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白いブランコの釣れづれ草子**
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家の近くに週末だけ開くマーケットがある。野菜、果物の店が最も多くの客を集めているが、その他、東南アジア製の安物やがらくたを売る店などが百軒ほそある。 さてこのマーケットにペット屋さんがある。 犬、猫、兎、モルモット、二十日ネズミ、小鳥が商品で、犬、猫は雑種ばかりである。小さな女の子がお母さんの手をひっぱりながら「ねえ、あの子犬、買ってちょうだい」と、ぐずっているのはどこの国も同じである。 かねてより、兎を一匹(一羽、二羽と数えるのだそうであるが、なんとなく抵抗を感じて私は一匹、二匹と言うが)飼おうと思っていた。 ある日の夕食時、そのことをもらすと、 「これ以上動物が増えたら、一体裏庭はどうなるんですか。動物園にでもするつもりですか」と、愚妻はすごい剣幕である。 その頃拙宅には犬が一匹、猫が三匹、小鳥が三十羽ほどいたのである。この状態は今もたいして変わってはいないが。 「兎なんぞ買っていらしたら、来月のあなたの誕生日にはそれをローストにして食卓に出しますからね」と、女房はまことにおぞましいことを言う。 「いや、兎はシチューにするのが伝統的な豪州料理なんだ。シチューだ。シチューだ」と、これは豚児。 息子も動物が嫌いなわけではないが、私の帰宅が遅れたりすると餌をやる役目が自分にまわってくるので、牽制している模様なのである。 そんなわけで兎を飼うという私の提案はうやむやのうちにボツになってしまった。 それから二ヶ月ほどたったある週末。愚妻はパッチワークとかいう手芸の同好会で田舎町へ二泊三日の旅行に出ていた。 久しぶりニマーケットをのぞいてみると、ペット屋にニュジーランド・フロップとか呼ばれるやけに耳の長い兎が入っている。兎は耳が長くて当たり前なのだが、この種はとにかく異常に長くて、耳が途中で折れ曲がって下に向かって垂れているのもいる。 (こりゃおもしろい兎だ。よし、これに決めた!) 数匹いる仔兎の中からじょうぶそうなのを一匹選んで持ち帰った。 (女房、子供が何と言おうと、既成事実を作ってしまえば、こちらの勝ちだ) 私のおもわくどおり家族はこの兎がひどく気にいってしまった。女房にいたっては、家の中にまで持ち込みひざの上に乗せてテレビを見ている始末である。 戦後の混乱期、父母、長女、妹の四人は幸いにも戦災を免れた大垣市の家屋敷にそのままとどまり、祖父母、兄、私の四人は田舎にあった土地に疎開に疎開していた。 当時私はまだ小学校にものぼっていなかったが、日課の一つは祖父が飼っていた数匹の兎に餌をやることであった。野菜くずがないときは用水路の土手や大川の堤防で兎の食べそうな草を鎌で刈ってくるのである。当時はまだ環境破壊が進んでいない頃で、兎の餌用の野草だけではなく、私たちの食用になるフキ、ツクシ、ヨモギ、竹の子などもふんだんに採れた。 兎というのは極めて旺盛な生殖機能をそなえていて、つぎつぎと増えていった。祖父は成長した兎を誰かに売ったり、時には近所の爺さんと一緒に私に内緒で絞めて料理したりした。 鶏肉ということで、鍋にして近所の爺さん一家といっしょに食べるのであるが、大人の話をそれとなく聞いていると、昨日までミカン箱を改造した小屋でとびはねていた兎だということがわかる。 動物性蛋白に飢えていた時代であり、兄の話によれば、私自身も感傷より食欲が優先して大喜びで食べていたそうである。 その当時から私は兎というのは、おとなしくて、臆病で、あまり頭のよくない動物という観念を持っていた。 犬、猫ならともかく兎にまで名前をつけるというのもいささか子供じみているが、わが家の兎はバニー・ザ・ラビットと命名された。その頃テレビで見た古い西部劇の無法者、ビリー・ザ・キッドからの発想である。