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稲荷神社の総本社、京都伏見稲荷大社の誕生 |
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毎年、明治神宮や住吉大社と並んで初詣客の人数ベスト5に入るのが、ここ、京都伏見稲荷大社です。 関西では「伏見のおいなりさん」で親しまれています。 この京都伏見稲荷大社が誕生したのは711年頃です。 |
| 重要文化財の本堂は室町時代の建築物で、蓮・牡丹唐獅子などのきれいな桃山彫刻があります。 |
| 境内のいたる所に狛狐があり、米や巻物をくわえる狐、高い位置からにらみ付ける狐と表情が一つ一つ違い、とてもユニークです。 |
| 京都伏見稲荷大社はたくさんの神戸(かんべ)さんが奉納した鳥居群「千本鳥居」で有名な所でもあります。 |
もともと稲荷信仰(この中に狐信仰が含まれる)は711年よりさらに古く、伊奈利山(または稲荷山で、京都市東山連峰の南端、深草山の北にある山)の山麓で農耕を行っていた人々がこの山をご神体として信仰していたと言われています。昔から山の神は、春には山を下りて田の神になり、秋の稲刈りの季節には山に帰ると信じられていました。※
それから時代が過ぎた奈良時代の711年(だいたいこの前辺りに古事記の編集が開始され、712年天皇に献上された)、渡来人であり深草の長者である秦氏「伊呂具秦公(いろぐはたのきみ)」が、一族の鎮守神として三柱神(宇迦之御魂大神・佐田彦命・大宮女命)を伊奈利山の三ヶ峰に祀り、神社を開きました。 そして伊奈利山の神は宇迦之御魂大神であるとしました。
この年五穀は大豊作となり、天下の農家たちは大いなる福を得たのだそうです。
この秦氏が開いた神社が旧名「元官幣大社」である、今日の京都伏見稲荷大社です。 その秦氏一族は蚕(かいこ)や機織(はたおり)、つまり絹の生産や販売を得意とし、これで長者になった一族です。人々はそれにあやかりたいと、農家だけでなく商業や工業関係の人々までが稲荷を信仰する様になり、今日に続いています。 |
※ 狐を田の周辺で見かける様になるのも、ほぼこの期間(だいたい4月〜9月の期間)です。よって狐は山の神(田の神)と何らかの関わりがある(これから山の神が田の神になり、地上に降りることを知らせる先触れの動物)と見る様になりました。そして後には狐=田の神と見られる様にもなりました。(なぜこうなったかはいろんな説があり断定することは非常に難しいですが、「狐は農家にとってネズミを捕食する益獣という見方が根元にある」という説が有力とされている様です)
稲荷神社が開かれると狐は、狐=宇迦之御魂大神とまではいかないが、狐が宇迦之御魂大神の使い神として京都伏見稲荷大社に祀られています。(狐=田の神)という見方は残りました。
京都伏見稲荷大社が開かれると、狐の伝説(狐の巣穴があるなど)が伝わる所や狐塚のある所、または田の神が祀られている所は次々稲荷神社として開かれていったと思われます。(恐らく、京都伏見稲荷大社から御魂分けはされていると思います)
そして商業や工業その他の神として新たに迎え入れるため、京都伏見稲荷大社からの御魂分けにより新しく開かれた稲荷神社もあります。 |
○補足
神戸(かんべ)とは、自分が信仰する神社を経済的に支える人達をいいます。 そう、兵庫県
神戸市の「神戸」はここから付きました。神戸には一宮(いちのみや)から八宮(はちのみや)までの神社があります。 |
資料提供
斗蛍稲荷神社 ありがとうございました。
義経(よしつね)千本桜の狐忠信(きつねただのぶ)である「源九郎狐」で大変有名な神社です。
参考文献
古事記・日本書紀を歩く JTBキャンパスブックス |
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名犬KTさん調べですありがとうございました |