「歌の翼にのせて・・・メンデルスゾーン」 (click)
「愛の夢・・・F.リスト」(click)
★★★ MIDI by ☆Lei☆ of Paradise Cafe・・・ Refer to:素材リンク ★★★

南海の星音楽の世界

ちょっと大げさな言い方かもしれないけれども、私たちが青春を語る時、かならずついてまわるのは音楽ではないだろうか。少なくとも、ぼくに関してはそう言える。 音楽のない生活なんて、調味料やスパイスのはいっていない料理のように味気ないものにちがいない。 アメリカの物質文明がかつてないエネルギーで繁栄した1960年代、70年代には、当然のことながら、映画や音楽の分野もそれなりに花が開いた。ぼくはそんな時代に青春を過ごせたことをすごくラッキーだったと思っている。さて、ぼくは音楽に関してはズブの素人で、専門教育を受けたわけでもなく、バンドを結成したわけでもないし、ただ聞くのが好きだという程度。したがって、これから書くことも、思いつくことをアットランダムに書き付けるといったレベルにとどまる。



(Click)
★★No.1★★ Dolly Parton ★ Louis Armstrong ★ Paul Robeson ★ ビゼー「アルルの女」組曲 ★ スメタナ「わが祖国」より「モルドウ」★

★★ No.2★★ John Denver ★ The Roger Wagner Chorale ★ ナンパ ★ 青葉城恋唄 ★ また逢う日まで ★



(No.3)

画像&壁紙byあずさ・・・Refer to:素材リンク



「ララのテーマ」(映画「ドクトル・ジバゴ」より)

十数年前、趣味が高じて釣り具輸入の商売をはじめた頃、取り引き先の東京のさる中小企業を訪れた。その時のことであるが、そこの若社長が、「ブランコさん、あなた司馬遼太郎の(坂の上の雲)、読みましたか」と聞かれた。
「いいえ、まだ読んでおりません。たしか日露戦争の話でしたね」と、お答えすると、
「ええ、そうです。秋山兄弟という主人公二人を中心にした小説なんですが、あれは男の血を沸き立たせる痛快な小説です」とのこと。
5分ほど席をはずして、もどってこられると、
「今、事務の女の子に日本橋の丸善へその小説を買いに行かせましたから、、、全6巻で、ちょっと荷物になりますがパースへお持ちかえりになって、是非読んでみてください」
何よりうれしいおみやげであった。

先日のイースター休暇にはこの小説を読み返した。もう5回めであろうか。
過去数年、自分の勉強のため遠藤周作と立原正秋の小説100冊あまりとそれに関連した本を読んでいるが、これとて、読み返すのはせいぜい2回である。
たしかに「坂の上の雲」はおもしろい。
さて、その第五巻に、明石元二郎大佐がヨーロッパに渡り、ロシアの反政府分子の扇動活動、一大諜報活動をするくだりがある。日露戦争たけなわ、帝政ロシア崩壊の兆しが見える頃である。
ぼくはこの部分を読んでいて、ふと一つの映画を思いだした。パステルナークの小説「ドクトル・ジバゴ」を映画化したものである。
革命前後のロシア。一人の若き医師で、かつ詩人のジバゴは妻子がありながらも薄倖の女性、ララに惹かれ、同時に否応なく革命の渦にも巻き込まれていく。
この映画でとても効果的に使われた小道具、それがロシアの民族楽器、バラライカである。そして、そのバラライカが奏でる曲が「ララのテーマ」。
映画音楽はいかに音楽そのものが優れていても、その音楽と映画のイメージがぴたりと合わないと効果が薄れる。そういう意味で「ララのテーマ」はぼくが最も気に入っている映画音楽のひとつだ。
五弦バンジョー

日本的な楽器はと聞かれたら?
お琴?三味線?尺八?笛?太鼓?
ではアメリカ的な楽器は?
ぼくなら、バンジョーとブルース・ハープと答えるだろう。
バンジョーの発祥地は南欧、ブルース・ハープ(10穴ハーモニカ)はドイツであるが、楽器としての確固たる地位を築いたのはいづれもアメリカにおいてである。
バンジョーを使っていて、日本人にもなじみの深いヴォーカル・グループ二つ。キングストン・トリオとブラザーズ・フォーだ。
カレッジ・フォークの旋風を巻き起こしたこの二つのグループ、特にブラザーズ・フォーは日本でも若者の間に熱狂的なファンを生み出した。1960年代には日本では大学生の間でモダン・フォークのコピーグループがいくつも生まれた。そのほとんどが、 ブラザーズ・フォーかPPM(ピーター、ポール&マリー)のコピーだった。 ただしPPMはバンジョーを使っていない。

