自分の存在価値

自分は何のためにここまで生きてきたのだろう。ふとそんな疑問があたまをよぎる。

小さいころの夢はスポーツ選手になること、そして月日がたつにつれて、それは、学者になることになっていた。そして今、夢なんていつのまにかなくなってしまった。今、この瞬間をなんとなく生きている。

夢をなくした者は、何を目標に生きていけばよいのだろう。何をやらせても人並み以下、全てが中途半端な自分。

自分は、何がしたくて大学に行ったのか。なぜ大学に行ってるのかすらわからない。自分の道は自分で決める、はずなのだがそれができない。自分の本当にしたいことがわからない。何をしたいかを探すために大学に入ったという人がいた。しかし、自分は大学に来て、ますます生きる気力をなくした。自分が中途半端だということはわかっていた。こんな中途半端な大学に来て、著名な学者になれないこともわかっていた。しかし、流石に最後まで夢はあきらめたくなかった。なのに、大学の勉強はあまくなかった。今まで自分にあまく生きてきた自分にはこれほど苦痛な事はない。今まで自分は中途半端だと知りつつ自分にプライドをもっていた。だが、そのプライドをくずされる時がやってきてしまった。ある友達は、自分を強く見せたかったらしい。しかし、彼は強い者がいるということの裏に、弱者がいるということを暗示していることを知ってか知らずか僕に説教を続けた。知らず知らずの内に僕を傷つけていたことはいうまでもない。一度傷つけられたプライドは簡単に癒されるはずもなく、僕は自分の生きる気力を無くしてしまった。そんな友達ならいらない。というかもしれないが。彼は大学に来て一番初めに仲良くなった友達、向こうもそう思っているからたちが悪い。自分は、はっきり言って彼のことをあまり好きではない。別に、プライドを傷つけたことに関してとやかく言うつもりはない。ただ、彼の性格が嫌なのだ。彼は一浪しているから実質的に自分より年上である。それをかさにきたようなものの言い方をするのが嫌なのである。自分は彼に文句は言えない。なぜか体が勝手にそう思い込んでいる。それがなぜなのかはわからない。自分は昔から気が弱い性格だといわれ続けてきた。小学校の通信簿にも、短所として、気が弱いと書かれていたほどだ。高校時代にちょっと悪い友達とのつきあいがあった。別にそれがわるいことだったとは思っていない。むしろ良い経験だった思っている。内気だった自分を少し改善できたとおもった。しかし、完全には治るはずがなく、どうしても気を使ってしまう癖が抜けず、この胃潰瘍とは当分の間はなれられそうにない。

自分に自身がない。なにをやっても、これだ!これなら誰にも負けない!と思うものが無い。というより、逆に、自分はこれなら誰にも負けないと言っている輩に「じゃあお前はそれに関する国際競技があったら優勝する自信があるんだな!」といってやりたい。だいたい、そんなことなんて考えているやつは、自分からすれば、ただの井の中の蛙同然である。彼らに話を聞いたところ、そうとでも思わないとやっていけないんだそうだ。確かに、はなっから駄目だと決め付けているからやる気が起きないのかもしれない。だが、少し冷静になってみると、やはり自分が一番だとは、お世辞にも思えない。なぜなら、いままでそう思い続けてきて、何度と無くその想いをうち砕かれてきたから。悲しくも自分のレベルの低さを思い知らされた。自分より下の連中はたくさんいる。しかし、彼らは毎日を楽しく生きている。それがなぜなのか自分には推測することしかできない。しかし、自分に自身を持てない自分としては、その推測があっているのかどうかすらわからない。

人と違う生き方はそれなりに苦労を伴う。そうある映画で教わった。だからといって苦労するのが嫌だから夢をあきらめるのでは、今までと同じではないか。自分にあまかった自分。別に嫌いではないが、それでいろいろな人に批判を受けてきた。夢は最後まであきらめるな。誰もがそう言う。しかし、本当に最後まであきらめなかった人が何人いるのだろう。自分はもう苦労したくない。人生ここまで来て、まだ4分の1を生きただけであるが、ここから苦労なんてしたくない。だいたい人間は苦労をなるべくしないようにしないようにといってここまで発展してきたのではなかったのか。約20年の学生生活にピリオドを打って、社会に出れば、ますますつらいことが待っていることは知っている。そのときはまたこんな風に「なぜ自分はこの世にいるのだろう。」などと考えるのかもしれない。またそのときは考え方が違っているかもしれない。そもそも、社会に出るか否かで今は悩んでいるのだから。夢をかなえられる人はそう多くない。ただみんなそうならないことを願ってその人その人の夢に向かって努力しているのだ。そこで脱落する人がいないわけではない。そういう人達はみんな同じところに行きつく。しかも、その後の脱落者達も同じ所に行きつくのだから、結局は同じことなのである。遅かれ早かれ夢はあきらめるのだから、別にいいではないか。という気もしなくも無いが、何万分の一の可能性に掛けてみることもいい気がする。