社会はココロの業
私は色々うだうだと書いて言いたいこといってるのだけど、重要なのはやっぱコレ。
「一人一人の意識 = 心」
今の環境破壊やら貧富の差、戦争問題に関したって、誰かがそれを望んだからおきてること。
その「誰か」ってのは、一人一人の人間以外に他ならないわけだ。
「俺一人じゃ何にもできない」とか、「私一人が何かしたってかわらない」・・・ってのは間違いで
それが全てに影響をあたえていくのが、世の中だと思う。
身近な存在で良いから、それに配慮することが、今必要なことかなと。
最近、ちょーっと暗い事件が多いですな。いちばん気になるのは犯罪の増加。
しかも、理由が滅茶苦茶なものが多い。
「むしゃくしゃして」とか「自分がわからなくなって」とか。
あんた何様だ?と言いたくなるようなことが沢山。
まぁ、実際、自分が何かわかってないんだろうけど。
一般的な言葉で言えば「心の闇」の暴走というヤツかな。
人は光ばかりを追い求めるから、時々これが見えなくなる。
今の社会が「光」を求めすぎている。
だれだって、良いものが良いと思うし、それを追い求めるだろうけど、
でも、その影で抑圧されているの「心の闇」も理解しなきゃいけない。
考えてほしいのは、元々人の心には「光」と「闇」が共存しているということ。
どちらか一方だけが、生きていくために必要だったりはしない。
「性善説」と「性悪説」は、両方とも間違いであると同時に、双方とも正しい。
例えば、子供が玩具を欲しくて駄々をこねているとする。
この時親は、玩具を買ってやるへきが、厳しくいって躾けるべきか。
応えは「どちらも必要」なんじゃないかな?と。
考えてみれば単純なことで、なぁ〜んだ…とか思うかもしれない。
けれどこれが分からない人が多い。○か×かじゃなく、両方必要なことを。
ここでもし、躾だけをした場合、どうなるか?
子供は最終的には親に従う。
親に養ってもらわないと生きていけないことを、本能的に知っているからだ。
子供はたとえ何か欲しくなったりしても、常に我慢することになる。
親からみれば、実に素直な良い子にみえるだろうが、その影でストレスが徐々にたまっていく。
最終的には、その内部からのストレスに耐えられなくなり暴走することになる。
この場合やっかいなのは、ぱっと見ではストレスがわからないこと。
それを判断するには時間を要するので、親が適任なわけだが、
困ったことに「親の前」であるほど、それを隠すのである。
逆に、欲しい物をいつでも与えたら、どうなるか?
子供は親の行動に満足するだろうが、我慢ができないようになる。
欲しい物はいつでも手に入ると思い込んだ状態になる。
この状態で、親以外に何かを求め、断られたらどうなるか?
暴走の危険が大きい。
子供がまだ小さければ「暴走」自体はその場で力で押さえ込める。
それに暴走自体が心のシグナルになるので、状態に気づくことができる。
もっとも、その暴走の内容によっては、悲惨なことになる。
暴走がいわゆる「凶悪犯罪」だった場合だ。
絶対に許されない暴走は、
絶対の肯定がなければ救うことができない。
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