ自分でありその義務を生まれながらに持っている。1番大切なのはその啓発心や道徳心などであるが、その年嵩と共に作り上げられつつある「脳」という塔を、一揆に崩壊させる外部因子がもしあればそれを除去したいと思う心も、人間たる実在性を計るファクターの1つであろう。

 だから今は浮かれた「夢」の話より、「電磁波」、「低周波」なる暗闇から発信されるその単語たちの方に敏感になってしまう。そして、ここでは関係ない話が多かったという感想より、「脳」の神秘性・重要性というのを感じ取ってもらえれば、ここでの「夢」の話は終わる。

  「松果体」の謎

 古くの屈指の哲学者の一人、デカルト<あのパスカルと同じ数学者でもあり、自然科学者でもあった>は、それが余りにも有名過ぎる名言となってしまったが「我思う故に、我在り」と著した。
 「すべてのものはみんな疑えば疑うことができるが、疑っている自分を疑うことだけはできない。」こんな疑問を投じている自分の存在さえ疑ってしまえば、この疑問は発生し得ないのである。
 例えば、いま現実に誰かとすれ違ったとしても、すれ違った気がしただけではないかと自分に疑問を投じれば、そういう確率は決して限りなくゼロに近づけどゼロにはならない理屈になる。実際、思い違い・思い過ごしなどの経験のない人なんてまずいないだろうから、頭からこのことを誰も否定できまい。だが、実際にすれ違ってそう認識したにせよ、すれ違いを錯覚したにせよ、それぞれそう認識した自分は<そう思った>ということについては双方同値で、どちらに転んでも<そう思った自分の存在>だけはあり続ける。または、消しようがない。
 更に、デカルトのこの言葉の奥を読むと、肉体が滅ぶこと(死)と自分のこの意識が別々なものであることを説いている。「自分が死んだ!」と思っても、実際死んだかどうかはその事柄に限ってだけを問うなら疑えば疑える性質のものだ。「おまえは、自分が死んだと思っているかも知れないが、夢なのではないか?」という疑いが残る。誰かが問う。誰かが訊く。そして、それを聞き取る?
 その時肉体が滅んでいても(死でも)、その時まだ肉体を所持していても(生でも)、<肉体に対する自分の位置意識>がもし存在していれば「自分はいる」のである。霊というもにであるにせよ・ないにせよ、死んでも「自分」というものはいる。少なくとも、一人の哲学者はそう考えていたであろう。
 そう彼(デカルト)は、単に哲学の内だけで話を終始させていない。一自然科学者でもあった。

 これはまだ実証された訳ではないのだが、彼は肉体と自意識(魂)を結びつけている箇所が、脳にある「松果体(腺)」という(まだまだその性質が科学的未知数である)器官であることにまで言及している。要はこの「松果体」が、結わえ付けられた帯を解くよう魂を滅びゆく肉体から逃がしてやった時、彼の理論では見た目の死が完結することになる。
 彼はそれを相当昔(17世紀:1600年代)に云ってのけていたが、今(現代)になって「松果体」のそのメカニズムが、様々な実験の後かなり<確からしい>ことが分かって来たのだ。
 そこで、「松果体」について詳しく触れてみる。

 人間ある程度道をグルグル回遊しても、ちゃんと出口を探し出したり、また多少回り道であっても目的地にナゼか最終達することができる様な帰巣本能的な能力が備わっている。これはあの伝書鳩などの帰巣性と符号し、体内地図みたいなものの在りかを今意識せざるを得ない。
 また時計がなくてもある程度時間を判断できる能力などもこれに近い。(タイマーを掛けないでも起きるべき決まった時間に目が覚めたり、逆に時計を見た訳でもないのに<遅い起床は、寝坊した自分にそれとなく気付かせたり>など各々経験ないだろうか?)
 ただ人間の場合、文明の利器がそれらのような能力を無用なものに追いやり自然退化させたものと考えられるが、個人差として特にその衰えた人を「方向音痴」や「(こんな言い方は存在しないが、あえて)時間音痴」の様言い表す。
 「松果体」は、「太陽光」と「地磁気(大磁石地球)」を感じて方角やサーカディアン・リズム(日周リズム)という1日24時間のリズムをつかんでいる器官と科学的認知されている。五感以外の能力を秘める場所:第六感。手塚治虫のアニメ「三つ目がとおる」や、ドラゴンボールのキャラ・天津飯にある「第三の目」の発想は、この器官の能力から発祥しているものと必然思われる。

 ここで、意地悪実験がある。
 伝書鳩の頭にに小さな磁石を貼り付け、地磁気と違う磁気の力を及ぼすと帰巣の方向を間違えてしまう。実験じゃなくとも、普段の例で帰って来れない伝書鳩というのは、どうやら高圧送電線などの発する磁気により体内磁石が狂わされた哀しい姿なのだ。
 また人間でも地磁気以外の他の磁気の影響下に立たされると、方向音痴になりやすいそうだ。人間における鳩同様の磁石の実験も実際行われ、確証がつかまれている。
 伝書鳩やイルカなどの脳からは、「マグネタイト」と呼ばれる生物磁石(磁気をもった細菌)の存在が判っている。その機能は劣ってしまったものの、この「マグネタイト」生物磁石が人間の大脳などにも備わっているものと推測されている。
 
