07.03.18   オオタカ   かすみがうら市

 この1ヶ月の戦績は2勝4敗だった。つまり6回行って2回、撮影に成功した。

だが、撮影に成功したと云っても,過去に撮ったことがあるか、又は平凡な写真ばかりで特に取り上げるようなものはなかった。オオタカの飛行写真も沢山撮ったがオオタカの存在感を示すような写真はまだ撮れていない。

だがこれから先、同じような写真を撮り続けて行って良いのか自問自答する日が続えた。
悩みは深刻だった。オオタカを撮影に行く朝、力が入らなかった。いつもの写真かと思うと気力が萎えた。撮影段階に入ってもシャッターを切る力が入らない。
そのような日に限りオオタカは近くに飛来する。
オオタカの横顔にレンズをあて、焦点を合わせる。
300ミリのレンズでいつも見るオオタカの顔だ。僕は考える。その時、はっと思った。300ミリでオオタカを至近距離で撮影できる自分は幸福でないかと云った一条の光が底知れない暗闇から点灯した。
この霞ヶ浦の豊かな自然が僕に与えたてくれたプレゼントではないかと素直に思いつく。

そのように考えると、僕はいつものオオタカだと考えていた自分が恥ずかしくなった。このオオタカを軽く見るようになった自分がとても軽薄な人間だと思う。
もっとオオタカを丁寧に、一期一会のつもりでシャッターを切らねばと思うっようになった。
そのように考えるようになって僕はレンズを600ミリや500ミリの超望遠レンズを再び使用し始めた。

理由はオオタカの美しさを撮影してみようと考えたからである。これまでオオタカの飛行とか、オオタカとノスリの抗争とか余りにも奇を衒っていた感があったのではないか。

もっと基本に忠実な茫洋とした自然体の写真があってもよいのではないか。霞ヶ浦周辺の環境が滲みこんだ写真があってもよいのではないか。

この豊かな自然の里山のみでしか、撮影できないオオタカを撮影してみてもよいのではないかと思うようになった。

目を瞑って筑波山の一角の里山の樹上に佇むオオタカの姿を想像する。オオタカは一望に広がる田園を睥睨する。その姿を想像するだけで

何と豊穣なイメージが湧き出てくることだろうか!

この世に、あの樹の上にオオタカがいるだけで僕の心は平穏な幸福な気持ちで一杯になる。

オオタカを20mの距離から600ミリのレンズで撮影する。殆どフアインダーから尾羽がはみ出してしまう距離だ。レンズの口径が大きくて、  オオタカに警戒心を持たれてしまうが、ガラスのレンズ付近まで布で覆って丸いレンズを想像させない。

警戒心が解けるまではレンズを動かさない。そのような苦心してみる、フアインダーのオオタカは画面一杯の姿で迫力がある。

図鑑の中に出てくる姿だが、しかし存在感のある姿、あるべき姿であることは間違いない。

これが基本ではないか。悩んだら基本に戻れと色々な本に書かれているが写真でもおなじではないか?

オオタカの鼓動が、吐く息が、そして空間に満ちる凛とした緊張感、これが基本ではないか。

静止した写真から処々のイメージが浮かぶ。そのイメージを追跡する。その沢山なイメージの群像はまだ僕が撮影していない未開の世界。

新しい世界に繋がる。

オオタカで悩んだことはオオタカで解決する以外手立てはない。

僕は新しいイメージ、そして新しい世界を夢想した。その新しい世界を具現化することによって、新しい発見が結びつくことを予感した。

そして新しい世界の映像をこちら側に引き寄せるため、十数年前に使用したカメラの小道具を物置から見つけてきた。

流石に錆付いているところもあった。改めて端子をハンダで補強して200mほど束ねているコードを通して微弱な電流を流すと軽快にカメラが作動した。

こうしてモニター付きのコードリモコンの修復にそれほど時間はかからなかった。
これに短いレンズがターゲットに自由に動くモーターをつければオオタカも不気味さは感じても警戒心はさほどないだろう。これでオオタカを1mの距離から5mぐらいの距離で撮影が可能だ。頭の中では出来ると思っていたがイメージが及ばなかった。

どうしてこんな簡単なことに気がつかなかったのだろう。
10年前、ヤマセミ撮影でズームレンズにモーターを装着するところでこの小道具は頓挫していた。だが今のオオタカはズームは必要としない。
そのオオタカの姿にレンズが自由に動くだけで良い。モニターを見ながら動かすだけだ。オオタカを5mの距離で撮影が可能になると、イメージは大きく変わってくる。

写真とは本当にイメージが先に走るものだと思う。イメージが湧くと次にそのイメージをどうしたら写真が追いつけるか一生懸命に考える。
現在の装備で到達できなければ過去の使用した装備品を総動員してその写真が撮れるか検討する。
10年前は道具類に熱中していた。ハイテクが写真を成功に導くと硬く信じていた。その道具類が埃だらけのダンボールに入っていた。
イメージがハイテクを必要としていた。
ハイテクがまたイメージを拡げる。僕の脳裏はオオタカのイメージで一杯になった。
最近のカメラはハイテクの固まりである。そのカメラに僕が昔、使用したハイテク機材を結びつける。もしかしたら新しいイメージがこれらの機材で別な世界が拓ける予感がしてきた。
僕は埃に、まみれて眠っていた小さなモーターを磨き始めた。


  

  オオタカメス成鳥 500ミリレンズ 距離20m
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