ラマヌジャン公式は円周率計算の歴史の中でも特異な存在でした。
証明されていない公式でしたが、ひとたび計算すると、3・14159265……と正しい円周率の値が出てくるのです。
この公式の驚くべき点は、そのスピードにあります。
「スピード」とは計算結果から円周率が現れる速さのことです。
驚異のスピードでπが出現します。
ライプニッツによる円周率の公式は、スピードがとても遅い公式です。
つまり、いくら計算しても3・1415……がなかなか現れてはこないのです。
しかし、先ほどのラマヌジャンの公式は、なんと級数(無限個の足し算)のはじめの二項を足し算しただけで、3・14159265まで正確な値がはじき出されてきます。
ラマヌジャンは円周率探査の歴史を変えたのです。
ラマヌジャン公式は、ラマヌジャンがこの世を去ってからその威力を見せ始めました。
1987年ジョナサン・ボールウェインとピーター・ボールウェインの兄弟の手により、その証明がされたのです。
「ゼータ関数の”奇跡”」という見出しで始まる証明の中で、彼らはラマヌジャンの公式がどこからやってきたのかを説明してみせました。ラマヌジャンは生涯のテーマとしたのがゼータ関数でした。
その理論を使ってボールウェイン兄弟が導き出した公式です。
実はボールウェイン兄弟による証明がなされる2年前の1985年、アメリカの数学者、プログラマーのビル・ゴスパー(本名ラルフーウィリアム・ゴスパー、1943〜)は当時世界記録となる1752万6200桁の円周率を、「ラマヌジャン公式」を使ってはじき出すことに成功していました。
最初の100桁部分が一致していることにゴスパーはこの公式が円周率を表すことを確信します。
しかし、当時ラマヌジャン公式が本当にπを表す式なのかわからなかったので、ゴスパーの結果の真偽をつけることができませんでした。
しかし、ボールウェイン兄弟による証明がなされたのをきっかけに、πの計算は一気に"億"の時代へと突入していくことになります。
それが東京大学の金田康正チームと、πを計算するために旧ソ連からアメリカに渡ったチュドノフスキー兄弟による激しい円周率計算競争でした。
東京大学は世界最新のスーパーコンピュータを駆値して、一方のチュドノフスキー兄弟は自作の電子計算機を用いての前代未聞のπ計算競争です。
1987年、金田チームがπ計算の歴史上はじめて小数点以下1億桁超えを達成すると、1989年6月にチュドノフスキー兄弟は5億3537万9270桁を計算。
すると、1カ月後の七月に金田チームは5億3687万898桁を計界して抜き返しました。
翌八月には、チュドノフスキー兄弟は10億桁超えを達成します。
その際に彼らが電子計埠にプログラミングしたのが、証明がなされたぱかりのラマヌジャン公式でした。
現代になってようやくその威力が開花したのです。
さらに1994年、チュドノフスキー兄弟が40億4400万桁と世界記録を更新しました。
その際、自作の電子計算機にブログラミングされていたのが、チュドノフスキー公式です。
これはラマヌジャン公式をチューンアップした高速π計算公式です。
◆チュドノフスキー公式
ラマヌジャン公式は1回計算するごとに8桁ほど精度が上がっていくのに対して、チュドノフスキー公式は14桁ほど精度が上がっていきます。
このチュドノフスキー公式の威力は、電子計算機の性能が上がれば上がるほど証明されることになりました。
2011年、会社員の近藤茂氏がチュドノフスキー公式を使って、10兆桁のギネス記録を打ち立てました。
自宅の電子計算機を動かし続け、計算に成功したのです。
1920年に32歳の若さでこの世を去ったラマヌジャン。
しかし、ラマヌジャン公式は国境を越え、時代を超えて今なお 生き続けています。
それこそがボールウェイン兄弟がいった 奇跡 なのかもしれません。
ラマヌゾヤンの発見した公式は、彼がいなかったら100年経った今て も誰も発見していないと思います。
数学や自然科学の発見には、理論的な必然性があります。
しかし、ラマヌジャンが なぜそれを思いついたのか!誰にもわかりません。
1920年4月26日、ラマヌジャンは32年の生涯を閉じ、同時に計算の旅も終えたのです。
彼が残したものは3254個の公式が書かれたノートと、部屋に散乱した計算用紙でした。
出所:面白くて眠れなく数学者たち 桜井進著 株式会社PHP研究所