蜂の巣取り

カワムツ、オイカワ、モロコ、タナゴなどを釣る万能餌はサシ(ウジ、サバムシとも言う)であった。空缶にコメヌカ、鯖の頭などを入れておけば、やがて腐敗し、蝿がたかり、卵をうみつけ、蛆虫となる。
私は境内の角にある土蔵の裏でこっそりとこのサシを大量生産していた。
最近どうも蝿が多くて、と叔母がこぼすのを聞くたび、私はいつも身がすくむ思いをした。そんなことをいつまでも隠しおおせることができるわけもなく、私の秘密はついには発覚してしまうのである。
土蔵の裏にこっそり忍んでいく私をいぶかしく思った叔母が、あの子は一体、何をこそこそやってるのかしら、と見に行ったそうである。そして、そこに並べられた大小様々な空缶を覗き込んだ叔母は仰天した。腐りかけた魚の頭が入った缶からはわっと蝿が飛び立ち、魚の頭には白い卵がびっしりと生みつけられている。次の缶の中では蛆が団子のようになってもこもこ動きまわっている。日時のたった最後の缶の中には、蛆に食いつくされた魚の骨だけが残っており、底に入れた糠の中に無数の茶色いサナギがころがっている。
私がその夜、叔母からウジ生産工場閉鎖を言い渡されたのは言うまでもない。
以後、サシを入手するには二キロ離れた町の釣り具屋まで行かねばならなかった。夏の炎天下、子供用の自転車で二キロ往復するのはかなりの難行であり、いつもサシを買いに行けるというわけではなかった。
その釣り具屋はM町という旧中仙道の宿場町にあった。屋号を「種屋」といい、その名のとおり野菜の種を売る店であったが、釣道具も少し置いていた。
「ウジ、ちょうだい」と、言って竹製のサシ入れを渡すと、店番の爺さんが店のすみの薄暗い所に置いた陶器製の瓶から糠にいれたサシをスプーンですくって入れてくれた。サシはその日と次の日に使ってしまわないと、三日めにはもうサナギに変身しており、悔しい思いをした。

サシにかわる餌にはアシナガバチの幼虫(蜂の子、蜂のウジ)、イガ虫の幼虫、ヨモギムシ、ミノ虫、などであったが、そのうちでも蜂の子は特にすぐれた餌だった。
サシよりはずっと大きくて、丸々太った蜂の子には大型のオイカワやムツが来た。
蜂の巣を取ることができる季節はオイカワが大川から小川に下ってくる時期であった。
オイカワの雌は腹一面が銀白色で、優美な姿形をしている。雄は背が濃緑色、腹は銀白色で、背から腹にかけて黒と赤の華麗な縞模様があり、尾ビレが異常に発達している。口からエラにかけてぼつぼつと星状の突起が出ていて、これは追い星と言うのだそうである。
はるか上流のアユ、さらに上流のイワナやアマゴは美しい姿をしているが、中流の魚ではオイカワが最も優美な姿をしている。

アシナガバチが巣を作る場所はたいてい決まっていて、家の庇の下、梅や槙の木の枝である。一回釣に行くのに蜂の巣を二個持っていけばたいてい間に合った。寺の境内には槙の木が何本もあり、毎年同じ木の同じ場所で巣をかけるので捜す手間はかからない。しかし数はしれている。3、4回釣りに行けばストック切れである。
寺の向かいには近在きっての大地主だったH家の広壮な屋敷があった。江戸時代から名字帯刀が許されていたというから、地主というより地方豪族と言った方が当たっているかもしれない。「国盗り物語」を書いた司馬遼太郎によれば、美濃地方というのは古来、我が国の東西をつなぐ政治的要所であり、しかも日本三大平野の一つである豊かな濃尾平野を擁していたので、徳川幕府はこの地に大大名を置かなかった。随所に幕府直轄地を設け、また、他の土地を細分化して勢力の分散を計った。その結果、美濃には士族より地方豪族が多く生まれる結果となった。
このH家は壮大な門構えで、門の一方は蔵、もう一方は使用人部屋に続き、屋敷の周りは高い石垣塀で囲まれていた。屋敷のあちこちには蔵がいくつもあり、その蔵が外に面した側には深い堀や池があった。おそらく百姓一揆などに備えた用心であったのであろう。
蔵の天井には家紋入りの駕籠が吊ってあったりして、往時の勢力がいかに大きかったを物語っていた。邸宅は武家造りで、並みの大名屋敷を凌ぐほどの贅沢な造りであった。
戦後の農地解放によりこうした旧家はみな没落して、この家も祖母一人を残して家族は都会生活をしていた。
分家に当たる家の長男が私の同級生であったため、彼と私はこの本家の屋敷でよく遊んだ。
この旧地主の家とその分家三軒、都合四軒の家屋敷で遊ぶことが許されたのは寺院の私だけであった。地主、小作という身分制度は廃止されていたものの、まだ一般農家の子供たちは旧地主の屋敷内へ自由に出入りしないという厳然たる不文律があったようである。
分家の息子は釣りには興味のない子供だったので、それらの屋敷内の蜂の巣はすべて私が独占できた。
蜂の巣を取るにはコツがあった。不用意に竹竿で叩いたりすれば、蜂の巣はつぶれてしまうし、わっと飛び立った蜂に刺されて二、三日は苦しまなければならない。私は専用の竹竿を持っていた。竹の先端に切り込みがいれてある。蜂の巣に忍び寄り、この切り込みを巣の根元の細い部分にそっと差し込むのである。蜂は怒り狂って飛び回る。そのままじっと待てば、騒ぎが静まる。そこで、竹竿を捻る。巣がすとんと落ちてくるのをみとどけるや、さっと身を伏せて頭を抱える。この時、逃げたりするとかえって蜂に追われることになる。
冷静にことを運べば、蜂の方はいつの間にやら巣がなくなっていて、わけがわからず、きょとんとしているのである。

2002年03月27日 18時17分31秒

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