タナゴのいない川

< 私たちは、まず、問題のない科学技術なぞというものは存在しないということを理解しておかなければならない。いかに役立つ科学技術でも、私たちはそれに対する代価、犠牲を支払わねばならない。
たとえば、DDTのことを考えてみよう。これによりマラリア病原菌の媒体となる蚊を大量に殺すことができた。熱帯地方に住む幾多の人々の生命を救うことができたのは疑いない。しかし同時に、遺伝学者は、その気になりさえすれば、次のようなことを予言することもできたはずである。
すなわち、DDTには突然変異を引き起こす強力な力があり、これにより蚊に抵抗力ができ、2、3年後には大量の蚊が再発生してくるということである。
事実、蚊は戻ってきたのである。
しかし、ひとたび化学的な手段に頼ってしまった後では、さらに有毒な化合物に切り替える以外、道はなかったのである。
化学薬品を大量に噴霧して引き起こした生態系破壊は計り知れないものがある。なぜなら、DDTは特定の生物だけに効くのではなく、すべての昆虫を無差別に殺してしまうからである。さらに、この化合物は多くの生体により摂取され、初期段階では少量であってもバイオマグニフィケーションと呼ばれる過程を経て、食物連鎖において生体内に蓄積凝縮されるのである。>
(日系カナダ人遺伝学者、自然保護学者、David Suzuki 著 Inventing the Future,
引用部拙訳)

過去二十数年、少なくとも二年に一回は帰国することにしている。今回は職場の方から半年の研究休暇と半年の長期勤続休暇、合わせて一年間の有給休暇をもらうことができたので、二ヶ月間を日本で過ごすことにした。
鹿児島、長崎、広島への旅行に一週間、交流関係がある大学数校の訪問に一週間、母校のある京都、知人の多い大阪、神戸、奈良など関西地方への旅行に一週間。また東京にでて神田の古本屋めぐりなどに一週間、都合一ヶ月を過ごした後は、故郷の岐阜で老母の田舎料理を楽しみながら、のんびりとくつろぐことができた。

買いためた書籍を小分けにしてオーストラリアへ送るために最寄りの郵便局へ何回も足を運んだ。
自転車に乗って昔ながらの狭くて曲がりくねった県道を通ったり、堤防の上の今では誰も利用することがない草の生い茂った小道を通ったり、自転車からおりなければ通れない細い畦道を歩いたりして、昔日を回想した。
どの道を通っても、道の近くには小川や農業用水路など水の流れがある。しかし、それらはほとんどが生命のない川に変貌していた。
私たちの祖先が何千年もの間守り続けてきた美しい自然が1960年代、70年代の20年足らずで徹底的に蹂躪され、破壊されていた。そしてそれはまだ続いている。
田園の中に巨大なショッピングセンターができている。富有柿の畑だった所は安っぽい新興住宅地になっている。新たに出来た県道沿いにはカラオケボックスがあり、喫茶店があり、コンビニがある。けばけばしいネオンサインのかかったガラス張りのパチンコ屋がある。
「このあたりも便利になった」
ということであるが、その開発のやり方はどうひいきめに見ても無計画、無秩序で、これだけは絶対にゆずれないという自然保護の基準が全く考慮されていないように思われる。
郵便局からの帰途、「犀川」という河の堤防を自転車で走った。釣り人が糸を垂れている。自転車を停めて、堤防の斜面を降り、釣り人に聞いた。
「何が釣れますか?」
彼は無言で水の中に吊り下げたビクを揚げて見せてくれた。小鮒とハヤが二十尾ほど跳ねていた。
「昔は名古屋あたりから小さな竿を持って、タナゴ釣りに大勢来ていましたがね」と言うと、
「タナゴはもうおらんね」と、返事がかえってきた。
「やはり、そうですか、、、私が子供の頃は、雨で増水した時、このあたりでナマズや鯉がつれましたが」
「鯉ですか」
と、言うと彼は立ち上がって下流十メーターほどの所を指した。
「鯉やったらあそこにおるわ」
彼が打ちこんでいるイモ練りの匂いに魅せられてか、五十センチほどの鯉が数尾泳いでいるのが見えた。内、一尾は赤と白のだんだら模様の緋鯉である。
「どこかの養殖鯉が逃げ出したのですかね。あんなのを釣る気にはならんわな。何か異様な感じですやろ。だいたい野生の鯉やったら、あんな風に堂々と姿を人目に晒さないはずやから」
彼は急に饒舌になった。私はそこに座り込んで、小一時間も彼の釣り講釈を聞かされるはめになった。

2002年03月15日 18時23分27秒


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