 特に人の場合、磁気の影響は「松果体」に大きく及ぶことが判明している。
 「松果体」はまた、有名な「メラトニン」というホルモンの製造工場ともなっている。「メラトニン」は、生殖腺機能抑制のメイン機能の他にもガン抑制機能、免疫機能に関与しているものと研究されている。
 ここに磁気を狂わす能力を十二分に持っている「低周波」が、その性質上体内をフリーパスし「松果体」に、脳内の生物磁石に触れる。それが、いいこととは想像しにくい。また、ガン抑制機能を奪われたとき、ヒトはどうなるか?

  日本人総白痴化計画

 重複するが「松果体」は、第三の目と広く言われている。方向感覚、時間感覚などの第六感を司るゆえ言われていることである。
 この「松果体」の未知性から、立てやすい仮説を立てる。この器官が、もし人間としてたどり着くべき道<徳>を照らす機能(呵責心)や、精神を安定させる機能(平常心)など、たとえば人間にその<人間の「奥」を与える機能>を司るものであったとならである。
 さてどうなるか。それが、あらゆる家電製品や携帯電話などの「低周波」で狂わされたとき、「日本人総白痴化計画」は完遂する。いやこれは語弊があろう。この民族の「知」に長けているその故、「白痴」と言わず「痴的な博知」とでも言うべきか・・・

 「松果体」がまた生命の保管所だとする考えからすれば、現実ココに科学的影響を充分及ぼしうる「低周波」という存在は、やはり怖いのである。
 頭に近付けるドライヤーを長時間念入りに使うことが、怖くはないのだろうか?ちなみに10cm離して使うドライヤーからはおよそ2〜27ミリガウスの「低周波」を浴びることになり、わずか1ミリガウスでも大きな議論が飛び交う他国(特にロシア、北欧)を無視するかの如くだ。ちょっと無頓着そうなアメリカでさえ、携帯電話の使用はアンテナから2.5cm話して使うことを義務付けている。そんな意識をして使っている人がはてさて何人いよう、もうこんなにボケちゃった我が国で。ここで一席、「都会にいても、痴呆とはこれいかに。」おそまつ。


 家電製品のほとんどが、コンセントから享受される交流電源を元に稼動するものなら、大小あれどまず例外なく変動磁場が発生し、特に密着して使用するもの・長時間使用するものなどは気を付けたい。前者では、携帯電話、ヘヤードライヤー、コンセント使用シェーバー、電気毛布、電動マッサージ器など。後者なら、室内蛍光灯、TV、パソコン、ステレオ、空調など。特に気をつけたい。
 では、電化製品などと低周波含む電磁波のもう少しだけ突っ込んだ関係と私たちのそれに対す非力ながらの防衛手段を記したい。
 
  日本人総白痴化計画防止・・、いや抑制計画

 「電磁波」の性格の一つに、それからの距離をとると飛躍的にその影響が少なくなることがある。
 そうだ、なるだけ距離をとって使用することだ。TVなら、目を近付けすぎないコト!ラジカセも、作業机の上で鳴らすより少し離れた台の上で鳴らすとイイ!電気毛布は、先に電源を入れ暖めておき床に入る時スイッチを切る。なにかしらの対策は講じられよう。
 「距離」がテーマ1である。
 
 あとは「電磁波」の被曝量を極力減らすため、電化製品の長時間使用をなるだけ避ける。被曝量は、当然時間との掛け算になる。
 TVを見るにしても、パソコンをやるにしても1日の使用時間を自分なり制限かけると被曝量を大きく減らせることが可能だ。
 テーマ2。それは「時間」である。
 
 電化製品のなかった時代を仮定し、それに頼らぬ生活の模索をしてみるのもイイだろう。
 「依存性からの回避」。これがすべてを包括する大テーマに他ならない。
 東京電力は、このまま推移すると首都圏の電力が、ほんの約2年後には全面供給まではできなくなるという警告を、極最近出して来ている。
 「寒くてもエアコンのスイッチが入らない。」電気が来ないのなら、重ね着するしかないだろう。

 話は電気以外にも及ばせてしまうが、全世界の石油資源のバケツも底が見えてきてる。アメリカがイラクとの戦争に勝ち石油基地を確保しても、日本になど融通する訳がない。まあその前に、北朝鮮を相手にとうに終わっているかも知れないナァ。旗は、今のうち日没の絵に変えておかないと間に合わないゾ。なあ、日出ずる国・・あっ違った。日沈む国よ!
 そう北朝鮮ほど強烈な寒さでこそないにせよ、金正日に見放された貧民と同様の生活のお鉢は私たちにも回って来そうなのである。いきなりでは何だから、いまのうちシミュレーションしてみるのもいいんじゃないか?
 だがそう悲観論を述べていても、何の得もないので齷齪他にも対策を考えよう。あとは補足だが、電化製品は直流仕様のものをなるだけ使うことだ。電池式、充電(池)式などが挙げられよう。
 
