森からのたより
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雪上の出会い
2002/2/16
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昼食を済ませるころには雲はすっかり消えてしまっていた。
今年の天候は、
朝は曇ったり小雪が舞ったりということが多く、
先行きの心配をしながら山に来ることがほとんどだったが、
今日は大丈夫だろう。
朝からまずまずの天気で青空も見えていた。
そして今、
雲ひとつない青空が広がっている。
冬の青空は真っ青というより、ダークブルーに近い。
その色を背景に
冬枯れのミズナラが枝を広げていた。
空のどこかからコゲラが木をたたく音が降ってきた。
枝の中の虫を探しているのだろう。
リズミカルに軽い音は森にこだまし、どこまでも
広がっていくようだった。
私たちは小高くなった場所に立ち、
目の前に広がるミズナラ林を見ていた。
そこは平坦な地形で、
ミズナラに混じって
ホウやウワミズザクラ、アズキナシなどが点在している。
ミズナラ林はかなり広く、
目の前から左手の方にかけて平らに続いている。
しかし右手の方は斜面となり、
そこを登ると山頂へと続く長い尾根に出る。
雪の上には木々が影を落とし、青い縞模様を描いていた。
白い雪、青い木々の影、
それは晴れた日の林ならではのハーモニーだ。
目を正面の少し奥に転ずれば、
大人が三抱えするほどの太くごつごつした幹の木が見える。
それは古びたミズナラの木だ。
幹は人の背丈より少し上で急に半分ほどの太さになっている。
幹のちょうどそのあたりには大きな裂け目ができていた。
落雷に遭って一度は折れたのだろうか。
その後再び幹を伸ばして生き返ったような様子だ。
丈はあまり高くはないが、
いかにもこのミズナラ林の主といった雰囲気を漂わせている。
このあたりの積雪はかなり多く、
あちこちにあるはずの低い木はほとんどがその中に姿を隠していた。
目の前の光景を見ていた視線を何気なく
斜面の方に向けた時だった。遠くで何かが動いたような気がした。
初めに気がついたのは勇治だった。
私も急いで双眼鏡を取り出して見ると、それはウサギだった。
白い冬毛ではなく、灰色の毛をしている。
ここのウサギは冬でも白い毛にならず、
夏毛のような茶色のものもいる。
しかし灰色のものを見たのは初めてだ。
ウサギは右手の斜面を下りてきた。
急ぐ様子もなく、
歩いているような速度だ。少し行っては立ち止まり、
また動きだすという具合にゆっくりとやって来た。
その動作に合わせるように、
小さくキュッキュッというような音が聞こえてきた。
その音は、
止まっているウサギが動き出すと共に聞こえてくる。
どうやら、ウサギが動くときに小さく鳴いているようだった。
ウサギは鳴かないと思っていたが、声を出すことがあるのだろうか。
動きと音との関係に注意して見ていたが、
何度めかに止まったとき、
ウサギはそのまま雪の上に座りこんでしまった。
こちらからはその横顔が見える。ウサギはしばらくじっとしていたが、
やがてその場でゆっくりと体の向きを90度変え、
私たちにお尻を向けて座り直した。
ウサギにはそういう習性があるようだ。
以前にも
何度か同じ動作を見たことがある。
しばらく同じ場所にいるときは、ときどき体の向きを変えるようだ。
あたりを警戒しているのだろうか。
ウサギはこちらには全く気づいていないようだ。
何となくのんびりとした雰囲気で座っている。
しかしそれもしばらくのことだった。
やがて腰を上げると
それまでよりはやや早く、ちょっと走ってみようかという様子で
ミズナラの林を横切り、来たときとは反対に
左手の方へ去って行った。
ウサギを見送り、
まだ名残惜しくそのあたりを見ていたときだった。
再び右手の斜面を下りてくる姿があった。
ウサギにかわって何者かが登場したようだ。今度は・・・。
明るい黄色のすらりと伸びた体、長くふさふさとした尾。
それは紛れもなくテンの姿だった。
テンはウサギの歩いた跡をたどるようにやってきた。
ゆっくりと斜面を下りて来ると、
ウサギの座っていたあたりで雪のにおいをかいでいるようだった。
一瞬動作を止めたと思うと、
次の瞬間ウサギの去った方へと勢いよく駆け出した。
ウサギを追うのかと思ったが、何歩も行かないうちに
立ち止まってしまった。
テンはしばらくウサギの行った方を見ていた。
ほんの少し前まで
ここにウサギがいたことに気づいているのだろうか。
ウサギはテンが来るのを知って逃げたのだろうか。
どちらの様子を思い合わせても、
お互いに気づき、追いつ追われつという状態だったとは考えられない。
偶然この場所に来合わせたとしか思えなかった。
たとえ残されたにおいでウサギの存在を知ったとしても、
テンにはそれを追う気持はないようだった。
その様子を見ていると、何ともいえない嬉しさがこみ上げてきた。
ついにテンに出会うことができた。
この山では足跡は雪の上にたくさん印されていたが、
その姿を見たことはなかった。
白山からの帰り、車の中からなら何度か見たことはある。
特に、
闇の中で光る目とヘッドライトに浮かび上がる姿は
印象的なものだ。
しかしこのように、山を歩いていて
間近に対面するのは初めてのことだった。
動きを止めたテンを見ていると、これからどうするのか
気になってしかたがない。
近くに来るといいのだがと思っていると、
テンは私たちの方に向きを変えた。
そしてこちらに向かってやってくる。
私は、もっとこっちにおいでと心の中で声をかけながら
それを見つめていた。