The Kingston Trio
キングトン・トリオは「トム・ドウーリー」でデビュー、この曲はたちまち全米ヒット・チャートのNo.1になった。
キングストン・トリオの歌はギター、ベースにバンジョーの陽気で、乾いた、硬い音が溶け込んだ典型的なアメリカン・フォークで、快活な若者のイメージにぴったりの曲が多い。
後に彼らは PPM、ジョーン・バエズ、ボブ・ディランらと共演したこともある。
代表曲には"Tom Dooley","Worried Man","Greenback Dollar","My Rambling Boy"などがある。

The Brothers Four
60年代初期に全盛を誇ったフォーク・ポップ・グループ。
ワシントン大学の学生グループとして生まれ、"Greenfields"がベスト・セラーになる。
健康的で明朗なグループ・イメージとさわやかなヴォーカル・ハーモニーでフォーク・ブームのスター的地位を築いた。
日本の大学でもこのグループを手本にしたコピーグループがあまた生まれたがコピーはしょせんコピーである。
ブラザーズ・フォーの代表的な曲には次のようなものがある。
「グリーン・フィールズ」「七つの水仙」「イエロー・バード」「花はどこへ行ったの」「グリーン・スリーブズ」「パフ」「さらばジャマイカ」「500マイル」「トライ・トウ・リメンバー」「スカボロ・フェア」「サンフランシスコ・ベイ・ブルース」「わが祖国」「ジョンB号の難破」「グリーン・リーブズ・オブ・サマー(映画、アラモ、の主題歌)」「天使のハンマー」「北京の55日(映画)」「グッドナイト・アイリーン」、「漕げよマイケル」、その他、ビートルズの「イエスタデイ」、ジョーン・バエズの「朝日の当たる家」、日本のフォーク、「あの素晴らしい愛をもう一度」などヒット・ナンバーは多い。

さてバンジョーであるが、古いバンジョーは4弦だったのであろう。
今でも老人のカントリーバンドがショッピングセンターなどでお小遣い稼ぎと趣味をかねて演奏をしているのをみていると4弦のバンジョーを使っていることがある。たいていコードをたたいているだけで、がっかりする。ま、しかし、オーストラリアでバンジョーの名演奏を期待するのがもともと無理ではあるけれど。
現代のバンジョーは5弦バンジョーである。
この余分についた1本の弦は他の4弦より短くて、ネックの部分まで伸びていない。つまりこの弦を指で押さえることはなく、常に同じ音を出すのである。
他の弦でポン、ピン、パンと和音を弾いていき、その後に(コン)、ピン、パン、パン、(コン)。どんなコードを弾こうとも、この弦だけはいつも(コン)、だけ。だからコードに合うときもあれば、不協和音になってしまうときもある。こういう遊びの音を入れることにより、微妙な味を出すのである。

ニュー・クリスティー・ミンストレル、キングストン・トリオ、ブザーズ・フォー、PPMなどに多大な影響を与えた巨星、ピート・シーガー(Pete Seeger).
彼はトラッディショナル・フォークとモダン・フォークの橋渡しをした。またウッディー・ガスリーなどと組んでアルマナック・シンガーズというグループを作ったり、フォーク・グループ、ウイーヴァーズ(The Weavers)を結成したりした。
10年ほど前、パースの楽器店で偶然、ピート・シーガーのテープとウイーヴァーズのテープを同時に見つけた。あの時は正直言って、本当にうれしかった!
たぶん、この2本のテープをもっている人はそんなに多くないと思う。ピート・シーガーの方は5弦バンジョーを弾きながらの弾き語り、ブルー・グラスやモダンフォークのような華麗なテクニックはないが、素朴でのびのびとした 味がある。

5弦バンジョーをとても効果的に使っている名曲を一つ紹介しよう。
映画”Deliverance"の主題曲で曲名も同じ。深く、甘く、柔らかいギターの音と、 シャープで、陽気で、きびきびしたバンジョーの音がみごとに組み合わされた曲だ。CDショップで一度試聴してみてくださいね。


***** 次に記すURLは神戸で活躍しているブルーグラス・バンドです。トップ・ページに入ると、自動的にBGMが流れます。ちょっとお聞きになりませんか。 あなたのブザウザはたぶん左右両方にスピーカーがついたステレオシステムになっていますね。向かって左からはギターとベース、中央からフィドル(ヴァイオリン)右から聞こえる堅い音の楽器がバンジョーです。
http://www.mars.dti.ne.jp/~maddog/(click)


