パネルディスカッション

 『私の自給的な暮らし』

         −山を守ること、土を耕すこと、子を育てること、

                  「自給的暮らし」のもつ意味を考える−

                                          

パネラー紹介

 

◆大森昌也

農業、兵庫県朝来郡和田山町 山村で自給自足の生活を営む

著書「六人の子どもと山村に生きる」

◆奥田美和子

愛農会設立愛農高校生産部 自給的農業に取り組む

◆中井一郎

林業、奈良県吉野郡黒滝村 奈良県黒瀧村村づくりプロジェクトチーム

◆八木幸子

農業、和歌山中辺路町

司会/福本裕郁

農業、兵庫県三木市 当会世話人、ML管理担当

 

 

 

司会:本日は4人のパネラーにお越しいただきました。まず、自己紹介を兼ね、みなさんがどんな取り組み、どんな生活をなさっているか、お話をうかがっていきたいと思います。

 

食べ物もエネルギーも教育も

他人任せにはしたくない

 


大森:家族で山村に入り、百姓を始めて16年になります。農場の名前はアース農場。子供たちと明日の地球(earth)を考えるという意味です。田畑は8反、うち、自分で所有しているのは3反。豚2頭、ヤギ1頭、鶏120羽、兎、アヒルなどを飼い、炭焼小屋、パン工房があります。エネルギーは炭と薪ですが、今後、バイオガス、水力発電を考えています。

 家族は私と子供が6人。上から長男(20)、次男(18)、三男(15)、長女(14)、そして双子の次女・三女(10)です。

 研修生もよくやって来ます。特に20代前〜後半の若い女性が多いですね。ある人は、「自分の親は子供のことだけで、孫の世代のことなんて全然考えていない。自分自身の子供やその次の世代のことを考えると今の世の中では…」と、自給的な生活がしたくてうちへ来たと言います。長い人は何ヶ月もいますし、「やってられない」と1日で帰ってしまう人もいます(笑)。

 以前は、西宮で四つ葉牛乳の配送の仕事をしていました。この頃から畑と田をやってみて、自分の食べるものはだいたい自分で作れるなという感触だけは持っていましたので、クワ1本持って山村に入りました。パンを焼いたり、炭を焼いたり、卵を売ったりして現金収入も少しは得ています。

 子供の教育はというと、一応、義務教育ですので中学まではやり、高校は通信教育です。それでもパンを焼いたり、炭を焼いたりすることは一人前にできます。研修に来る大学生は炊事、洗濯、何もできない。うちの子供たちが持てる荷物すら持てない。子供たちもそういうのを見て、大学ってなんだろうなと思ってるようです。子供たちもそろそろ20歳。できれば家の周りで自立して生活し、1つの村として自給自足をしていければいいなあと思っています。単に食べ物だけでなく、エネルギーも、教育も、他人任せにすることなく考えていきたいですね。

 

生徒や職員の食べ物は

学校の中で自給しています

 


奥田:私は三重県伊賀上野の隣りの青山町にある、日本で一番小さな農業高校、愛農高校の農場の野菜の仕事を手伝っております。

 この高校ができて今年で36年。普通科の他、農業部門(作物、畑作、果樹、酪農、養豚、養鶏)があります。水田は約140a、野菜と果樹を作り、搾乳牛20頭、豚5頭、鶏2千羽がいます。学校は全寮制で、生徒も職員もみんな学校で食事をしますが、自分たちの食べる分は自分たちでまかなおうとしています。自給率は80%近くいっているのではないでしょうか。残った肉や野菜はキャンパス内で販売したり、宅配したり、愛農会の流通ネットワークで流したり、「道の駅」に地場産業として出荷したりもしています。

