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(山鳩と焼き鳥 ー その2)![]() 小鳥の生け捕りで思い出したのであるが、私は子供のころ、広大で肥沃な濃尾平野のまっただ中に住んでいた。毎年、稲の刈り入れと脱穀が終る頃になると、決まって雀獲りのおじさんがタイヤの太い自転車に大荷物と二本の竹竿を積んで現れた。 「わあい、雀獲りのおっちゃんが来た」 私たち、腕白坊主が駆けつけると、 「静かにせんかい」 と、ぎょろ目を光らせておじさんは睨みつけた。それでも、私たちがおとなしくしているかぎり、それ以上の文句は言わなかった。 田んぼの真ん中にカスミ網の一種を立てかける。網の両端には竹竿がついていて、一方の竹の上端には細紐が結んである。紐は30メーターもあっただろうか。 その端でおじさんが待つのである。網の設営が終ると、箱から囮を出す。剥製のカラスが二羽と生きたカラスが一羽である。これを網の範囲より少し離れたところに置くのである。 生きたカラスは脚に短い紐がゆわえてあって、地面に挿した杭につないである。カラスはよく訓練されていて、おとなしく紐の範囲内で歩き回っている。 それからおじさんは布袋に入った雑穀を掴み出してばらばらと撒く。囮の周りには少量、網の根元に近づくにつれてだんだん大量に撒いていく。それで準備完了である。 おじさんは麻の南京袋を地面に敷いて座り、長いキセルで煙草を吸いながらただひたすらに待つのである。私たちもおじさんの周りに座り込んで、息をひそめて待つ。 10分、20分。小さな子供にとってこの時間が最もつらい。 やがてどこからともなく数羽の雀が飛来して、囮の近くにに降り立つ。 「おい、来たぞ」 「しー、わかっとるわ。むこうからも飛んでくるがね」 「おじさん、まだか」 「まだまだ、静かにしとれ」 すでに数十羽ほどにもなった雀が囮のあたりから、餌をついばみながら徐々に網の根元の方に近づいて行く。私たちは指が痛くなるほど固く拳固を握りしめフィナーレを待つ。 頃はよし。おじさんはキセルを地面に置き、紐の端を手に取る。映画のスローモーションのようにおじさんはゆっくりと中腰になり身を構える。私たちは緊張で身を硬くしておじさんを見つめる。 「それ!」 掛け声とともに綱が引かれ、網がパタンと倒れる。幸運な数羽がぱっと飛び立ち、残りは網の下になる。 「わあい」 三十分の緊張が解けて、私たちはそれぞれ叫び声をあげながら網に向かって駆け寄る。 おじさんは細い絹糸の網に絡まった雀の首をキュッ、キュッ、としめながら網からはずして、袋になげこんでゆく。 一網打尽とはまさにこのことである。 「おじさん、今度はいつ来るんや」 「来年」 「これからどこへ行くんや」 「隣村」 「ここでまだたくさん獲れるぞ」 「おんなじ所で、そうたんと獲ったらあかん。 来年、獲れなくなる」 おじさんはぶっきらぼうにこたえながら荷物をまとめた。 カスミ網が当時禁止されていたかどうかは、記憶にないが、このおじさんは人間が自然と共存していくためにはある程度の節度を守らねばならないことを教えてくれた人の一人であった。 私の住んでいた西濃地方では、当時「ヤキトリ」と言えば、この雀の丸焼きを指した。祝い事の際、料理屋から出る折詰には必ず醤油ダレでこんがり焼いた雀が入っていた。 頭の部分をかじると、じわっとした芳ばしい味が口の中に広がった。 後年、成人して都会生活をするようになり、はじめて縄のれんをくぐりヤキトリで一杯やったとき、ヤキトリが鶏肉を串にさして焼いたものだと知らずえらく恥ずかしい思いをした。 同時に、こりゃ、ヤキトリではないわ、と何かだまされたような気分にもなった。 鶏肉のヤキトリをくわえて、串を横に抜く時、私はいつもあの雀獲りのおじさんを思いだす。 ー完ー 2002年03月08日 17時58分27秒 |