物語の血


映画や小説は、必ず「訴えたいもの」があり、
それのためのストーリーや世界観やキャラクターを用意する。
作品の中では、全てのものに意味がある。
全ては「訴えたいもの」のためにあり、そうつくらなければ作品として成り立たたない。
無意味なものがあると、それを見たものが、いわゆる消化不良を起こしてしまったりする。
(結局○○って何が言いたかったの?とかいうアレである)

最近疑問に思うのは、その「訴えるもの」のためには、どんなものを作ってもいいのかということ。
特に、愛や正義や、生きることの大切さを語る作品の場合は、
本当にそれでいいのかと突っ込みたくなる場合がある。
作者は「訴えるもの」のために、平気で(というと御幣があるかもしれないが)キャラクターを苦境に立たせる。
逆境に追い込み、選択を迫り、時には死に追いやることさえもある。
あからさまに怪しい場所や、戦いのために用意されたとしか思えない場所があったりもする。

…最近、それは何か違うんじゃないか? と思うことが多くて、どうも素直に感情移入できないときがある。
「訴えるもの」という結果にたどり着くことを目的としてストーリーが展開する。
すべてのものが、言ってしまえば「訴えるもの」のためのコマにしかすぎない。
山も川も、海も空も。情熱も慈悲も、恨みも憎しみも…
すべて作者の「訴えるもの」のための存在である。

登場する全てのものは空想の存在だから、それは気にすることじゃないかもしれない。
無粋といえば、それで終わってしまうだろし、
映画や小説は空想にすぎないからといってもそれで終わるだろう。

だからこそ言いたい。
最初から全ての運命が決まっている、いわば「生きていない」世界。
そこに感動なんてあるのかと。
まったく無意味な「物語自身」のための存在が、物語の中にあってもいいんじゃないかと。




戻る