名前としては長すぎるので、結局バニーということになった。 バニーは裏庭で放し飼いであった。初日は、犬も猫も格好の餌が飛び込んできたと言わぬばかりに大変な興奮のしようで目が離せなかったが、二、三日するとすっかり慣れ、完全に無視するようになった。 驚いたことに、三ヶ月もするとバニーは動物たちのボスになっていた。 ひょこひょこ、と飛跳ねながら兎が近づくと、犬も猫たちもうさんくさそうな様子でそれを避けてこそこそ逃げていくのである。自分の名前を識別できるというのも驚きであった。犬は陸奥(むつ)、猫は歳の順から言えばチキ、弁慶、ミミであるが、これらの名前を呼んでも知らぬ顔。「バニー!」と呼べば脱兎のごとく(すばやく逃げるときの表現であろうが)すっ飛んでくるのだ。 パティオに椅子を出して本を読んだり、コーヒーを飲んだりしていると、大跳躍をして膝の上に飛び乗ってくる。そしてしばらくはおとなしくしている。 その間の兎の表情と言えば、鼻をひくひく動かす程度である。 兎というのは実に表情に乏しい動物である。それに比べると、犬や猫は人間の間近で暮らしてきた歴史が長いだけに表情、表現が豊かである。 さて、膝に飛び乗ったバニーは四、五分じっとしている。そこまではいい。ところがである。まったく突然、なんの前触れもなく、ガブリとあの鋭い前歯で太ももに噛みついてくるのである。 ふわふわした純白の毛皮、大きくて赤い目玉、草食動物特有のあの濡れたように光る大きな目とまつげ。 こうした外面の良さとは裏腹に、性情はかなり陰険なのである。 こうしたことが重なると、私も家人もバニーが足元に近寄ってくると思わず「シッ、シッ」と追い払おうとするようになる。 とにかく何を考えているのか皆目見当がつかないので不気味なのである。 そうこうするうち、また度肝を抜かれるようなことが起こった。バニーが何を血迷ったのか猫の弁慶に懸想していたのである。 ちなみにわが家の動物、陸奥、チキ、弁慶、ミミはすべてオスで、しかも去勢済みである。したがって、この猫の弁慶も本物の弁慶同様、一生不犯である。 陸奥はイングリッシュ・コリーの血が半分入ったかなりの大型犬、チキは体重、なんと十一キロ(猫の体重は通常四、五キロ)の超ド級。ミミはシャム猫の血が二分の一混ざった雑種で、優美、精悍、敏捷。 一方、弁慶はかなり名前負けのする中型、おっとり型で、不運にもオス兎バニーの気に入るところとなったのである。 弁慶が襲われる時はたいてい餌をがつがつむさぼっている無防備態勢の時である。ひょこ、ひょこと後ろにまわり、ぱっと背中に飛び乗るや、すかさず首筋の毛を前歯でがっちりくわえ込む。しかる後、卑俗な言葉を使えば、オカマを掘ろうとするのである。しかし当然のことだが不首尾におわる。 この時、猫の方が敢然と反撃しないのがどう考えても解せない。ニャー、ニャーと二声。三声鳴いた後で、やっと立ち上がるのだ。 満更でもない、という風情なのである。 多少のカマっ気を持っているフシがあるのだ。 私は家長としてこのような動物を二匹も飼っていることにたいしてなんとも情けない気分になってくる。 愚息はこれがずいぶん面白いらしくて、 「パパ、これをビデオに撮って、例の豪州ドッキリ・カメラ番組に送ったら?きっと一大センセーションを巻き起こし、マスコミが取材に殺到してくるよ」 などと、グにもつかないことを言う。 「そうよ、それで大金もうけて私のおんぼろ車の買い替えができるかもしれないわ」 と、女房も半分真顔で言う。 裏庭にはかなり大きな菜園がある。シシトウ、大葉ジソ、春菊、ミツバなど地元の八百屋では入手できない野菜を育てている。犬、猫が菜園に入って糞をしたりしないように、周りは金網の囲いがしてある。 パースはカタツムリの多いところで、雨季になると大発生して、一夜のうちに野菜が全滅することもある。 したがって、定期的にカタツムリよけのペレットを撒く。 バニーが一歳半になった頃であろうか。例の大跳躍をして金網を飛び越し、菜園に入り、野菜を食い散らし、ついでにカタツムリ駆除剤を残らず食べ尽くしてしまった。 それがこの兎の最後の晩餐となった。 1997年 K文学新人賞・随筆部門・選外佳作 2002年08月27日 13時02分30秒 |
