05.12.17 オオタカ雑感 もう既にブラインドの中に入って2時間以上過ぎ去ろうとしている。太陽は東から南にまわり、風がおさまり、テント越しに降り注ぐ、太陽の 光線でテントの中も幾分暖かくなってくる。雲は何処にもなく空は突き抜けたように青い。しかし僕の胸の中はオオタカが飛来して来ないので 焦燥感が次第に高まり、落ち着かなくなってくる。どうしてオオタカは来ないのだろう。何故飛来しないのか?次々と疑問が脳裏に沸き始める。今朝、テントを張り始めたとき、いつも散歩している地元の親父さんが目ざとく僕を見つけて、話かけてきた。本来なら無視して作業に入るべきであったが、僕も人がいいので立ち話をしてしまった。南側のオオタカが飛来する方向に立っていたので、もしかしたら、オオタカに2人で 立ち話をしているところを見られてしまったかもしれない。あるいは立ち話後、僕がテントに急いで入り込むところを見られていることも考えられる。一番警戒しなければならないところなのに、ここのところ調子が良かったので、一番慎重にすべき段階を端折ったことは否めない。 一度チョウゲンボウが電柱にとまって、10羽前後のドバドの動きを注視していた。その後ノスリと入れ替わったが、ノスリはドバドには興味を示さず、真下のネズミか何かを狙っていた。 オオタカは来ない。僕は昔読んだヘミングウエーの老人と海を思い出す。老人は何日も魚が獲れなかった。が老人の心はいつも自足しておりへこたれなかった。毎日が新しい日々。Everyday is New Daysと老人が呟く。 僕が昔から好きだった言葉。オオタカの写真を撮り始めてからこの言葉が身に染みる。一日たりとも同じ日はない。最高に良かった次は、もう二度と現れないのではないかと重々しい不安を生じる日々。 繁殖場所でないので、必ず飛来する保障はなにもない。オオタカの来る来ないはあくまでオオタカの自由である。狩場はここの他数箇所は持っているだろう。来ない日もあることは当然であり、そちらで狩の成功を収めれば今日明日こちらに来なくても不思議でない。まして危険な雰囲気が感じ取れれば飛来しなくてもよいことは自明の理である。 そのような、リスクの多い場所で撮影を僕はここまでやってきた。しかしヤマセミの撮影の時は回数を重ねていくうちに、空振りは殆どなくなった。 工夫を重ね、飛来数の多いところに集中的に観察を加えた結果、全然来ないということはヤマセミの場合はなかった。しかしオオタカはどうだろう。 ヤマセミよりもはるかに処々工夫を凝らし、細心の注意を払っているにもかかわらず、本日のように全然来ない日がたくさんある。 同じ次元では比較できない困難さがオオタカにはある。毎日が新しい日々であるが、オオタカが全然来ないと、重い落胆の土嚢が頭に追いかぶさってくる。これはどうしてだろうか? 出かける前夜から、いやもっと前から、オオタカの細部にわたるイメージを描く。オオタカの鋭い嘴から爪先まで。飛翔するところから着地に至るまでの姿を脳裏に描き、次第に、モチベーションを高めて行く。最善の工夫を重ね細かな点検を頭の中で加えていく。 だから、出現しなかったときの反動として落胆の度合いが大きいのかもしれない。 オオタカは手ごわい。今、テントの中で偽らず実感を持って言える。 ![]() 本日はオオタカの写真はお休みです。 オオタカの棲む光景 <霞ヶ浦からみた筑波山> 戻り |
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