今から約20年前、私は某大手総合化学メーカーの子会社に勤務していた。眼鏡用プラスチックレンズ生産のために作られた子会社であった。当時も今も国内における眼鏡用プラスチックレンズは、HOYA、NIKKON、SEIKOの3社の寡占状態にある。いわばこの寡占状態に某大手総合化学メーカーが後発で参入したわけだ(現在は撤退?)。私は文科系である。特にプラスチックに造詣が深いわけでもなかったが、ちょっとした運命のイタズラか、日本で最初に眼鏡用プラスチックレンズを作った「変人」の知己を得た。最初はその変人が社長を務める会社にいたのだが、その人が社長を更迭されたのを機に、某大手総合化学メーカーの子会社に移ったというわけだ。移ったのはその変人の紹介だった。私の仕事というと、生産現場での単純(決して単純でもないのだが)労働。夕方の5時には仕事が終わるという以外に取り立ててメリットはなく、余暇を生きる男として1年余りを送った。
余暇を生きる男が仕事に生きる男になる転機が訪れた。同僚が結婚、新婚旅行などで1週間ばかり会社を休んだ。彼は理系であり、原料の調合などをやっていた。その仕事が私に臨時で回ってきたのだ。特別にやりたかったわけではなかったが、流れ作業から一時的にも解放される嬉しさは少しあったように思う。1週間という短い期間の予定だったが、その同僚が新婚旅行先で悪質な風邪を引き、そのため予定を過ぎても私が原料の調合作業を行うことになった。彼が復帰した後も、いつの間にかその仕事は私のものになっていた。
眼鏡用プラスチックレンズの原料とは、いかなるものか。当時は「CR−39」が主流だった。熱硬化性樹脂(加熱により固まる)ではこれしかなかったというのが正しいのかもしれない。「CR−39」というのは商品名である。アメリカのコロンビア・レジンという会社が開発したもので、社名のイニシャルを取って「CR」。39というのは、39回目の実験でようやく完成したからだという説を聞いたことがあるが、定かではない。化学名をジエチレングリコールビスアリルカーボネートという。見た目には少しドロドロとした透明の液体である。個人差はあるが、皮膚に付くと「かぶれる」。これにどれだけ悩まされたことか。思い出しても痒くなる。
原料の調合作業とは、この液体(モノマー=単量体)を固まらせる(重合)ために、触媒(有機化過酸化物)を添加する作業なのだが、この触媒の添加率は生産するレンズの種類、その他の要因によって微妙に異なる。さらに過酸化物というのは、これが結構危険なものなのである。従って、それなりに慎重を要する作業となる。プラスチックレンズの生産工程を簡単に記せば、以下のようになる。調合した原料をガラスの型に流し込み、一定の時間「炉」に入れて加熱する。炉から取り出し、ガラスの型を外す。それを検査して出来上がりである。精度が違うだけで、「人形焼き」だと思えばいい。
レンズは大雑把に分ければ、「凸レンズ」と「凹レンズ」ということになる。凸レンズの成形に問題が生じることがあった。それは決まって冬場に集中していた。問題は、炉から出してガラスの型を外す時に生じた。ガラスとレンズの密着が強くて外れないのである。無理に外せば、キズ物が多発する。良品率(歩留り)は大きく落ち込む。だいたい作業性が極端に落ちる。型を外す現場からは悲鳴が上がっていた。原因がわからなからない。少なくとも打つ手がなかった。なぜ冬場に限ってこうなるのか。
冬の気温は確かに低い。誰にもわかることだ。だが、それによって炉内の温度が影響を受けていることは考えられない。炉内の温度の推移は記録されている。記録を見ても異常はなかった。そもそも屋外で仕事をしているわけではない。確かに工場内でも冬は寒く夏は暑いが、それは常識の範囲内であった。しかし、ひとつだけ「屋外」にあるものに私は気が付いた。原料のドラム缶である。これが野ざらしになって置かれていた。必要に応じて数本を調合室に運び入れて使うのだが、考えてみると、夏場の野ざらしと冬場の野ざらしでは、その温度差は相当なものがある。これかも知れないと思った。