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*** 1999年12月に日本の友人、知人に送った挨拶状です。年末年始に日本へ帰っていたりして、クリスマスカード、年賀状への返事が出せないことが多く、3、4年ご無沙汰の分をまとめて長編(?)の挨拶状にするか・・・などと、あいかわらずのイタズラ心と横着なブランコ流。受け取った人たちは呆れ返っていたろうな。 *** ______________________________________________________________________________________________ 早いもので今年も、もうクリスマスが間近になりました。 いかがお過ごしでしょうか。お元気でご活躍のことと存じます。 おかげさまで当方もつつがなく過ごしております。 今年でこれまでの人生の半分をオーストラリアで過ごしたことになり、真夏の クリスマスにも違和感を覚えないようになってしまいました。 妻の方の親戚五家族に私どもを加え、六年に一回の輪番でクリスマス・ランチの会をすることになっており、今年は拙宅が当番です。裏庭にテーブルを5、6卓ならべ30名ほどがプレゼントの交換をした後、昼食を食べます。 このプレゼント交換というのが厄介で、私は過去数年、すべて家人にまかせきり。家人と息子、そのガールフレンドの分は、あまり思いやりがあるやり方ではありませんが、封筒にお金を入れてお好きなものをお買いください、ということにしています。家族に対しては、日本円にして1、2万円、親類縁者には一人5百円から千円見当の贈り物が中流家庭の相場です。 全員がそろったところで、クリスマスツリーのまわりに山と積み上げられたプレゼントを子供達が大はしゃぎで配ってまわります。 「誰々さーん、何々さんからー」 もらった者は、すぐ包装紙を破って中味を皆に見せながら、誰々さーん、ありがとうー、と叫ぶことになっているようです。 毎年ランチから帰ると私は家人に文句を言います。 「くだらん。実にくだらん。馬鹿馬鹿しいと思わんのか。子供じみている」 「何を言ってるんですか。これが、マッコール家の、そしてオーストラリアの伝統的なクリスマスなんです。郷に入っては、何とかというでしょう。日本だって盆正月にはみな集まるじゃないですか」 まあ、そう言われれば、そうなんだけれども、、、それにしてもねえ。 昨年のクリスマスに姪夫婦がくれたプレゼントはまだタンスの底にしまいこんだままになっています。 パンツが2枚。 包み紙を破って取り出し、ヒラヒラと皆に見せながら、 「ウエンディー、ジョン、ありがとうー」 絹に似せた化繊で、ぴかぴか、つるつる、ぬめぬめしていて、赤、ピンク、青、緑の原色大柄デザインで目がまわりそう。私のやせた太股(というのも変かな)が2、3本も入りそうなぶかぶかパンツ。 これを俺に穿けというのか、と心のうちで呪いながら、 「うーん、これはすごい。前からこういうのをはいてみたかったんだ。叔父さんはな、上はごらんのようにボロをまとっているけど、パンツだけは一点豪華主義で、イヴサンローランとピエール・カルダンしかはかないことにしてるの。いざ、という時のためにもな」 ほい、シモタ、口がすべった! すかさず、横にいた家人から肘鉄が脇腹にどーんと飛んできました。イテテテテ! 「叔父さん、それ、今年の流行パンツなの。叔父さんのファッション・センスにぴったりでしょ」 何だと、こんなのはくぐらいなら、ひらひらフリルのついたピンク・パンティーでもはいた方がましじゃ・・・ん、それもイヤじゃけど・・・ 「来年からは、新しいコレクションが加わって気分が若返る。