テンの動きには独特のリズムがある。
足をそろえ、体を曲げたり伸ばしたりして
雪の上を跳ねるように進む。
雪の上を軽々と跳び、
そこに残されるのは二つ並んでつく足跡だけだ。
いつもは飛び跳ねるように走るが、時には
足を交互に動かして歩くこともある。
双眼鏡で追っていくと、
その動作によって雪の上につく足跡が違うのがわかる。
二つずつ並んだ足跡が点々とついたり、
交互に歩いた跡になったりしている。
――それにしても動物たちの足跡のなんとつつましいことだろう。
その痕跡をわずかに残して通り過ぎていく。
それにひきかえ私たちの通った跡は、
雪を踏みつけ蹴散らすかのごとく傍若無人なものだ。
いつもそれを見ると
汚く無残なものという思いがわいてくる。――
テンは5、6歩進んでは立ち止まり、
あたりを警戒するかのように顔を上げる。
そのたびに顔はまっすぐこちらを向き、白い顔の中の
黒い瞳が私たちの方を見つめる。
いつ気がつくだろうかと心配になるが、
もっと近づいてこないかという期待も大きくなってくる。

私たちの存在を知ってか知らずか、テンは尚も
近くまでやってきた。
しかし、ある程度まで近づいてくるとその場で立ち止まり、
何か考えているふうだった。
私たちの気配を感じたのだろうか。どうするのだろうと思っていると、
向きを変えもと来た方へ戻り始めた。
ところが何歩か進むとまた方向転換してこちらに向かって来る。
そして再び私たちのいる場所に近づいてきた。
どこか不穏な空気を感じつつも、
こちらに来ようとしているようだった。

しばらくの間、テンはそのあたりで行きつ戻りつしていた。
相変わらず何歩か進んでは
顔を上げてあたりを見ている。
その目がついに私たちの目と合ってしまった。
テンは驚いたのか、
その動きを止めた。しまった気づかれたかという思いで私たちも
動くことができず、テンと見つめあった。
ところが逃げるだろうと思ったテンは、
すぐに走り出そうとはしなかった。
視線をそらすと、
再び動きだした。しかし
こちらを気にしている雰囲気は伝わってくる。
やがてそこを離れようとしているかのように動きを次第に早め、
ミズナラ林を横切り雪の斜面へと向かった。
もう行ってしまうのかと残念に思っているうちに
その姿は次第に小さくなり、ついに
山頂に続く尾根の方へとテンは消えていった。
ウサギが来てからテンが行ってしまうまで、
10分もたっていなかっただろう。
短いようだがこれだけの時間、彼らの姿やしぐさ、動き回る様子などを
見せてもらえたのは幸運だった。
うれしい出会いのあった日。
Sumiko