グル・ナーナク
シク教の創始者、ナーナクは、
私が途方もない愛を抱いている素晴らしい人々の1人だった
彼は素朴な人間だった
彼には1人しか弟子がいなかった
しかも、それもまた、彼が唄うことを愛していたからだ
彼の教えは全て、歌で届けられた
作詞するようなものではなく、自然に起るがままに--
そして彼のその弟子が、マスターが謡っているものに
ただ音楽をもたらすために、単純な楽器をいつも奏でていた
ナーナクは旅をした--彼はインドの教師としてはただ1人、インドの外にまで旅をした
マハヴィーラと仏陀は彼らの国、ビハールからそとには1度も行ったことがなかった
インドの他の地域へすら行ったことがなかった
シャンカラはインドのあらゆる所に行ったが、インドの国境を越える事はなかった
ナーナクは例外だ、彼はアラビアに行った
彼は回教徒の聖なる寺院、黒い石カーパがあるメッカに行き着いた--
ナーナクはカーパに到着した
回教徒たちは信じられなかった
彼らはナーナクが偉大な教師だということは分ったが、
夜になってナーナクがカーパの方に足を向けて眠ったからだ
これは非常に敬意を欠く事だった、世話人達がやって来て、彼に言った
「偉大な教師である貴方がこんな振る舞いをされるとは、とても考えられません
貴方は、敬意を払うということを人々が知っているインドから来られたのに、
足を私達の聖なる石の方に向けておられます
貴方は私達の感情を害しているのです」
「私達にとっては、この石は神を表わしています、私達にとっては、
この石は神なのです、ですから、どうか足を反対の方向に向けてください」
ナーナクは言った
「貴方がたが来るだろうという事は分っていた
だからこそ、私の足はカーパの方に向いているのだ
さて、貴方がたは、それを反対の方向に向けて欲しいのかね?」
「そうです」と彼らは言った
ナーナクは言った
「向ければいい--だが、いいかね、
貴方がたの神はこの石にただ閉じ込められているだけかも知れないが、
わたしの神はそんなに閉じ込められてはいない」
「わたしの足をどこに動かしても、神はそこにいる」
話は、ただの話に違いないのだろうが、こういう事だ
彼らはナーナクの足を動かしたが、どこに動かしても、カーパも一緒に動いたという
これはただの話にすぎないだろう
というのも、石は、空から落ちてきた石ですら、結局は石だからだ
それだけの感受性は人間にすらないのだから、動くなどという事を石に期待する事はできない
だが、ストーリーは素晴らしい
それはただ、どこにいようとも、もしあなたが覚醒と献身に満ちていたら、
神殿はそこに在るということを語っている
実際には、あなたのあふれ出る愛が、あなたのまわりに神殿を創りだす
どこに行こうとも、あなたはそれと共に動く
和尚
From personality to individuality
( はこう聴く)