悪を掘ってしまえば幾らでも悪が出て来てしまい、なかなか人の善い所を見つけだすことが出来ないのです。

人に正しいことを教えるのには教える側が善くなければ(正しい)成らないのです。

人の悪を互いに見つけだしているようではいつに成っても争いと成ってしまうのです。

互いに悪を言い合っている間(責任の擦り合い)は問題解決せずむしろ問題は拡がって行くのです。

ですから幾ら人の悪が見えていても、他を責めない様に成らなければ成りません。

どんなにゴミの出し方が悪い方に対しても、出会った時には必ず明るい笑顔で挨拶し、気持ちも

心易く成ったときに、ゴミについて、教えてあげれば善いのである。

又個々の人間が善く成って行けばその内に、他の個々の人の気持ちも代わり全体が善く成ってくるのです。

 ⇒一人一人が善く成れば、皆がこれを真似して善い習慣が生まれて来るのです。

他を責める人は、自分の心が綺麗すぎている為に、心の中に小さなゴミが入って来ただけで過剰な

反応を起こしてしまうのです。

個々の気持ちを整えて行くのは大切です。資源の維持を考えて環境を維持して行く気持ちを持つ習慣に成って行けば

社会秩序を大切にして、人間環境も善く成って行くことでしょう。

法を守らなければ罰則を受けなければ成らないという気持ちを捨てて

自然に従う気持ちで行動すれば自分の心も落ち着いて来ると思います。


自然に逆らって生活して行くと環境は悪化してしまうのです。

ごく普通に生活してゆけるのが人間にとって一番の幸せではないのでしょうか。

最後に、ゴミは全て資源から造られた物ばかりです。資源以外から出来たゴミはありません。

ゴミも言い方を変えてしまえば、ゴミと言わないのです。生かすか生かさないかが、ゴミ問題の結果であるのです。
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