白いブランコ(作詞:小平なほみ 作曲:菅原進 唄:ビリーバンバン)

白いブランコ

君はおぼえているかしら
あの白いブランコ
風に吹かれて ふたりでゆれた
あの白いブランコ
日暮れはいつも淋しいと
小さな肩をふるわせた
君にくちづけした時に
やさしくゆれた 白い白いブランコ

君はおぼえているかしら
あの白いブランコ
寒い夜に寄りそってゆれた
あの白いブランコ
誰でもみんなひとりぼっち
誰かを愛していたいのと
冷たいほほを寄せた時に
静かにゆれた 白い白いブランコ

僕の心に今もゆれる
あの白いブランコ
幼い恋を見つめてくれた
あの白いブランコ
まだこわれずあるのなら
君の面影だきしめて
ひとりでゆれてみようかしら
遠いあの日の
白い白い白いブランコ





上智大学、渡辺昇一先生の著書に「日本語の心」というのがあります。
主に「やまとことば」と「漢語」について書かれています。
「やまとことば」というのはわれわれ日本人が太古の時代からつかいふるしてきた日本民族のことばです。対して、「漢語」というのは文字にした時、漢字で書かれ、しかも「音読み」の言葉です。これは中国語の言葉もあり、また漢字を組み合わせて日本で作られた言葉もあります。
たとえば「演説」という言葉は明治以前にはありませんでした。英語のspeechに対する適切な訳語がなく、福沢諭吉が勝手に作ってしまった言葉なのです。これは中国語ではなく日本人が作ったことばですが、音読みにするので漢語です。
いっぽう、漢字で書いてもそれが訓読みの場合はやまとことばです。
「書く」これは訓読みだからやまとことば。
「書物(ショモツ」これは音読みだから漢語です。
「品物(しなもの)」やまとことばです。
「品質(ヒンシツ)」漢語です。

「白いブランコ」について書くはずだのに、なぜ唐突にやまとことばと漢語が出てくるのか。まあ、もうちょっとだけがまんして聞いてください。
私たちが日本語を話し、聞き、読み、書くときには、そのときの心情や話の内容によって言葉は微妙に変化してきます。
結論から言えば、私たちの心が外に向かっている時、外向的、攻撃的、積極的、形式的、官僚的なときは自然、言葉に漢語が多くなります。また内向的、情緒的、優しさを求めるような時には必然的にやまとことばが多くなります。

次に挙げるのは本日(2002年5月9日木曜日)のYahoo Japan のニュース、見出しです。
1)中国側説明に首相が不快感、、、、総領事館の拘束事件
2)<横領>沖縄県野球連盟の前理事長が運営費引き出す

1)では大和言葉は側(がわ)、に、が、の、の四つ。しかし、に、が、の、はつなぎのことば(助詞)であり、文の主要構成要素ではない。するとやまとことばはたったの一つということになってしまいます。
2)では沖縄、の、が、引き出す、の四つ。あとはみな漢語です。

では、漢語が少なくてやまとことばが多いのは?
そうなんです。歌がその一つです。
私たちは歌を唄い、歌を聞くことによって、(今はやりのことばを使えば)心の癒しを求めます。
渡辺先生がその例として挙げておられる歌の一つがビリーバンバンの「白いブランコ」です。
この歌の中には漢語はたった一つ「僕(ボク)」。しかしこれとて日常生活の非公式な場でつかう言葉で漢語のイメージは非常に薄い。

今度カラオケに行く機会があったら、ちょっと画面の歌詞を気をつけて見てみてください。見事なほどやまとことばで満たされています。
たとえ、別離(ベツリ)、接吻(セップン)、故郷(コキョウ)などという漢語が出てきてもこれらの漢字には「わかれ」「くちづけ」「ふるさと」とルビがふってあるはずです。
ただし歌にも例外があります。それは人の心を奮い立たせて外に向かわせる目的の軍歌、校歌、応援歌、労働歌などで、それらには漢語がぐっと増えてきます。
私たちが嬉しい時、悲しい時、人恋しい時、そっと口ずさむ歌には漢語はほとんどないのです。
「夕焼け、こやけの赤とんぼ、負われて見たのはいつの日か、、、」
「母さんは夜なべをして手袋あんでくれた、、、」
「あーあー、川の流れのように、ゆるやかに、、、」
漢語はありません。

