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数日前のことである。 私は家の近くのハイウエーを車で走っていた。と、前を走っていた数台の車のスピードが急に落ちて、やがて車の流れが完全に止まってしまった。 バックミラーをのぞくと、またたく間に後続車の行列ができている。 窓から首を出して、前方を見ると対向車線も停滞している。 そして、見えたのである。 親ガモを先頭にして十羽ほどの雛ガモが規則正しい間隔をおいた縦列で、何十台という車の列に臆することなく、堂々と道を横断しているのである。 オーストラリアでは決してめずらしいことではない。が、私はこのようなシーンに遭遇すると、ただもうむやみに感動してしまう。 日本庭園があるというので、出かけてみると、オーストラリア人の設計、造園らしくて、日本庭園まがいのもので、それもかなりひどいものだったりしてがっかりすることが多い。 けばけばしい赤や緑のペンキを塗りたくった鳥居や橋のある中国風庭園の場合もある。 私の勤める大学には日本庭園が二つある。一つは日本語科学生のために最近できた学生寮の庭である。 これは地元に住む日本人庭師が造ったもので、一応、枯れ山水か石庭のつもりであろうが、おせじにも美しい庭と呼べるしろものではない。 しかし、同じ土地に住む同胞としてこの庭師をせめるつもりはない。限られた予算内では、あの程度が限度であろうと思う。 もう一つは、アジア言語学部が3年前まで使っていた校舎の中庭である。この庭は二十数年前、名のある日本人造園家の手により造られたものである。 中央に流れと池があり、まわりに築山、白砂、灯篭などを配し、立体感、奥行きのある日本庭園である。枡形の校舎の中庭であるため借景はない。 残念なことに庭木のほとんどが豪州産の樹であるため、成長がはやく、今ではジャングルのようになってしまっている。その中で、南天と熊笹だけがかつてのおもかげをそのまま保っている。 この日本庭園のある校舎をアジア言語学部が使っていた頃のことであるが、私はタバコがすいたくなると自分の研究室を出て、いつもこの庭に降りた。当時から校舎内での喫煙が禁じられていたからである。 庭の隅に木製のベンチがあり、灰皿が備え付けてある。庭をぼんやり眺めながら一服していると、小さな池でカモが一羽泳ぎ回っている。やがて池の縁にある潅木の間からもう一羽が現れ、ひと泳ぎすると、またもとのところにもどってゆく。 どうもカモの夫婦が巣を作ってタマゴを抱いているようなのである。 数百メーター離れたところにあるグランドのわきにかなり大きな池があり、ここには常時百羽ほどのカモが住み着いている。このうちのひとつがいが毎年この中庭で子育てをするらしいのである。 そして、二、三週間後のある日、親ガモに守られるようにして十羽ほどのヒナが文字どおり右往左往しながら泳ぎ回っている光景に出会うのである。 ふだんは庭のそばを急ぎ足で通り過ぎてゆく学生たちも、このときばかりは皆立ち止まって、がやがや言いながらパンくずなどを投げ与えたりしている。 やがて・・・・・一週間もたった頃だろうか、ヒナ鳥が現れたあの日と同じように、まったく唐突に、このカモの一家は消え失せているのである。 不思議に思えてならないことが二つある。 グランドのはしの大きな池にはちょっとした中州もあり、巣を作るのに不自由はないはずである。どうしてこんな入り組んだ建物の間の中庭などでわざわざ巣を作るのだろう。 もう一つは、一夜のうちにあの大家族がどのようにして引越ししてゆくのか、という疑問である。 私は野鳥の習性などについては全くの門外漢であるから、こういうことになるともうお手上げである。 第一の疑問についてはこう考えた。 広大なグランドのはしにある大きな池の場合はふだんあまり人が寄り付かない。だからかえって危険なのであろう。天敵が多い。卵の段階ではヘビにやられそうだ。ヒナに孵ってからは、野良犬、野良猫、狐のたぐいに狙われそうだ。 昼間は鷹や隼、夜はフクロウ、ミミズクなどの猛禽類の餌食になりかねない。 すると、人の出入りが多い校舎の中庭の方がずっと安全ということになる。 ところが、第二の疑問については皆目見当がつかない。まずいっせいに中庭から大池まで飛んでいくこと。これはかなり難しいのではなかろうか。中庭は四方を三階建ての校舎に囲まれているので、ここを飛び立ち、校舎を飛び越すためには45度以上の急角度で飛翔しなければならない。ピンポン玉ほどの大きさのヒナ鳥にそんな離れ業ができるとは考えられない。 となると、やはり隊列を組んでエッチラ、オッチラ歩いていく以外なさそうである。中庭を取り囲む建物の一方には大きな出入り口があり扉はない。したがってここから外部へ出ることは可能である。 しかしその後、どうするのだろう。 数百メーターはなれた大池までにはコンクリートの階段あり、いくつもの校舎をぬって歩道あり、芝生あり、駐車場ありで、ヒナ鳥にとっては山あり谷ありの一大冒険旅行にちがいない。 ひとけのまったくない夜明けのキャンパスを母ガモを先頭に規則正しい一列縦隊を組んで一人前に尻尾を振り振りあるいてゆく子ガモたち。 私の答えとしてはどうやらそのあたりに考えが落ち着きそうである。 (1996年 K文学新人賞 随筆部門 選外佳作) 2002年07月23日 17時30分30秒 |