 私は九州の農家で生まれ育ちました。親はとにかく百姓が好きで、お金がなくて四苦八苦していても、農業をやっていればすこぶるご機嫌。ああ百姓というのは素晴らしいものだと思いながら育ちました。私が生まれたのは終戦の一番物がない時代です。小さな農家でしたが、それでも乳牛を飼い、馬を飼い、羊を飼い、衣食住で自給的な暮らしをする素晴らしさを肌身に染みて学ばせてもらいました。今の子供たちは、物をどんどん与えられ、できるだけ苦労を知らないようにされ、育つ力を奪われているようでかわいそうでなりません。

 5年前にある出来事がありました。愛農高校の入り口には小さな森があります。これは他の人の所有地でして、売られて宅地になることになったのです。学校がこれを買おうとしたのですが結局断念。そこで、当時のPTA43人が資金をかき集め、半年がかりで理事会に働きかけてとうとう買い取ったのです。私も父兄の1人としてこの運動に参加しました。この森は「愛の()森」と呼ばれています。このことは単に山を買ったというだけでなく、農業後継者を育てるこの学校が大切であり、農業を守ることが大切なんだという、一つの運動といえると思います。

 山があり、竹林があり、田畑があって、子供たちが健康に育っていける環境を守り育てなければなりません。愛農高校はそういう生徒さんを世に送り出せるよう、なかなか厳しい経営状態ではありますが、がんばっています。

 

国内で使う木材は

国内で自給できるのですが…

 


中井:奈良県黒滝村で林業をやっております。黒滝村と言ってもご存じないでしょうが、桜の吉野山と修験道で有名な天川村の間に挟まれた村です。吉野山にしても天川村にしても全国的にその名を知られ、多くの文献に残っています。私の黒滝村が歴史的に出てくるのは、南北朝の後醍醐天皇の建武の中興のとき、庄屋が一族郎党を引き連れてはせ参じたというくらいの記述しかありませんが、250年から300年前から吉野杉を育てる林業が発達してきたようです。

 吉野には山林家といわれる数百haから数千haという大規模な山林を持つ人がおられます。私たちは植林から育林、そして伐採・搬出といった、山を管理する仕事をしています。

 私はいつも2枚の名刺を持ち歩いています。1つは黒滝村の村づくりプロジェクトチームのもので、いわゆる村おこしのメンバーに入っています。

 もう一つの活動としては、木を建築材以外の何かに使えないか試行錯誤するグループを去年作りました。今、我々の育てる木がどんどん使われなくなっています。戦前は建築用材といえばほとんど100%が国産材だったわけですが、戦後、高度経済成長で、ツーバイフォーや鉄筋コンクリートとかいった建築様式になって、在来型の建築工法の住宅が減り、また輸入材に押され木造住宅であっても国産材を使う割合が減ってきました。自給という点から見れば、日本の木が年間に太る量で年間に建てる国内の家はまかなえるらしいのです。これだけある木が使ってもらえなくなっています。

 そこで、建築用材以外の用途を提案し、山そのものを都会の人たちにアピールできないかなあと考えています。私たちがこれまで大切にしてきた杉や檜だけでなく、山にあるものすべての価値を認めていきたいと思います。例えば、流木や朽ちた木なんていうのも喜ばれたりしますし、雑木で作った鉛筆立てなども結構人気があったりします。また、近所の木工屋さんと協力して「木工細工教室」を企画したりしています。川遊びやバーベキューとともに木工細工をしに黒川村へ来ていただけるようになるかもしれません。

 

理想の子育て、健康の維持

自給は最高の贅沢かも知れません

 


八木:11年前に主人と2人、新規就農という形で和歌山に入りました。当時、娘は3歳。私自身、瀬戸内海の因島という自然に恵まれたところで育ったので、子育ては田舎でしたいと思っていました。

