木と火  

 今では明かりのない生活は考えられませんが、人類が始めて使った明かりは住居の「たき火」でした。
 家族で暖をとったり、料理をしたりするため、物を燃やした火が明かりの始まりだったのです。
 火を創ることから始まり、できた火を「ともし火」として利用するまでには色々な植物が使われてきましたが、そのほとんどは木だったのです。  

「発火用の木・火切り用の木」  

 火を創るには、木と木を擦り合わせる火切り方と石と鉄を打ち合わせて火を創り出す火打ち方とがありました。  

 古くから行われてきた火を創る方法は、木の板に小さなくぼみをつけ、これに棒を使って錐のように揉む「もみ錐方」
 「もみ錐型」は熊野神社や諏訪神社で、神事に利用する火をおこすときに使用され棒にはウツギが、板にはヒノキなどが使われていました。
 棒に横木をつけ横木の両端と棒の上を紐で結び、これを上下さして棒の下の錘の遠心力によって、火をおこす「舞錐型」との二種類がありました。
 「舞錐方」は伊勢神宮や熱田神宮で使用され、棒にはヤマビワ、板にはヒノキが使われていました。

 この他 棒の材料としてはコウゾ・シラカシ・ムラサキシキブ・シャシャンポなどか使われていたところもあります。  
 アイヌ民族では発火材にハルニレを最も多く使用していたようですが、トドマツ・サルナシ・イタヤカエデなどの木も使われていたようです。

「火口(ほくち)・付木(つけき)の木」  

 火切りや火打によってできた火はいったん火口にとり、これを付木に移して火にしなければならないのです。
 火切り方の場合は木の摩擦によってできた削りカスがそのまま火口として役立ち、スギヒノキを枯らして粉にしたものを振り掛ければ簡単に火がつくのですが、
 火打ち方の場合は別に火口を用意しなければ火はつけられないのです。
 火口には火がつきやすく燃えやすいガマ・イチビなどの草が使われ、ケヤキのしらた(木の外側の軟らかいところ)
 クヌギ
の瘤(枯れて腐ってぼろぼろになったところ)のほか、サクラ・キリ・ヤナギ・ハンノキなどの消し炭を粉にしたものが使われていました。   

 付木にはスギヒノキなどを薄く削って先に硫黄をつけた硫黄木(今のマッチのようなもの)が使われていました。
 硫黄木にはスギ・ヒノキ・サワラ・クルミ類・トドマツ・アカマツ・アスナロ・コシアブラなどの木が使われ、
 アイヌ民族はウダイカンバの樹皮を細かく刻んで硫黄を付け、炉の熱い灰の中に入れて火を起こしました。

 時代が進むにつれて木から創った明かりから、次に獣の脂や植物油が使用され、やがてロウソクが生まれたのです。
 
 日本にロウソクが伝わったのは、仏教の伝来と同じ頃です。
 最初に伝わったロウは蜜ロウ(ミツバチの巣から採ったロウを固めたもの)が使われていましたが、日本でも中世頃にロウソクが製造されるようになり、 
 最初は脂が原料でしたが、ハゼから採ったロウを使うようになったのは戦国時代から江戸時代にかけての時代で、
 山口・出雲・鳥取・宇和島などで幕府の直轄事業としてハゼロウのロウソクの製造が始まりだったのです。
 
 上杉鷹山が米沢藩の財政を立て直したのもハゼロウの普及栽培によるものだったのです。