ありがとう」 ひきつる顔に無理矢理笑顔を浮かべて、お礼を言わなきゃならない辛さ。 話は飛びますが、この12月27日パース発で日本へ帰ります。 その時はこの派手派手、ぬめぬめパンツ2枚を兄と弟の土産として持って帰るつもりでいます。奴らどんな顔するかな、ひっ、ひっ、ひっ。 さて、このプレゼント交換の大騒ぎが一段落するとランチになります。 メニューは毎年同じで、七面鳥、チキン、ポーク、ハム、温野菜、サラダ、そして最後にケーキです。 当番家庭にどかっと負担がかからないように料理は持ち寄りです。 ふだんのぐうたら生活がたたって、こんな時は我が家は大変です。昨日、日曜日は荒れ放題の裏庭の清掃に一日を費やしました。しかし、年末の大掃除というような習慣のないお国柄ですから、こんな機会に家の内外を徹底的に掃除できるのも悪くはないな、と思っています。 今日、月曜日は久々に朝寝坊、8時半起床で大学に出てきたのが10時過ぎ。 部屋に入ってみると、ドアの下の隙間から差し込んだとおぼしき封筒が2通床のカーペットにあります。 ははあん、卒業していく学生からのクリスマス・カードだな。 やはりそうでした。日本語で書いてあります。 「先生、2年間教えてくれて、ありがとうございました・・・」 教えてくれて、はないだろう。そう言えばあの学生は敬語がぜんぜんわかっていなかったなあ、でも、まあいいや、わざわざカードを持って来てくれるなんて可愛いところがある。などと考えながらもう1通を拾い上げると、れれっ、これも同じ学生からです。こちらは英語の手紙。 「先生、急なことですみませんが・・・(うーん、何かイヤな予感がするぞ、これは)実は、新聞の求人広告を見て応募することにしました。推薦状が必要なんですが書いてもらえませんか。締切り日は今日で、応募先が東部なので、時差が2時間、したがって、向こうの5時はこちらの3時です。3時までに書いて下記のファックス番号に送ってください。念のため、1時ころに先生の研究室に電話します」 テヘッ、やってくれるわ! こういう時のためにコンピューターには推薦状雛形A,B,Cなどというのが入れてあります。 よし、この学生はランクCの推薦状だ。それに何か2、3行つけ加えて終り!こう考えたのですが、推薦状の内容でその学生の将来の方向が決まってしまうこともあります。各種の奨学金などの選考委員をやっていると、この国では推薦状がいかに大切なものかがわかります。 そうだ、あの学生は、日本からH大学の学生研修団が来たときには2回もホスト・ファミリーを引き受けてくれた。それに、A県から洋上大学の学生が来た際にはキャンパス・ツアーのガイドもやってくれたんだ。 思い直して、「協調性に優れ、統率力があり、将来に対する鋭い洞察力を持ち、貴社にとってかけがえのない人材となること疑いなく・・・」思ったより立派な推薦状になってしまいました、シャクだけど。それにしても、英語でこういうの書くのは疲れますね、何年ここにいても。 昼過ぎに電話がかかってきました。 「ああ、先生、いらっしゃいましたか。それでお願いした件なんですが、、、」 「ああ、もう書いて応募先へ送っておきました(ここのところ、声にトゲあり)。ところでね、シンシアさん、ああいうのはせめて1週間ぐらい前に言ってきたらどうなんですか、常識として。大学はもう休みに入っているんだから、先生方も必ずしもでてこられるとはかぎらないし。ぼくだって、たまたま今日は出てきたからいいようなものの」 「はい、ありがとうございました。先生がおられて、私はとてもラッキーでした」 わかってるのかな、この娘(こ)は? 受話器から伝わってくるのはなんのくったくもない嬉々とした声です。 推薦状、ちょっと甘すぎたんじゃないかな。 こんな調子で今年も暮れていきます。 良き新春をお迎えください。 1999年12月 白いブランコ 2002年08月01日 13時17分23秒 |