ちょっとスクロール・バックして「青葉城恋歌」を見てください。
この歌の歌詞には漢字はかなりたくさんありますが、漢語はゼロです。すべて私たちの耳に優しく響くやまとことばばかりです。

何百年もの間、人々の口にのぼってきた和歌や俳句にも漢語はほとんど見当たりません。
「めぐりあひて見しやそれとも分かぬまに雲がくれにし夜半の月影・・・紫式部」
「花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに・・・小野小町」
「夜をこめて鳥の空音ははかるともよに逢坂の関はゆるさじ・・・清少納言」

「夏子さん、僕は君が入社(ニュウシャ)して以来(イライ)、ずっと深い思慕(シボ)の念(ネン)を抱いてきたんだ」
「あら、、、わたくしは春男さんのことは上司(ジョウシ)としてご尊敬(ソンケイ)はもうしあげておりますが、、、彼がいますので、、、」(本当は彼氏なんかいないんだが)うまく事がはこびません。

「夏子さん、ぼくね、ずっと君のこと好きなんや」
「あら、どうしましょう、、、でもうれしいわ、、、わたしも春男さんのことずっと想っていたのよ」メデタシ、メデタシ。

「白いブランコ」。まあ、好きな歌ではあるけれども、特にこの曲に思い入れがあってHNにしたというわけでもありません。渡辺センセの本をふと思い出してつけたまで。

JUBILEE

テレビ番組やビデオでアクション物をよく見る。ほとんどアメリカの映画である。
ところが喜劇になると、これはもうイギリスの独壇場である。言葉のはしばしに現れるずば抜けたユーモアのセンスと演技力。イギリス喜劇と比べるとアメリカ喜劇はまさに田舎芝居、色あせて見えるどころではない。アメリカの喜劇でもすぐれたものは、ほとんどイギリス人が演じている。やはり歴史と文化の違いは大きい。
私たちの心に残っているアメリカ映画の名作の数々を思い起こしてみると、やはり主演俳優、主演女優はイギリス出身者が以外と多いのに驚かされる。オーストラリアからも結構ハリウッド入りしている俳優が多い。活躍の舞台はアメリカであるが、かならずしもアメリカ生まれのアメリカ人ではないのだ。

昨夜は久しぶりにテレビを見た。
英国女王戴冠50周年記念行事の一つとして一晩はクラッシク・コンサート、いま一つがロック・ポピュラー音楽のコンサート。クラッシクの方は見逃したが、昨夜はポピュラー音楽の部。
バッキンハム宮殿の広大な裏庭での野外コンサート。聴衆は希望者から抽籤で当たった人たちを招待。
それにもれた人たちは宮殿前の広場に集まり、特大のスクリーンに映し出されたコンサートを見ていた。その数、なんと百万人以上。
日本の宮城内で皇室一家と共にコンサートを楽しむなんてのはちょっと考えられないし、たとえそんな事があるとしても、まず、政界、財界、官界のお偉方を招待なんてことになってしまうだろう。
英連邦のメンバーであるオーストラリア、ニュージーランド、カナダ、南ア、シンガポール、などでは年に何度か英国王室関係の行事を放映する。
英国ばなれが進み、普段はあまり英国が気にならないが、こうした行事を見るにつけ大英帝国の底力をまざまざと思い知らされることとなる。
英国王室の歴史はスキャンダルの歴史でもある。
それにもかかわらず、王室の人気は不動である。

コンサートで歌ったのは若い歌手もいればアメリカから招待されたトニー・ベネットのような老人もいる。黒人もいれば白人もいる。
話はそれるが、トニー・ベネットは名前からもわかるようにイタリア系である。アメリカ歌謡界のもう一人の巨頭、フランク・シナトラもイタリア系移民だ。半島民族は歌がうまいと言われる。
私たちに身近なもう一つの半島民族。韓民族。
戦後日本の歌謡界の女王、美空ひばりは父親が韓国人である。ちょっと数えるだけでも韓国系日本人の歌手の多いこと、多いこと。

コンサートでは最初からチャールズ王子と息子二人が臨席し、司会者の冗談に聴衆と共に笑いころげている。やがてコンサートなかば、エリザベス女王とフィリップ殿下の登場。
エリザベス女王は25歳で即位、その時チャールズ王子は4歳。それから50年が過ぎて、女王は今75歳である。女王様にはちゃんとトム・ジョーンズのような年配の歌手が用意してある。

