工業組合の設立まで
(社)日本砕石協会岩手県支部の存在
岩手県採石工業組合の設立を語るには、その前身ともいうべき(社)日本砕石協会岩手県支部の設立に遡らなければならない。
そもそも終戦後の国土復興と経済安定の基本施策として、政府は重要物資の需給調整を行うため、各種の統制機関(公団)を設立したが、採石は昭和22年6月に設立された価格調整公団の取扱い物資として、砂利および石材と共に重要物資に指定され、これらの需給調整は、国公団石砂部の所管業務として処理された。しかし、同公団は、経済の安定化と共に昭和25年解散するに至るのである。
これより先昭和24年、関東地区の砕石業者は統制撤廃により価格調整公団解散の情勢を察知し、その対策として、業者相互の協力体制を確立することを認識し、任意団体として砕石協会を設立したが、その後の我が国の経済の高度成長と共に、道路、鉄道、港湾、その他住宅等の国土建設事業は逐年その規模を拡大し、これがため砕石業界もまた著しく発展成長するに至り、その間、関西、東海等の各地区においても砕石業の拡大進展に伴い、各地区毎に業者団体が結成された。
然し昭和29年に至り我が国経済は貿易収支の悪化に伴い政府の金融引き締めによる不況に遭遇し、砕石業界もまたその影響を受けるに至り、諸種の問題が提起され、これら問題を解決し、今後の業界振興と発展を期するため、各地に所在する団体の大同団結が叫ばれ、全国各地の業者を一丸とする組織を確立し、これを基盤とする適切な活動を展開すべきであるとの声が高くなり、大同団結の気運が急速に高まり、各地区における業界有志者間で活発な協議が行われた。
その結果に基づき諸般の準備を進め、その完了を待って、昭和30年11月静岡県熱海市において全国砕石業者統一団体の創立総会が開催され、出席者全員の賛同を得て、此処に日本砕石協会の誕生を見るに至ったのである。関東・東海・関西・中国の各支部のほか、昭和33年九州、34年北海道、東北、昭和39年北陸および四国支部が設置され、ここに全国的組織体制が確立した。
その間組織の強化を図り地方本部制、県支部制と現在の姿が昭和43年に整備された。
(1) 岩手県支部の生いたち
岩手県においては当時砕石業といえば鉄道々床用砕石を納入していた盛岡鉄道事業協同組合が存在し、昭和35年より砕石協会に加入、その後の県支部創立の母体をなしてきた。
(2) 協会組織の法人化
昭和43年度の全国の砕石生産実績は、2億トンに達し砕石工場も2,500を数えるに至ったが、この時期、更に新増設が継続中で、生産力の拡大は必至と考えられる状況にあった。このような背景のもとで日本砕石協会は、急速に高まった建設資材産業としての期待と責務に応え、また、重要基礎産業としての立場と産業基盤の確立を表明するために、協会の法人組織化を決議し、昭和45年4月、社団法人日本砕石協会に改組し、従来の東北連合支部といった呼称を地方本部と改め9地方本部、県支部54県組織として新生するに至った。
(3) 岩手県支部と組合設立
(社)日本砕石協会が法人組織化される以前から、盛岡鉄道事業協同組合加入砕石業者を中心として砕石協会岩手県支部を組織、業者団体として活動を続けてきたが協会の法人化と共に岩手県支部もその一員として加わり名実ともに業界団体としての活動を続けて、当初20名足らずの会員も昭和50年代に至り80名を超す会員を擁する全国的に見ても会員数においては10指に入る大きな組織となった。
その間砕石業は需要の拡大につれ、拡大に拡大を続けたのであるが、反面事業実施に伴う土地の崩壊、流出、陥没、飛石、粉じん騒音、汚濁水の流出など公害発生も増大、公害発生の元凶のようにいわれはじめたのである。
そこで、これら災害防止を中心とした採石法の大改正が叫ばれ、昭和46年採石法の大改正がなされるに至り、規制強化が図られた。採石業者の登録制度認可制度が確立されると共に採石権制度も創設され、登録、認可権等も国から地法自治体の首長にその権限が移行されることになった。
法改正と共に採石採取の認可を県知事から受けるようになると、県においても採石認可と共に環境整備、保全の指導方針を打ち出し、昭和51年法改正から5年の経験を基に岩手県採石採取認可事務取扱要綱を制定するに至った。その中で、若し何かの都合で採取計画が実行できなくなったとき、採取後をいかに整備、環境を保全するかについて、業者の団体がこれを実行することが検討された。そこで砕石協会県支部で検討結果、実行団体として全県業者を一体とする新組織の結成が考えられ、協会内より砕石業及び投石用砕石業者を対象に新組織への加入参加を呼びかけた。
昭和51年県支部総会において、このことが論議され、全県を対象とする工業組合結成が承認されて協会支部内有志によって愈々工業組合結成への動きが本格化したのである。
そこで組合結成の目的を次の如く定め
「採(砕)石業を営む中小企業者の改善発展を図るため必要な事業を行い、これらの事業に伴う災害の防止と、その経営の安定及び合理化を図る」
組織への参加を呼びかけた結果、設立に同意した者66人を得、昭和51年6月23日盛岡市内の岩手県自治会館において創立総会を開催、当日59人の出席を得、定款、事業計画、予算の各原案を満場一致で承認、ここに工業組合が誕生することになったのである。
なお、砕石協会県支部は、工業組合に参加しない者(主として砂利業者で将来砕石に転換する希望をもっている者が参加していた)もおるので、工業組合加入者と、これらの未参加者で協会県支部を存続させることとした。
(4) 岩手県採石工業組合の誕生
創立総会において役員選挙を実施、次の役員が選任され、今後の組合運営が依託された。
稲辺八千男、舞石吉則、小沢銀平、菅原賢助、伊藤久雄、佐藤繋次、村松勘次郎、高橋清、武田利八、高橋福左エ門、柴田慶三、一條善治郎、宮城政治郎、税田謙次、伊藤清、近藤清美、出町正子、川内好夫、片岡重俊以上19名と、会計監事佐々木懿、岩田徳次郎、柴田繁男の3名である。
理事19名は同日即第1回の理事会を開催、代表理事に伊藤久雄を選任、次に副理事長に稲部八千男、柴田慶三、専務理事に高橋清を選任、片岡重俊を常勤役員として執行部体制を整えた。執行部は早速組合設立業務を鋭意努力推進し、昭和51年11月16日付をもって岩手県知事より正式認可を得、岩手県採石工業組合が誕生した。