 主人は結婚前から農業がしたかったのです。役場にいきなり飛び込んで、「ここに一生を埋めるつもりで農業がしたい。農地を斡旋して欲しい。」とお願いしました。何カ所か廻って見つけたのが今のところです。「ここだったら動物も飼えていいよね。」主人は渋っていました。山林あわせて1町歩。3反の田圃が広いところで6畝で、全部で10枚近く。田圃と田圃の落差は高いところでは3mくらいあるのです。草刈りの労力といえば大変なものですが、私は農業のことは全く知らなかったので、思案している主人の背中を「じゃ、頼んでみようか」とぽんと押してしまったのです。

 農薬は一切使わない。堆肥も自給したい。そして、鶏と牛を飼い始めました。主人が亡くなったのが1997年の8月。その時の経営内容は、田圃が借地を併せて8反、畑が牧草地も含めて3反、和牛が9頭、鶏が150羽、野菜の配達が11軒。子育てをしながら農業に関わっている私にとっては、「待って。そんなに規模を拡大しないで。」と言いたいところだったのですが、主人は荒れている田圃を見るとじっとしていられなかったのです。

 有機農業は理想的。でも、経済的にも肉体的にも精神的にもなかなか大変です。天候任せで、トラブルというのは、台風で米が倒れ、牛が病気になり、野生動物による被害が出たりと、たいていトリプルくらいでやって来ます。精神的にもぎりぎりの状態で2人がフル回転でやっているので、ストレス発散が相手に向かってしまいます。「こんなに規模を拡大するからよ」と相手を攻めてる自分がいたりして…。

 当時、10年ぶりに生まれた子供が8ヶ月でした。子育てにも時間を取られるし、女性だけでやるにはどうしたらいいかを考えて規模を縮小しました。牛は全部手放しました。家の前で1反5畝だけ作って、我が家の自給分と消費者4軒分をまかない、お米と野菜と卵を柱になんとか生計を立てています。1ヶ月に10万も稼げませんが、自給はほとんどできています。それこそ「ばっかり食」で、夏であれば毎食のようにピーマンとナスが並ぶのですが、消費者のみなさんとも情報を交わして、いろいろなメニューで子供たちに飽きずに食べてもらうよう心がけています。

 自給というのは最高の贅沢だと思うんですよね。自分で作っておいしく食べられて、かつ健康にしてもらえる。規則正しい生活をして、三度の食事をきっちり我が家のお米と野菜で食べていれば、特別スポーツジムなどに行かなくても運動は十分です。自然とともに、夏場でしたら4時半に起きて、夜は10時から寝てしまうような、体内時計に逆らわない、ゆったりとした生活をさせてもらっています。きっと主人も最終的にはこういうふうにやりたかったのだろうなと思います。

 

山を守ること−再生を促し、

自然の循環を断ち切らぬために

 


司会:ここで、「山を守る」ということが、農業、広くは生態系の中でどのように位置づけられるのかということを考えていきたいと思います。

大森:炭焼きでは、樹齢20年くらいの木がいい炭になります。でも今は炭焼きをしないので、40年くらいの木ばかりになっています。田舎に入ってきた青年に一緒に炭焼きをやろうと声をかけたことがあります。すると、彼は「木は自然のものだから切ってはいけない」と言うのです。私ははたと考え込んでしまいました。自分は環境破壊をしているのだろうか?昔から炭を焼いているおじいさんに聞いてみると、「何を言っているんだ。木は切らないといけない。20年くらいで切っていくと再生する。切らないから山が荒れるんだ。」と言います。

中井:大森さんのおっしゃったのは雑木林の更新ということなのですが、黒滝村の場合、山林が面積の96%くらいあって、そのまた95、6%が杉・檜の人工林です。これを間引いていかなければ、全体に栄養不足になり、建築用材が採れなくなります。そして、あげくのはてには、雪や大雨で倒れてしまいます。今、木材単価はどんどん下がっていますから、間伐の時期になっても切らずに置いておけ、倒れてもそのままにしておけと言われるのです。そうして、災害が来くるたびにどんどん倒木が放置されていってしまうのです。