コンサートの最後を飾ったのは誰?
これは容易に想像がつく。
さすがのアメリカ人も追い越せなかった20世紀最大のグループ。(なんか、熱っぽくなってきたなあ?)
ザ・ビートルズ!!!
生き残り組、二人のうちのポール・マッカートニーでした。
・・・・・・

4、50人の歌手が舞台にもどり、勢ぞろい。そして、貴賓席から女王一家が舞台中央におでまし。やがて、チャールズ王子が挨拶。歌手たちをほめたたえ、聴衆にお礼を言い、数百人におよぶ舞台裏方の人々にもねぎらいの言葉をかける。
そして、手の平を母君の方に向け、Queen!と紹介。聴衆が沸く。一呼吸をおき、あらためて、女王の方を向き”Mammy!”数万の聴衆から大爆笑が巻き起こりうねりのように空気をゆるがす。
ぼくも、腹をかかえて笑ってしまいました。
日本の皇室一家が大観衆の前にそろい、皇太子が皇后を指して、「こちらがぼくのオカアチャンです」と言ったら大爆笑が巻き起こるだろうか。そんなことになったら、一大珍事として日本歴史を書きかえなければならない。たぶん、会場は一瞬、シーンと静まりかえり、誰もが(殿下は気がおふれになったのでは?)と思うのではなかろうか。国民性の違いである。
女王一家が退出する。
ポールマッカートニーがピアノの前に座り、自分が作詞作曲した「ヘイ・ジュード」を唄う。王室一家を見送りながら、聴衆も立ち上がり、大合唱である。

ダーダダ、ダダダーダー
ダーダダ、ダダダーダー
(ヘイ、ジュード)
ダーダダ、ダダダーダー
ダーダダ、ダダダーダー
(ヘイ、ジュード)
ダーダダ、ダダダーダー
ダーダダ、ダダダーダー
(ヘイ、ジュード)
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グレン・ミラー物語


パースの貸しビデオショップで見つけることができなかった「グレン・ミラー物語」。これが、今回日本へ帰って最初に入ったビデオショップであっけないほどかんたんに見つかってしまった。
ジャズはどうも、という人でもああこの曲ならとうなずく、そんな曲を数々残したスイング・ジャズのスーパー・スター、グレン・ミラー。
ベニー・グッドマンが素晴らしい奏者だったの対し、グレン・ミラーは奏者でもあるが、むしろ作曲、編曲に才能を発揮したアーティストである。

映画はジェームズ・スチュアート(グレン・ミラー)、ジューン・アリスン(妻・ヘレン)が演じている。
その他、ルイ・アームストロング、ジーン・クーパー、ベン・ホラックなど本人が特別出演しているのが何よりうれしい。

若きトロンボーン奏者、グレン・ミラーは苦しい生活を続けながらも、「自分の音」「永遠の音」を模索しながらジャズ演奏に情熱を燃やす。
やがてミラーはその才能を認められバンド・メンバーに選ばれ、演奏旅行中に大学時代の友人、ヘレンに再会する。すでに婚約者がいるヘレンを説き伏せ電撃結婚。
そして、ついには夢をかなえるべき自分のバンドを結成し、ダンス・ミュージックとしての独自の演奏スタイルを作り上げ、ジャズの歴史を書き替える。 「ムーンライト・セレナーデ」「イン・ザ・ムード」「真珠の首飾り」「茶色の小瓶」「ペンシルバニア・6ー5000」etc.,etc.。
そして第二次世界大戦が勃発。ミラーは愛妻ヘレンを残して、軍隊慰問のためヨーロッパ戦線へと旅立ち、イギリスで将兵の熱狂的な歓迎を受ける。
1944年、ロンドンからパリに向けて機中の人となるが、飛行機は行方不明となる。

アカデミー賞受賞作であるが、映画をしてはどうであろうか?どちらかといえば単調な筋運びである。しかし、スイング・ジャズのファンにとってはいたるとこに見せ場のある、見逃せない映画であろう。