打つ手がない状況では、何でもしてみるものだ。思いきって調合室の暖房を最高温度で昼夜連続運転にした。15畳ほどの部屋はすぐに30度に達した。部屋を訪れる同僚らが「何やってんだ」と驚いたが、「夏を作っている」と笑って答えた。ドラム缶ごと暖めるには無理があると思い、次の日に使う分を小分けして放置して帰った。すると、その原料で調合したレンズは、最悪の状態より明らかに改善されていた。改善はされたものの、まだ良品率(歩留り)は採算ベースを大きく下回っていた。何かが足りない。温度を上げたことが何にどう影響したのか。30度を超える猛暑の部屋で私は日々悶々と考え続けた。
知恵のない頭でも一つのことを考え続けると、どうにかなるらしい。調合室を猛暑にしてから3週間も過ぎたある日の深夜、夢心地の中でピカッと頭の中で光った。コーヒーに砂糖を入れる夢だった。熱いコーヒーには砂糖は溶けるが、冷めたコーヒーには砂糖は思うように溶けない。これだと蒲団から起き上がって叫んだ。「水だ!」。それはほとんど神憑かり的な確信だった。原料に自然に溶け込んでいる水分が決め手であると思った。原料の温度が上がれば、その分だけ溶け込む量が増すということではないか。
待ち切れない思いで朝を迎えると、すぐに会社へ車を走らせた。調合室でお湯を湧かし続けた。それでも足りないと思い、床に水を撒いた。もはや調合室はサウナと化した。その状態で小分けした原料を数時間攪拌(かくはん)し続けた。当初、理系の同僚らから「水分説」は真っ向から否定された。正気の沙汰ではないとまで言われた。それには根拠があった。水はむしろ混入を防ぐべきで、そのために「脱水」さえ行うことがあったのである。いわば水はタブーであるという「常識」があったのだ。しかし、サウナ状態で作られた原料で好結果が出た。確信は確証に変わった。
だが、すぐにまた疑問が出てきた。どのくらいの水分量が適当なのかという疑問である。室温を30度以上に保ち、お湯を湧かし続け、床に水を撒く。なるほどそれなりに好結果は出るが、それはおよそ工業的とは言えない作業手順である。何とかして適量を数値化しなければならないと思った。手当り次第、原料メーカーの資料に目を通した。英文ながら、1%の水分が溶解するらしきことの書かれた分析表を見つけた。果たして出荷時にどのくらいの水分が含まれているのかまではわからない。しかし、この1%を基準にするしかないと思った。
200グラムの原料をビーカーに取った。これに2ccの水を加えた。最初に含まれているであろう水分は無視した。撹拌器に掛けると、瞬間的に乳白濁色(エマルジョン)に変わった。こんなもの溶解するはずがないと絶望的な気持ちになった。数分後、やや透明になってきた。30分も経過すると完全に溶け、撹拌器を止めても水が分離していることもなかった。水が完全に溶けてしまったことに他愛もなく感動した。
適量を探るには手探りの実験しかなかった。推定1%溶け込ませた原料を5倍、4倍、3倍、2倍と希釈して、それでレンズを仕込んで作業性や良品率を確かめることにした。通常の生産体制の中で、データを取ることは気の長い作業となった。仕込んでから最低1日経たないと結果が出ない。しかもサンプル数は知れている。調合室は相変わらずサウナ状態にしていたが、まだ問題点は完全に解消したとは言えず、作業性、歩留りともに納得の行くものではなかった。急ぎたかった。乏しいデータではあったが、おおよその適量は掴みかけていた。それはデータというよりも「勘」に近いものだった。水の適量は0.3%前後であると。