奥田:森も農業も同じだと思います。農業をしながら小さな森を守っていくような形が一番いいような気がします。今、お話にあった「放っておくのがベスト」という形を、針葉樹で無理なら雑木にするなど手入れができる形にしていかなければいけないと思います。

 愛農高校の生徒たちも時々山へ草刈りに行ったり、枝打ちを行ったりするのですが、山へ行くと子供たちは嬉しそうですね。山の持っている力には底知れないものがあると感じます。やはり自給を進める中で、山を守るということはぜひ考えて行かなければならないことだと思います。

八木:うちにも裏山があります。もともとは植林だったのですが、鶏小屋を建てるのにどんどん切って雑木林へと変えていきました。この間久しぶりに山へ上がっていくと、猪の運動場になっていました。手入れは行き届かないのですが、その分、野生動物たちに返せたのでましかなと思っています。

 それ以上に、今、百姓をやって気になっているのは、異常気象が多いことです。10年ほど前には夏には必ず毎日ように夕立が降り、一気に涼しくなって、田圃を潤してくれるので、特に水管理もしなくてすんでいました。去年、一昨年は水管理をしようにも、水源から水が来ないのです。一方、去年の長雨では、田圃の石垣が3箇所、大規模に崩れました。干魃か豪雨、極端に偏りすぎているのです。そういうことを考えると、1人でも多くの人が早く地球に目覚めて、たとえ小さなところでもいいから耕し始めて土づくりをしないと、自分たちの食べるものが確保できないよと、言ってあげたいのです。

司会:雨が降っても山に保水力があるといきなり大洪水にはならない、地面にしみ込んで地下水になって里に下り、湧き水になって田圃の水になるということですね。 最近、広島の方で蠣があまり育たないということを聞きました。これも山をどんどん開拓してニュータウンにしていったため、山からの養分が川へ、そして海へという流れが断ち切られた結果だと言われています。「木によりて魚を求む」は的外れなことを指しますが、決して的外れではなく、全体は繋がっているのですから、生態系の出発点ともいうべき山は守って行かなければいけないのかなと思います。

 もう一つ、教育ということについて議論を進めたいと思います。

 

自給自足の持つ教育力

 


大森:私はいつも「自給自足こそ本当の教育」と言っています。自分のものは自分で作り、料理して食べていける力だけは最低、残してやりたいです。非難されるのは承知ですが、百姓をやるなら学校へなどやらなくてもいいと思っています。子供が小さいうちはやはり悩みもします。「あそこの親は子供を学校へ行かさず、何をしているんだ」と言われもします。だけど考えて見ればこの歴史の中で、都会に出て、教育を他に任せるという形になったのはつい最近のことでしょう?

奥田:学校教育という点からは、私は全部の高校が農業高校になったらいいのにと思います。農業の教育力というのは大きいです。農作業では子供たちは不思議なくらいによく働きます。農業そのものが子供たちを育ててくれているんだと実感できます。

中井:実は先ほど愛農高校の運営資金についてご質問したのですが、「助成金とそれだけでは足りないので農作物を売ったお金を当てている」とのことでした。文字通り、自分の食い扶持は自分で稼ぐ。すごいことだなあと思いました。ただ単にお小遣い稼ぎのアルバイトではなく、死活問題のお金を稼いでいるわけですよね。こういうものを他の高校にも上手く導入できないものかなと思ったりします。

 

親の背中を見せて育てる

 


大森:いろんな失敗がたくさんあっていいと思います。炭を焼けば小屋ごと燃やすとか、いいイネができたと喜んでいたら、全部ヒエだったり(笑)。失敗して始めて周りの人が見るに見かねて教えてくれるということもあります。今の若い人はすぐに「いろいろ技術がいるから…」と言いますが、とにかくいいと思ったら山村に飛び込んでみることです。大切なのは「やればできる」という心がけです。私など米作りも野菜作りも技術的には全くだめ。鶏を飼っても産卵率はよくないです。失敗を見せることも親の背中を見せるということだと思います。サラリーマンで偉くなって親の成功を見せるというのが私たちの世代ですが、私のように失敗ばっかりというのもある意味で教育ではないでしょうか。