大学3年の12月中旬、街にジングルベルの曲が流れはじめる頃であった。 北白川田中春菜町の我が下宿先へよく遊びにきていたR大のKという友人が言った。
「ブランコ、お前、ホテルのアルバイトの方、しばらく休みなんだろう」
「そうや」
「おれんとこで3週間だけアルバイトやらんか?」
「おれ、水商売はやったことない」
「ホテルやって、一種の水商売や」
「そんなもんかなあ?」
「まあ、そんなことはどうでもええ。クリスマスから正月ころは忙しいんや。その3週間だけオシボリの係がいるのや。ふだんはキッチンの中にいるだれかがオシボリの係もするのやけんど、忙しい時はキッチンの外で一人、オシボリ専門に一人要る。洗濯屋が持ってきたオシボリをぐるぐる巻いて、蒸し器に入れ、オーデコロンふりかけて、ボーイやホステスに渡すだけ」
「うーん、どうしようかな・・・」
「やってみろ。いい社会勉強になるぞ。卒業して就職したらお客さんとして表側しか見えんやろ。裏側からのぞいておくのも悪くない」
このKという男、学生というだけで事実上は休学状態、木屋町筋のさるナイトクラブで主任をやっていた。ボーイ、ボーイ長、主任、フロアマネージャー、ジェネラルマネージャーというランクがあるそうで、ボーイが白の制服を着るの対し、主任以上は黒のタキシードをつけるので「黒服」とも呼ばれる。
「とにかく今夜、おれと一緒に店へ来て様子見たらどうや。気にいったらすぐマネージャーと事務長に話つけてやるから」
「じゃ、そうするか」
店に入って、その豪華さに驚いた。絨毯をしきつめた客席が扇型になっていて、ダンスフロアー、そしてステージ。客席の後ろがトイレ・化粧室。ステージに向かって右側に洋酒カウンター。そしてそのむこうにキッチンがある。 キッチンの窓口あたりは客席から見えないようになっている。
ボーイが一人客席の絨毯に電気掃除機をかけている。もう一人がモップでフロアーをみがいている。
「オハヨウゴザイマース」黄色い声で挨拶をしながらホステスが次々に出勤してくる。タイムカードを押して、ステージの裏から、階段を登って更衣室に消えていく。
「おれ、どうしたらええんや」
「ここに立って見ておれ」
彼は洋酒カウンターの前をあごでしゃくった。
やがて、5、60名のホステスと十数人のボーイがフロアーに勢ぞろいし、黒服三人が前に立ち、朝礼が始まる。夜でも朝礼なのである。
朝礼が終るとホステスは更衣室に消えたり、客席に座ってトランプ占いなどをしている。やがて楽器ケースをかかえたバンドの連中がどやどや入ってくる。彼らは店のマイクロバスで送り迎えするらしい。
「どんなバンドや」と、Kに聞く。
「5人編成のハワイアンバンドと、20人ぐらいのスイング・バンドや」
「スイング・ジャズか? よし、ここでアルバイトやらせてくれ」

アルバイトは4日後からはじまった。
ナイトクラブというのは正式には3D,すなわち、ドリンク、ディナー、ダンスそれにショーがつくのが普通だが、ここはディナーはない。開店は7時半、閉店は12時。
8時ちょっと前にその日最初の客が来た。
主任のKが客をテーブルに案内する。その受け持ちテーブルのボーイが銀盆をかかえて急ぎ足でやってきた。
「オシボリ、三つ!」
私の最初の仕事だ。おしぼりを3本、おしぼり入れに乗せて渡す。ボーイはグラスに水を入れ、オシボリといっしょに銀盆にのせ、三本指で盆を高くかかげて去っていく。私の横で今日から入った新米のボーイがボーイ長から訓練を受けている。
「よし、5本指でなくこんどは3本指で銀盆支えて! いいか、今度は空びんじゃないぞ。水がはいったびんや。そこのテーブルにそれ、置いてみろ。ほらほら、盆が傾く。ビールやコップの水を客や女の子にぶちまけたら、どうする!」かわいそうに、新米の男はおどおど、うろうろしている。
8時半、客席もだいぶつまり、にぎやかになってきた。司会の男がマイクで紹介すると、ステージの幕が開き、譜面台を前にしたトランペット、トロンボーンなどブラス楽器を口につけた全員が総立ちで「イン・ザ・ムード」の演奏がはじまった。
生演奏の迫力に呆然として聞き入っていると、、、
「ちょっとお、オシボリ、一つよ、早く」
若いホステスが噛み付くように呶鳴る。客がトイレに立つと、テーブルについた女の子も一緒に立ち、客がトイレから出てくるまでにオシボリを持って、トイレの前で待っていなければならないのだ。複数で来ている客は、こんな時にお目当ての女の子にそっとチップを握らせたりする。

3週間の間に、私はグレン・ミラーの名曲の数々を繰り返し聞くことができた。



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