この頃、既に年末を迎えていた。何とか年内には水分量を確定したいと思っていた。苛立っていた。苛立っていた理由は他にもあった。ボーナスが低かった。何も考えないでいる連中と、サウナ状態の中で必死になっている私とを比べて、なぜ私が低い評価を受けなければならないのか。周りから見れば、かなり私は殺気立っていたのかもしれない。某大手総合化学メーカーから出向している幹部から中間報告のレポートを書いてくれと言われたが、お願い口調だったと記憶している。後にわかることだが、この時に私が書いたレポートからは私の名前を消されて、この幹部らの名前で本社へ送られたそうだ。
新年を迎えて、私は決断をする。実際の生産レーンで「水をぶちこむ」ことにしたのだ。確証はあったが、それでも失敗したら辞表を出すつもりでいた。そもそも失うものなど何もない。会社への執着もなかった。それでも実際の調合容器に直に水を投入する時は、もう一度自分が導き出した結論を反芻し、息を飲んだ。やはり恐かった。水を投入しようとしている原料は20キログラムである。0.3%の水は60ccということなる。理論的には混ざるはずだが、さすがにビーカーレベルでやっていたのとは量が違う。水60ccはあまりにも多く感じられた。60ccを投入し攪拌を始めると、やはり乳白濁化した。溶けてくれと願った。見る間に透明度が増し、20分もすると完全に溶けた。ホッとした。溶けたことで気分的に余裕が出た。型を外す現場に出向き、次回のレンズは簡単に外れるはずだと、ニヤニヤと「首を賭けてもいいよ」と宣言した。
結果が出た。完璧だった。作業性は格段に向上し、少なくとも「外しにくさ」による不良はゼロに近くなり、歩留りは飛躍的に上がった。これ以後、私は公然と水を入れることにした。そしてサウナ状態からも解放された。それからかなり日が過ぎてから、幹部の一人がが直接水を入れているのかと聞きに来た。何を今頃言っているのかと、こちらの方が驚いた。現場ではもはや周知の作業手順となっていた。私は上司を無視していたわけではない。直属の現場の上司(現地採用)は全てを知っていたし、最初っから私に協力をしてくれていた。当初、工場を立ち上げるために出向してきていた幹部らは意欲的で優秀な人たちであったが、残った幹部やその後入れ代わりで出向して来た人たちは、はっきり言って「左遷」に近いものではなかったろうか。今でこそサラリーマンの悲哀と共に彼等の立場に同情も感じなくはないが、当時、若かった私には全くマネジメント能力のない「穀潰し」としか思えなかった。そういう感情がおそらく私の態度に出ていたと思う。そしてそれが彼等との壁を作っていた原因だったとも思う。多少は自責の念がある。
さて、この水を入れるとプラスチックレンズの歩留まりが上がるという発見であるが、結局のところ、なぜそうなるのかという原因はわからずじまいに終わった。幹部らは本社の技術者を交えて、追試に余念がなかったようだが、完成品を調べても水の痕跡は見当たらなかった。従って特に商品として問題はなく、そればかりかほとんどコストをかけずに歩留まりが上がるわけだから、反対する理由など見出せるはずもなかった。その後、溶液の含水量を測定する機器が持ち込まれ、私が机上で算出した適度な水分量(0.3%)が計測によって間違いのない数字であったことも確認された。
なぜこういう現象が起きるのか。仮説ではなく、科学的な説明ができる人には、是非ともこの謎を教えて頂きたい。それにしても、読み返してみて余計なことまでいろいろと書いてしまったようだ。20年間封印してきたことを一気に書いてしまった。これも「クリスタル・ヴァレー浄水器の水の不思議さ」に触発された賜物である。20年前の「水」による感動が「クリスタル・ヴァレー浄水器の水の不思議さ」の感動と共に蘇ってしまったのである。実際、「水」は本当に不思議なものである。全て事実を書いたつもりだが、もし私が語った事実によって傷付いた関係各位がいたら許して頂きたい。私も20年前にそれなりに傷付いたのだから、お互いに「水」に流しましょう。
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