中井:親の背中を見て…と言っても働く親の姿を見せたくても見せられない場合も多いですよね。そういう意味では私どもような林業や農業や漁業とかは見せられる職業です。10年ほど前に1町歩くらいの小さな山林を購入しました。息子が小学校3年生くらいの時です。そしておじいちゃんと私、息子の三代で植林をしました。高校生ともなるとさすがに息子もついて来なくなりましたが、昔はよく弁当を持って一緒に山へ行きました。そういうのがどれだけ記憶や思い出に残っているのかはわかりませんが、また時代が変わり木も景気がよくなって、息子が同じように山をやって行く状況ができればいいなあと思います。

 

生命のつながりを教える

 


八木:長女が小学校にいた頃、田圃を開放しますから田植え体験をしませんかという話を先生に持って行きました。田植え、そして合鴨農法ですから、合鴨を1羽ずつ子供に持たせて放鳥させてやり、稲刈りまでやって、お米を持っていってあげます。中辺地町には結構田圃があって、子供たちのおじいちゃん、おばあちゃんは田圃を作ってはいるのですが、農薬を使うので田圃は遊び場じゃないのですね。「田圃に入ったことがない子は?」と聞くと、ほとんどの子が手を挙げます。田圃に素足で入ると気持ちいいですよね。「さあ、田植えをやりましょう」と最初は苗を持つのですが、そのうち男の子は蛙を求めて泥まみれになります。そして他にも生き物がいっぱいいることに気づきます。

 ある日、私が草刈りに行くと、子供たちが田圃に来ていて、「この合鴨いつまでいるの?」と素朴な質問を投げかけてきます。「イネの穂が出るまでね。」と言うと、「穂が出たらどうなるの?」「家に持って帰って大きくするんだよ。」「それからどうなるの?」次々に聞いてきます。「寒くなって来ると体にしっかり脂肪がのるのよね。そうしたら、つぶして食べるんだよ。」とさらっと応えてやります。「うそー、こんなにかわいいのに。そんなことをするの。」と子供たちは批判の目で見ます。そこで「お肉食べないの?」と聞くと、「食べる」と言います。「お野菜だってお米だって命があるでしょ。人間って命あるものを食べないと生きていけないんだよ。この合鴨は6ヶ月の命だけど、しっかりと仕事をしてくれて、みんなにおいしいねと言われて食べられたら無駄なことはないでしょ。」と言うと、子供も素直な気持ちで納得します。合鴨1羽つぶすことによってそのすべてを活用できれば、食べたことに対するつぐないはできるのかなと思います(人間のエゴなのですが)。「あの時の合鴨だね。」と言いながら感謝して食べられれば、それが一番大切な教育になると思います。

 ちょっと話は変わりますが、うちのお風呂は薪です。暖房も薪ストーブです。スイッチポンですむところが、薪割りから入らないといけないのです。自分が快適に過ごしたければ、それまでにしないといけないことがあるんだよ、と教えることも大事にしたいです。

 

司会:ありがとうございました。山から里山、田畑、そして海に至るまでの自然のつかながりの中で私たちは生きているのだということを前段で議論しました。そして、畜産も含めて農業をしておられる方から、私たちは命のつながりの中で生きているのだというお話がありました。また、教育という点では、「自分のことは自分でする」ことが生きる力になるのだというお話が出ました。

 私も以前、街中で暮らしておりました。生産と消費の場が完全に断ち切られてしまっていて、自分が今食べているものがどういう形でここへやって来たか分かろうはずもなく、ありがたみを感じることもない。この辺にも、今の教育に欠けたものがあるような気がします。「親の背中を見て」「自給自足こそ教育」「農業の持つ教育力」といったこと、私たちも見直していきたいと思います。