灯ぶり

週末や夏休みには実家に帰ることが多かった。寺院での堅苦しい生活から解放されるのはやはりうれしかった。熱湯に浸した漬物を食べるよう言われることもないし、村人の目を逃れるようにして釣りをする必要もない。
待ち構えていた兄がさっそく釣りの計画を私に告げる。手始めにするのは翌朝のフナ釣りに使うミミズ集めである。屋敷の片隅の柿の樹の根元がミミズ床になっていた。普段から生ゴミや米のとぎ汁を捨てて、ミミズが繁殖するようにしてある。
それが終ると釣り具を点検して、暗闇でもすぐ釣りができるようにしておく。
次はその夜、出かける「ひぶり」の準備である。密閉した容器からカーバイトの塊を取り出して、カーバイトランプの下部に入れ、上部には水を入れる。タモとヤスとバケツ。これで準備完了である。
夕食が終ると私はもう、そわそわしだす。
「そろそろ、行こうか」
「まだ外が明るい。もうちょっと待て」


兄がタモとヤスを持ち、私がカーバイトランプとバケツを持つ。ランプに圧縮空気を送り、ネジをひねると水滴がカーバイトの上に落ちてガスが発生する。マッチを火屋に近づけると、青白い灯がぼっとつき、カーバイトガスの強い臭いが鼻をうつ。蛾やかげろうなどの羽虫が飛んできて、ジッと羽を焼かれて下に落ちる。
ハヤは水面近くに浮いている。フナは中層から底で休んでいる。これらをタモで掬っていくのである。
水田の間の狭い用水路にはときおりナマズやウナギがいた。これはヤスで突く。
忍び足で川沿いに歩いていき、大ウナギを見つけたような時は胸の鼓動が身体全体に響く。
「ウナギや」
「よし、突くぞ」
小声でささやきながら緊張で身を堅くする。兄がヤスを打ち込む。水田のまわりの川底は深い泥で、ヤスの柄はぶすぶすとどこまでも沈んでいく。
「突けたか」
「たぶん。でも、すっぽ抜けるかもしれん」
兄はヤスの柄を押さえたまま思案している。ヤスにはモドシがついているがナマズやウナギは身をくねらせてヤスからはずれることが多い。
「よし、ぼくが中に入るわ」
私は溝の中へ入っていく。生暖かい泥の中へぬめぬめと脚が沈んでいく。ヤスの柄に片手を添えて先の方へたどっていく。水面が腕の付け根、そして肩のあたりまできて、頭を横にむけなければならなくなる。
やっと手がヤスにとどく。ぬるりとウナギが手に触れる。
「どうや」
「うん、おる。大きいぞ」
緊張で脚ががくがく震える。手をヤスの先端にまわし、指の間にヤスをはさんで魚体を柄に向かって押し上げる。
「よし、いいぞ」
兄が慎重に柄を泥から抜きにかかる。

私が実家に帰ったある週末であった。勤めからもどった父が言った。
「おお、遊びに来たか。何、今夜、灯ぶりに行く? そんなら、おれも一緒に行くか」
兄と私は顔を見合わせた。
「お父ちゃんに魚が取れるわけないがね」
姉が馬鹿にしたように笑いながら言った。
「手足まといになるだけや」
母も同調する。
「タワケ言っとれ。灯ぶりくらい出来んでか。とうちゃんも若いころはようやった」
父は真面目一方、サラリーマンとしては自分の思い通りの地位までのぼりつめた男であったから、その点、私たちは尊敬もしていた。しかし、事、家のまわりの仕事になると、あきれかえるほど要領がわるく皆の失笑をかっていたのである。ねじまわしにプラスとマイナスの二種類あることがわからない。切れた電球を代えるのさえ母の手を借りなければならない。モモヒキを前、後ろ反対にはいて、一日中それに気づかない。帰宅してから、おい、このモモヒキはなんや、小便ができへんやないか、と母を叱っている。
正月には年賀状が何百枚も届くほど人との付き合いを大切にしていたが、その割りに世事に疎く、雑誌に出ている「美空ひばり」の記事を見ながら、おい、このビクウひばりという唄うたいやけどなあ、などと言い出すのである。
その父が私たちについて来るというのである。
その夜の灯ぶりはさんざんであった。
「お父ちゃん、そこにムツがいる、はよ、すくえ」
「どこ、どこ。あ、あれか」
「ちがう、ちがう、あれは木の葉や」
大騒ぎしているあいだに魚は逃げてしまう。
なにしろ父は近眼のうえ、かなりひどい夜盲症であったから、水面にうかんでいる柳の葉っぱがムツに見えたり、底に沈んでいる木の根っこがウナギに思えたりするのだから始末におえない。
結局、父親の威厳を失墜したうえ、バケツ持ちとして、兄と私の後をすごすご、とぼとぼついてまわるはめになったのである。

2002年04月03日 12時35分06秒

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