 そこで直流と逆の、問題となる交流の話に移る。

  哀国発不幸行き

 交流で生まれる変動磁場にこそ、「電磁波」の世界における諸悪の根源がある。
 一般的な電車は山手線などはじめ全般的に、直流モーターが採用されている。(交流式じゃないからといってもモーターを使う以上、多少なりにも「電磁波」は生まれる。)ただ、新幹線は交流モーターである。それがゆえその発生させる「電磁波」は脅威レベルとなる。自分の体のセキュリティーレベルを、<高>にするか<低>にするかは自由だ。今後開発が期待されるリニアモーターカーは直流モーター仕様だが、その走行のメカニズム上発生する「変動磁場」は地球破滅レベルと言いたい。当然車内は電磁波のサウナ状態で、「1時間で着くから早いでしょ。」とか言われても、1時間もの長時間強い電磁波を被曝され続けることになる訳である。どうも、体に悪そうである。
 リニアモーターカーは、磁場8,000ガウスのもとで運転される。車内では極度にそれを押さえ込み20ガウスとなる。いいかえれば20,000ミリガウスという数字であり体のみならず「脳」への影響も心配だ。1ミリガウスの被曝が2ミリガウスの被曝になったことで大騒ぎする他国に比べ、呑ん気というより既に私たち日本人は白痴化の道を着実に歩んでいるとしか思えない

 そうだ。医者が不足し、ガン患者収容施設がそのうち飽和するというシナリオも、白痴化しそうなこの脳ではあるがしっかり考え止めておきたい。(勿論、そんな最悪のシナリオを願っている訳ではない。)
 どんなに痛みに耐えようと、ガンのワクチンが貧乏人の手に回るような世の中は来そうもない。むしろ、ワクチンは高騰しそれで金を儲けるヤツが出ても今更驚かない。

 要は痛みに耐えた結果見えるのは、貧富の差であり、いまの北朝鮮と同じ姿に他ならない。「痛みに耐えるというのは、弱き者が傍らで息絶えるのに手を貸すこともできない我が心の痛みに耐えことなのではないのか。」と、いい加減訝ってしまう。(チョット脱線気味であるが、)「電磁波問題」も所詮お金持ちが太り貧乏人が痩せるメカニズムの上で発生していることだから、どんなにヒリヒリしても、いくらピリピリしてもそれぐらいの痛みに耐えることは当然余儀なくさせられることなのだ。
 もはや、自分を守ってくれるのは自分だけか、本来多数派である私たち<庶民>という結束しかない。いや、チョット考え過ぎかもとも思う・・・
 それにしても、このまま乗っていく電車の行く先だけはわかってるのだが。

  いつも通りでも・・・

 そう。「私はだからTVを全く見ない。インターネットもやらない。」という情報完全断絶や、「電車も車も怖いので、歩いて東京から大阪のおじさんに会いに行く。」というような利便拒否の目標を掲げる気持ちは、私にはない。ただ、「それに傾倒し過ぎている。」、「それに頼り過ぎている。」きらいを感じるだけである。   
 人間のもつ太古の身体のリズムというものを信じる。だが、よっぽど異常な環境と想わぬ限り、人間の<順応性>というものにも同時に賭けたいと思う。酒飲みがいきなり禁酒するとガンになりやすいらしいが、電化製品にこれだけ取り囲まれてきた私たちが、いきなり旧石器時代のような暮らしに投げ込まれたら逆に身体を壊すかも知れない。
 無論、そんな話の流れの「何事もほどほど1番論」で終わらせるツモリはない。ではあるが、<我が目的>は達した。そう、少なくても「電磁波」、「低周波」など今まで無意識でいた人には、その意識項目・意識内容が増えたコトこそ進展であり、それをどう考えるか・どう処理するかは個人差で天と地ほど違ってもイイ。そして、自らの責任は各々自らがとればイイ。私としては、「電磁波」という<存在感は希薄だが内なるパワーを感じさせる>氏を、単に皆の前に紹介したかっただけのことであり、また彼に近い私以外の人たちからも、彼についての印象を各自馳せてもらえればイイ。そんな次第だ。

 ただ何もせず、ただ手を拱いている私たちにとって暗雲の中から落ちて来そうなものは某国からのミサイルであり、道を歩いている人間の身体に巻き付けられていそうなのは爆弾であり、そんな中「電磁波」という何がしも、私たちがこんな経済下でも一応富国民であるが故送り付けられて来たのでありそうな、プレゼント爆弾だと一応解釈したりしてみる。いたずらに考える・・
 私たちは、これでも太り過ぎた。かたや寒い冬、道で凍死するかも知れぬ人のワキを足早に通り過ぎて行きながら気付いたことがあった。彼らの冷たい枕元には、一銭たりともあの時投じた税金が転がっていることはないことと、「<慈>愛のない国に、<磁>哀が届かんとしているのかも知れない。」というつまらない憶測の存在とである。

 
                                   H15  2 22   

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